第38話
それから一週間後。グーピル族の国の城壁にやや近い帝国との国境の草原。
“殺し合いの場”としては、不釣り合いなほど晴れ渡った蒼穹の下で。
獣人の国とヒューマンの帝国、二つの国、二つの種族の軍隊が、数百メートル程の距離を隔てて睨み合っていた。
そして。
合戦の始まりを告げる銅鑼の音が鳴り響くと共に、両軍は雄叫びを挙げて駆け出した。
ついに、戦いの幕が切って落とされたのである。
ところが、合戦が始まってすぐの頃。
敵軍の侵略を迎え討たんと突き進む獣人の国の軍団よりも更に速く、先陣を切って迫り来る帝国軍の前に飛び出したのは、驚くことにたった一人の少年であった。
魔導師用のローブを身に纏い、自身の莫大な魔力を漲らせた、赤い髪の魔法使い−−ソラである。
帝国の兵士たちは、飛び出してきたのが荒事などとは縁もなさそうな華奢な少年であると見ると、足を止めることなく驀進を続けた−−が。
間合いが約百メートルを切った瞬間、ソラが、手のひらを帝国軍に向けた−−直後、長さ数百メートルに渡る巨大な“水刃”が空中に浮かび上がり、大気を切り裂く轟音を奏でながら帝国の軍団に迫った。
避けられる筈もなく、横一文字に走った魔刃の斬閃が、最前列の兵士たちの体を両断する。後方から続く軍勢も前列の死体と衝突して転倒し、または、理解の範疇を超えた凄惨な現象に立ち竦み、帝国軍の第一陣はたちまち機能不全の寸前にまで陥った。
だが、生憎、これで終わりではない。ソラが、敵軍に向けていた両の手を、次は頭上へと突き上げた。
血飛沫と共に飛び散った刃の残骸が−−魔水の粒子が、天に飛ぶ。上空で冷やされた水滴はあっという間に凍りつき、日の光を反射して、天の川のような煌めきを放った。
そして、次の瞬間−−そんな無数の星が、地上の帝国軍めがけて振り落ちた。
甲冑をも貫く氷の針が、土砂降り雨の如く、広大な範囲に隙間なく、帝国の兵士たちへと降り注いだ。
阿鼻叫喚。
(これが、“魔法”の力……!)
そんな光景を目の当たりにして、ソラと同じ隊に所属させられていたエリルは、ただただ慄然としていた。
これが、マーマン族の王家が誇る、魔導師一族の末裔の力。王国の切り札。
一人いるだけで戦局を変えてしまう、まさしく一騎当千の存在。
これまでの低級モンスターや野党との戦闘では気付けなかったソラの強さ。彼にはあってエリルにはない莫大な魔力。その魔術の存在は大きく、傭兵として申し分ない剣の腕を持つエリルをしてでも、決して届かぬ境地に少年を立たせている。
生まれや育ちの違いを、純粋な才能と実力の差を。本来ならば、出会わなければ、二人がこれからも当たり前に生きたであろうそれぞれの世界、そんな世界同士の距離を。彼我の間にある果てしない隔たりを、今この場で見せつけられてしまった。
だけど−−
(それでも、ぼくは、ソラと共にいることを決めたんだ。彼奴がどんなに自分からかけ離れた境地に行こうとも、ぼくは見上げるんじゃなくて、隣で一緒に戦いたいと願ったんだ!)
−−だから!
少女は決意も新たに、別方面から襲いかかってきた帝国軍を、ユスティリナと共に迎え撃った。
ユスティリナの槍の穂先は、優美ながらも鋭い弧を描き、エリルの剣の剣身は、苛烈に縦横無尽に打ち出される。
ソラのような半ば人間離れした強さはなくとも、敵を討つには申し分ない。
エリルの戦いぶりを間近で見たユスティリナは、心底愉快そうに黄玉色の瞳を細めた。
「−−やるな」
「−−そっちこそ」
こうして。
従来の予測に反して、戦局の天秤は、ソラたちが属する獣人の国へと傾きつつあった。




