第51話
石造りの神殿の天井に、刃と刃のぶつかり合う剣舞の音色が高らかに鳴り響く。
その音は、あたかも神に献上される音楽のようであった。だが現実は、殺し合う二人が己の剣に託した、声にならない絶叫でしかない。
何度も相手の剣先が肌を擦り、幾つもの傷を作りながら、エリルとバランは死闘を繰り広げていた。
少女の細剣には、傭兵として戦場を生き抜く中で独自に培った、型破りで何物にも縛られない剣筋が。
青年の長剣には、貴族として最高級の教育を受ける中で極めた、極限にまで洗練された“型”の剣筋が。
それぞれの剣閃には、彼等の人生の軌跡が、信念が、生きる世界の在り方が乗せられていた。決して分かり合えずとも、これが自分なんだと、この一撃一撃が自分の人生そのものなのだと、そう語り掛けるように叫び散らすように刃を振るった。
されど。
「…………ッ!」
「−−はああっ!」
素早さと切れの良さはエリルの方が優っていても、単純な腕力と持久力は、やはり、男であるバランの方が上だ。その優位性は、互いの実力が拮抗し、戦いが長引けば長引くほど高くなる。
そして、ついに、エリルの剣が叩き落とされた。
「しまっ……っ⁉︎」
「−−これで、終わりだ!」
青年の長剣を振り下ろした。悲鳴のような音を立てて空気を切り裂きながら、銀の刃が降り落ちる−−!
迫り来る死。エリルは反射的に目を瞑った。
だが、少女の体に、想定していたような衝撃が走ることはなかった。
バランの真横から、光弾が−−光の魔力の弾丸が放たれ、青年の体にぶち当たったのである。
「−−……が、はッッ⁉︎」
吹き飛ばされ、神殿の壁に激突する。石の壁にヒビが入った。数秒遅れて、青年はずるずると床の上に崩れ落ち、そのまま意識を失った。
その様を、エリルは茫然と見つめていた。……が、やがて、はっとして光弾の放たれた方角を振り向いた。
「……お前はっ……!」
二十代半ばの中肉中背の男。くすんだ灰色の短髪に同じ色の瞳、どことなく軽薄そうな顔つきに似合わぬ冷たい表情、所々が鮮紅に染まった白い法衣。
〈呪い〉の異能を得た魔導師を監視し、付け狙い、彼ごとその力を手中に収めんと企んだ“穏健派”の教会の僧侶。
女剣士をこの旅に誘った張本人。
バランが倒れたのを見届けて、カイトはゆっくりと歩き出す。やがてエリルの目の前に立った。
助けてくれた礼か、或いは、労りの言葉か。
その、どちらかを言わなければならないと分かっていたのに−−
「……ふざけるなっ!」
次の瞬間、彼女の口をついて飛び出したのは、激しい呵責の言葉であった。
「今さら助けておいて、恩でも売ったつもりか? それで自分が許されるとでも思ったか⁉︎ あんたが、ぼくとソラを出会わせて、ソラをこの旅に誘って……ソラに大量殺人を強いてっ……ずっとずっと、ぼくたちを騙して裏切ってたんだ‼︎」
彼が所属する穏健派の教会の事情を、カイトの“本当の目的”を知ってからも長らく麻痺していた、彼に対する感情が今になって炸裂する。
怒りを、恨みを。在る限りの激情を、理不尽に自分勝手にぶつけた。
つまり、最初の最初から、彼はエリルに嘘をついていたのだ。
この旅は〈巡礼の旅〉などではなく、大陸最北部の帝国への視察活動とマーマン族の王国への牽制が目的だった。傭兵を雇ったのは、カイトの出自を隠し、彼が自分の身も守れぬような軟弱者であると見せかける為の隠蔽工作の一つで、まだ幼く世間に疎く、無所属であるエリルは特に都合が良かった。簡単に騙せるし、いざという時には始末もしやすい。
あの日、港町郊外の神殿に立ち寄ったのも、同胞たちによる襲撃を事前に知っていたから。人魚族への牽制を行う為に、王女と、その強大な戦闘力ゆえに戦において絶大な損害を及ぼすであろう魔導師を殺害する必要があった。カイトは襲撃の様子見もしくは助太刀をするつもりだったのだろう。
ここで、鉢合わせたエリルとソラが奇しくも知り合い同士であり、この際に、少年が彼女に対する数年来の“恋情”を自覚したことで、己の血に流れる〈呪い〉を発動させたことだけは。穏健派の教会にとっても彼にとっても、完全に予想外の出来事であったろうが−−
『なあソラ、お前もオレたちについていかないか?』
『その研究の資料は、現在も神殿の奥深くに保管されていると聞く』
『そのことを踏まえても、ソラにはこの旅に同行して欲しいんだ』
カイトは、ソラを自分の“監視下”に引き入れることにあっさりと成功したのだ。
少女には傭兵と雇い主という契約を、少年には「呪いを解ける」という甘言を使って、二人を逃さなかったのだ。
プタリナの町で、本当は酒に弱いのに「飲みに行く」と嘘をついて夜明けまでアパートに帰って来なかったのも、近辺で活動している同胞たちと合流し情報交換をしていたのだろう。
帝国と獣人の国との戦争の最中でも、裏で色々と活動していたに違いない。
そんな風に、エリルとソラを騙して、裏切り続けて。
……それでも。
〈呪い〉を受け恐怖と混乱の中に在ったソラに、打算であったとしても、手を差し伸べたのは他ならぬ彼なのだ。また、この世界は見方を変えることで様々なものが見えてくることを、そのような見方があることさえ知らなかったエリルに教えてくれたのもカイトだった。
帝国に、マーマン族の王国に狙われるソラとエリルを、きっと二人が知らないところで護っていた。
カイトがいたからこそ、エリルとソラは再び出逢い、共に旅をすることが出来た。
カイトは二人を守ってくれた。それは紛れもない事実であった。
そして−−
「ぼくにはもう、あんたのことが分からないよ! だって、だって……ッ」
−−今だって。
エリルが、泣きじゃくりながらカイトに手を伸ばす。
少女の指先が触れた彼の脇腹からは、今もなお“鮮紅の色”が滲み出ていた。
法衣を赤く染めているのは敵の返り血だけでなく、戦闘の最中で流れた彼自身の血でもあったのだ。
「ずっと、ぼくたちのことを利用していた癖に……それなのに、大怪我してるのに駆けつけてくるなんて……‼︎」
−−今だって、守って、助けてくれた。
自分を回復させるよりも先に、エリルを救護する為に魔力を使用したのだ。
【魔法使い】でも【僧侶】でもない自分には分からないが、こんな怪我をしながら攻撃魔法をぶっ放すなんてのは、肉体にも精神にも相当の苦痛と負担を強いる行為だったのではないか。エリルにもそのくらいは分かるのだった。
「どうして、こんなことをっ……!」
「……エリルちゃん」
……ふと。
水面が揺らめくように、凍りついていたカイトの顔貌が緩んだ。
そして、彼は。
いつものように、かつてのように笑って、少女の頭を撫でた。
「危険だから、此処から早く離れな。あんた一人なら“管理者”の力で移動させることが出来る」
バチッ、とエリルのすぐ真横で青白いい火花が散った。前と同じ唐突さで姿を現した薄金の髪の娘が、エリルの手をそっと取る。
「この神殿を離れた外の世界にでも、彼奴の居る場所にでも、好きな所に行けばいいさ。それを止める権利なんてオレたちにはない」
だから行きなさい、と僧侶は言った。
「オレは大丈夫だから」
エリルは押し黙って、赤く泣き腫らした目でカイトを見つめた。
だが、やがて、隣に立つ管理者を振り向いた。彼女の手を握り返し、小声で耳元に囁きかける。管理者は分かっていると言うように頷いた。
そして、彼女は。
その場から姿を消して、少年の元へ向かった−−。




