第35話
それから数分の後には、ソラの部屋にエリルとカイトが呼び出されていた。
「……カイトさん。あんた今にも吐きそうな顔色で、普段の不細工が更に悲惨なことになってるんだけど。一体どうしたのさ?」
「おいこら普段から不細工ってどういう意味だ……っ、うぷっ。どうしたもなにも、此処の屋敷の主人が酒好きでさ。こんな時間から、強制的に付き合わされたんだ……」
『大丈夫ですか? そんなに呑まされたんですか?』
「えっと、コップ半分くらいかな?」
『「酒よっわいな⁉︎」』
「うっせえ、昔から下戸で酒は苦手なんだよ! ……ううっ……」
「ほんっっとうに情けないなあ……」
『カイトさん、しっかりして下さい』
(……あれ? でもカイトさんって、プタリナでは……)
ソラは矛盾点と強烈な違和感を覚えてカイトを見たが、その直後に、
「……あの、そろそろ本題に入ってもいいか?」
ユスティリナがおずおずと切り出し、ソラたちは慌てて居住まいを正した。
そしてエリルが、改めてユスティリナに向き合った。
「それで……さっきソラに頼んだことは、どういうことなんだい?」
ユスティリナがソラの力を借りたいと言ったことに対して、エリルが有無を言わせぬ口調と表情でユスティリナに詰め寄る。そんな黒髪の少女の視線を真っ向から受け止めて、銀髪の聖騎士は述べた。
「【紅の賢者】の子孫であるソラに、あの村で私が見た水魔法で。そして、過去、かの聖人と共に【海の魔女】を倒したことで手に入れたという〈歌〉の力で。帝国の侵略からこの国を守って欲しい」
その発言に、エリルは大きく狼狽し、カイトはユスティリナの意図を見定めようとするかのように目を細め、そして当のソラは、首から提げた黒板に再び石墨を走らせた。
『その発言に、言いたいことや訊きたいことが2つあります』
「ああ、言ってくれ」
『まず1つ。貴女は今の俺が持つ歌声を「手に入れた」と言いましたが、あれは、魔女の亡霊が俺自身の声と引き換えに押し付けた〈呪い〉でしかありません。俺は望まずして声を奪われたんです、あの言い方はやめて下さい』
「……すまなかった。確かに、先程の発言は失礼極まりないものだったな。もう1つは?」
『2つ。貴女は、貴女たちは、俺の祖先について何を知っている? そして貴女たちの“宗教”は、俺の祖先や呪いに関する事実をどう解釈している?』
「分かった。それもすぐ説明しよう」
ソラの問いかけにユスティリナは頷いて、この人狐族の国で信仰されてきたという〈神話〉の概要を語り始めた。
−−それは、昔むかしのお話。舞台は数百年前に遡る。
他種族同士が敵対し戦争を繰り返していた時代。海底の王国も例に漏れず、人魚族の王女であった【海の魔女】は一族を率いて地上に進出した。声に呪力を、そして、その呪力を自在に制御する呪術を持っていた彼女は、自ら戦前に出て地上の軍を蹴散らし、数多の他種族の集落を歯牙にかけたという。
ところが、人魚たちの王国が大陸全土を征服する一歩手前まで来たその時、一人のヒューマン族の僧侶が現れた。
彼は無力ながらも勇敢に【海の魔女】へと立ち向かい、やがてそんな彼に、異種族とはいえ他国を侵略しその国の民の尊厳を傷つける行為に疑問を抱いた一人の魔導師が付き従った。
それが、赤い髪を持つ人魚。ソラと遠く血の繋がった【紅の賢者】である。
一方で魔女は、いつしか、傷つきながらも己の種族の為に戦うその聖職者に恋をしていた。異種族の男に恋をしたことで初めて、己の種族の為だけに他の種族を蹂躙してきたことを悔いた。だからこそ、【紅の賢者】に己の武器である呪力を奪われた後に、後悔と絶望の中で自らの命を絶ったのだった。
「こうして、奇して魔女の侵攻を防いだ聖職者は、“聖人”として今代に渡るまで信仰されることとなった」
ユスティリナの話を聞いて、ソラは、もう何が本当のことで何が嘘なのかも分からず内心で混乱していた。かつて故郷で聞いた話とまるで違っている。
同じ事柄でも、海底と地上、視点を変えて見ればこうも内容が変わるのか。当事者たちにとって都合の良いように解釈され、捻じ曲げられ、そうやって神話は受け継がれていくモノなのか。
「……大陸の各地に広まったこの〈聖人信仰〉は、時代を経て複数の宗派に分かれた。中でも、私たち人狐の国とカイト殿の所属する教会が“穏健派”、帝国と繋がっているのが“過激派”だ」
過激派は、元の信仰の中にもあったというヒューマン至上主義を加速させ、いつしか、他の種族を差別し侵略することを“正義”と見なすようになった。……寒冷な気候である為に広大な国土に反して作物もあまり育たず、一部の地下資源を除けばあまりにも資源に乏しかったが故に、国外に進出しなくては発展できなかったという事情も持つ帝国にとって、その教えは非常に都合の良いものであったのだろう。
穏健派は、聖人の己の種族の為に奮起した姿勢は異種族の中でも見られるものとして、信仰をヒューマン族だけのものではなく、全ての種族に共通する愛郷心と民族主義の象徴と見なした。だからこそ、穏健派の宗教は、この獣人の国でも受け入れられたのだろう。
こうして全く異なる宗教観を持つに至った二つの宗派は、それぞれが支持を受ける国も変えて、いつしか互いに対立するまでになったのである。
されど……どちらの宗派にとっても、【紅の賢者】と呼ばれたマーマンは、その血と力を受け継いだ者は、決して看過できるような存在ではなかった。
「此度の戦争は、純粋な領土の侵略の他に、穏健派と過激派の対立、いわば宗教戦争の側面も持つ。だからこそ、『かの神話に登場する人物』、その血族に連なる者の存在は極めて重要だ。我々の宗教を肯定する為にも、ソラ、君は必要不可欠なんだ」
「……ねえ。それは、ちょっと虫が良すぎるんじゃない? さっきから自分の国と宗教の為だとしか言わないで、ユーリさんはソラ本人について何一つ考えちゃいない。ソラが貴女たちに協力する利点はまるでないじゃないか」
「…………っ」
ソラは都合の良い道具じゃない、と静かに怒りを募らせるエリルの指摘に、ユスティリナは恥じ入るように俯く。
しかし、再び顔を上げて、
「勿論、それに見合うだけの対価は用意しよう。そうだな……〈巡礼の旅〉の終着点である聖地、その地に建てられた神殿の奥深くに隠された、【紅の賢者】本人が遺した〈呪い〉に関する研究資料を保管した部屋。その部屋が神殿の何処にあるのかという情報と、部屋の中の資料を自由に閲覧できる権利はどうだ?」
「「「…………!」」」
「ソラは、押し付けられた〈呪い〉の力を返上し、自らの声を取り返したいのだろう? かの資料は、間違いなくその手がかりになる筈だ」
そんなユスティリナの提案に、ソラたち三人は大きく目を見開いた。




