逃げた先
頭の中が真っ白になる。虫のことなどすでに頭の隅にも無い。
状況が理解できない。なぜ、僕は男にキスされているのだ?そのことだけがセツナの頭の中を埋め尽くして行く。
なぜ?なぜ?なぜ?
拒否しようと体に力を入れてみるも一等騎士であるガストの前では歯が立たない。
騎士階級はガストがいる一等騎士を筆頭とし五等騎士まで存在しているとセツナは勉強の中で知っていた。そしてガストがその一等騎士であることも……。一等騎士に成れるものは計十人。その中でもガストに実力は群を抜いていた。実質この国最強と言っていいだろう。
目の前にあった顔が少し離れ唇に触れていた感触が無くなる。直後、セツナはすべてを理解した。と同時に男にキスされたという不快感が胸中を渦巻いた。
「なっ!何を……っ!?」
また唇を塞がれる。そしてセツナの唇を割ってガストの舌が口内に侵入してきた。
ガストの舌が縮こまっていたセツナの舌を探り当てそして絡めだす。
必死に舌を追い出そうと抵抗を試みるセツナ。しかし身動きが取れない以上手を使って顔を引き離すことができない。結果舌での反撃となり自分から舌を絡ませただけであった。
セツナが口内に気を取られている隙にガストはセツナの小さく華奢な体を持ち上げてベッドまで運ぶ。
セツナが自分が運ばれていることに気が付いたのは背中を柔らかい感覚に包まれた時であった。
キスをやめガストは自分の腰に手を回す。そのまま一気に下を脱ぎ捨てる。
これからされることに大まかな予想ができてしまいセツナにとてつもない恐怖が襲いくる。涙が自然と零れ震える口からはかすれた声しか出ない。
「や、やめ、て……」
必死に絞り出すセツナの願いは、しかしそれはガストの気持ちを高揚へと導くだけのものであった。
鼻息を荒くしガストは本能の赴くまま快楽をむさぼりつくすただの獣と化した……。
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すべてが終わったとき、部屋はガストの首から噴水のように噴出した血飛沫によって赤く染め上げられていた。
白目を剥き下半身裸の状態で無様に動かなくなったガストを見て、しかしそれでもなおセツナは怒りを堪えきれなかった。
後悔の念など聞くだけ無駄なものだ。
異常な程強大な憎悪が臓腑の奥深くまで浸食し脳髄をかき乱しながらその衝動に体を任せ行動した結果だ。つまり本能的に行動し殺害したのだ。本能的に行った行動には後悔は付き纏わない。
それなのにしかし、目の前の死体となった男性を視界に入れると本当に殺害しても良かったのだろうかとセツナは思ってしまう。その疑問が浮かぶに至った過程の根底にある理由と言うのは決して殺人への後悔ではなくこの後自分がどうなってしまうのかと言う自己保身の念のみである。
ガストを殺したことによってセツナの気分は幾分か晴れた。それは事実であった。が、しかしそれは強大な怒りのごく一部でしかない。そして股をつたい流れ出る液体の不愉快さが脳に届くとその減った怒りを埋めるようにまた心の奥底から怒りが発生し続ける。
セツナの怒りは犯されたというものに対してでもあったのだがそれ以上にガストは自分にそう言う恋愛感情を向けていたから優しくしてくれていただけではないのか?と言う、一種の裏切られたという感情が大半であった。
ガストは自分に期待していたからあんなに付きっ切りで弓を教えてくれていたのではなかったのかっ!?
下心があって僕に近づいたのかっ!?
――――決して僕に、期待などしていなかったのか!?
そのはらすことの出来なくなった疑問がずっとセツナの頭を駆け巡り、そして無意識に自分の心を守ろうと自分の行いを正当化するように脳が考えをまとめ上げていく。
セツナの出した結論はこうだ。
ガストはセツナに下心があって近づいていて、今まで一切期待などしていなかった。そして、セツナの部屋の前で待ち構え嫌がるセツナを無理やり押し倒し、犯した。
しかし実際は……。
ガストは確かに最初下心があってセツナに近づいた。しかしそれはセツナを思ってのことであった。
皆と差別されてもおかしくないような微弱な力しか持たないセツナが落ち込んでいることは誰の目にも明らかで、セツナを思っていたガストが見落とすはずがなかったのだ。
好きな人を元気にさせたい。男ならだれでも思うこと……。
そう思ってガストはセツナに近づいたのだ。
確かに最初近づいた原因は恋心が故、それは紛れもない事実。しかしその後の弓の稽古の上達ぶりからガストはセツナには弓の才があると思い期待していたのも事実だ。
そして今日の昼、ガストはセツナが虐めを受けている場面を目撃してしまう。
好きな人がいたぶられているのを見たガストはすぐにでも止めに行きたかった。しかし虐めを行っていたのは『英雄』の恩恵を手にする品川祐介。彼の存在がこの国を救うためには必要不可欠であることは一等騎士であるガストはよく分かっていた。
もし止めに入り、彼が機嫌を損ねればそれは国民全員を危険にさらすと同位。それを知っていたからガストは歯を食いしばってみていることしかできなかった。
思い人を犠牲にすることで数多くの人間の命を救えるかもしれないのだ。心を締め付け感情を押し殺し涙を流して祐介を殺してやりたいという衝動を抑え込んだ。
そして夜、祐介のことに着いて聞こうとセツナの部屋の前にやってきたはいいものの、なかなか決心することができず廊下をうろうろしていたところにセツナの悲鳴が聞こえてきたのだ。
どうしてもこらえきれない衝動にガストはその身を任せ、守りたかった思い人を汚し、その人物に殺されたのだ。
――――セツナは知らない。知ることはもう二度と無い。
――――ガストの思いは知られない。決して届くことは無い。
悲しいすれ違いに起きた悲劇の原因を理解するものはこの世界にはいない……。
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セツナはその後風呂に入り、なんだかんだで弓を教えてくれたことへの感謝の意とせめてもの情けとしてガストにズボンを穿かせてから部屋を後にする。
強姦して殺されたなど同じ男としてはさすがにかわいそうだと判断したのである。強い憎しみを持ってもセツナは完全なる鬼になることはできなかったのだ。
体を拭いて服を着る。制服ではなく別の王宮内で着るようにと渡されていた服である。制服は王宮の外では人目を引く。今のセツナの立場上それはいけないことだ。
なぜ外に出るのかと言うと、ガストと言うこの国最強の騎士を殺したからだ。正当防衛は通じず情弱な力しか持たないセツナはいくら神の使徒とは言え死刑は免れない。それゆえの逃亡だ。
正直なところ王宮から渡された服もなかなか目立ちそうな気がしないでもなかたのだがそこは堪えることにした。
右手には紙袋に入ったライダースーツとフルフェイスヘルメット。左手には訓練で使用していた弓と、矢が数本。腰にガストの剣を携え夜の静かな王宮をばれない様にこっそりと抜け出す。
道中何人かの王宮を警護する騎士に呼び止められたがこの一週間、セツナの頑張りを見ていた騎士達はセツナに対しかなりの好印象を持っていた。彼らはセツナの適当な言い訳をうのみにし特に気にすることなくセツナを通してくれた。
王宮の外に出ると大きな月明かりに照らされて一本の街道が見える。
王宮は小高い丘の上に存在しその街道の先はその下に見える街に続いていた。セツナはそこを重たい荷物を手に駆け抜ける。
風のように、逃げる……。
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街に入ると景色は一変した。
それまで何もなかった周囲には建物が建て並び、土で整備しきれていなかった街道は土へとランクアップしていた。
街は静まり返っており皆が眠っているのだなと言うことがよく分かった。
石造りの整備された街道をまっすぐ進みとにかくどこかで野宿しようと考えた。
宿がこの世界にあるのかはわからないが泊まるにしてもお金は必要になるだろう。生憎だがその金をセツナは
持ち合わせていない。最悪腰に携えた剣は売るつもりだ。
街灯が存在しないので、暗く見えにくいがセツナは目を凝らして街を見続ける。どこでもいいから野宿できそうな場所を見落とさないためだ。
しかしその努力も無駄に終わり、しばらく歩いてもこれと言っていい場所は無かったのを確認するとセツナは近場の路地裏へと入り、そこで壁にもたれかかる。
すべてを忘れようと試みる。だがそれはかなわない。忘れるなと言わんばかりにガストの顔を思い出してしまう。
忘れよう。忘れよう。……何を?ガストを殺したことを……。
「……っ!」
忘れようとするたび思い出してしまう。そして思い出すとそれは無意識にもう忘れまいと強く記憶に刻まれる。何度も何度もセツナは繰り返し忘れようとする。そのたびセツナは苦しんだ。
腕で身を抱き体を縮こまらせる。こらえきれずこぼれた涙が膝を濡らす。
「もう、いやだ……」
そしてとうとうセツナは現実逃避から戻ってくることは無かった。
それはいつも戻るきっかけとなっていた氷上つららを思い浮かべることができなかったから……。
朝になり太陽の光で目が覚める。路地裏から見ることができる大通りは喧騒が飛び交いテレビでやっていた朝市と言うものに似ているなとセツナは思う。
未だ完全には疲れが抜けきっていない体を起こして立ち上がり一度大きく伸びをする。と同時にあくびも口から漏れる。眠く重い眼を擦ると多くの目やにが手に付着した。それを軽く払って落としてセツナはとにかく大通りの方を向く。
路地からは決して出ずにただただ大通りを観察する。
それは、もしかしたら王宮の騎士がすでにここまで追っ手を寄こしているかもしれないという可能性があったからだ。
セツナの部屋にガストの死体が置いてある以上朝食に呼びに来た騎士あたりが見つけるはずだ。そこからセツナの姿がないことを確認しセツナを容疑者として捜索し始める。この過程は今日の午前中に行われるはずだ。だから捜索は昼以降。そう考えていてもやはり『もしかしたら』がセツナを不安にさせるのだ。
騎士の姿は見えなかった。それどころか街の皆は一等騎士が殺されたことなどまるで知らないかのように見える。そしてそのセツナの予想は見事に当たっていた。
路地裏で目が覚めた時がちょうど王宮でガストの死体が発見された時であった。つまるところ知らないように見えるのは正しい表現だ。実際大通りを歩く人たちは知らないのだから。
つまるところ今は何の問題もないということだ。しかし時間は限られている午後までにどうにかして野宿ができる場所と食材の確保をしなくてはいけない。
野宿に関しては今回の様にはもうできない。と言うか街には居られない。おそらく街の外のどこかで野宿をすることとなるだろう。食材に関して言えばいっそ盗もうかと考えたのだがセツナの持つ恩恵は微弱なもの。盗んだ後追いかけられるときにもし盗まれた側の方が強い恩恵を持っていた場合速攻でお縄に着くこととなるだろう。
以上の点を持ってセツナが導き出した答えは……。
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心地よい風が頬を撫でくすぐったい。鼻腔を抜ける匂いは精神的に落ち着くものがあった。
セツナが一生懸命勉強したことは無駄にはならない。
書物に目を通していて幾度か見かけたもので調べていたのがようやっと実を結んだのだ。
目の前には幾本もの大きな木々がセツナを見下している。
ふとその隙間から小さな小動物が姿が見えた。
逃がして堪るか!そんなことを思い動物を追いかけて目の前に広がる大きな森。『フェアリーフォレスト』にセツナは足を踏み入れる。
セツナが出した答えは自給自足であった。
セツナがここを選んだのはいたってシンプルな理由だ。まず、街での生活ができないこの状況。自給自足が必須条件になる。幸い食べても大丈夫な動物と魔獣の違いは王宮にての勉強で分かっている。
その動物をとらえるための武器もある。剣、それに弓。メンテナンスの方法がわからないので剣は極力皮などを剥ぎ取るためだけに使いたかった。
動物の血を浴び刀身がさびてしまっては使い物にならないからだ。
弓で殺して血抜きして皮を剥ぎ取って食べる。できれば火を通したいと思うセツナであったが火を準備することなど今のセツナには出来ないことだ。生で食すしかない。
森と言うことで野生動物の脅威はあったがセツナ以外にも弱い動物はいくらでもいる。セツナだけを狙うであろう騎士に比べれば脅威レベルは低いと考えたのだ。
そしてこの森を選んだのはほかにも理由がいくつかある。
まず単純に街から近かったこと。本を読んでいてセツナ達が召喚された王宮と言うのは比較的このフェアリーフォレストに近いということがわかっていたのだ。
近ければだめではないかと思うだろうが、この森にはには動物、魔獣、そして精霊が生息している。魔獣の脅威のせいで人間はまず立ち入らないと書物には書いてあったのだ。
それともう一つ、それは精霊の存在である。先ほども言ったようにフェアリーフォレストには動物、魔獣、そして精霊がいっぺんに生息している場所……。もしセツナが魔獣に襲われ瀕死の状態であったとしても運が良ければ精霊に助けてもらえると思ったのだ。
すべての点からセツナはここしかないと思い足を運んだのだ。
展開が速い。と思われるかもしれません。それとだんだん短くなってね?と思われるかもしれません。
……ごめんなさい。言い訳の余地もありませぬぅ。