第七話 兄弟子
目を覚ますと見慣れぬ天井。
以前どこかでこれと同じシチュエーションを味わったことがある。だが何時、何処でかまでは思い出せない。天井はむき出しの骨子があり、その細身はいかにも頼りなさそうだった。そして骨子に従って眼球を上へと向けると暖炉の排煙塔を見ることができた。上へ上へと真っ直ぐと伸びている。
どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。眉間を右手の親指と人差し指でかるく揉みながら記憶を手繰る。
「ええと、俺一体どうしたんだっけ。」
「君は私のお父さんにのされちゃったんだよ。」
答えを期待していなかっただけに女性の柔らな声で返事があって驚いた。慌てて上半身を起こす。別に痛いところもなかったので、意識の断絶はどうやらただ気絶していただけのようだ。
コウギのしごきにあって。
脳に蓄積された記憶に軽く寒気を覚えた。
横を見ると綺麗な女性が居た。長い髪の毛は後ろで結ってあり、小さなおでこがまず目に付く。顔の中心よりやや下にある目はくっきりとしていて、鷲のように鋭い。そして真っ直ぐと伸びたやや高めの鼻の下にある口は少し大きく、笑ったら素敵だろうなとぽぅと見とれる。
服装はサーモンピンクのニットキャミに黒のロングジーンズ。それがいかにも活動的な女性の雰囲気を出している。
どこから見ても大人の女性だ。しかも自分よりも大分年上っぽい。
「あら。私の顔に何かついてる?」
女性は優雅に笑った。やっぱり笑顔はひまわりのように素敵だった。とここで焦ってしまっては思う壺だ。
「いえ。あまりにも素敵な笑顔だったもの、」
言い終える前に顔に「スパーン!」という音共に顔に何かがぶつかる。それはどうやらスリッパのようで大分汚く、それにかなり臭い。
「ガキがませたことを言うんじゃない。」
スリッパを投げた投手が僕にきつい一言を浴びせる。それは夕暮れに目を覆いたくなるようなスパルタ訓練を施したコウギだった。室内の中心にある年代もののテーブルを前に一杯やっているようだ。
「ついでに言うと。わしは弱い奴は嫌いだ。娘にちょっかい出す覚悟があるならわしを殺す覚悟を持たんとな。」
「もう父さんは。こんな小さな子供にまた酷いことを。ごめんね僕。大丈夫?」
「だ、だ、だ、大丈夫です。」
女性の柔らかい手が額に触れると、思わずどもってしまった。口が縄でしばりつけられたように僕の意向を無視する。イコ爺に本番に弱いとからかわれたことが頭をよぎる。
「それより、あなたは?」
顔が熱くなり、思わず額に当てられた手を払いのけた。
「私? そっかまだ名のってなかったね。私はアザミよ。ふふっ。」
そういって、アザミは急に意地悪く笑う。その怪しい笑みに警戒を抱いていると、僕の体は急に引っ張られ、アザミはいきなり僕を抱き寄せ腕に力を込める。
暖かい感覚と、柔らかい感触。汗の混じった緩やかな匂いが僕の鼻の奥をくすぐった。
「ふふっ。かわいいぃ。私のことはアザミお姉ちゃんってよんでね。私もあなたのことをアッ君って呼ぶから。」
これもまた予想していなかった展開にして予想できない展開だ。冷静になろうとすればするほど、頭に血が上った。アザミは女性らしいふんわりとした匂いがして、それがさらに僕の頭を真っ白にする。
ぱっとはなれるアザミ。
「私ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、弟か妹が欲しかったんだよね。いやいや。それが二十代の真ん中で突然目の前に現れるなんて、びっくり、びっくり。」
弟?
目の前の女性は一体何が言いたいのだろうか。
やたらと擬音をつかうアザミのハートフルな攻撃に戸惑わない人間などいるのだろうか。いやいるはずがない。自分の正当性を確認しながらも冷静さを取り戻そうとしているとコウギが口を開いた。
「すまんがアザミ。少し席をはずしてくれ。」
「えっ。でも」
アザミは再び僕と距離をとる。それは僕に僅かながらの精神的な安定をもたらした。
「いいから、早く。」
コウギの有無を言わせぬ口調にアザミはしぶしぶと屋内からドアの外へと出て行った。後に残されたのは僕とコウギの二人きり。なんて素敵な取り合わせだ。
ロッチはどこにも見当たらない。気絶している間に逃げ出したのかもしれない。
ここはどう考えても、小屋の中だった。外から見た外見の大きさと中から見たそれが一見でほぼ一致する。室内は屋外と同様に飾り気もなく必要最低限のものしかないようだった。小屋の端っこにあるドアを入ってすぐの所には釜戸があり、その奥にはベッドと本棚。中央にはテーブルと椅子が二脚、二脚の計四脚がある。そして入り口から入ってすぐのベッドとテーブルの反対にあるのが僕の寝ているベッド。テーブルの横っちょにストーブがあり、排煙筒が天井にある煙突へと伸びていた。
天井にはガラスの球体を網状の袋に入れたものが一つだけつるされている。それはこの地方独特の魔よけの道具で、外から入ってきた邪気をガラス玉が吸い取ってくれる、と言う意味があるらしい。
それはかなり古い習慣であり、今ではほとんど見かけない。
コウギは頑固な外見によらず迷信深いのかもしれない。
「すまんな。娘が色々と迷惑をかけて。」
失礼にならない程度にきょろきょろと室内を観察していたわけだが、コウギは座っていた椅子をこちらへと近づけた。
「いえ。でも弟って。」
「ああ、それもすまん。爺さんのことを出すと話がややこしくなるからお前はわしの遠い親戚、つまり甥だということにしてある。だからその辺は話を合わせてくれ。」
「なるほど。それで弟ですか。」
先ほどのアザミの発言に納得すると同時に思わずむっとした。だがすぐにその感情を中へとひっこめると、幸いコウギはこれに気がつかなかったようだ。
「まあ、それはいいでしょう。それで質問なんだけど、何で俺はあんなしごきを受けなきゃならなかったの? もしコウギが自己顕示欲の塊で僕との実力差を見せびらかしたいんだったら、もう理解できたから勘弁してほしい。」
一体今日僕が幾度地面へと抱きついたことか。しゃべるにつれ記憶が蘇ると、口調がだんだんと厳しいものへと変化していく。
内に巻き起こる不平の渦はどうやら顔にまで範囲を広げたようで、そんな僕の不満を読んだコウギは不思議そうに尋ねてくる。
「なんだ。お前は何も聞いてないのかい。あの爺さんから。」
首を左右に振る。
一体僕は何を聞きもらした問う言うのだろうか。
するとコウギが腹をねじ切らんばかりに笑いはじめた。膝をこれでもかというほど叩き、その笑い声は狭い小屋の中を反響し、僕の鼓膜を痛いほど振幅させる。
「そうか、そうか。そりゃ、疑問にもつわな。重ね重ねすまん。あの爺さんの性格を全く考慮に入れてなかった。しかし、まさか何も教えていないとは。我が師ながら恐れ入る。いや相変わらずというべきか。大方説明するのが面倒くさくなったっといったところか。」
目の前の壮年とイコ爺の関係は一体どう結びついているのだろうか。見たところコウギはイコ爺のことをよく知っているようだ。師と呼びながらその口調には堅苦しい感じは皆無で、むしろ十数年来の友人のような雰囲気がある。どちらかというと縁を切りたいのに切ることの出来ない腐れ縁のようなイメージだろうか。
その結びつきは細いが途切れることは無い。コウギはそんな態度をとり、そんな口調で話をする。僕はこのコウギの態度にまたもやいらっとした。そしてそんな自分にとめどなく自己嫌悪を抱く。
「やれやれ。では説明してやろう。我らが意地の悪い師匠の代わりにな。お前が運んできた荷物。あれがなんだか分かるか。推測でもいい。当ててみろ。」
「いや、当ててみろって言われても。」
普通の人間が持ち上げれないような大きさの岩。だが表面は滑らかで、真珠をそのまま引き伸ばしたような感じだ。それが何かは想像もつかない。
「わからないか。まぁ、いいだろう。あれは歯だ。正確に言うと人間でいう犬歯。」
「コウギ、冗談はよしてよ。あの大きさの歯が存在するはずがないだろう。」
「ところが存在する。思い当たるだろう。」
自分で運んできた大きな岩を歯と見立て、頭の中に空想の生物を描く。恐らく地上でもっとも大きい生物ということになるだろう。
「そうか。竜。あれは竜の牙だ。」
「分かったようだな。そう竜だ。あの爺さん自身の牙だ。」
「それをどうしてここに。」
「そりゃもちろん目的は一つしかない。わしは鍛冶屋だ。鍛冶屋に竜の牙とくれば話はこれ以上シンプルにはならんだろう。つまり爺さんはわしに刀をつくれと言っているんだろうな。」
竜の牙の刀。
僕もそれは本の中でしか読んだことがない。剣士ならば誰もが喉から手がでるほど欲しがる超のつくほどのレアアイテム。それが竜の牙でつくられた竜刀なのだ。
そうか、それでイコ爺は褒美をやると言ったのか。
頭の中で小さなパズルが完成し、胸のうちのもやの一つが晴れたような気がした。
「じゃが、わしは気に入った相手にしか刀を打たないことにしている。そこには色んな基準があるが、その最低条件が強さだ。強いこと。それが刀を打つ最低条件。何故か分かるか?」
やたらと質問をしてくるおっさんだ。
「ええと。刀を扱い切れないから・・・とか。」
「それもある。じゃが、根本的な理由はもっと別だ。お前は歯の再石灰化という現象をしっているか?」
頭を左右に振る。
「歯は丈夫そうに見えて実は非常に脆い。例えば人間の歯であれば食事をする度にミクロレベルで削れる。人間の寿命はせいぜい六十が限度だがそんな長い間、食事をする度に毎度毎度歯が削れていったら、長生きする生物の歯は擦り切れてなくなってしまう。しかし生物の体はうまく出来ている。それを防ぐ機能が歯の再石灰化だ。薄くはがれた歯は唾に含まれる成分により再び石灰が張り付けられ、元の状態へと修復される。欠ける度に同じ分だけ元に戻す。だから人間の歯は長持ちする。」
虫歯の予防告知だろうか?
コウギの話の要点が得られず僕は首を捻った。コウギもコウギで聞き手の理解度など完全に無視して平然と話を続ける。
「竜は千年生きると言われている。竜にはその長すぎる寿命を生き抜くにあたって、身体機能を維持するための特異的な機能が色々と備わっている。それは竜の牙にも言えることだ。竜の牙は人の数十倍も強い再石灰化能を保有している。どんなに傷が入っても一日もあれば自らを修復する。」
「それって牙が本体から切り離されても?」
「いい所に気がついた。そう、その通り。竜の牙は例えその主から離れても、自身を修復し、再構築する。これを刀にすれば、その切れ味は半永久的に衰えることはない。加工は難しいが、うまく加工すれば、切れ味が鈍っても刀自らの力ですぐに切れ味を取り戻す。」
それが事実だとすると無敵の刀だ。
刀が物である以上どんな名刀でもいつかは寿命が来てしまう。刀は使うごとに損傷が蓄積され、やがては折れるか、研いでも使い物にならないほど劣化する。
だがもし刀が生物だったらどうだろうか。自らを維持するために働きかける刀があるとすればそれは物ではなく一個の生命と考えてさしさわりない。
竜は途方も無い生命力を持つといわれている。
そのエネルギーは牙から鬣の一本一本の毛にいたる全ての細胞に宿る。そして溢れるエネルギーはアイテムとして不思議な効果をもたらすことは既成事実として広く認知されていた。
「でも・・・。話が大分脱線しているけど、どうして刀をもらうための最低条件が強さなの? 別にいいじゃん。扱えるかどうかはべつだけど、」
「牙が包まれていた袋の麻を切るのに用いた刀を覚えとるか?」
「ああ、確か黒い鞘に赤い柄のあれだろ。」
やたらと話しが飛ぶが、不平を漏らさず夕方の出来事を思い出す。
「あの刀、わしが生み出したわけだが、時価で幾らすると思う?」
「幾らって・・・・・・・五十万ゼルとか。」
まったくの適当だった。自信が無かったがそれでも高いと思う。五十万ゼルもあれば細々とだが半年は暮らしていける。
コウギはそんな僕の貧弱な知識をあざ笑うかのように鼻で一つ息をした。
「一千万ゼルだ。」
「一千万ゼルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
それだけあれば、あんなことやらこんなことやら夢のような毎日が送れてしまう。それをあんな一本の刀にかける人間などこの世に存在するのだろうか。
僕は信じられない心持でコウギを見た。
「そんな、阿呆な話があるのかよ。」
「阿呆はお前だ。一流の剣士ほど、その刀にはしっかりと金をかける。何せ刀に己の命を預けるのだからな。生きるか死ぬか。死ねば全て失う。富も名誉もな。それを考えれば安いものよ。それが一流の思考だ。」
金額があまりにも現実離れしていて中々実感が沸いてこないが、そんなものなのだろうか。いやコウギが言うのだからそんなものなのだろう。
それにしても一千万とはぶったまげた。口から内臓が飛び出るかと思ったほど驚いた。
いやそれは驚きすぎかもしれないが、長いこと貧乏をしてきた僕としてはその反応は仕方のない所だ。そしてそんな途方も無い金額の刀を創り出すコウギもまた只者ではない。いやはやイコ爺の知り合いだから只の人がいるわけが無いのだが。
「コウギはすごいんだな。俺なんてとてもそんなにお金をかける気にならないよ。」
ははと間抜けな笑い声を末尾に添えた。
そんな高価な物を身につけていたら、どこにいてもそわそわしてしまって落ち着かないに決まっている。何せ僕は生まれてこの方貧乏で質素な生活しか味わったことが無いのだ。
そんな人間に大金をもって街中を歩けなどと言われても土台無理な話だ。挙動不審に陥った挙句、怪しまれるか、変な目で後ろ指を差されるに決まっている。
僕の言葉を聞いてコウギは大きなため息ともに額に手を当てた。出来の悪い我が子を見て嘆く親のような仕草だった。
「だから嫌なんだ。わしは嫌なんだ。でも爺さんの頼みは断れない。」
本当に嫌そうだ。完全に僕の存在を忘れ、それはもはや独白の域に達していた。だがそれも一瞬のことですぐさま僕の目の前までその分厚い顔を近づけてきた。
「お前、本当に理解しているのか? さっきも言ったが竜の牙を刀にするんだぞ。それをお前が扱うんだぞ。」
「ええ。まあ。あっ!」
そうか。コウギが刀を打つということはそれだけで一流のブランドとなるようだ。いわば高価な宝石をむき出しで腰に引っさげるようなものだ。
「ええ。マジで? そんな一千万を俺にくれるんですか。嘘だろ。」
微妙に嬉しくない。
忌避に近い困惑を見せる僕にコウギはトドメをさす。
「やっぱりお前は阿呆だな。確かにお前にやることは事実だ。それも只で。それは仕方ない。何よりも爺さんの頼みだ。さっきから何べんも言っているが、爺さんの頼みは断れない。だけどいいか、お前は事態をずっと軽く見ている。今からお前が持つのは世にも珍しい竜刀だ。世に数振りしかない刀は一千万なんてレベルの話じゃない。そうだな、竜の牙単体でさえ時価六千万ゼルはするだろう。」
ろ、ろ、ろ、ろ、ろ、ろ。
「さらにわしが手を加えれば数億。」
「お、お、お、オクゥ?」
声が震えるのを自覚した。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。皆さんの気持ちはとても嬉しいのですが、むしろいりません。すいません。勘弁してください。」
あまりの金額に恐怖を覚えた。背中には嫌な汗が一筋つっと流れ、悪寒が全身を駆け巡る。そんな不甲斐ない僕の姿を見て、コウギが腹の底から一喝した。
「この腰抜けが!」
「いやでも本当まじで。謝るから、勘弁してください。」
「もう決まったことだ。何より爺さんがそう望んでいる。おまえも分かると思うがあの爺さんの言ったことは絶対だ。」
そういえばそうだった。僕も村を出発する直前の朝、つまり今朝のことだが、殊勝な心でそんな恥ずかしい考えを思い浮かべていたのだから皮肉な話だ。こんな呪縛から早く解放されたいものだ。
いやまったく。
「当然もし周囲にそのことが知れれば、それを奪おうとする輩も蟻のようにうじゃうじゃあらわれるじゃろう。」
つまり刀に守ってもらうと同時に刀を守る必要がある。業物ほど双方向のギブ・アンド・テイクになるということか。
「その通りだ。だからお前みたいな能天気に刀を打つのは百歩譲って良しとしよう。だが町に行ったとたん、すぐにごろつきどもに奪われて、闇市に流れるのは我慢ならん。なによりもわしは自分の打った刀を誰よりも愛しておるし、誇りも持っておる。その愛と誇りが地にまみれることは絶対に許さん。」
だから僕を鍛えるのか。ようやく話の流れが理解できたが、理解が必ずしも心理的な安定をもたらすとは限らない。
「刀を打つのに四日かかる。わしに一撃入れることができたら、文句なしにお前に打ってやるよ。わしの心血込めた最高傑作をな。それまでに剣士としての自覚をもう少し育てることだ。刀に対する心構をな。」
コウギの熱い語りに思わず姿勢を真っ直ぐにして聞き入ってしまった。
だがあとあと考えるとこれもイコ爺に仕組まれた罠臭い。結局余裕があるはずの旅ですら訓練となってしまったのだ。せっかく早めに町について観光しようと思っていたのに台無しだ。
そういえば僕にはそれほど時間が無い。
刀を打つのに三日と言っていた。今日が二十三。大会の締め切りが翌月の二日。えーと、差し引いて、一足して。大体五日位の猶予しか僕には無かった。
それは圧倒的に短い期間に思えた。
急に肩が重くなる。僕はすでにコウギと対戦してみてその実力のすさまじさを理解しつくしていた。
とにかくイコ爺さんの知り合いだけあってその実力は底がしれない。コウギは終始素手。対する僕は木刀。にも関わらず僕の太刀筋はコウギの前髪にすらかすりもしなかったのだ。
せめて言生が使えたら互角以上の戦いを演出することも可能なのだが、恐怖の大魔王によってそれは固く禁じられている。
一体どうしたものか。いや答えなど決まっている。
実力で余裕綽々としたコウギの面に一発お見舞いしてやるのだ。
「まぁ、せいぜいがんばれ。わしは手加減などせんから変な期待は抱くなよ。」
コウギの意地悪い笑みに載せた皮肉。
かならずその顔を青くしてやる。
決意を固めた時、ちょうどドアが開いた。そこから中に入ってきたのはアザミとロジャーだった。
「話は終わった? アッ君は父さんに苛められなかった?」
「いえ、いえ。この上なく可愛がってもらっています。」
平静を装ったが呼吸がわずかに乱れる。コウギはアザミの言うことを完全に無視してテーブルへと向き直った。
「そう。良かった。じゃあ、晩御飯にしますか。今日は張り切って四人分つくっちゃいましたぁ。アザミ特性シチュー。」
パンパカパンと口ずさみみながら釜戸にかかった大きな鍋の蓋を開ける。湯気がふわっと立ち上り、煙突の方へと登っていった。
「それは、あっしも頂いていいんですか?」
「もちろん。食事は大人数のほうが楽しいでしょ。うちは誰にでも平等なのよ。例え相手が山賊さんでもね。」
ロジャーはその一言に感激したのか、右腕を目に沿えて泣きまねのような仕草をした。僕もベッドから降りて椅子へと座る。
「ロッチまだいたんだ。俺はてっきり逃げ出したかと思ったよ。」
ロジャーは僕の対面へと座る。ロジャーの横にはコウギで僕の横にはアザミが座ることになるだろう。
「何故あっしが逃げるんですかい?」
ロジャーは僕の質問が理解できないとばかりにぽかんとした表情を浮かべる。どうやら完全になついてしまったようで、少し複雑だった。
「でも坊ちゃんが還付無きまでにやられるのには驚きましたよ。なんせあっしら十数人は坊ちゃん一人にのされたわけですから。その坊ちゃんを赤子扱い・・・いえ決して坊ちゃんのことを馬鹿にしているわけではないんですよ。ただ今日だけはさすがに世界の広さを痛感しましたよ。」
ロッチは身をのりだし僕へと近づく。
「それにしても驚きました。二度びっくりです。今見てきたんですが、あっしの鑑定によると坊ちゃんが運んでいた荷物は竜の牙じゃないですかい。」
誰がどうみても岩にしか見えないものを鑑定できるロジャーは中々目が肥えているようだ。伊達に泥棒をやっていたわけではないと言った所か。
「すごい、すごすぎです。絶滅宣言がなされてはや三十年。それ以来、竜に関わる品を見たのはこれが初めてです。
「絶滅宣言?」
「あれ? 坊ちゃん知らないんですかい?」
今日何度この台詞を聞いただろうか。ロジャーに悪意は無いのだろうが、否定されたようで僕の気持ちは自然と斜めに傾いていたが、僕は自分ではその幼稚な感情を隠しているつもりだ。
でもロジャーは気がついていると思う。
気がついてる上で気がついていることをそ知らぬ風に装っているのではないだろうか。そんな邪推にも似た考えが頭から離れない。
要するにロジャーは大人で僕は子供ということだ。悔しいが感情のコントロールと相手への気遣いができない僕はまだまだ思考が幼いのだろう。それはそれで腹が立つがどうすることもできない。
ロジャーはいつものように屈託なく説明してくれた。
「絶滅宣言ってのは竜が絶滅した、つまり竜という種族そのものがこの世から姿を消してしまったということを世界が公式に認めたという宣言です。最後の目撃例が三十年前、それ以後人が竜の姿を見たためしはありません。」
「殺戮のクリスマスのことだな。」
コウギがつまらなそうに言葉を挟む。手には銀製のグラスがあり、さきほどからちびちびと口をつけている。体がテーブルに対して完全に横を向いているので僕とロジャーの話に興味が無いのかとも思ったが、話を聞いていないというわけではないようだ。
これがコウギ流の酒盛りなのだろうか。
その流儀はイコ爺とはまるで正反対だ。イコ爺は積極的に会話を創造しようとするし、よく笑う。
弟子が師匠に似るというのは万物の真理ではないらしい。
「殺戮のクリスマスって?」
僕はコウギへと尋ねる。だがコウギから説明を貰えることは永遠に無かった。
「竜対人の最終戦争のことです、坊ちゃん。いや、正確には椎本総合商社が竜に対して行った一方的な狩りのことです。当時の社長である椎本夏彦によると、彼らはその当時、つまり三十年前の12月24日に最後の一匹まで竜を根絶やしにしたそうです。」
三十年前。当時世界には五体の竜が確認されていた。彼らは人を遥かに凌駕する知識を持ち、緩やかな共同体として世界に存在していた。自らを最後の五賢と呼び、他の竜はもはや存在しないと公言していたそうだ。
その五体を殺したのが、
「椎本総合商社か。」
「そうです。彼らは当時から圧倒的な物量を誇る企業体として世界を席巻していたんです。椎本の力はその事件をきっかけにさらに突出しました。並ぶことの無い独占的な力です。もっともそれは屑屋が現れるまでの話ですけど。」
「ひどい話だ。」
本当にひどすぎる。
竜が懸命で穏やかな生命体であるという話は誰でも知っているであろう。竜は不徳を嫌い、調和を尊ぶ。故にその存在は特別で、多くの人々が神とあがめているほどなのだ。
三十年前になされた絶滅宣言。
それにしてもそれほどの大事件を僕は今始めて聞いたことになる。イコ爺に通り一遍の歴史は勉強させられたのだが、使っていた教科書にはそのような宣言についての記述は一編たりとも無かった。
そもそもイコ爺の存在はどう説明すればいいのだろうか。仮に椎本総合商社なる組織がその当時、全ての竜を殺しつくしたならばイコ爺が存在するはずがない。
ここで考えられる可能性は二つ。
イコ爺の存在がイレギュラーなのか。
それとも椎本総合商社が偽りの事実を世界へばらまいたのか。
前者ではイコ爺の存在そのものに疑問がつきまとい厄介な問題だ。そして後者であっても椎本が世界を欺いているということになりこれもまた不思議な謎となってしまう。
今のロジャーの話だけではいくら考えても結論を出すことはできない。
答えを求めるように自然とコウギの方を見たが、コウギは再びふんっと鼻をならしただけで口を開こうとはしなかった。その様子はどこか怒っているようだが、一体何がコウギの機嫌を損ねる原因となったかは全く分からない。
「ですから今では竜の体は例外なく希少に希少を掛け合わせたと言っていいほど、レアな物なんですよ。そうですねぇ、例えば坊ちゃんが持っていたあの牙。あの原石だけでも時価六億ゼルはくだらないんじゃないですか。それに加えて。それに加えてですよ。稀代の鍛冶屋コウギ・ゴールが刀を打つってんですからもう値段は付けられませんよ。少しでも格式のあるオークションにかければ数十億ゼルはかたいですね。あっしが保障します。」
「す、数十億ぅ!」
僕はゼロの多さに眩暈を覚えた。さぞ腰が重くなることだろう。
ロッチが長々と話す間に料理が運ばれた。
鳥の甘辛煮。ご飯。煮干のスープ等々。次々と料理で埋まっていくテーブル。
そういえばこうして大人数で卓を囲むのはずいぶんと久しぶりだった。ポートンにいたころは大抵一人で食事をするか、イコ爺と二人きりで食事をとっていた。
だからかは知らないがどうにも落ち着かない。
料理から立ち上る煙も、正面に座る大人二人にも。そして料理を誰かが運んできてくれるということにも違和感を覚える。何か悪いことをしているようで、僕は背徳的な気持ちに揺り動かされた。
「アザミさん手伝おうか?」
最後にシチューの入った鍋をテーブルの真ん中へ運ぼうとするアザミへと声を掛ける。
「いや、いいよ。怪我人は大人しくしてなさい。それにアザミさんじゃなくて、アザミお姉ちゃんでしょ。そう呼んでくれないとこれからは返事してあげないから。了解?」
爽やかな笑顔。口の両端を僅かにほころばせた表情はすごく自然だった。
対照的に僕は困惑する。
「了解。アザミ・・・お、お姉ちゃん。」
「うん、よろしい。」
ふと胸が熱くなった。僕は突然の感情の隆起に戸惑う。
堪えようとした。
簡単に堪えられると思った。
しかし、思っていたよりそれは難しく、目頭が熱くなる。体の内側で何かが膨らみ、それが弾けると僕の目には涙があった。
人は強すぎる感情を抱くとそれがあふれ出してしまうらしい。溢れた感情の発散方法の一つが涙というのはベタすぎだろう。
でも僕は何故自分の目に涙が浮んでいるのか理解できなかった。理由が分からないから戸惑い、戸惑うことで理解からさらに遠のいていく。
「ちょっと、ちょっと。どうしちゃったの。私? 私が何か気に触ることを言ったの?」
アザミの戸惑いの声が遠くに聞こえる。
アザミ姉ちゃんは悪くないよ。
思ったことを言葉にしようと思ったが、うまく声にできなかったので諦めた。
「ごめん。夜風に当ってくる。」
その言葉とも思えない言葉を口にして、僕は急いで扉へと向かい外へ出た。外の夜風がほてった頬を冷やす。
僕は無我夢中で小屋の裏へと走り、ざらざらとする小屋の壁面へと背中をあずけながらしゃがみこむ。
一体なんなんだ。
この感情は。
このもやもやとする胸の内は。
いくら自問を繰り返しても理解が構築されない。僕に残された唯一の選択肢は感情に流され溺れることだけだった。
空を見上げた。晴れているはずの夜空に星を見ることはできなかった。