第45話
それから、一刻も経たず。
戦場のど真ん中に、事前に仕掛けられた上に隠蔽魔術を掛けられていたという魔法陣が−−転移魔法の魔術装置が現れた。
「うわあっ!」 「な、なんだあ⁉︎」
魔法陣に描かれた文字の羅列が閃光を放ち、迸った魔力の旋風に、周辺の兵士たちが吹き飛ばされる。
そして。
光の奔流が止んだ時、魔法陣の中心に立っていたのは、赤い髪を持つ人魚族の少年−−ソラ一人であった。
兵士たちには見えなかった。
ぞっとするような無表情で立ち尽くす少年の体に、後ろから覆いかぶさっている姫君の霊が。
ソラの頸に白い腕を回して、ヒューマンも人狐も見下して、その美しい顔に禍々しい笑みを浮かべた魔女の姿が。
細く優美な彼女の指がソラの首筋を這った。桜貝のような可憐な爪の先が、喉元に食い込み、締め上げる。
それが合図だったかのように、ソラが、操り人形のように口を開いて−−
次の瞬間、ぐしゃり、と帝国軍の兵士たちの体が『押し潰された』。
少年の喉から放たれた姫君の呪力が、大量の鮮血を大地にぶちまけながら、しかし人狐族の兵士たちだけは的確に避けながら広がっていく。
今や【海の魔女】は、ソラ自身の恋心だけでなく、魔力までも奪い取り己のものとしていた。【悪の魔法使い】の持つ莫大な魔力を糧に威力を増大させた死の唄は、大気に乗って戦場の隅々にまで広がった。
暴力的なまでに美しい歌声が−−殺戮の呪術が、ヒューマンたちの肉体の原型を、命を、断末魔さえも押し潰してなお響き渡る。その光景を目の当たりにしてしまった獣人たちがあげる恐怖の叫び声もまた、魔女の歌声を前に掻き消された。
それはもう、圧倒的だとか一方的だとか、そういう次元の話ではなかった。これほどまでに大規模な死は、最早、そのような言葉でさえも片付けられるものではなかった。
だか、もし、この凄惨な光景を言葉にすることが赦されるのならば−−
それはきっと、何の正義も理由も存在しえない、正真正銘の地獄であった。
肉体を、魔力を、意識を奪われていたソラが己の理性を取り戻したのは、全てが終わった直後だった。血溜まりの中に仰向けに横たわっており、視界いっぱいに空の色が映り込んでいた。
海の色が、あった。
少年の故郷の色を作り出している、遥か遠くの故郷とも繋がっている、しかし、手を伸ばしても決して届かぬ蒼穹が、そこにはあった。
紅に染まった大地に横たわって、ソラは、そんな蒼を茫然と見上げていた。




