第34話
やはり、これまでの人生でも、この旅路の中にあっても、己の身に起きることは予測できぬことばかりだ。今だって、この町で、こんな丁重な扱いを受けるだなんて。
故郷の海底都市を離れてからはとてもお目にかかれなかったような柔らかなソファに浅く腰掛けて、ソラはそんなことを考えていた。
人狐族と小人族の村から帝国軍の兵士たちを撃退した後、ソラたち一行は、あの夜出会った風使いの娘に連れられて獣人の国の首都に入ることとなり、そこでは“客人”としてもてなされた。
「私はユスティリナだ。気軽にユーリと呼んでくれ」
そう名乗った銀髪の人狐は、自らを傭兵団の団長であると名乗った。
あの日は陽が沈んだ頃に村を発っていたが、帝国軍が村を襲撃したと聞きつけて、村人たちを助ける為に急いで引き返して来たのだという。そうして、ソラたちと出会ったのだった。
「本来ならすぐに戦場に向かう筈だったが、急きょ予定が変わって、首都まで引き返すことになったんだ。君達もそこに行くのなら我々と一緒に行かないか、私のツテを使って歓迎するぞ」
高い城壁に囲まれた人狐たちの国は、やや寒冷な地域であるが故に重厚な石造りの建物が多く、装飾も控えめで、それは首都であっても変わりはない。印象としては華やかさに欠いていた。
しかし町並みは清潔で、上水道と下水道の設備も整っている。国民たちも、今は全面戦争が近いという事情があって暗い表情の者が多いものの、服の質や健康状態は悪くないように見えた。
そんな町の様子を、ソラは二階の部屋の窓から観察していた。
(いったい何が目的だ……?)
屋敷に案内されたソラたちは、それぞれが個室をあてがわれている。ソラが泊まっているこの部屋もそれなりに広く、いま彼が腰掛けているソファを始めとした調度品の質も最上級だった。たかが〈巡礼の旅〉の最中の、しかも異種族の旅人である三人に対してこの破格の対応、通常ならば決してありえない話である。
ところが、いくら治安が良くてもこの時期なら万が一の場合があるからと、外出は禁止されていた。
要するに、現在のソラたちは、事実上の“軟禁状態”にあった。
「−−ソラ、入っても良いかな」
不意に軽快なノック音がして、数日前から聞いている声が投げかけられた。
ソラはドアを開けて、廊下に立っているユスティリナを部屋に招き入れた。
「窮屈な思いをさせてしまってすまないな。だが、異種族の国との戦争が秒読みである今、マーマンの君や君の仲間であるヒューマン二人が不用意に外に出れば、民に要らぬ不安を与えてしまう。我慢してもらうことになるが、滞在中の暮らしで何か不満があれば遠慮なく言ってくれ」
『いいえ、不満なんてありませんよ。ユーリさんには本当に良くしてもらっています』
ユスティリナの謝罪に、ソラは白墨の文字で応える。黒板に書かれた返答にユスティリナも一度は安堵したように見えたが、次の瞬間、続けて書かれた言葉を見てハッと表情を強張らせた。
『でも、俺にも、聞きたいことはあります』
そして、ソラは、単刀直入に問うた。
『貴女は一体、何者だ。傭兵だと聞いているが、傭兵がこんな屋敷を用意できる訳がないし、もし本当に傭兵だったとして、貴女ほどの腕となればその業界の中でも名は広まっている筈だ。けれどもエリルは、貴女のような同業者は聞いたこともないと言っていた』
「……然るべき時が来たらこちらから切り出す予定だったが、やはり、隠し通すには無理があったか。悪かった、いま全てを話すことにしよう』
ユスティリナは観念したように浅く息を吐くと、姿勢を正し、真正面から少年を見つめて口を開いた。
「私は、畏れながらも【聖騎士】の称号を賜っている。先日あの村を立ち寄ったのも、秘密裏に命じられた帝国軍の偵察を行う為だった」
聖騎士。
並み居る兵士たちの中でも卓越して文武に秀で、国家に、そして国の教会に絶対の忠誠を誓ったことで、初めて王家からその称号を賜われた者達のことだ。
聖騎士ともなれば彼女のあの強さにも納得が行くし、国家に己の身を捧げ、その国家みずからに実力を認められた存在であるというのなら、それはソラも同様である。勿論、彼女が嘘を話している可能性もあるにはあるのだが、そこはひとまず置いてソラは更に疑問を述べた。
『それならば、何故、その任務を遂行せず首都まで引き返したのですか?』
「それは君も薄々気が付いているんじゃないか? 他でもない、あの村で君を見つけたからだ。この国に仕える騎士として……カイト殿と同じように、かの〈伝承〉を知る信者として……見逃す訳にはいかなかった。君を、この国に連れて来なくてはならなかった」
「…………⁉︎」
ユスティリナは、ソラから視線を逸らさぬままその場に膝をついた。
そして、王に忠誠を述べる戦士のように、または神に祈りを捧げる僧侶のように、彼女は言葉を続けたのだった。
「【紅の賢者】の血を引く人魚よ……どうか我々に、この国に、その力を貸してくれ」




