第23話
−−漸く、音が戻ってきた。
夜風の音も、屋敷が焼け落ちる音も、ソラとエリルの荒い呼吸音も。
相変わらずソラの声は出ない。だが、『あの女の声』も今は聞こえなくて、ソラはその事実に酷く安堵していた。
『とまりなさい』
そう。
あの声は、ソラの意思などではなく、ソラの喉から勝手に飛び出したというものであった。
そしてあの声が、世界の物理法則を無視してかの魔法具を空中に縫い止めたのだ。
これをやろうと思えば、大賢者クラスの魔導師が数十人単位で協力して行う超高度な儀式魔術でもって、何とか同じ現象が再現できるだろう。しかし、ここで問題なのは、出来る出来ないでなく、『あの声が魔法を超越した何かである』ということだ。
あれは最早、世の魔法使いが行使する魔術でも、魔法具に組み込まれた魔術でもなく。あの声そのものが魔術を超越した魔力であり、呪力であり、真理であった。
そして、あの声の『本来の持ち主』は−−
『わたしは坊やに、わたしの歌声を差し上げましょう−−』
「−−−−っ!」
「ソラ、大丈夫?」
最悪の予感に身を震わすソラの手を、エリルが強く握り締めた。彼女の方はだいぶ平静を取り戻しているようだ。
ソラもそんなエリルを見て動揺から抜け出し、それから漸く、二人揃って“本来の目的”を思い出した。
「そうだ。ぼくたち、早く、アイランさんを見つけなきゃ−−」
凄まじい絶叫が響き渡ったのは、その時であった。
ソラとエリルが驚いて声が聞こえた方を見やれば、ソラたちが戦闘を繰り広げた広い中庭、その隅の方で、小太りの男が震え上がっている姿に気が付いた。
見覚えがある。あのとき応接間で将軍と商談をしていた、この屋敷の主人か商人かと思われる男であった。
応接間でエリルと将軍が斬り合いを始めてすぐ、ひとり逃げ出して、隠れて様子を見ていたらしい。焼け落ちる屋敷を前に繰り返し絶叫し、それから、首を失くした将軍の死体を見て遂に腰を抜かす。彼が尻餅をついた地面には失禁の染みが広がっていった。
そんな屋敷の主人を見て、エリルは素早く走り寄り、その喉元に剣先を突きつけた。
「うぎっ……⁉︎」
ソラたちから見ても哀れなほど縮こまり、顔を蒼白にさせた相手に、エリルは有無を言わさぬ声で問うた。
「……アイランさんは何処? 見たところ、もうあの屋敷の中には居ないようだけど」
「お、おいぃい⁉︎ やめろっ、剣を近づけるなあああぁぁ⁉︎」
「いいから早く答えろ、こっちだって余裕がないんだから!」
「は、はひぃっ! あ、あ、あの小僧ならっ‼︎」
声に焦燥を滲ませたエリルが剣を握る手に力を込めると、屋敷の主人はあっさりと口を開いた。
「まるで魔性を感じられず、すぐに〈魔工職人〉でないと分かった後……しかし男のガキとはいえ、顔は悪くないから、と奴隷商人に引き渡しました! 今頃は、秘密裏にマーロンへ運ばれている道中かと−−」
「なっ……⁉︎」
人身売買は、近年になって国際法で禁止された。だが、それでも公に隠れて、或いは国家ぐるみで堂々と、未だ非人道的な行為は行われている。
この男も例に洩れず、ドワーフの少年を海外に売り飛ばそうと企んだのだ。
(それにしても……マーロンだって⁉︎)
帝国内でならまだしも、人権を侵害する犯罪に対して厳格なこの共和国で、堂々と奴隷を運ぶことなど流石に出来ない筈だ。見つかるリスクを減らす為にも、時間を節約する為にも、遠回りとなる公道を使うとは考えられない。
だとすれば、奴隷商人たちも、エリルたちがこの都市に向かう際に通った森の道を使うだろう。今から追いかければ、今日中にでも追いつける−−
そこまで考えたエリルの腕を、予想外に強い力でソラが引っ張った。
「ソラ? どうしたの?」
青ざめた顔でエリルを見つめ、震える唇を必死に動かす。その言葉を読み取れるまで少し時間がかかった。
−−おーくが。
『あの森にはまだ、俺たちが戦ったオークが、数体生き残っている』
その意味を理解して、エリルの顔からもサアッと血の気が引く。
次の瞬間、もはや屋敷の主人などには目もくれず、二人は都市の外に向かって走り出した。
ーー
されど。こういう時に限って、最悪の予感は実現し、時は既に遅く。
森の中を通る道で、変わり果てたアイランを発見したのは、それから数時間後のことであった。




