第25話
プタリナの高級住宅街内のとある屋敷への奇襲、及び、その屋敷を全焼させた火災は、都市を大いに震撼させた。
襲撃者たちは都市から逃走した後マーロンへ続く南の方角へと向かったが、それからの行方は特定できなかった。市民たちの混乱を防ぐ為、都市の経営者たちは市役所内部でも口外禁止を徹底し、事の次第を厳重に隠蔽。彼等は完全にかの襲撃者を見失った。
こうして、何十人も殺した襲撃者が捕まることもなく都市の外に出ようが、実は都市の中に舞い戻っていようが、プタリナでは従来通りの日常が続く。
相変わらず工場はせわしなく稼働し、貧しい労働者たちはあせくせと働き、製品は海を越えた国々へと流通する。プタリナに流れ着く難民の数は減らないし、貧富の格差はなくならないし、この世界の在り方だって変わらない。
そう、だから。
都市からほんの少し離れた森の道で。
この都市にある工場で働いていたドワーフ族の青年が、奴隷商人に拐われた挙句、道中でオークの群れに襲われて。
奴隷商人たちが青年を身代わりにして逃げ出した所為で、彼はたった一人、モンスターに無惨に殺されたのだとしても。
それでも、この都市は、世界は、どうしようもなく無関心で残酷なのだ。
「マイアの身柄は、オレんとこの教会が引き取ることになった」
あの騒動から少し落ち着いてきた頃、カイトがエリルとソラにそう告げた。
「それは……マイアさんも納得したことなの?」
「ああ。……納得したっつーか、もうどうなってもいいって言うような反応だったがな」
「…………」
どちらにせよ、もう、マイアはこの都市には居られまい。稼ぎ頭であった兄のアイランを亡くした今、片足のない彼女には、これまで通りに生きる術もないのだから。
それに……一度は退けたとはいえ、帝国は、強力な〈魔工職人〉たる彼女を狙い続けるだろう。強大な権力から身を守る為には、やはり、別の大きな権力に庇護を求めるより他はなかった。
「勿論、あの娘の安全と傷ついた心の治療は、教会のオレの仲間たちが確約する。……オレの属する宗派は“穏健派”だ、帝国のような真似など絶対にさせない」
珍しく真剣な表情で言い切ってから、カイトは、ソラの方を向いた。
「ソラ。実は、マイアがお前と話がしたいと言ってるんだ。行ってやってくれないか」
『マイアさんが? 本当に俺で良いんですか?』
「ああ。オレたちは明日にはプタリナを発つ予定だし、マイアも教会の施設へ向かう。今日で最後なんだ」
だから頼むよ、とカイトは言ったが、元よりマイアが望んでいるのなら断る筈がない。
ソラは、すぐに彼女の元へ向かった。
かつて兄妹が暮らしていたアパートの一室、その扉の前では、カイトが急きょ呼び寄せた護衛たち−−教会の関係者たち−−が陣取っていた。だが、カイトから事前に知らされていたのだろう。リーダー格と思しき、群青色の短髪に銀縁眼鏡を掛けたエルフの女性は、少年の顔を見て、彼が部屋の中に入ることをあっさりと許してくれた。
扉を叩くと、小さな声でどうぞ、と返事がある。ソラは、心なし恐る恐るといった所作で部屋に足を踏み入れた。
狭い部屋の中央にて、マイアは荷造りをし終えたところらしかった。だが、そもそも、この部屋に家具など殆どなかったようなものだ。そこにあるのは、ただただ物哀しい殺風景ばかりである。
そんな景色の中で、窓から差し込む夕方の日光が、部屋の空気そのものを紅く染めているかのようだった。その橙色の輝きを受けて、ふわふわしたブルネットも淡い光沢を放っている。夕陽は、ひとり座り込んだままの少女を、残酷なまでに美しく照らしていた。
「……ソラくん。来てくれたんだね」
ソラがこくり頷くと、彼女は、体を動かして隣にスペースを空けた。ソラは勧められるままその空けられたスペースに座る。
「ソラくんには、最後に伝えたいことがあるの」
マイアがソラを見上げた。……その目は泣き腫らして真っ赤になっていたが、赤茶色の瞳には理性と強い意思を宿していた。
そして、マイアはソラの手を取ってこう言った。
「ソラくんも……エリルさんたちも、ありがとう。あなたたちが、私を助けてくれた。お兄ちゃんを助けようとしてくれた」
「…………!」
橙色の光の中で、ソラの手を握りしめたマイアが、今どんな顔色をしているのかソラには分からなかった。
ただ、その小さな手の温もりと、夕陽に照らされた頬の柔らかな輪郭が印象的だった。
『お礼なんか言わないで。俺はアイランさんの命を救えなかった、それに』
「それでも……ありがとう」
誰よりも辛い筈なのに、マイアは優しく微笑んで、ソラの手を握っている。
その笑顔に、その言葉に、ソラは逆に泣きたくなった。
ところが、その次の言葉で。
「どうか、道中は気を付けて。ソラくんたちにはまだ、自らが望む行き先も、そこに辿り着く為の足も残ってる。私はそこに、お兄ちゃんが、私たちが手に入れられなかった幸せがあることを祈るよ」
自身が得られなかった幸せを、自分たちの為に祈ってくれた彼女の想いで。
自分の中の何かが救われたような気がしたのであった。
こうして、彼らの旅は続く。




