第13話
前回の更新から少し時間が経ってしまい申し訳ございません。
翌日、アイランは早朝から工場に出かけて行った。今日は恐らく徹夜での作業になるから、帰ってこれるのは明日だろう、と言い残して。
その後エリルとカイトも、買い出しついでに町の様子も見てくるから遅くなる、と言って外に出かけて行った。
こうしてアパートの一室は、ソラとマイアの二人きりとなったわけだが−−
「まったく、お兄ちゃんったら。いくら昼間とはいえ若い男女を一室で二人きりにするよう仕向けるだなんて、本っ当にデリカシーがないんだから」
『……昨日会ったばかりだしすぐには信じて貰えないだろうけど、俺に、マイアさんに悪いことをする気なんてないよ』
「でしょうね。だってあなた、見るからになよなよしててヘタレそうだし」
(うっ)
当然といえば当然の話ではあったが、マイアは初対面のソラに心を開くつもりなど毛頭ないらしい。容赦のない毒舌は、足が不自由であることもあって何かされたとき抵抗は愚か逃げることも難しいであろう彼女の、己が住居に踏み入った侵入者に対する警戒と怯えの現れやもしれなかった。
それでもソラはめげずに、マイアに倣って、今はその手に絵筆を握っていた。
外で働くことの出来ないマイアは、家事をする傍らで、蝋燭に絵を描いて売ることを僅かな家計の足しにしているのだという。そんな彼女を援助する為にも彼女の警戒を少しでも解く為にも、ソラはその手伝いをしているのだった。
「別にソラくんが手伝わなくたっていいのに」
『好きでやってることだから、気にしないで』
「……ありがと。でも……絵、下手くそだわ」
(うううっ)
まだまだ拙い腕のソラとは対照的に、マイアが動かす細い筆先は、蝋燭の表面に緻密で美しい情景を描き出していく。
花びらの一枚一枚が鮮やかに色付いた四季の花々、羽根を翻して優雅に舞い踊る蝶々、精密かつ繊細に整った模様や文様。
あっと言う間に絵が完成していく様はあたかも、よく出来た魔術でも見ているようですらあった。
「作った絵ろうそくは、大家のおじさんに渡すのよ。私は大家さんに渡してお金を貰うだけだから、大家さんが蝋燭を何処の店に流しているかは知らない。……見知った相手とはいえ大家さんはヒューマンだから、今以上に関わりたいとも思えない」
少女の声に宿った刺々しさとその言葉に、ソラは思わず白墨を手に取っていた。
−−マイアさんは、
『マイアさんは、ヒューマンが怖いの?』
「怖いわよ」
マイアは即答した。
「怖いし、憎いの。大家さんも、エリルさんたちも……帝国の兵士たちとは別人だって、頭では分かっているんだけど、それでも」
そこから先は言い淀み、俯いたマイアの視線は、膝から下が存在しない己の右足に向けられていた。
それから不意に顔を上げて、彼女は取って付けたように話題を戻した。内職を手伝う彼を少しだけ見直したからか、或いは、どんな形であれたった今“本音”を打ち明けた相手であるからか、ソラに向けられる表情は先程よりは柔らかくなっていた。
「この蝋燭はね、あまりお金にならないけど……たまに。たまに、すごく時間をかけて作る『特別製』は、普段より高く売れるの。一個作るだけでも物凄く疲れるから、沢山は作れないんだけどね」
「!」
−−特別製。
マイアの言葉を、ソラは心の中で何度も反芻させた。
そして、一人で納得してしまう。
(……そうか)
−−あのとき拾った蝋燭は、やっぱり、
(この人が無意識の内に作り出した−−おまけに、恐ろしく強力な−−『魔法具』)
ソラは結論を喉の奥で呟いた。当然、その声が音になることはなく、マイアに気付かれることもなかった。
その頃エリルとカイトは、プタリナの商店街を訪れていた。
目的は何てこともない、旅に必要な物資の、不足した分を改めて購入する為だ。この街はマーロンと比べて物価が安く、エリルは単純にそのことを喜んでいた。
「悲しい思い出があるこの土地を離れて、か」
不意に、カイトが独り言のようにそう呟いた。
「しっかし、帝国の侵攻、ねえ。これからその地を通るオレたちにとっても無縁な話ではないな」
エリルも昨夜の兄妹の話を思い返し、苦々しい表情で言う。
「それもそうだけど、それよりも、アイランさんたちがあまりにも可哀想だよ。……此処での暮らしだってぜんぜん裕福じゃないみたいだし、どうしてあの二人だけがあんな酷い目に遭うんだろう」
エリルのその台詞は、純粋で単純な同情と義憤からの言葉であった。
そして少女は、その言葉が、単純であるが故にどうしようもなく“軽い”ことに気付かない。
ところが。
「まあ、この町で裕福になれないのは、あの二人に限った話ではないさ。似たような話は掃いて捨てるほどある。−−これはもう『世界全体の構造』としての問題だ、これからもなくなることはない」
「……えっ?」
ところが、否、だからこそ。
カイトのその発言は、エリルの胸中に重い衝撃を与えた。
「工場も何もない貧しい農村で生まれた若者や、紛争で故郷をなくした難民は」
カイトは続けて語った。
「プタリナを始めとした都市に集まるしか生きる術がない。……彼らは安価で多量な労働力として、劣悪な労働環境の中で働かされる。そんな彼らが必死になって作った製品は、“安価な消耗品”として、海を越えた先の豊かな国に流通する」
「そんな……」
「アイランとマイアが特別ってわけじゃない。それが、今のこの世界の在り方なんだ」
本来は本気でどうにかしなきゃいけない問題なんだけどな、と言ってカイトは話を締めくくった。
……その表情は、普段の情けない彼のものでも、ましてや神に仕える聖職者のものでもなかった。エリルは半ば呆然として、カイトを、視界に映ったこの町の景色を見つめる。
傭兵として旅をしていく中で、様々な国を、様々な人を見てきた。
だが、たった今カイトが語って聞かせたような視点で、自分が訪れた町を、その町の遥か遠く海を超えた先の世界を眺めたことはなかった。そのような見方があることすら知らなかった。
だからこそ、今この瞬間、突如として世界が表情を変えたのだ。