第32話
滅びた獣人たちの村から脱走した後、ソラたち三人がまだ滅びていない小さな村に到着したのは、それから三日後のことだ。
トッティたちからの追跡はなかった。単にソラたちの行方を辿れなかったからかもしれないし、何か考えがあって逃亡を見逃したのかもしれなかった。
「天気もあんま良くねーし、今日はこの村で休むとするかあ」
鈍色の雲に覆われた空を見上げて、カイトがそう言った。
「んでもって、明日の早朝に出りゃ、夕方には人狐族の国に着けるだろう」
いま到着したこの村を発って、グーピル族の国を抜ければ帝国に辿り着く。そして、帝国を経由した先にあるのがかの聖地−−ソラたちの旅の終着点だ。
「国の首都となりゃ久しぶりの大都会だ! 便利で快適な暮らしひゃっほう!」
「……ダメだこのおっさん、早く何とかしなくちゃ……」
「エリルちゃああぁん⁉︎」
本当に、この男には緊張感や慎みというものが足りていない。だが、聖職者らしからぬ素の人間らしい低俗さと、直面している状況に似つかわしくない呑気さが、今のエリルとソラに安心感を与えていた。
その村は、小人族と人狐族の二つの種族が暮らしている農村だった。
マーロンやプタリナといった近年の大都市なら珍しくない光景だが、複数の種族が共存するなど、このような小さな村の中ではまずあり得ない。現在は他種族間でもある程度の調和が保てている時代とはいえ、あらゆる種族同士が敵対し戦争を繰り返していた歴史はそう遠い昔の話でもないのだ。未だ、無意味に高い同族意識と他種族蔑視の思想は人々の心に根深く残っている。後進的な農村ともなれば尚更。
しかし、村の中を歩いてみて、彼等が共存する理由はすぐさま察せられた。
(……ドワーフ族が此処に流れ着いたのは、つい最近になってからなのか。きっとそれ以前は、グーピル族だけの村だったんだ)
どちらの種族の村人たちも素朴な石造りの家に住んでいるが、ドワーフたちの住居地とグーピルたちの住居地は村の中で完全に分けられていた。また、ドワーフたちの家々は、建設されてさして時が経っていないように見える。
つまり此処のドワーフたちは、元の住処を追い出されてこの村に流れ着き、本来の住民であるグーピルたちに受け入れられた形で村に移り住んだのだ。
そして。
ドワーフたちが本来の村を追われた経緯など、昨今の情勢を省みれば想像に難くなかった。
だからこそ、ヒューマン族であるエリルとカイトが、この村の者達にどんな扱いを受けるかも予想が付いていた。
「悪いが、あんた達を家に泊めるわけにはいかないよ。今は先客もいるし、それに……あんたら自体に恨みがあるわけじゃないが、そこの旦那と嬢ちゃんは……」
村長の家と思われる建物に訪れて一晩の宿を求めたが、対応した狐耳の男はエリルとカイトを見て渋い顔をした。
案の定というか、帝国の脅威に晒されてきた集落の者として当然の反応だ。すまないな、と呟いた村長にカイトは微苦笑して応えた。
「いえ、いいんです。ところで、村の入り口に、誰も使っていない小屋がありますよね? 申し訳ありませんが、今晩はその空き小屋で寝泊まりさせて貰えないでしょうか?」
「ああ、それなら構わんよ。好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
野宿でないだけマシだと割り切って、三人は再び、村の外れに建っているぼろぼろの小屋まで引き返した。行きもそうであったが、道中で、一行を遠巻きに見る村人たちが不審と恐怖の入り混じった視線をヒューマンの二人に向けてくる。また地上ではまず見られない異種族であるソラに対しては、警戒より好奇の目が向けられていた。
小屋の中はがらんとしていて、奥の方に藁の束が幾つか置かれているだけだった。長らく人が入ることもなかったのだろう、床には埃がたまり、低い天井の角には蜘蛛の巣がかかっている。それでも、雨風をしのぐには申し分ないし、小さいながら竃も残っている。
ソラが竃に火を熾している間、エリルが塩漬け肉を赤い果実に巻きつけた。この果実は、この村の外の森に生えていた野生の木から採ってきたものだ。甘味が強く果汁の多い果物で、この地方では品種改良されたものが特産品として生産されている。この農村でも、果樹園を作って盛んに栽培しているようだった。
その肉巻きの果実を竃の火で炙れば、それでこの日の夕飯は出来上がりだ。
果汁が染み渡った肉はすっかり柔らかくなっている。思い切り噛み付けば、塩漬け肉の塩気と果実の甘味が程よい調和を生み出して、口の中いっぱいに旨い汁が広がった。これだけでは味が濃いので、付け合わせのパンの食も進むというもの。
ところが、ソラたちが料理に舌鼓を打っている最中、数人の村娘たちが小屋を訪れてきた。
全員グーピル族で、狐の耳と尾を生やしている。ふわふわした毛に覆われた獣耳をピンと立て、尻尾をブンブンと振っている様子は、小動物めいていて非常に愛くるしい。
驚くことに、やって来た彼女等は無償で毛布や野菜を恵んでくれた。
ヒューマンであるエリルとカイトに対する怖れよりも、ソラのもの珍しく、何より綺麗な外見に娘たちは惹かれて来たのだろう。彼の姿を間近で見て、顔を赤らめる者までいた。それを目の当たりにしたエリルはソラの目が届かない場所で頬を大きく膨らませたが、厚意自体は本当に有難かった。せめてもの礼として果実の料理を振る舞い、村娘たちは文字を読めなかったので、声を出せぬソラの代わりに話をした。
「まーまん族? 聞いたこともない種族ね!」
「人魚だなんて初めて見たわ! 人魚族の人って、皆こんなに綺麗なの⁉︎」
「ねえ、ソラ君は何処で育ったの?」
「教えて教えてっ!」 「あたし、ソラ君のこともっと知りたい!」
『エリル。俺は海底の王国の、アクアドリアっていう王都で生まれ育ったんだよ、って伝えてくれない?』
「エリルちゃん、ソラ君いま何て書いたの?」
「……個人情報だから教えたくない、ってさ」
『えっ』
更に話題は変わって、村娘たちは最近この村で起きたことについても語ってくれた。
「そう言えば、君達の村長が話していた『先客』って誰のことなんだい?」
「つい昨日、首都から来た傭兵団よ。これから戦場に向かうんですって!」
「帝国が、大きな侵攻を始めたんだって。……とうとう戦争が始まるのよ」
「近々、村の男達も徴兵されるかも知れない」
「戦争になったらこの村はどうなっちゃうのかなぁ……。数ヶ月前、此処に逃げて込んで来たドワーフたちの村と同じように襲われてしまったら……」
「こらっ、滅多なことを言うんじゃないよ!」
(人狐族の国と帝国が戦争を……⁉︎)
エリルたちは目を瞠って絶句したが、その間にも村娘たちは別の話を始めていた。
暗い話題から明るい話題へ、その逆も然り、目まぐるしくコロコロと話は変わる。年若い少女たちの間でよく見られる、世界共通の現象である。
「そうそう、それで、その傭兵団の団長は銀毛の人狐族の若い女性なんだけど、それがまたすっごい美人でね!」
「あっ、でも、美人っていうならソラ君も負けてない!」
「ほんとそれ」 「空色の目が素敵」
「髪とか真っ赤な上にサラサラで綺麗ね! どうやって手入れしてるの?」
『褒められると何か照れるなあ……。エリル、ありがとう、って伝えてくれないか?』
「……俺だって男なんだから、美人だと褒められても困る、って書いてる」
『えええっ』
……と、村娘たちとの交流は始終こんな感じであったが、その間、カイトはひとり小屋の隅に追いやられていた。
「何でオレだけ……」と落ち込んでいるかと思いきや、賑やかに華やかに笑う村娘たちを拝み見て、
「やっぱり、若い女の子がいると眼福だよなぁ……。あぁそういや、エリルちゃんもあれで女の子だったっけか」
などと修業中の僧侶としてあるまじき発言をし、村娘たちが帰った後でエリルにしばき倒されていた……。




