第四話 満ちた時
天高く上る太陽とその下に広がるお花畑。キク科の黄色い花が一面を埋めている。
汗ばむような夏の日差しだが、この場所はかなり標高が高いので、ちょうどいい気温だった。
綿菓子のような雲が風に流さると、巨大な影が地を這い地上に陰と陽の明暗差を造っていた。家屋に囲まれていると気がつくことは難しいが、ここからだと雲が同じ場所に留まっていないことも、上空を風が流れていることも一目で分かった。
属に言うマクロの視点というやつだろう。
山のなだらかな中腹でこのように景色を見下ろすことは自分と世界を切り離しているかのようだった。それは日頃自分の目の届かない範囲にも確かに世界が存在していることを認識する数少ない機会。
村も森も山も川も全てが自然の一部として日々それぞれの役割を懸命にこなす。
「じゃあ、そろそろ俺も自分の役割に戻るか。」
まるで身を隠すようかように腹ばいになって眼前に広がる景色を眺めていた訳だが、そろそろと注意を周囲へ拡散させる。
お花畑にはジスの毛皮のようにもこもことした起伏があった。
そっと頭を持ち上げる。
子供が遊びに使いそうな高さの起伏を超えた先には一体の骸骨がいた。フル骸骨。その手には剣が握られている。
お花畑に骸骨剣士。思っていたより悪くない組み合わせだ。
むき出しの人体の骨格は操られているかのようにかくかくとぎこちなく動き、すでに失った暗い瞳は恐らく僕を探しているに違いない。いや間違えようも無く僕を探している。
「やれ、やれ。どうすっかな。」
うつぶせになっている右手には木の棒があった。樫でできた白い木刀だ。相手は人を軽く殺せるであろう真剣。それに対して僕が持っている武器がちゃっちな木刀だから、僕は相応のリスクを背負ってこの戦いに望んでいた。
しかし骸骨というのは何時見ても気味が悪い。真っ白な骨ならまだ普通に鑑賞することもできるかもしれないが、骨というのは往々にして綺麗なものでは決してないらしく、黄ばんだ筋と泥で汚れた髑髏は吐き気のしそうなほど気持ち悪い。
正視に堪えかねるとはまさしくこのことだ。だがそうも言ってられない現実があった。
化け物を倒さねば僕の目的は永遠に実現することは無いだろう。そうこのさびれた不愉快な村から旅にでるという夢が。
骸骨剣士が遠くで僕に背を向けた。
すると僕の中で二つの感情が沸き起こる。これはチャンスだと主張する急進派とこれが相手の誘いだと主張する穏健派。経験上これが罠だったことは少なくない。骸骨剣士はその主と同様に非常に狡猾で抜け目の無い性格を寸分も違わず反映していた。
ここで悩むことが労力の無駄ということにそろそろ気がつき始める
大体お花畑でこそこそ隠れながら相手の隙をつこうという戦略を選択している時点で僕は駄目駄目なのだが。
「あー、もう! 面倒臭さい。」
痺れを切らしたのは自分だった。
意を決して、両手両足を使い一気に起き上がり、猛然と相手に向かって突き進む。右手に構えた木刀を握りなおし、骸骨剣士へと切りかかった。
間合いが詰まる。
胴体を狙って左下から右上への斜め一閃。相手の骨を砕くのに十分な威力のはずだ。
寸での所で骸骨剣士の顎がカタと動くのを僕は見逃さなかった。骸骨剣士は後ろを見ることなく、膝を曲げ体を深く沈める。骨に染み付いた腐臭が僕の鼻腔を刺激し不快この上ない。
骸骨剣士は振返ろうともせず、背中を見せたまま手に持った長剣が僕目掛けて振る。生身の人間であれば関節の稼動範囲の限界をとっくにこえているであろう。顔は向こうを向いているのに両腕だけこちらを向かせながら僕と対峙している骸骨はどこか滑稽だった。
「こんなのありかよ。全くあの爺さんはまた反則技を思いつきやがって。」
誰にともなく毒づく間に骸骨剣士はその首すらも限界を無視して頭をこちらに向けて、その恨みがましい虚ろな注意を僕へと注ぐ。僕を恨むなといってやりたいが通じる相手ではない。
奇襲は完全に失敗したわけで、骸骨剣士の目にも留まらぬ暫撃にちゃくちゃくと追い詰められていた。
斜め下から切り上げたかと思うと。突いてくる。振り下ろしたかと思うと、そのまま腕の骨が体を一周して同じ暫撃を二度繰り返してくる。まるで安っぽい漫画でもみているかのようだが、僕はその動きに翻弄される。
何よりこちらの武器は木刀なのだ。下手を打って木刀を切断されたら間合いの面において圧倒的に不利になる。
相手の突きをいなして今度はこちらが反撃に打ってでた。刀は刃で受けずに面で受け流す。すると骸骨剣士から焦りの気配を感じ取とれた。
いける。
僕はレベルアップしている。
一際大きく振り下ろされた相手の剣をいなし、一歩踏み込む。間合いが近くなったことで相手は動きが鈍くなった。
離れ際に相手の刀を持った手目掛けて思いっきり切りつけた。
すると骸骨の手首が粉々に砕け散った。
「ナイスファイトと言いたい所だけど詰めが甘いね。大体君の剣筋は終始大雑把すぎだよ。手首を砕かれてそこに気づければまた一つステップアップできるんじゃないかな。まぁ、もう俺の敵じゃないけどね。」
木刀の先を骸骨の額にピッタっとはりつけながら意気揚々と語る。
「何を死者にいきまいておる。悪趣味すぎるわ。情けない。そこで油断するのがお主の悪い癖じゃ。」
独白はたわしをこすったようなしわがれた声により邪魔された。声の方を向くと風に凪いでしまいそうなよぼよぼの老人がこちらへと歩いてくる。
「爺さんがそれを言うなっての。大体悪趣味なのは爺さんだろ。死者に無理やり俺の相手をさせて。失礼も甚だしいぜ。」
「ふぁふぁふぁ。死者に意識なんぞ無い。わしはただお主の特訓のためにその姿を操っておるだけじゃ。そしてそれについてとやかく言う権利はお主には無い。大体誰のおかげでここまで成長できたとおもっておる。飯の世話も強くなるための講義もみーんなわしがつけてやったのに。不平を漏らすなどと恩知らずもいい所じゃ。」
どこからとも現れた老人は僕の下へと近寄ると、骸骨の額に手をかざし一言二言口を動かした。すると骸骨の全身が一瞬淡く光り、続いてボロボロと崩れ去った。
操の言生。何度見てもぞっとする。
「ああ、もう分かった。爺さんには感謝してるよ。だから説教はよせやい。それより、」
老人がすたすたと歩き始めたのでその後を追う。
「約束は守れよな。ランクBを倒したんだ。いい加減外の世界にいかせてくれよ。」
「ふん。倒したとは、また物はいいようじゃな。わしには偶然勝ったようにしか見えなかったが。」
「それでも勝ちは勝ちだろう。爺さんだってよく言うじゃないか。勝負は時の運だって。それに骸骨を操ってたのも爺さんなんだから爺さんに勝ったも同然じゃん。」
実際このお茶目な老人のちょっとした好奇心と遊び心がなかったら僕は今こうして勝利を味わうことはできなかっただろう。幾らなんでも前後逆に操られればさすがの骸骨も本来の強みを発揮できないと不満を漏らすに違いない。
「たわけ! わしに勝とうなど百年早い。」
お花畑に横向きの穴があった。それはイコ爺が住処としている地下道への入り口だった。雑草と花の断面が茶色く浮き上がり、それに囲まれるようにしてぽっかりと口を開いている。
老人は躊躇も無くその中へと入った。それは当然のことだろう。自分の家に遠慮して入る馬鹿がいるわけが無い。いや広い世界だ。探せば一人くらいいるのかもしれない。しかしそれがこの老人ではないというだけだ。
地下に蟻の巣のように広がる通路は最初なら誰でも迷ってしまう。それほど入り組んだ構造をした通路の集まりに僕も散々迷った。ここに来た初めの初めの時だ。
天然の要塞はイコ爺の本来の姿を隠す絶好の隠れ家だった。
しばらくぐねぐねと続く道を進み、幾つもの分かれ道で選択を繰り返す。先を進む老人は一つの部屋へと入った。そこは世に言う台所と居間を混ぜたような場所で飲料と食料が保管されている。
子供が十人位駆け回っても十分おつりが来るような広さの部屋には冷蔵庫を初めとする基本的な家具が一通り揃っている。
イコ爺は少し湿り気のある地面を歩きながら、迷うことなく冷蔵庫へと直行した。僕はというとイコ爺と話し合うために中央にある洋風のテーブルの前に腰をかける。
「何か飲むか。」
「水。」
ぶっきらぼうに返事を返す。ここで油断するとどんな手で言いくるめられるか分かったもんじゃない。一年前にランクCの泥人形を倒した時も、外に行かせてくれるという約束を取り付けていたのだが結局うやむやになってしまった。その時もまずこうして何を飲むか聞かれた。
油断していた僕はつい冷たいジュースと答えてしまったのだ。そしてイコ爺によって持ってこられたのが赤いグァバジュース。赤い色は誘惑系の言生を相手にかけるとき一番用いられる色で、ジュースを飲み終わる前になんと僕は自分から自分でした約束をあっさりと放棄したのだから笑えてしまう。
もちろん老人の強かな作戦であることは疑う余地も無い。
「そうか。わしは酒を飲むぞ。」
「おい。赤いワインとかは駄目だぞ。俺も自分の言生ですぐに応戦する。」
僕の刺した釘に老人は悪戯っぽく苦笑いを浮かべた。やはり何か仕掛けるつもりだったのか。
すぐさま僕は反唱の言生を唱えた。
体の中を熱い物が駆け巡り丹田の辺りで収束する。これで一時間ほどはあらゆる補助系の言生に対する抵抗力が高まる。
「そう気張らなくても、今度は何もせんよ。」
老人は朗らかな笑顔をこちらに向ける。その両手にはコップがあり両方とも透明な液体のようだ。
「よく言うよ。人を散々だましたくせに。俺が一度口にしたことを曲げるのがなによりも嫌いなこと知っているくせに。俺、絶対の去年の屈辱は忘れないからな。爺さんが死ぬ瞬間に耳元でねちねちと嫌味を言ってやる。」
「ふぁふぁふぁ。ああ、知っとるとも。お主が真夏に飲む熱いお茶が好きなことも。脛毛を見ると剃らずにはいられないことも。ついでにいうと十一才の時に、」
「あああああああああああ。」
「なんじゃいきなり。お主が話を振ってきおったのに、人の話を中断させるような行為をとるなど恥ずかしくは無いのか。」
肩に何かががくっと覆いかかってきた。すると今まで忘れていた疲労が全身に一気に表面に浮いてくる。
まったくこの爺さんと話すといつも疲れる。
「ああ、もう分かった。分かった。」
言いながら水に口をつけ濡らす。運動後の水分補給は別格だ。体の隅々へと染み渡る水は、二百メートル地下から僕が自分で組んできた物で、我ながらうまい。体力増強と銘打ってやらされたこの水汲み地獄も今では朝飯前だった。
「ふぁふぁふぁ。そう嫌な顔をするな。わしが言いたいのは全て分かっておるということじゃ。お主が外の世界に両親を探しに行きたいと考えていることもな。それにしても失踪してから早九年。今頃どこで何をやっていることやら。」
老人は遠くを見る目をした。この老人の本当の正体が竜で今は生命力の浪費を抑えるのに人間の体裁をとっているといことを初めて聞いてから、もう四年もの月日が経過していた。
イコ爺が両親のことを知っていたと聞いたとき僕が驚きを隠せなかったのは言うまでも無い。実の親が神話の生物と交流を持っていたなどと誰も信じてはくれないだろうが、事実なのだ。
アンナ・バティック
マサヒロ・バティック
今世紀最大の研究狂にして僕の両親。
曰く、歩くコンピュータ。
曰く、歩くシュタイン夫婦。
曰く、神に祝福されし子供たち。
全て後で知ったことだがどうやら僕の両親は世界的に見ても有名な科学者らしい。父マサヒロ・バティックは軍の研究者上がりで、史上最年少の十三歳ですでに博士号を習得。その二年後には世界最大の軍事国家研究チームのチーフとしてあらゆる研究に手を出したそうだ。
一方母アンナ・バティックは生粋の研究者血筋で、その母親、つまり僕の母方の祖母は世界平和賞科学部門を二度も受賞した筋金入りだし、祖父は世界で最も権威のあるフォックステール大学の教授まで上り詰めている。
その娘であるアンナ・バティックは遺伝子工学を専攻しており、その分野で異才を発揮して軍の引き抜きにあったとか。
十二年前に発表された「言生と遺伝」という論文は未だに多くの学者の基礎研究対象として引用されつづけている。
調べるにつれ何故この二人がこんな田舎の小さな村に引っ越したか疑問を持っていたが、よくよく聞いてみるとどうやらイコ爺の千年に渡り蓄積されてきた知識に二人は感服し、交流を深めたという。
僕たちに内緒で。それが何故か凄く悔しかった。
「俺は未だに信じられないよ。もう九年も経過するっていうのに子供に顔の一つも見せないなんて。それに、」
僕は言葉を切った。
両親は一度もこのポートンに帰ってきていない。
だから知らない。兄貴が死んだことも。
思わず目頭が熱くなった。四年経った今でも兄貴の存在は僕の中で重要な位置を占めている。全ての行動の指針であり、超えることのできない超えなければならない壁。
「ふむ。あの二人はわしから見ても天才じゃった。その二人が九年も音沙汰なしとなると何かあったのかもしれないのう。」
「もう死んでるんじゃねぇの。」
「これこれ。滅多なことを言うでない。大体それではお主の目的そのものが無くなるじゃないか。」
僕はテーブルを両手で強く叩き、その反動に乗じるかのように勢いよく立ち上がった。
「俺はただあの無責任な大人たちに教えてやりたいだけだよ。兄貴が。兄貴がもういないことを。それから一発ぶん殴ってやる。」
めらめらと怒りの炎が胸中で燃え上がる。それに対してイコ爺は何も言ってこなかった。僕が冷静になるのを待っているのだろう。それもそうだ。このままでは一向に話が進まない。
「すいません。俺もまだまだガキなようです。」
「ふぁふぁふぁ。自覚の無い人間よりよっぽどましじゃよ。取り合えず座りなさい。それで話を戻すがお主が村からでたいという件。わしは基本的に反対はしとらん。」
「本当ですか?」
どこかひっかかる物言いだったがこれまでと違い言葉の端々に前に進めるような明るい空気が漂っているだけましだ。
「うむ。ただ、全面的に賛成ともいいかねる。お主はランクBの課題を見事にクリアした。じゃが、まだまだ世界にはお主が想像もできないような危険が沢山ある。」
「そんなこと言ってたら、一生どこにもいけませんよ。」
「じゃから先を急ぐでない。お主には足りないものがある。それが何か分かるかのう。」
僕は首を捻るも、イコ爺が何を言いたいのかは検討もつかなかった。
体力はすでに人の十倍はある。
知識もすでに人の二十倍もある。
剣術も常人の三十倍、と言いたい所だがそこまではいっていない。言生力は確実に百倍はあるだろうが。他に何か必要なものがあるのだろうか。
「わからんじゃろう。そうじゃろう、そうじゃろう。お主に足りないもの。それは経験じゃ。お主は確かにわしがランクBと銘打った骸骨人形を倒した。それだけで実力はそこそこあることは分かる。じゃがそれは偏った独りよがりな強さでしかないことも理解できるかのう。」
「はっ。訳わかんねぇ。」
僕は強い。そんなこと普遍の真理だ。
「青い、青い。」
「うわっ。その見下した言い方むかつく。」
「では言い方を変えよう。一対一の勝負において強いからといって必ず勝てるとは限らない。この意見についてお主はどう思う?」
どう思うも何も一対一であれば強い奴が勝つに決まっている。
勝負において二人の人間がいれば必ず強い弱いがあるはずだ。そしてそのうちの強いものが勝つのは子供にでも分かる。問題は何を持って強いとするかだが、それは例えば腕力であったり、技術であったり、言生力であったりする。
弱者は強者に敗れる。そしてその強者を破ることができるのも、またそれ以上の強者でしかありえない。
「要は負け犬の遠吠えだろ。結果が全てだよ。勝った奴が強者。負けた奴が弱者。そして俺は確実に強者に分類されるはずさ。」
「ふむ。一理あるかのう。じゃがわしがこれ以上口で説明しても今のお主には分かるまい。そして世間には便利な諺がある。百聞は一見にしかずとな。」
そういうと老人は背後の壁へと手を伸ばし、そこに止めてあった一枚の紙を僕の方へと差し出した。
「なんだこれ?」
「いいから読んでみろ。」
えー、なに、なに。
第十回クルッソ地方格闘競技大会
開催地 ニュークオウ町
開催期間 八月三日から三日間に渡って
(直登録は前日六時まで受付)
参加資格 特になし
(拳闘、剣技、魔法等々)
優勝賞金 百万ゼル
詳細は別紙にて
「うわっ、腹立つ。魔法って記述するなよ。だからそんなおちゃらけた単語が世間に広がるんだよ。ちゃんと言生って記載しろよな。それにしても優勝者には百万ゼルか。悪くないね。全く悪くない。ニュークオウ町っていえばすぐ隣じゃねぇか。くっそ。こういう楽しそうなイベントに一度でいいから出てみたいよなぁ。」
「何を寝ぼけとる。出るんじゃよ。」
「はっ? 誰が。」
顔には命一杯怪訝そうな表情があった。
「お主がじゃ。」
「いつ?」
「自分で読め。」
「どうして?」
あまりにも質問を繰り返したためかイコ爺は大きなため息とともに顔をしわしわの両手で押さえた。
「おい、爺さん大丈夫か? 頭痛? 生理痛?」
「お主と話をしておると頭が痛くてかなわん。」
おっ。それは僕がさっき抱いた感想と似ている。要するにお互いに似たりよったりということで、なんか嬉しい。
「ははっ。冗談だって。冗談が通じなくなったら本当に年だぞ。それでつまりこの大会に出て軽く優勝して来いと。ちょっと待てよ今日が七月の二十二だから・・・あと二週間はあるわけだ。登録は前日までだろう。隣町までは歩いて二日の距離。日程的には余裕だな。」
ということは少なくとも数日はニュークオウの町を観光できる計算になる。素晴らしい。生まれてからこの方一度も村の外にでたことのない自分としては、これはもうアドレナリン全開になってしまう。
「よっしゃあ! 爺さんありがとう! テンション上がってきたぁ! もう大会に出たら即優勝だぜ。得意の言生をバンバン使いまくって場が葬式のように白ける位一瞬で全試合終わらせてやる。ふふ。観光に試合。最高だ。最高だぁ!」
浮かれまくる僕を責めないで欲しい。無理も無いことなのだ。僕は典型的な御のぼりさんなのだから。
そして浮かれていた僕にイコ爺はきちんと釘を刺してくれた。抜け目の無い老齢な竜がはしゃぎまくりの僕をこのまま世に放つことなど有り得ないのに、そんなことにも気がつけなかった。
「待て、待て。このわしがお主をただそこらの大会に参加させると思うか。」
僕のテンションはイコ爺の一言で水をかけられたかのように冷めてしまい代わりに頭をもたげたのは警戒心だった。
「何? 俺は信じてるよ。爺さんが、ただ俺をそんじょそこらの大会に参加させてくれることを。爺さん優しいからな。俺は信じてる。イコ爺だいちゅき。」
「ふぁふぁふぁ。信頼を裏切るのは実に甘美な行為じゃと思わんか。」
「異議あり。頼むからその邪悪な笑みをどっかにのけてくよ。寒気がしてきた。」
事実背中の辺りが小刻みに痙攣した。
「まあ、まあ。そう構えるでない。なにも両手に枷をつけて出場しろなんて言わんさ。」
この老人なら本当に言いそうだから怖い。
「この大会中。いやというよりもこの旅の間中、言生の使用を一切禁ずる。」
はっ?
「どうして? ていうか爺さんボケたんじゃないの? 俺言生師なんだよ。言生師から言生を取り上げて何が楽しいんだよ。そんなの料理人から包丁を取り上げるようなもんじゃないか。人権侵害だ。警察に訴えてやる。」
「なお、このルールを破ったならば帰った後、きついペナルティが待っておるから覚悟するんじゃな。それからお主に特別に御褒美を授けよう。ランクBを倒したお祝いじゃ。」
ふぃ、気持ちのいい程無視してくださる。それよりちょっと待て。御褒美ぃ? そんな単語がこの老人の辞書の中にあったこと事態驚きだ。
「大会の会場に行く前にある場所によって届け物をして欲しい。このことに関して質問しても無駄じゃ。聞かれても一切答えん。」
「うわぁ、横暴ぅ。」
ある場所というニュアンスからまた怪しい香りがぷんぷんと匂ってくる。
「それから最後にわしからのちょっとしたお願いじゃ。ニュークオウにはうまい地酒がそろっておる。それを帰り際に四樽ほど買ってきてくれ。」
「ちょ、ちょ、ちょっと。ちょっと待てよ。四樽って四樽だろ。あれは爺さんも知ってると思うけど一つが大人一人分ほどの大きさじゃんか。それを四つも・・・一体どうやって運ぶんだい?」
イコ爺が心底不思議そうな顔をした。
「何を寝ぼけたことを。担げばいいじゃないか。その体はなんのために両親から与えられたんじゃ?」
「そりゃあ、まぁ担げないことも無いけど。じゃあ、金は。金は何時くれるの。」
「そんなもの優勝賞金から捻出に決まっとる。」
開いた口が塞がらなかった。横暴ここに極まる。
「ちなみに優勝できなかった場合。さらにもう一年わしとの特訓に付き合ってもらう。今度はランクB二体。あるいはいよいよランクAと対戦させるのも面白い。」
意気揚々と語るイコ爺に反論する気力は残されていなかった。どの道イコ爺の言うことは自分の中では絶対なのでイコ爺が口にした時点で僕がどうあがこうとそれは揺るぐことの無い決定事項なのだ。
「それからこれをお主に渡しておこうか。」
「まだ何かあるのかよ。」
イコ爺は後ろの引き出しから紙の束を取り出した。端がクリップでとめられていて、その一番上の紙には文字がびっしりとかかれている。
「なにこれ?」
僕はその紙の束を取りぱらぱらとめくる。どぅやらそれは古代文字で書かれているよううだ。
「それはな『禁書』の一節じゃよ。旅の間に暗記するんじゃ。」
禁書
その一言を聞いた途端体内の血液が逆流した。頭に血が上り、考えるよりも早く持っていた紙の束を後ろへと投げ捨てていた。すると紙の束は投げたはずみで留め金が外れたのか後ろでばらばらに四散した。
「おい、爺さん。ふざけるな。」
「何が?」
何が? イコ爺は全てを知った上でそんな愚かな暴言を口にするのか。その本が僕にとって一体どういう意味をもっているのか想像できないほどイコ爺は馬鹿ではないはずだ。
その存在は僕にとってこの世で一番忌むべき書物。
それが禁書なのだ。
「爺さん、まだ禁書を持っていたのか。俺はてっきり廃棄したかと思ってたよ。なんせ爺さんが誰よりも一番その危うさを理解していると思ってたからな。原本は何処だ。今すぐ教えろ。」
「教えてどうする?」
「もちろん廃棄する。あれはこの世にあっちゃ行けないものだ。」
だがイコ爺は僕の言うことに顔色一つ変えず、黙りながらコップに入っている液体をちびちびと飲み続けている。その不遜な態度が勘にさわり、僕はテーブルの反対側に座るイコ爺へと大きく体を乗り出し詰め寄った。
「本に罪はないじゃろう。」
「うるさい。出せ。」
僕は本気だった。力ずくでも奪うつもりでいる。
老人は大きくため息をつく。すると乗り出した僕の体へその細く年老いた手を当てた。
力を加えられた感覚はまったく無かった。が気がつくと大きく吹き飛ばされていた。コース上にあった椅子が吹き飛び、僕は背後の壁へと激突する。
イコ爺から言生力の高まりを感じることは無かった。つまり僕は自分と同じくらいの身長をした、やせ細ったよぼよぼの老人に突き飛ばされ、壁に激突したあげくに呼吸もできぬほどの痛みにもだえているということになる。
言葉を発することもできずに四つんばいになって痛みが引くのを待った。波のように引いては押し寄せる痛みの中僕はイコ爺がこちらに近づいてくるのが分かった。
「だからお主は青い。」
「な、なにが、だよ。」
僕を突き飛ばしておきながら第一声がそれかよ。
「これはお主のためでもあることにどうして気がつかない。リハビリのようなものじゃ。」
「リハビリ? 俺はどこも悪くない。爺さん一体何を言ってるんだよ。」
「果たしてそうかのう。」
老人はしゃがみこむと真近から僕の顔を覗き込んだ。その息は少しアルコール臭く意図的に顔を背けた。
「四年前の事故じゃよ。お主は未だにあの事故から立ち直っておらぬ。」
何を言うかと思えば。
「事故? なに言ってんだ爺さん。あれは・・・あれは事故なんかじゃない。殺人だ。俺が兄貴を殺した。たったそれだけのことだろう。大体立ち直るって何から? 俺はこの通り爺さんに突き飛ばされてなかったら元気だし、一体何から立ち直るってんだよ?」
その事実に関しては長いこと悩んだ。だがそれはすでに僕の心の中で決着がついていることだ。それなのにこの老人は昔のことをねちねちと掘り起こそうとしているのだ。今更何故そんなことをするのか皆目検討もつかいない。
イコ爺は相変わらず真っ直ぐと僕を見てくる。その目は少し悲しそうだった。酒を飲んでいる時イコ爺はいつも上機嫌でにこにこ笑っているのだが、どうしてそんな顔をするのだろうか。
僕には理解できない。というか、
「辞めろ。そんな目で俺を見るな。」
「ふぁふぁふぁ。すまん。じゃがお主にはわしの言っていることにも耳を傾けて欲しいものじゃ。仮にも育ての親なんじゃから。」
「だから何を? 俺の何処にそんな問題があるんだよ。」
「お主は人と接触を持つことを避ける傾向があるじゃろう。その証拠に村の人たちとここ数年、全く交流をもとうとしていない。」
「それがどうした。だってあいつらが俺をのけ者にしてるんだからしょうがないじゃん。それを俺にどうしろってんだよ。」
「果たしてそうかな?」
イコ爺は意味深な返答返しをしてくる。どうやらイコ爺は全てお見通しのようだ。
僕は村人からのけ者にされているわけだがそれは無理からぬことだと自分でも思う。なんせ近所にある小さな学校にも通っていなければ、日々の生活を支えるために特に働いてもいないのだ。ただ朝起きるとどこかへとふらっといなくなり、夜遅くに帰ってくる。もちろん僕はイコ爺の所に通っているのだが、それを村人に話せるわけが無い。
そのため僕の住んでいる小屋は「とち狂いの小屋」とまで陰口を叩かれる始末だ。
「だから向こうが俺をはぶってるわけ。それを俺にどうしろっていうんだよ。」
「それは嘘じゃな。お主が寝起きしている小屋の側にはなかなか世話焼きの老夫婦が住んでおる。その二人が何度か心配してお前のところを訪ねたことがあるが、その時お前はどうした?」
丁重に追い返したよ。
「また村の子供がお前に興味を持って小屋を訪ねたことが幾度かあったじゃろう。その時お前はどうした?」
乱暴に追い返したよ。全てご承知ってわけだ。ははっ、笑える。
「しょうがないだろう。あいつら弱いし、うっとおしんだよ。人の体に血を吸いにくる蚊みたいなもんさ。俺のそばにいたらいつか叩き潰したくなっちまう。邪魔、邪魔。」
「それが本音か?」
イコ爺の鮮やかな銀色の瞳が問いかけてくる。
「そうだよ。」
「そうじゃないじゃろう。」
ああ、もう。
「爺さん何が言いたいんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え。」
「お主は恐れておる。」
「は? 意味わかんねぇ。」
このジジイはとうとうもうろくしたか。
「俺が恐れるのは只一つ。俺より強い存在だ。それ以外に俺が何を恐れるってんだよ。」
「得た物を失うこと。」
予想していなかった老人の静かな一言は僕の心を穿った。それが何故だか理解できず、イコ爺の回答を頭の中で一回だけ反芻した。
がやはり分からなかった。
「故にお主は他人との深い関係を築くことを避けている。それが意識してか無意識のうちにかは分からんがのう。じゃがその根底にあるのは、」
「黙れ。それ以上口を開くな。」
僕の力ない制止はイコ爺の言葉を止めることは出来なかった。
「お兄さんの死じゃよ。」