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赤い魔法使いと人魚姫  作者: 文鳥
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第53話


青い雷光と共に女剣士と管理者が姿を消す。男僧侶はそれを見届けてから、不意に視線を動かした。


「なあ。坊ちゃん、アンタ、起きてるんだろう?」

「…………くっ」


小さく呻き声を上げて、床に伏していたバランが顔を上げた。石の壁に激突した後頭部には、赤黒い血がべったりと付いている。

ふらつきながら立ち上がり、カイトに対峙する。しかし、カイトもまた真っ青な顔色で、膝は微かに笑っていた。

それでも普段と変わらぬ表情で、彼は投げやりに言った。


「お前だって逃げてもいいんだぞ」

「……そんな選択を……俺が、選ぶ筈ないだろう……?」


耳を澄ます。少し離れた場所から聞こえてくる戦闘音は、先程と比べて少し小さくなっていた。勝敗がつこうがつかなかろうが、そう時も待たずに戦いはひと段落つくだろう。

だからこそ、その前に、バランとカイトは決着を付けなければならない。


「もうあまり余裕がないんだ、魔力も残り少ないし……。やるんならさっさと終わらせようぜ」

「……おい」

「ん?」


不意に、恐怖にも似た形容しがたい衝動に駆られて、バランが声を上げた。



「−−貴様は、何がしたいんだ」



「−−−−」

若者の言葉に、男僧侶は目を見開いて硬直する。バランは更にこう続けた。


「貴様は何を望んで、此処までやって来たんだ」


ソラは自身にかけられた〈呪い〉を解きたかった。エリルは少年と一緒に居たかった。

サラーディアとバランは、ただただ少年を取り返したかった。あのトッティでさえ、国王からの命を己の行動基準と定め、それを決して曲げなかった。


だが、この男は。


それ以外に方法がなかったとはいえ、涼しい顔でソラに大量殺戮を強いた。それでいて、敵に奪い返されるくらいならいっそソラを殺してしまえば良かったのに、同胞である穏健派からもそう言った意見の方が多かったろうに、彼は少年を庇いその命を守り続けた。

〈呪い〉の力を得る為に、ソラとエリルの恋を利用していた。それでいて、最後には己の負傷にも構わず少女を助け、想い人の元へと逃がした。


矛盾した行動を取り続けるこの男は、何を望み、何を信念としているのか。この最果ての地まで彼を駆り立てたものは何か。

知りたい。知らねばならない。何も知らぬままこの得体の知れない男に殺されるのも、殺すのも嫌だった。


若者に向けられるくすんだ灰色の瞳。世界を覆い尽くす曇った空のような、恐ろしくて寂しげな色だった。その瞳の奥に、水底から浮かび上がってくるように、僅かな感情が取り戻される。


情けないお調子者。冷酷な策士。神に仕える聖職者。

そのどれでもあって、しかし、そのどれにも定まり続けることはない。

きっと、他の誰よりも様々な見方からこの世界を見ようとしてきた、この世界の在り方を見続けた彼は、やがて、静かな声で告げた。



「世界を変える力を見たかったんだ。それがこの世界を救ってくれるのか、逆に壊してしまうのかは関係なしに」



とても、とても哀しげな声であった。


「……そうか」


そうだったのか、とバランは呟いた。それから、何かに耐えるように目を伏せ、そっと俯く。

しかし、そうしている時間は決して長くはなかった。

次に顔を上げた時、その顔に浮かんでいたのは、紛れも無い闘志と殺気だ。


頭痛も感傷も思考から押しやって、手に持っていた長剣ロングソードを構え直す。それを見てカイトも、その手の内に光の魔力を収束させる。

どちらからともなく、冷たい石畳の床を蹴ってはしり出す。



この世界に刻み込むように、銀の刃と白光がほとばしった。



ーー



閃光と爆音。そして灼熱。

片手に収まる大きさの魔法具と少年ひとりの全魔力が引き起こした爆発は、少しの隙間もなく部屋を埋め尽くし、空間を焼いた。



かの姫君が、【海の魔女】が持つ呪力の本質は、彼女の美しい“声”にある。すなわち、彼女の発する言葉が呪詛そのものであり、その〈歌〉には人々の命運をも捻じ曲げる力が宿っている。


……それならば……強引にでも『声を出せない状態』に持っていけば、魔女の力を封じることも可能ではないか?


声を出すには空気が必要だ。だから、その空間そのものから空気を無くしてしまえば良い。

だが、ソラお得意の水魔法で部屋を満たせばそれで良しという訳ではない。そもそも海底で生きる人魚族なのだから、水の中であっても呼吸できるし、その〈歌〉も威力を失うことはない。


それならば−−炎。


簡潔に述べてしまえば、そう考えた上での暴挙であった。



部屋を覆い尽くしていた火の海が、少しずつ小さくなっていく。爆音と振動が潮騒のように引いていき、やがて、その場を静寂が支配した。輻射熱によって温度の急上昇した空気が陽炎のように揺らめく中、ゆらゆらと、部屋の中の光景が浮かび上がる。

爆炎が収まった後の部屋は凄まじい状態だった。石造りの壁や床は、高熱のあまり表面がガラス状となっている。

その中を、少年と魔女が立っていた。


ソラは、左足だけで床の上に立って、右手を前方に突き出していた。残骸すら残らなかった絵ろうそく、直前までそれを握りしめていた右腕は、肘から先が真っ黒く炭化していた。やがて、音も立てずにボロボロと崩れていく。

それでも、これ程の爆炎を受けて全身が黒焦げにならなかったのは、魔法具に注ぎ込んだ全魔力の内のほんの一部を自分の身を守る為に使ったからだ。顔は比較的綺麗なままだった。

一方で、【海の魔女】は。


『……ア、ア……ガ』


体中から、血液の代わりに炭よりもどす黒い瘴気を垂れ流していた。目鼻立ちは愚か全身の輪郭すら崩れている。その様は、さながら海底を彷徨う腐乱死体そのものであった。


高温の空気が少しずつ冷めてきても、赤い魔法使いと人魚姫は、長い間その場に立って対峙していた。

しかし。

どのくらい経っただろうか。唐突に、ソラが倒れた。

その細い体がぐらりと傾いて、一本の木が倒れでもするように崩れ落ちる。音ひとつ、しなかった。


『……ァ、ハハッ、』


それを見て、魔女が、動いた。

ずるずると、原型を留めていない下半身を引きずって、世にも恐ろしい亡霊がソラに迫る。瀕死の少年にとどめを刺さんと、爛れた喉を震わして〈死〉の唄を奏でようとする−−


寸前。



ぐしゃり、と。彼女もまた、倒れた。



『…………ソン、ナ』


崩れ落ちた黒い肉塊の後ろに、一人の少女が立っていた。

肩の上で無造作に切った癖のある黒髪に、鳶色の快活そうな瞳。しなやかに筋肉のついた健康的な体つき。洗い晒しのシャツにズボンという男のような格好で……腰のベルトに携えていた細身の剣を、残心の姿勢で構えていた。

白銀色の剣身には、瘴気がべったりとこびり付いていた。


通常であれば、決して当たらぬ斬撃だったろう。

だが、今、この瞬間。【紅の賢者】の遺した魔術によって実体を与えられ、その子孫である少年の魔力と隻足の〈魔工職人〉の魔法具によって大打撃を受けた彼女の肉体は……少年が恋した少女の剣に斬られ、今度こそ、致命傷を負ったのだった。

そのまま、斬られた箇所から、どろどろに溶けていく。

人型であったモノがあっという間にその形を失って、そして、


『−−−−…………』


断末魔さえ上げずに、魔女はこの時を以て、石畳を汚す泥だまりと化した。



−−幾百年。

幾百年もの間、赤い髪の魔法使いとその血族を呪い続けてきたという姫君の〈声〉。その呪力チカラは、他ならぬ彼女の二度目の“死”によって、この世から−−









消えた。

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