第47話
それから数時間もの間、何里もの高山の道を進んで。
一行は、遂に、大陸最北部の〈聖地〉に辿り着いた。
そして……
「……−−−−!」
暗く狭い道が開けたと同時に、光と共に視界へ飛び込んできたその光景に、ソラは息を呑み目を大きく見開いた。
海が、あった。
渓谷に立ち、その遥か遠くの眼下に、大海を見ることが出来た。
ろくに植物も育たない酷寒の地だ。いかに一年を通して海底の水温はそう変わらないといっても、冬には海面が流氷に覆われるような海だ。人魚族もまた、わざわそのような場所に住み着こうとはせず……故に、ソラも今この瞬間まで知らなかった。
数百年もの昔、ソラと遠く血の繋がったその人魚は。【悪の魔法使い】は。
この世界の大半を占める広大な海を、かつては居場所であった故郷を、本当に失った訳ではなかったのだ。
【紅の賢者】が晩年を過ごし、骨を埋めたこの土地は−−大陸一つを隔てようとも、世界そのものを介して、あの海底の王国とも繋がっていた。
……そして、今。
その子孫である少年が、此処までやって来たのだ。
それから神殿に辿り着くまで、さして時間はかからなかった。
幾百年も雪や風に耐えてきたのであろうその小さな石造りの建物は、外壁の所々に風化の傷を負いつつも、雄大な海と渓谷の狭間で頑丈に建っていた。
正面の出入り口から神殿の内部に足を踏み入れた一行を迎えたのは、驚くことに一人の幼い少女であった。
「……ようこそ、〈巡礼の旅〉の終着点へ。わたくしが、この神殿におけるただ一人の管理者です」
足元まで伸びた薄い金色の髪。小柄な体に纏っているのは、装飾のない素朴な生成りのワンピース。
古城を彷徨う幽鬼のような、退廃的かつ幻想的な美しさを持つ少女であった。
「ただ一人って……今、この神殿に居るのはキミだけってこと⁉︎」
「はい。ご主人様の……【紅の賢者】の血族を導くことが、わたくしの役割ですから……」
ともすれば自分よりも年下に見えるその姿に、エリルが驚愕の声を上げた。管理者は小さく頷いて、
「それでは、ご主人様との血の縁を持ちし人魚よ。貴方を、ご主人様が遺された書架へと……【海の魔女】からの〈呪い〉を解く方法を記した資料の保管場所へと、ご案内致します」
紅の髪を持つ少年ただ一人に、その首を垂れたのだった。
その、次の瞬間。
バチィッ、と、管理者の頭上で小さな青白い火花が弾けたと同時に−−管理者とソラの姿が掻き消えた。
「なっ⁉︎」 「消えた……だと……?」
「【悪の魔法使い】の末裔は何処に行った⁉︎」 「まさか、【海の魔女】の仕業ではあるまいな⁉︎」
「……何と言うことだ……〈呪い〉の力を与えられた張本人が居なくては、何の意味もないではないか!」
突如としてソラと管理者が行方を眩ましたという異常事態に、王国の兵士たちと教会の僧侶たちは揃って恐慌状態に陥った。
しかし。
「落ち着け、お前たち」
リーダー格であるくすんだ灰色の髪の男の呼び掛けに、穏健派の戦闘僧侶たちは僅かに平静を取り戻した。
「ソラは、この神殿の主に導かれてこの場から姿を消したんだ。これから彼奴が何処に行き着いて何をするのかは分からないし、それは今のオレたちが関与できる事柄じゃない。慌てふためくだけ無駄だ」
「……それもそうだよな。それに、“今ここにおける問題”はそこじゃねえ」
人魚族の特殊部隊を率いる獅子の鬣のめいた茶髪の青年も、カイトの意見に同意して−−更に、続けてこう言った。
「……目的地の神殿にまで辿り着き、ソラが此処には居ない今。俺たちが協力する理由は、既にないってことだ」
−−途端、エリルを除くその場の全員がハッとした表情を浮かべ、直後には、僧侶たちと兵士たちが互いに素早く距離を取った。
恐慌状態は瞬時に収束した。それぞれの立場を思い出し、本来の目的を果たすことだけに行動原理と思考をシフトさせたからこそ、彼等は瞬く間に冷静さを取り戻したのだ。
ヒューマンとマーマン。異なる種族。
人魚族の王国にとっては、【悪の魔法使い】を英雄と呼び讃え、国の発展の為の道を妨げる邪教徒の集団。
穏健派の教会にとっては、【海の魔女】を聖女と呼び崇め、大陸へ侵攻を企む犯罪国家の尖兵。
争わない訳がない。殺し合わない訳がない。
緊迫した空気が漂う中、両者は各々の武器を構え、魔力を高ぶらせた−−。




