第44話
「「「なっ……⁉︎」」」
直前まで、サラーディアたち一行の魔力探知能力をも欺く隠蔽魔術で身を隠していたのか、相手は自分たちよりも少ない人数であったにも関わらず、あっさりと囲い込まれてしまっていた。
二十人ほどの襲撃者たち、そんな彼等が纏っている、縁に金糸の装飾が施された漆黒の外套には見覚えがあった。以前、サラーディアがソラを連れしきたりに従って訪れた港町郊外の神殿、そこで彼女たちを襲った『刺客たち』の衣装と同じものだったのだ。
襲撃者たちの内の一人が、いつの間にかサラーディアの背後に立ち、彼女の首元に短剣を突きつけていた。
群青色の短髪で、銀縁眼鏡を掛けたエルフ族の女だった。人質に取られた王女を目の当たりにして兵士たちが怒りと焦りの激情に駆られるまま動き出そうとするが、エルフの女が短剣の刃をちらつかせて彼等を牽制する。
絶対絶命にして、一瞬即発。
そんな空気の中で、悠然と、リーダーと思しき者が歩いてくる。サラーディアの正面まで来ると、立ち止まり、被っていたフードを取り払った。
黒衣の下から現れたのは、くすんだ灰色の短い髪を持つ、どことなく軽薄そうな男の顔だった。
そして。
男の顔を見て、かいとさん、と。未だ兵士たちに拘束されているヒューマンの少女が、呻くように呟いた。
「……貴方たち、教会の人間ね。この前までみたいに、王女を殺せば人魚族との戦争を先延ばしに出来るだなんて思っているのなら、それは間違いよ」
「そりゃそうだろうよ。教会だって、かの〈神話〉の再臨なんざ想像だにしていなかった」
男はそれだけ言って、その後はサラーディアには見向きもせずに、再び歩き出して彼女の横を通り過ぎる。
その不可解な言動にバランが思わず声を上げた。
「おい⁉︎ 貴様、いったい何を……」
バランの呼び掛けも無視して、男が足を進める先に在ったのは、感情を奪われたまま、この時も表情ひとつ変えずに、石像のように立ち尽くしている少年−−ソラであった。
「ソラに何かするつもりか⁉︎ 残念だったな、今のソラはもう人間などには誑かされない、俺達の声だけを聞いてくれる! だから、貴様が何を吹き込んでも無駄−−」
「黙ってろよ、坊ちゃん」
どこか辟易とした口調で、しかし、ソラから視線を逸らすことはないまま、僧侶の男は言った。
「オレが話さなきゃいけない相手は、坊ちゃんでも、今代の人魚のお姫様でも、ましてやソラですらない。今、ソラの内に居る『アンタ』だよ」
少年の水色の瞳、その、更に奥の深淵を覗き込んで−−
「なあ。【悪の魔女】さんよ」
「『……驚いたわ。こんな時に、こんな場所で、まさかあなたに呼び出されるだなんて』」
−−果たして。
彼の呼び掛けに応えたのは、ソラの本来の声ではなく、少年の喉を借りて響き渡った『女の声』であった。
男−−カイトの瞳を見つめ返して、唐突に、今まで無表情だったソラが唇の端を吊り上げた。その、妖しくも美しい艶やかな微笑は、決して、エリルやサラーディアたちの知る普段の少年が浮かべる表情ではない。
少年の体を“乗っ取って”、かの姫君の霊が話しているのだった。
こうして、驚愕に目を見開くエリルたちを置いてけぼりにして、カイトは、ソラ=【海の魔女】との話を始めた。
「『それで? あなたはわたしに何の用かしら?』」
「言われずとも分かってるだろう? アンタが、現代の王国のお姫様に従って人狐族の軍隊を滅ぼすのを、止めてくれるように頼みに来たんだ」
「『ならあなただって、わたしにその頼みを聞き届ける意思も義理もないことくらい分かっているでしょう?』」
「よく言うよ。海底の王国にとってはともかく、『アンタ自身』にとって、獣人の国や教会を敵に回さないことが最良の判断の筈だろう?」
カイトの顔貌に浮かんだ笑みが、すうっと深くなる。
凄絶な微笑を浮かべて、彼は述べた。
「オレたちに味方してくれるのなら、アンタをソラの体ごと、かの〈聖地〉へ連れて行ってやるよ。アンタが最も愛した男とアンタが最も憎んでいる魔法使い、そんな二人の縁の地だぜ?」
直後、カイトの笑顔と反比例するように、魔女の顔からは一切の表情が打ち消された。
海の底の如く沈黙した彼女へ、聖職者の男は更に畳み掛ける。
「それに、オレたちは何も殺戮を止めろと言いたい訳じゃない。帝国の軍隊なら滅ぼしたって構わないさ、同じ神を崇拝していたって、過激派は穏健派にとって敵なんだから。ほら、これなら、アンタの同族たちにも申し訳が立つだろう」
実に自分勝手な最良な提案を、残酷な幸福な結論を、カイトは、冷酷に勇敢に言ってのけたのだった。
しばしの静寂。
そして、
次の瞬間、魔女は、弾けたように声を上げて笑い始めた。
「ああ、やっぱり、あなたって素敵な人ねえ!」
子供のような無邪気に甲高い笑声が、激しい潮流のように大気をかき乱す。
世界が淀み、渦巻き、畝りをあげる。
ひとしきり笑った所で、魔女は、心底愉快そうにカイトを見やった。
「あの人は、あなたより幾分かは綺麗な顔立ちをしていたのだけど。それでも遠く血が繋がっているからかしら、やっぱり、あなたの眼や、物事の見方は似ているわ。全く同じではないけれど、よく似ているのよ。わたしが恋した、狂おしく美しい『あの人』に!」
こうして。
少年の顔を美しく歪ませて、魔女は、続けてこう言ったのであった。
「いいわ。あなたのその眼に免じて、今回は、あなたが望む通りに付き合ってあげる」




