第33話
ところが、事件が起きたのは、その日の夜であった。
真夜中、エリルたちが小屋の中で眠っていると、不意に、悲鳴のような音が聞こえてきた。
エリルとソラは素早く起き上がると、何があったと小屋の外に飛び出した。少し遅れてカイトも身を起こし、少年少女よりかは慎重に外の様子を伺う。
「「「…………っ!」」」
外では、数十人もの男達が、村を襲撃し蹂躙している光景が広がっていた。
見るからに粗暴な雰囲気を纏っているが、全員きっちりと甲冑を身に付けており、貧しい野党ではないと分かる。その甲冑の意匠には見覚えがあった。帝国軍だ!
恐らくは戦場に向かう本隊を離れて、エリルたちが寝泊まりしていた小屋のある地点から村を挟んだ向かい側、内陸に近い方から攻め入ったのだろう。
逃げ惑う村人たちを捕らえては集団で殴り倒し、収穫前の果樹園の木をへし折り、挙句には家に次々と火を放つ。夜闇を煌々と照らす紅蓮の炎と鳴り止まぬ悲鳴に吐き気がしそうだ。エリルもソラも、怒りで頭が沸騰するような感覚を覚えながら、帝国の兵士を倒して村人たちを助けるべく走り出した。
家屋を壊していた兵士たちが、エリルたちに気が付いて襲いかかってくる。
しかし。
その直後、ソラより前方を走っていたエリルの姿が『かき消えて』、兵士たちは敵を見失った。
「なっ……⁉︎」 「消えた⁉︎」
「バカな、何処に隠れた⁉︎」
そして数秒後に、少女の姿が現れた。−−兵士たちの、すぐ目の前に。
エリルが剣を待つ腕を横薙ぎに払う。無論、直前まで彼女を見失っていた兵士たちに反応できる筈がなく、斬られた兵士たちは驚愕の表情で息絶えた。
抵抗さえ許さずに兵士たちを斬り伏せたエリルは、よく見れば、その体に白い“霧”を纏わせていた。ソラが水属性の魔法を使って霧を発生させ、霧の細やかな水滴による“光の屈折”を利用することで、一時的にその姿を隠蔽していたのである。
それは、決して簡単に出来る芸当ではなかった。水滴を操る魔導師と実際に動く剣士は別々なのだ、ソラはエリルの動きに合わせて水滴を操らなければならず、エリルはソラが霧の操作を誤らぬよう彼が彼女の動作を予測できるように動かなくてはならない。
この旅の中で二人が培ってきた互いへの熟知と信頼によって初めて成せる技であった。
その後も、突然姿を消したり現したりを繰り返すことで兵士たちを翻弄しつつ、エリルとソラは村の中央の広場に向かった。
広場の中では、他の場所で上がる悲鳴よりも甲高い、若い女性の悲鳴が上がっていた。
そこでは、兵士たちが十数人の村娘を押し倒し、その服を剥ぎ取り、今にもその身体に覆い被さらんとしていた。泣き叫ぶ娘たちの中には、数時間前にエリルたちが見た顔も混じっている。
それを目の当たりにして、エリルは、一気に顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。後方を走っていたソラが地を大きく蹴ってエリルに追いつき、彼女の腕をむずと掴んで引き寄せる。彼自身も震えながら、しかし、女性であり想い人でもあるエリルにこれ以上この光景を見せてはならぬと、少年と少女の存在に気付いた兵士たちには憎悪と殺意の目を向けた。もし声を出せたなら、きっと激情のまま奴等に怒鳴り散らしていただろう。
ところが。
ソラが、怒りに身を任せたまま悪漢たちへと立ち向かう前に。
一陣の風が夜闇を切り裂く音と共に、村娘の脚を掴んで無理やり押し開いていた一人の兵士の首が、血の尾を引いて宙に飛んだ。
「「「−−−−ッ⁉︎」」」
自らに何が起きたのかも理解できず呆然とした表情のままの生首が、ごとりと重い音を立ててエリルたちの目の前に落ちる。
そして。
たった今それを成し遂げた“本人”は、存外に軽やかな足音を立てて、堂々と広場の中に踏み込んで来たのである。
まだ二十歳にはなっていないであろう人狐族の女だった。他のグーピルと比べてもひときわ見事な毛並みを持つ銀の尻尾に、尾と同じ色をした直毛の長髪。
白銀色の胸当てや腰鎧で武装しているが、不思議と身のこなしにも足音にもその重みを感じさせない。また、その手には、穂先に透き通るような刃を持つ一本の槍を携えていた。
一振りの細身の剣のような、或いは、凛と咲く一輪の花のような、何者にも屈しないと言わんばかりの強靭さと清純な美しさを併せ持つ少女であった。
帝国軍の兵士たちは仲間の突然の死に恐れ慄いたが、相手が若い娘ひとりとなれば退くに退けなかったのだろう。一斉に身を起こし、武器を構えて女に襲いかかった。
しかし、彼女は獣人特有のしなやかな身のこなしで、突き出された長槍を、振り下ろされた剣身を、投げつけられた戦斧を難なく回避する。それから、自身の槍を一振りし、穂先を何もない空中で一閃させた。
すると、直後。
ぐねり、と大気が蠢くと共に、穂先の軌道に沿って無数の鎌鼬が発生した。
(“風属性”の魔法……⁉︎)
見えざる風の刃が、兵士たちの首を、胴を、手足を次々と切り裂いていく!
「て、てめえ、此奴がどうなってもいいのかよっ⁉︎」
運良く旋風の殺刃から逃れた兵士の一人が、半ば恐慌状態に陥りながらも、すぐそばでぐったりとしていた村娘を引き起こした。その首元に剣先を突きつけて喚き散らす。
だが、罪もない村人を人質にされた事実に人狐族の女が激昂するより早く、前兆もなく放たれた“氷”の弾丸が男の眉間を貫いた。
無論、それはソラが操る水属性の魔法であって、彼は、人狐族の女に助太刀すべく続けて水の刃を生成していた。エリルの方は、戦闘は信頼できるソラに任せて、襲われた村娘たちの介抱に専念した。
槍の斬閃と共に打ち出される不可視の風刃と、自在に形状を変えて繰り出される魔水。
二つの魔術によって兵士たちは次々と斃れ、また、生き残った者達も残らず村から逃げ出したのであった。
そして、そして。
「……“赤い髪の人魚”って……まさか」
背を向けて逃走する兵士たちを深追いせずに逃した女は、未だ射殺さんとばかりに兵士たちの後ろ姿を睨みつける少年を見つめて、そう呟いた。
そんな彼女の呟きは夜風に紛れ、ソラにもエリルにも届くことはなかった。




