少年に接する男
説明回となります。物語が動き出すのは次の回からと思われます。
兵。兵ってなんだ?セツナは自分に問う。しかし、自分の知識上それは明らかな雑魚。まったくもってヒストの言っていた確かな力とは思えなかった。
必死にこの恩恵はすごいと思われるところを探してみたがやはり思いつくことはセツナにはできなかった。ちょうどヒストも近くに来てくれたことだし見てもらおう。そう思ってセツナはヒストに声を掛ける。
「あ、あの、ヒストさん……これって……?」
「ああー、どれですかー?」
強い恩恵ばかりでかなり上機嫌なヒスト。しかしセツナのプレートを見た瞬間にその表情は一変し驚きの表情に変わる。しばしセツナとセツナのプレートを交互に見比べてそして口を震わせながら声を発する。
「こ、これはあなたが?」
その疑問はセツナの心をひどく傷つける。このセリフが明るく笑顔で聞かれたのであれば何の問題もない。しかし目の前の老人はひどく悲しげな声でセツナに聞いたのだ。
それはセツナの考えが正しかったということであり。『兵』と言う恩恵が実に無能な物かと言うものの表れでもあった。
セツナはそれを瞬時に理解できたからこそ聞かれた内容に対し即答することができた。
「はい……」
決して覇気のない声で……。
そのセツナの横をヒストはそっと肩に手を当てて、通り過ぎて行った。残念であったな……言葉にされなくてもわかる。セツナは唇を強く噛みしめ涙をこらえた。
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その日は、それ以上セツナに絡む者はいなかった。と言うよりはセツナのことなど目に入っていなかったのだろう。各々は伝説級の恩恵を嬉しく思い互いに自慢し合っていた。セツナだけがもともとの虐めもあるのと自分の微弱さを知られたくないということで一切人には近づかなかったというのもあった。
そして時間は過ぎセツナ達が来てから一週間がたっていた。
セツナの微弱さはすでにこの世界に来た生徒たちには伝わっており、辛い特訓のストレス発散にセツナの体は使われていた。
セツナをいじめていたのは相も変わらず祐介たちである。腹を殴られ蹴られ、日本にいた時と大差ない暴力を繰り返し繰り返し受ける日々。結局つららとのキスも時間が取れず自然消滅していた。
実力では勝てない人間が悪あがきとして逃げるのが知力での勝負だ。セツナもまた時間さえあれば王宮にある図書館に通いつめ色々と勉強していた。
文字は見たこともないものだというにもかかわらず意味がなぜか理解することができ最初は不思議な感覚を味わったものだ。
本はまず最初自分の授かった恩恵『兵』と言うものから学ぶことにした。
兵と言う恩恵は珍しいと言えば珍しいそうだ。あまりにも弱すぎて報告する人間が恥だと思い報告しないそうだ。のでいまだに謎に包まれているところが多い恩恵だそうだ。体を鍛えても非戦闘の恩恵を授かったものより少しばかり筋力が付くというもので、剣士などに比べるとまさに月とすっぽんと言ったものだそうだ。
読んでいるだけでどうして自分はこんなに無力なのだろうと言った自己嫌悪に陥ってしまう。
読むのが嫌になってその本を棚へと戻す。次に手に取ったのはこの世界に生息する人間、魔人、亜人以外の意思を持たない本能の赴くままに行動する生き物の生態についての本であった。
その生き物の中には特殊な力を用いることができる魔獣と呼ばれるものと精霊と呼ばれるもの、そして何もできない動物が存在するらしい。
魔獣と言うのはその名の通り魔の獣。動物が魔人族の手のよって人間に攻撃するように改造され生まれたのが根源で、生み出され戦争で使われた魔獣の数頭が逃走。自然に繁殖し今では人間を襲うや臭いとして認知されているらしい。
特徴は頭に赤い角が生えており、特殊な力によって人間だけを攻撃するらしい。
次に精霊、精霊の姿を見た者はおらずフェアリーフォレスト(この世界にある大きな森のこと)の奥深くに住んでいると書いてあった。特殊な力を使用するがそれは人を攻撃するようなものではなく人の傷を癒と言ったようなものだそうだ。
姿を見た者がいないのにどうしてその存在が認知されているのかが気になったのでセツナはほかの本もあさった。その結果、そのフェアリーフォレストに迷い込んでしまった人間がふと気が付くと街が見えるところまで連れて行かれており、迷い込んだ際に負った傷がいやされていることなどから精霊がいると思ったらしい。それは一人や二人ではなく今までに何万と言う人間に同じ出来事が起こったことで証明に至ったそうだ。
動物と言うのはまさに日本にいる牛や豚、ヤギなどが書かれてあった。唯一違う表記があったとすればそれは魔獣の素体となった。と書かれていたことぐらいだ。
パタンっと本を閉じると同時にセツナに後ろから声が掛けられる。
「セツナ君、ここに居たか」
そう、声を掛けてきたのは騎士のガストである。
セツナの微弱さが生徒の皆に知れ渡ったということは彼らを監視する立場の騎士団にも知れ渡っていた。ガストはそんなセツナを励まそうとずっとセツナに優しく接していたのである。そしてセツナの特訓のコーチでもある。運動があまり得意ではないセツナにガストが進めたのは弓であった。最初は弓をまっすぐ飛ばすこともできなかったセツナであったが今では的に当てるまではできるようになっていた。この異常なまでの呑み込みの速さにガストはセツナには弓の才能があると思っていたのだ。
しかし、実際はそんなことはない。セツナが弓を早く覚えているのはガストの指導が異常なほど上手なのとせっかく時間を割いて教えてもらっているのだから結果を出さなくては、という一種の脅迫概念から異常なまでの集中力を生み出していたが故のものであった。
ただ、そんなことはガストにはわからない。その証拠に、
「さあ、弓の練習をしよう!」
ガストは屈託のない笑みをセツナに向け言い放った。
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放った矢が的をかすめる。あたってもいないのに見物していた騎士やメイドから歓声が出たのは初めて一週間にしてはすごい成長だからだ。それはセツナの心を急き立てる。
すぐにできるからすごい。それは時間がたっても成長しなければ意味のないことである。今が始めて一週間。もし一か月後、セツナの弓の腕が上達していなかったらどうなるか、それはあの教室と同じことの再来を意味する。
みんなの中で徐々にセツナの立場が暴落して行き、気が付くと最底辺にて上を見上げる存在に成り下がっている。皆はセツナを見て笑いセツナが苦しい思いをしていても関わろうとはしない。そんなのは嫌だった。セツナはひたすら結果のみを目指して一日を勉強と弓にのみ使った。
ただ、数分間の間、祐介に暴力を受ける間を除いてだが……。
「セツナ君!やっぱり君には才能がある!この調子で頑張ろうね!」
ガストはセツナの肩に手を置き目を見てそう言った。
セツナは期待にこたえられるか心配しガストから目をそらしながら「はい……」と返事をした。
弓の練習をしているのはセツナだけである。他の皆はと言うとそろいもそろって『剣王』や『魔法使い』、極めつけは『勇者』や『英雄』までありえないほど羨ましいと感じるものばかりであった。
そして驚いたことに『英雄』を手にしていたのはあの祐介であった。セツナは心の中で、神を強く憎んだ。
セツナは今日もその『英雄』に殴られる。理不尽な暴力にセツナは必死に耐える。弱音は言わず歯を噛みしめて必死に耐えた。殴られ、地面にたたきつけられて頭を踏みつけられる。
セツナは少しの反抗と思って祐介を睨み付けた。
沸点の低い祐介である。セツナが自分に反抗するという意思を持っていること自体に腹が立ち暴力は加速する。
「チッ、お前本当うぜえわ。雑魚は死ねよ」
この暴言ももうすでに聞き飽きていた。ゆえにセツナはその言葉に対して何の反応も見せることはしなかった。
「……チッ、……そう言えばお前と氷上だっけか?って何かあんの?この間さ、二人でいるところ見ちゃったんだよねぇ」
しかし唐突に意中の女性の名前が出てきたことにセツナはひどく動揺してしまう。その動揺は祐介には簡単にわかってしまうものであった。
セツナの反応がひどく滑稽に思えたのか祐介はセツナを踏みつけていた足を退かして手で腹を押さえ高笑いする。
「なんだぁ?やっぱあんのか?……っくは、いははははははっ!もしかして僕ちん恋しちゃってるのーっ的な?」
そう言って再度笑い出す祐介。セツナは屈辱にも耐え祐介のこの虐めの時間が終わるのを必死に待つ。
セツナの上でしばらく笑った祐介は急に素面になりそして一言呟いた。
「じゃあ、俺が奪っちゃおうかなぁー…」
その言葉にセツナの怒りが一気に振り切れる。
顔が熱くなっていくのがわかる。歯を食いしばっても怒りでわなわなと震えているのでかちかちと何度もぶつかっている。こぶしを強く握り爪が手に食い込み手の平の皮が裂けて血がしたたり落ちた。
目を見開き一気に立ち上がるとそのまま祐介の顎めがけて拳を振り抜く。
しかしそれはいとも簡単に避けられてしまう。絶対に避けられないタイミングでセツナは奇襲を仕掛けたつもりであった。それなのに避けられた。絶対的に埋まらない戦闘のセンスの溝にセツナは絶望した。
それでも、怒りの炎は燃え尽きない。何度も何度も祐介めがけて殴りかかる。
当たらない!当たらない!当たらないッ!
祐介は体をひねって避け時にはまるで虫を追い払うかのように手を使ってセツナの攻撃をかわし続けた。
まるでダンスを踊るようにかわす姿にセツナは自分から攻撃が当たらないように殴っているような錯覚に陥ってしまう。
殴りかかり始めて一分ほどが経過したときだった。ずっと回避していた祐介はさすがに頭に来たようで反撃を開始し始める。
殴りかかった腕を掴まれ体勢を崩し祐介の方へと倒れる。しかしセツナの体は地面に着くことは無かった。鳩尾にめり込まれた祐介の膝が支えのようになっていたのだ。
激痛に意識を刈り取られそうになるセツナ。昼に食ったものが食道を逆流し口に中へと戻ってきてそのまま嘔吐。祐介はそれを読んでいたのかとっさにセツナから距離を取っていた。
胃の中のものをすべて出し切るとセツナの体にはそうしようもない倦怠感と疲労がどっと訪れた。
もういいのではないか?自分では到底太刀打ちできないではないか。……そうだ、氷上さんは確か魔法使いになっていたはずだ、いざとなれば自衛もできるだろう。
僕みたいな雑魚が何をできるっていうんだ……。
今までにないほどネガティブな思考に陥るセツナ。そのセツナに祐介は歩み寄って、
「お前は俺のストレス発散の道具なんだよ。いや、言い方を変えてやろう。お前は俺を楽しませるための道化師にすぎねえんだよ」
その言葉はセツナの心に宿った怒りをあっさりと静めさせる。
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最初ヒストはセツナ達に伝えていなかったがこの世界にはステータスと言うものがあるらしい。しかしそれはゲームのステータス表示のように細かくなっているのではなく攻撃力、防御力、魔力の三つしかない。
プレートを指でなぞるとそれは表示される。セツナはプレートがあまりにも超常的なものだと疑問に思いヒストに尋ねるとどうやらプレートは人間が生まれるときに神から与えられる神からの贈り物だそうだ。
最初セツナは兵と言う恩恵に不満に思ってこのステータスが馬鹿高いのではないか、と考えステータスを表示させて確認してみた。もちろんのことながら全体的に低くその数値は非戦闘向きの恩恵であるヒストの半分にもたっしてはいなかった。
それに対しほかの皆は次々と異常なステータスをたたき出す。このことがどれほどセツナの心を苦しめたことか。
だから、セツナはステータスで測ることのできない弓ばかり練習していたのかもしれない。すべての事象がセツナに悪く働きそしてその逃げ道と言わんばかりに一本の道が存在する。セツナはそこへ逃げ込むことでしか精神状態を保てないほど疲労しきっていた。
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柔らかい布団がセツナの体を優しく包み込む。その感覚がたまらなくセツナは何度もベッドへのダイブを繰り返した。一日中神経を研ぎ澄ませ一瞬たりとも集中をとかなかったセツナは今まさにこのときのために頑張ってきたのだなあ、と少し大げさなことを考えながら枕に頭をうずめる。
天日干しなのか太陽の匂いがしてセツナはとてもうれしかった。
今は夜、すべての訓練が終了し晩御飯も先ほど食べてきた。セツナ達にとってはこういった自由時間は体を休めること以外に使うことはない。そうしないと明日が大変なことになるからだ。
眠ってしまわないように意識しながら体をしばしの間休めて置く。しばらくしてから、部屋の風呂に湯を張り入った。
「あぁー」
少しおっさんぽいな、とセツナは感じたがはたから見ればちょっとしたサービスシーンであることをセツナは知らない。
風呂は木製でかなり高級そうな木材が使われているとセツナは感じていた。木の匂いが浴室を充満しセツナの鼻腔をくすぐる。心地の良い香りに思わず心が休まるのがわかった。
この時だけは訓練も、虐めも、自分の情弱さもすべて忘れて現実から逃げることができた。セツナはもうこの世界をほとんど現実と受け止めていた。殴られるときの痛みや屈辱に胸を締め付けられる感覚がまったく一緒なのだから。しかしどこかでやはり夢ではないのか、こんなのは現実ではない。と言った考えが脳裏をよぎっていたのだ。
無意識にだがセツナは自分が強くないなどおかしいと言った、自分勝手なことを考えていたのだ。
自分が弱いはずがない。異世界に来たのだ、それでどうして自分は最強になれない……っ!
その逃げ道が現実を受け入れないことであったのだ。だから風呂の時は気が緩み、つい逃げてしまう。
頭、顔、体、と洗っていきすべてを洗い終えるともう一度浴槽につかる。
細く筋肉がついているとは思えないほど柔らかい腕を触って、本当に女みたいだなと苦笑いする。足を見ても男とは到底思えない。筋肉がついているようには見えないがセツナはとにかく疲れたので体中をマッサージした。
浴室と部屋を仕切る扉を開けると一気に外の空気が入ってきて涼しい。その涼しい風をセツナは一身に浴びながらタオルで髪や体を拭きはじめる。セツナはこうして体を拭くのが好きであった。
タオルで体を拭き終わってふと服がないことにセツナは気が付いた。どうやら部屋の中に忘れていたようだ。異世界に来ていきなり異常な量の訓練を受けていたのだ、ついセツナはぼーっとしてしまっていた。 ……だから部屋のドアに鍵をかけていなかったことにも気が付かない。
腰にタオルを巻いて浴室から出て、ベッドの上に出してあった着替えを見つけそれを手に取る。するともぞもぞっと手の取った服が動いて、そこから一匹の虫が出てきた。
普通の男子高校生であれば驚くこともないほどの大きさ。しかし虫嫌いのセツナは近くに虫がいると意識したりするだけでも鳥肌が立つ。そのセツナが腕に抱える服に着いた虫を見て何も思うはずがない。
不快感が体中を駆け巡り背筋を悪寒が通り過ぎた。
「……あ、うわああああああああああ!」
情けなく絶叫し服を放り投げてその場を後ずさる。
「どうしたのですか!?セツナ君!」
突如ドアを開けて現れたガスト。
こんな時間に何をしているのか?と言う疑問はパニック状態にあったセツナは思いつくことはできなかった。ただ、そこに現れた一等騎士に情けなくすがり助けを乞うことしかできない。
「が、ガストさぁぁん!」
恐怖からガストに抱きつくセツナ。
ガストは自分に抱きついてきたセツナの姿に思わずギョッとする。
腰に巻いたタオル以外その身をすべてさらけ出しているセツナ、その姿はひどく扇情的でガストの中の性欲をひどく掻き立てた。
一等騎士ガスト。彼は初めてセツナにあったときからセツナに好意を抱いていた。それは男と知った後でも変わらずに、だ。恋愛などしたことがないガストはただ、セツナの近くにいてセツナの役に立てればいいだけであった。だけど、ここまで急激な密着はガストの理性と言うものを飛ばすには十分な威力を発揮する。
セツナの体を抱き返す。
体の柔らかさ、肩や腰などでごつごつした男らしさは感じられない。
ガストは生唾を飲み込み、そして……
――――セツナにそっとキスをした。