第43話
……彼への恋慕の念を自覚してから、人知れず、こう夢想する時があった。
かの姫君を裏切ったという【悪の魔法使い】は、実は、彼女に恋していたのではないかと。
叶わぬ恋ならば、せめて、彼女を彼女たらしめていたその声を奪い、姫君の恨みと呪いをその身に受けることで、繋がりを持ち続けていたかったのではないか……と。
くだらぬ妄想だ。それでも、もし、本当にそうだったのだとしたら。
かの罪人の真実と己の心情とを重ね合わせることが許されるのだとしたら。
この想いも、赦されるのではないか。
叶わずとも、報われるのではないか。
今もそう思いつつ、サラーディアは、隣に立つ想い人の姿をそっと窺った。
獣人の国が用意したという魔導師用のローブを剥ぎ取られ、囚人服のような簡素な衣装を着せられている。だが、もう、拘束具の類いは付けていない。
退魔銀の鎖に対する激しい抵抗によって刻まれた、無数の鬱血痕や切り傷。そんな傷痕を残す華奢な腕も、今や、だらりと下がったままで、何かを掴もうとして動くことはなかった。
表情さえも、動かない。頬に残った涙の跡が痛々しいが、現在、青い双眸に映り込んでいるのはぞっとするような虚無で、時折、長い睫毛が思い出したように瞬きするだけであった。
少年の体からはあらゆる生気と意思が失われていた。しかしそれ故に、白痴美、とでもいうのだろうか、人形めいた無機物で退廃的な美しさがあった。
「大分、〈呪術〉の効果が出てきたみたいですねえ」
ソラの顔を覗き込んで、獅子の鬣を彷彿させるようなブラウンの髪と大柄な体躯を持つ従者−−トッティが、のっぺりとした声でそう言った。その言い草に言い様のない腹立たしさを覚えて、サラーディアは思わず文句の一つでも言いたくなった……が、すんでのところで思い留まった。今、ソラをこんな状態にしているのは−−王家に伝わる呪術を使って彼の心身を支配しているのは、まさしく自分自身だったからだ。
一方で、青みがかった黒髪に長身の、いかにも生真面目そうな容貌を持つもう一人の従者−−バランは、サラーディアと同様、苦虫を噛み潰したような表情でソラを見つめていた。
時刻は正午過ぎ。今頃、此処から数キロメートル離れた広野では、昨日の合戦の続きが行われていることだろう。
「さあ、これから、転移魔法で戦場のど真ん中に移動します。姫様はその場でソラを『歌わせて』下さい。帝国と獣人の国、両国の軍団に致命的な打撃を与えて、一気に畳み掛けますよー」
「−−やめてっ! そんな真似したら、ユーリさん達が……ソラが⁉︎」
ここで、綱で後ろ手に縛られ、兵士たちに押さえ付けられていたヒューマン族の娘が、トッティの発言に悲痛な声を上げた。
勿論、その場に居る誰もがそれを無視して、これからの“戦争”の為に立てられた作戦の内容に従って動き始めた。
「こんなのダメだ! ソラっ……ソラああっ‼︎」
黒髪の少女が叫ぶ。瞬間、ピクリ、とソラの肩が震えた。
ほんの小さな震えだ。サラーディアが呪詞を呟けば、少年は再びただの人形に戻って、彼女の方を振り返ることもなかった。
だが、ソラがその身の内側から発する〈呪い〉の波動が、このとき僅かに強まったことを王女は察知した。王国からすれば喜ばしいことなのだろうが、彼女個人にとってそれが、人知れず己の嫉妬心を煽られるのに値したことは明確であった。
(鳴呼……)
本当に、こんなにも浅ましく、執念深い自分が嫌になる。
それでも気持ちを切り替えて、これからの戦いに集中しよう、とサラーディアが自らを奮い立たせた−−その時。
「はい。人魚さん方の、下手な陰謀はここまで」
そんな、見知らぬ男の声が聞こえて。
直後、海底の王国の王女とその配下の兵士たちは、黒衣を纏った集団に包囲されていた。




