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第九話 暗闇

 それからしばらく雑談を続けた。その後は意識して会話に微調整を加えたわけだが、何よりこれ以上積極的に自分の個人的な事柄を深く突っ込んで聞くことは墓穴を掘ることにもつながりかねない。

「じゃあ、アザミお姉ちゃんは鍛冶職人を目指してるんだ?」

 努力の甲斐あってか、アザミとの間に流れる空気は先ほどまでとは比べ物にならないほど、穏やかなものとなっていた。

 すると夏の暑さがひたひたと体の感覚器官へにじり寄ってくる。汗が止まらず、日陰に移動しようかとも思ったが、隣にいるアザミが涼しげな顔をしているので、提案を提案するタイミングを逃してしまった。

「うーん。どうかな。なってみたい職業だけど、どうも女ってのは鍛冶屋に向いてないって昔から言われてるんだよね。ほら結構重労働じゃん。夏場なんてこまめに水分補給しないとすぐに脱水症状になっちゃうし」

「でも、なりたいんでしょ」

「ははっ。もう、君は中々ストレートだね。その性格女の子にもてそうだよ」

「そんな、」

 自分の顔が赤くなるのが知覚できた。

 おかしい。実におかしい。僕はこんな生っちょろいキャラじゃなかったはずなのに。

「そうだね。うん、アッ君の言うとおり。私は父さんの跡をついで世界一に職人になりたい。夢を夢として語れなくなったら終わりだもんね」

 それは半分くらい強がりのようにも聞こえる。

「それよりアッ君さぁ。この間なんで泣いてたの?」

 アザミの急な質問に顔がひきつる。それは相手に情報を与えてしまう迂闊な行為で、行為なのだが回避する手段はすぐには思い浮かばなかった。

「色々あるんですよ。僕にも」

「ふふん、何々。お姉ちゃんが聞いてあげようじゃん」

 アザミは汗だくの腕を僕の肩へと回す。胸がほんの少しだけ締め付けられた。

「で、でも」

「ほら、ほら。ストレートな物言い。それが君の性格にして最大な強みでしょ。話すか話さないか悩むんなら、話せばいいんじゃない?」

「そうですね、」

 アザミの言い方には迷いを断ち切ってくれるような力があるようだ。

 僕はため息をつき、空を仰いだ。雲がゆるりと流れる。湿気の多き真夏の香り。それが僕の記憶を呼び覚ます。

 遠い遠い記憶。霞みそうな記憶。強烈な記憶ほど強く残ると言うがそんな事は決してない。

現に世界で一番大切な存在は日々刻々と僕の記憶の中から消失している。

「兄が、兄が居たんです」

 言葉を慎重に選択する。

 過去を汚さないように。

 思い出を陥れないように大切に。

「最愛の家族でした。世界一格好よく、世界一強く。僕の憧れであり、目標であり。四年前の話なので僕が当時十歳の時の話です。兄は僕をかばって命を落としました」

 そうだ、

「僕が殺したんです」

 涙はでてこなかった。心の底の隠すことのできない所にあるのは押しつぶされてしまいそうな深い深い罪悪感のみだ。

「もうこの世界に自分の家族はいない。そう思っていました。兄がいなくなってからは、そう考えて生きてきました。そして実行してきました。近寄ってくる近所の人間にも頼りませんでした。僕は一人でした。だから多分つい緩んでしまったんです。アザミお姉ちゃんを、お姉ちゃんと呼んだ、ほんの一瞬だけ」

 ああ、家族ができたと。

 その考えはすぐに否定され、打ち消された。

 にもかかわらず一瞬のひずみが、僕の心を崩壊させた。脳内に蓄積され続けた感情は大量に水を溜め込んだダムのように一気に決壊し、すぐに修復することは僕には不可能だった。

「君はそんな自分がなによりも嫌いなんだね」

 アザミの一言にはっと顔を上げたが、すぐに地面へと視線を戻す。

「なんでそんなことが分かるんですか?」

「さぁ、なんででしょう?」

 アザミの見せる爽やかな笑みから情報を引き出すことはできなかった。仕方なく尋ねる。

「そんなこと言わずに教えてくださいよ」

「ううん、どうしよっかな?」

「じゃあ、もういいです」

「あ、ちょっと、ちょっと。もう少し食い付いてくれないと私も楽しみがいがないじゃない。ったく。私にも君くらいの年のころがあったんだよ。残念ながらね。だから君の気持ちもなんとなく理解できる」

「すでに経験済みってことですか」

 一体何を。

 アザミはな得意そうに、それでいて遠くを見るような目で話を続けた。

「君たちくらいの年の子はね、単純に問題に対処するためのルーチンワークの数が足りないのだよ。だから自分が不都合な状況に陥ると、どうしていいか分からず、混乱して感情的になっちゃう。そんな自分が嫌で嫌で仕方が無いんだよね、君たちは。それでも他にどうしていいか分からない。一秒先が不安で、安定と満足を得ようともがいて苦しむ。でもどうやっても目的のものは得られない」

 それでまた苦しむ。自分を嫌いになる。

 それは知性を獲得してしまった人間の業なのかもしれない。

 人は知性を手に入れ、本能から開放された。知性を繁栄のツールとして捉えていた本能にとってそれは予期することのできない誤算だったに違いない。

 それでも未発達な個体は属性を本能へと回帰しようとする。あるいは快楽を求めて原始的な行動原理へと堕落する大人も少なくない。

「そこで大切になってくるのは、自分を許すことじゃないかな。人は許されるという事実のみで大分楽になれるものよ」

「理屈は分かるような気がする。これでも自問自答は腐るほど繰り返してきたから。でもアザミお姉ちゃん、」

 それはできないよ。

 僕にはそれがどうしても出来なかった。どうしてもできない。自分を許すことは何よりも卑怯に思えて、それをしてしまうと底なしの闇へと落ちてしまうような気がして恐ろしくなる。

「そっか」

 アザミは複雑そうな顔をしたが、すぐにその表情を元の鮮やかな笑顔へと戻した。そして組んだ肩の腕に思いっきり力を加え僕をぐっと引き寄せる。

 互いに汗まみれだが、そんなことは気にならなかった。むしろ抱き寄せられたことに倫理的な背徳を覚える。

「いいんだよ。私を家族だと思って。甥っていえば家族も同然だしね」

 そんなアザミに対してそれは嘘なんですよとはとても言えない。

 また家族同然に接してくれるアザミに対しても、心の中に大きく無機質な壁が一枚ある。その壁は僕に常に警告を促している。


 それ以上親しくなるなと。


 僕はアザミとの間に腕を入れぐっとその体を離した。

「すいません」

「あれ? どうしたの。もしかして照れてちゃったとか。」

「いえ。ただ僕は慣れなれしい人間関係が嫌いなだけです。」

 そうだ。僕は常にそういうスタンスで生きてきたはずだ。何者にも頼らず。何者にもすがらない。唯一心を許せるのはイコ爺のみ。他の人間はゴミと同じ。

「ええ、嘘ぉ。どうして?」

「どうしてって」

 アザミは本当に不思議そうな顔をしながら僕の方を見た。あらためて訪ねられると困惑してしまう。

 一人が好きだ。一人が楽だ。

 だけどそれは限りなく結果に近い思想で、理由ではないような気がする。

「さぁ。僕にも分かりません」

「でも人は一人じゃあ生きていけないんだよ。家族がいて、仲間がいて。それはとっても大切。互いに頼り頼られ、相手を自分より大切に思える人付き合いができたらそれは何よりも幸せなことだと思わない?」

「思いませんね。というより思えません。すくなくとも僕にはそんな奴ら必要ありません。だってそうでしょ。僕は師匠がいればそれ以上の他人との交流は無駄だと思ってます。関係が深くなればなるほど。相手に思いを寄せればよせるほどそれを失くした時に人は傷つくものでしょう」

 そうか。

 だから僕は特定の人間と多くの時間を共有したくないのだ。信頼とか友情とかいった鎖で心をぐるぐる巻きにしばられると確かに人は安定を得ることができるかもしれない。

だがもしそれが千切れたら。

 それが壊れたら。

 僕はそれが怖いのだ。

「だから僕は他人と多くを共有しようとは思いません。師匠は例外中の例外ですけどね。しがらみは全て後ろへ。僕はただ前へ前へと進むだけです」

 自分で言っていて気持ち良かった。気分が少し高揚し、自分の中に気高い誇りを見たような気がした。一人で生きていける自信。孤独に耐えうる精神構造。

 ここ四年の間に養われてきたメンタルは僕にとっては誇りだ。そう、村の人間を見るたびに僕は反吐が出る思いだった。馴れ合いの上に馴れ合いを重ねる人々。気持ち悪い。そんなに孤立するのが嫌なのか。そんなに異端視されるのが怖いのか。

 しかしアザミは僕の高ぶる気持ちとは裏腹にさびしそうな顔をした。とても悲しそうで巣から落ちた雛鳥を見るような目で僕の方を見てくる。

 だがアザミは何も言ってこなかった。

 それは出発の前日にイコ爺が僕に見せた感情とまったく同種のものなののようだ。

 気分は急激に冷え込み、たまらなくなった僕は立ち上がる。もう大分時間が経過したはずだ。コウギは小屋の前で待ち構えているに違いない。

「おや、おや。仲のいいことで」

 声の主を見るとロジャーが細長い目を一層細めながらこちらを見ている。その顔は心なしか意地悪くにやついていた。

 案内はもういいと言ったのにロジャーは相変わらずコウギの小屋に居候していた。

「おや、おや。もういいんですか」

「アッ君」

 呼び止められ振り返った。

「参考になるかどうかわからないけど。火床で熱した刀の原型を小造りする時はね、その叩く部分だけ見てちゃ駄目なんだ。全体を見ないと仕上がりでどこかおかしくなる。全体に注意を払いながら集中する。だから鍛冶屋には経験がかかせないのよ。」

 意味が分からなかった。

 とりあえず礼をいい、小屋の表へと回る。するとそこにはコウギが腕を組み待ち構えていた。

「ほれほれ。時間がないんだろ。始めるぞ」

 やれやれ。第四十二ラウンドの開始かな。






 それから二日目。

 計算上のリミットはアッと言う間に到来した。

 生憎の空模様。

 僕の心も曇り模様。

 このまま大会に参加できないとなると、もう一年イコ爺の特訓に付き合わなくてはならない。それだけは断じて避けたい。いっそ刀云々をほっぽりだして直接大会にいってしまおうとも考えたこともあるが、刀が無いのも困りものだ。言生が使えない上、刀が無いとなると僕はただの木偶の坊で大会では一勝すらできないだろう。

 しかし自分と老人の一体何がちがうのだろうか。経験の差といってしまえばそれまでなので、少なくとも論理的な分析を試みるべきだ。筋力にそれほど差はない。体力は初日の時点では僕のほうが上回っていたはずだが今では明らかに劣っている。

 勝てる要素が無い。

「どうした、時間がないんだろう。あと二時間で日が沈む。そしたらばお前の期限は終わりだ」

 這いつくばる僕に老人は容赦なく罵倒を浴びせる。

「やはり情けないな。何もできないならせめて相手の動きを真似てみるなり、なんなりあがけばいいものを。工夫もせずに経験の差が埋まると思うか」

 思わねぇよ、馬鹿野郎。

 内心で毒づきながらも、すでに腕を上げるのも億劫だった。

 出来ることはない。ならば老人のいうように、先人の動きを真似てみるのも悪くないかもしれない。すでにコウギの動きは網膜に焼き付いていた。この五日間けちょんけちょんにされた分だけ体に染み付いている。映像を体現できるかはまた別の話だが。

「ええい。もうごちゃごちゃ考えるのは辞めだ」

 軋む体に鞭を打ち立ち上がる。

 僕は何故こんなにもがんばるのだろうか。大人しく眠っていればいいのに。それからいつも通り勉強と特訓の日々に戻るのもそれほど悪くないような気がしてきた。

 でも僕は立ち上がっていた。腕組みをしてあくびをするコウギを射殺さんばかりに睨みつける。

 ふと兄貴の言葉が脳裏に蘇る。それは疲れきった脳が聞かせた幻聴だったのだろう。でも兄の少し斜めで陽気な声が確かに脳内で再構築されたのだ。

 最後のお前は良かった。

 最高に格好よかった。

 そうだ思い出した。

「ふふ」

「何がおかしい」

 コウギは怪訝そうなこちらを見る。

「あんたに感謝するよ。兄貴の声の幻聴が聞こえるほどにボロクソにしてくれたことに。脳ってのは不思議なもんだな。まぁ、いいや」

 僕は大きく息を吸い込んだ。

「バティック家が末っ子、アドラの名にかけて。お前に一撃加えてやる」

 響き渡った声。それに追いすがるように、僕は前へと出た。

 だらりと下げられた手には木刀があった。僕はこれを放棄する。木で出来た棒は地面にからからと転がった

 コウギがどんどん近づく。やがてコウギの間合いに入った。まだ何もしない。

 先に動いたのはコウギだった。間合いの近接に耐えかねたのか素早く拳を突き出してくる。

「確かこんな感じだったよ」

 言いながら僕はコウギの足捌きを頭に描き、その情報を足の筋肉へと出力した。それは大した動作じゃない。大した動作じゃないので体の軸は計り知れない安定を得ていた。

 そうか。

 コウギの足裁き。

 それによってこうまでも自分の体を自由に動かすことが出来るようになるのか。雲の隙間から光が差し込み二人のやり取りをさっと照らす。コウギの突き出した拳は空を切り、跡に残ったのはがら空きになった無防備なコウギの側面だった。

 そこに向かって軽く腕を回す。全く威力の無い空砲を撃ったような一撃。

 それで十分だった。拳はコウギの眉間へと触れる。しばらく互いにそのまま硬直する。永遠のような一瞬。

 僕の目はコウギの口が動くのを見た。

「何?」

「ええい。合格だ。一撃って約束だったからな」

 コウギの口元は僅かに緩んでいた。どこか悔しそうで嬉しそうな顔。途端に足の力が抜け、重力の成すがままに体を崩しその場で大の字に寝転ろがった。もう痒い場所を掻く力も残されていない。

 何処からとも拍手の音がした。首を持ち上げるとそれはロジャーとアザミだった。ロジャーは相変わらず悪そうな顔をしているし、アザミは汗まみれだ。

「坊ちゃん、おめでとう。見事な一撃でした」

「うん、うん。それでこそ私の弟。見直した。アッ君えらい」

 僕の顔には顔面筋がつりそうな最高の笑顔があった。嬉しかった。不可能を可能にした達成感がそこにはあった。







 それから五日間はいわゆる休憩期間となってしまった。全身を襲った筋肉痛も次の日には半分ほど引き、その次の日にはさらに半分が。三日目には全快していた。

 若いって素晴らしいとつくづく思ってしまう。

 僕が寝込んでいる間にも隣の鍛冶場からは耐えることなく金属を打つ音が届いてきた。驚くほどの一定のリズムが、鳴っては絶え、鳴っては絶えを繰り返す。

 その響きは単調にも関わらず生物の呼吸のような自然な変化が感じ取れた。そしてなにより僕にあれだけ余裕の表情を見せていたコウギが日に日に衰弱していくのが中々小気味良かった。

 コウギが五日とはいったものの、やはり五日で刀を仕上げるのは中々難しいらしい。それは理論的な数字らしく、現実が理論的に運ぶことなどほとんど無い。後からアザミに聞いた所によると通常はどんにがんばっても一週間はかかるそうだ。

 しかしそこはプロの職人らしく僕の心配を他所に五日後には見事に刀は仕上がっていた。世に数振りしかない竜刀が。






 来た時と同じく天気は晴れ。結局雨は一日として降らなかった。蝉は相変わらずけたたましく喚いているし、じっとりと纏わり着く熱気は夏本番といった感じだ。

 十日もの期間をともに過ごした小屋と分かれるのも少しさびしい気がした。あんなに死ぬ思いをしたのにこの場所に愛着がわいていること自体が驚きだ。でも確かにここの大地には僕の汗がふんだんにしみこまれている。

 外でぶらぶらしているとドアが開く音がした中から三人の人物が姿を見せる。

「行きましょうか、坊ちゃん。」

 一人はロジャーだ。結局律儀にも町までの道案内を世話してくれるらしい。その間の泥棒家業は一体どうなってるのだろうか。悪党の心配をするのはおかしな話だが、この数日の間に僕は少なくない感情を元泥棒へと移入してしまったようだ。

 もっとも僕はロジャーがここに残ったのは、アザミの手料理のおいしさが理由ではないかとひそかに推測していた。実際アザミの作る手料理はどれも文句の付け所のないほどおいしく、こういうのが家庭の味なんだなぁとしみじみと味わいながら食べたものだ。

 その手料理も今日でお別れということでそれも名残惜しさの一員に違いない。

 見るとアザミは大分悲しそうな顔をしていて今にも泣き出しそうだった。こういうと僕がたいそう強がっているように聞こえるかもしれないが僕の顔も似たり寄ったりだろう。

「ポートン村に帰るときはうちにまた寄ってよね。絶対だよアッ君」

「うん、必ず寄るから。元気でねアザミお姉ちゃん」

 握手をしようと近づいたら、そのまま抱きしめられた。優しい感触に包み込まれると多少の違和感を心の深い所で覚えながらも幸せだった。一つ大きく息を吸うと、お互いに離れた。やっぱり名残惜しいのはアザミがいるからなのだろう。

 うん、うんと内心頷きながら、最後の人物の前へと立つ。

 頬はこけ、顔色は青白かったがそれでも眼光の鋭さはここに来たときと何ら変わりない。

 コウギは布に包まれた棒をこちらへと差し出した。僕はそれを無言で受け取る。布を外すとそこには一本の至高の業があった。

 白い鞘に銀の石突き。柄も白。目抜きの境目が全く分からない。イコ爺の本来の姿を彷彿とさせる飾り気のない太刀。白い全身に銀の鬣は今にも空を力強く飛翔するようだった。

「いいか。刀とはただの武器であって武器にあらず。頼りすぎてはいけない。また信頼を寄せないのもいけない。双方の意識がかみ合って初めてお前の身を守る盾となり武器となる。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

 太刀を抜いてみる。厚みのある刀身は自身の顔を映しだすほど磨きがかかっている。

 腰に下げていた木刀を空中へと投げた。ゆっくりと刀を動かし軌道上に木刀があるように弧を描いた。

 抵抗も反発もない。

 太刀は軌跡を寸分も狂わせることなく、意図した執着点へと降り立った。地面に落ちた木刀は真っ二つに割れている。

「ありがとう。コウギ」

「ああ、もういいから二度とくるなよ。たく骨折り損のくたびれ儲けだ。ささっと行け」

 僕は刀を鞘へとしまいながら、笑った。コウギが強がっているように見えた。実際に強がっているのではないのか。溢れる悲しみを必死に堪えているのではないか。

 ただの推測だけどね。

 ロジャーを従えながら、そのまま振り返り足を進める。

「じゃあね。気をつけて」

 背後からしたアザミの声に僕はふと足を止めた。

「どうしたんですか?」

「ちょっと待てて」

 ロジャーにそう言うと百八十度向きを変え、小屋の前にいる二人の下へと走る。

「どうしたの? 忘れ物?」

 戸惑うアザミに対してコウギはむっつりとしていた。いや少し目が揺れている。僕はさりげなく周囲を確認する。チュー吉の姿を探したのだが、その姿は何処にも無かった。

 チュー吉はここにきて以来退屈をもてあましていたのか、ほとんどの時間を森の中をうろついてすごしていた。まったく協調性の欠片もないのだが、ねずみにそれを求めるのもどうかと思ってしまう。

 チュー吉がいないことを確認してやや安堵する。

「なんじゃ。わしに用か。もう二度と会いたく、」

「いや、いや、誤解のあるまま去るのは俺のポリシィに反する」

 僕はコウギに対して右手を差し出した。それに困惑するコウギ。かまわずコウギの右手を強引に握った。

 意識を集中し、口から短い単語を紡ぎ出す。おそらくこの場にいる誰にもその意味は理解されないだろう。

 水の中にいるように緩やかに髪が浮き上がり老人の中へと力が流れ込んでゆく。するとまたたくまに老人の顔色が良くなり、疲弊した面持ちは瞬く間に消失した。

 回復の言生。

「そんな、お前」

「ふふ。その表情を見れて俺はとても嬉しいよ。ついでにもう一つ。アークル、アクルレントッテンヒエンツァ…」

 手は握られたままだった。またしてもコウギの中へと力が流れ込むのが分かった。

「お父さん?」

 アザミは父親の異変に気がついたようだ。

 コウギはピクリとも動かなくなった。まるで時をとめられたように握手した体勢のまま凍り付いている。

「どうしたの? お父さん?」

「お姉ちゃんごめん。声かけてもあまり意味がないと思う。拘束の言生をかけたから後一時間は動くことが出来ないんじゃないかな。あっ、でも意識はあるから話しかけること自体に意味はあるのか」

 コウギは驚きの表情を強制的に保ち続けていた。

「といことでコウギ。僕は剣士じゃなくて、言生師! そこんとこ間違えるなよ。絶対またくるから、その時はお互い全力で勝負しよう。アザミお姉ちゃん後のことよろしく」

「えっ。はっ? アッ君ちょっと待ってよ。お父さんこのままなの?」

「だから後一時間位はこのままじゃないかな。言生が解けたら相当怖いと思うから僕は退散するのにゃ」

「ってそんなかわいい声でごまかされても……お父さんが怒ると本当に怖いんだから。て、少しずつ後ずさりしないでよ。もう、必ずまた来てね!」

 アザミとの間にはもうすでに大分距離が開いていた。

「うん、その時までにはアザミお姉ちゃんを魅了できる位男を磨いておくよ」

 それだけ言うと、返事も聞かずに一目散に退散した。

 半分冗談。

 そしてもう半分は。

 高鳴る鼓動と、はやる気持ち。どちらも今の自分には抑えることができなかった。

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