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第三話 後日談

目を覚ますとベッドの上、

 というのは物語りなどでよくある状況らしいが、まさか自分が当人になってしまうとはおもいもしなかった。視界には見慣れぬ天井があった。天井というより洞窟といった感じだ。寝かされていたベッドの感触を確かめるとそれは僕が毎日つかっているやつより少し固い。だがその固さは何故か心地よく、案外僕の体には固めのベッドが合うのかもしれない。

 帰ったらさっそく試してみようと思った。

 帰ったら? じゃあ、ここは一体何処なんだ?

 本来ならここで勢いよく起き上がるべきなんだろうが、体はどうやら正直らしくそれすらもままならないのが今の僕の状態らしい。

 仕方なく軋む体に鞭打ってのろのろと上体を起こす。

 小さな部屋だった。部屋というより蟻の巣の一室みたいな感じで、ほとんど何も無い。ベッド一つに脇にある腰掛椅子。ベッドと反対側の壁には木製のスタンドがあり、花柄の花瓶に花が生けてある。アヤメ。紫色の垂れた花はこの時期村の何処にでも見かけることが出来た。

 ベッドの脇には窓がある。分厚い粘土層を丸く滑らかに切り取ったような窓だ。故に見ることのできる景色はそれほどよくは無かったが、遠くに村を見下ろすことが出来た。

 点々と存在する家屋の群れは、遠巻きに見ると草原と山と木々の間に模様のように集落を形成している。

 村が眼下に見えるということは、ここは山の中の何処かということか。

 つい呑気な感想を抱いてしまったが、自分がどういう状況にあるのかは相変わらずまったく飲み込めない。

 ここで物語であれば主人公が目を覚ますと同時に都合良く事態を説明してくれるキーパーソンが出現しそうなものだが。しかし首をひねって確認しなければならないような位置にあるドアから誰かがくる気配は一向になかった。

 残念。

 現実はやはり現実ということらしい。

 まぁ、心配せずとも僕が生きているということはお兄ちゃんも生きているということで、今頃お兄ちゃんは事態の全てを余裕で把握していることだろう。おつりと求めて余計なことをしなければいいのだが。

 全く天衣無縫なお兄ちゃんを持つと弟は苦労する。

 仕方なく外の景色をぼんやり眺め時を過ごすことにした。


 それから太陽が四十五度ほど傾く頃に、ようやく扉が開いた。

 足に力が入らず、立てそうに無かったので、ベッドで上半身を起こしながらうとうとしていた所だった。扉の不平とも思える唸り声が僕の意識を覚醒させる。

 見るとそこには老人がいた。

 一目で分かる老人の特徴。顔に深い皺があり、銀色の入った白い頭。深い顎鬚。全身を覆う白いローブを着ているのでこれで先っちょがぐるぐるした長い杖でも持っていれば完璧な魔法使いもとい言生師だ。

「あの、始めまして。こんにちは」

「始めまして。ええと。お主はアドラ君でいいのかな」

 老人の口調に一まず胸を撫で下ろす。その柔和な会話からどうやら危険な人物ではないようだ。

「あの僕。僕の名前をご存知ということはお兄ちゃんと話をされたんですか?」

 この老人とは面識が無い。ということで僕の名前が分かるということはお兄ちゃんとすでに接触したに違いない。子供でもできる推理だ。

「ああ、お主のお兄さんのう。立派な青年じゃ。勇気と行動力のある立派な青年じゃな」

「そういって貰えると嬉しいです。でもご迷惑をかけていなければいいんですけど」

 老人はふと優しく微笑んだ。

「君も立派な子じゃ。若いのに礼儀をわきまえておる。最近は大人ですらマナーがなっていないというのに。いやぁ、立派、立派」

 褒められると悪い気分はしない。

 村の中では結構はみ出し者なので、あまりお兄ちゃん以外の大人と会話することは無かった。だから見知らぬ大人と話すときは心の何処かで構えてしまうのだが、不思議とこの老人には警戒心が起こらない。

「それで。ここは一体どこなんですか? いえ、それよりお兄ちゃんは? お兄ちゃんは今どこにいるんですか?」

「それよりもまず自己紹介しよう。わしの名前はイコ。イコ爺とでも呼んどくれ」

「ははっ。それってなんか不思議な名前ですね」

「イコ爺」が「意固地」のように聞こえて思わず噴出してしまった。

 だが同時に違和感も感じていた。それは小さなしこりだが確かな引っかかりだった。

 お兄ちゃんは何で僕のことをほったらかしているのだろうか。それはいままでのお兄ちゃんの行動からするとあまりに不自然だった。僕にとってはお兄ちゃんが側にいないほうが不自然なのだ。

 お兄ちゃんは僕のことを「うざい」とからかったりするけど、結局いつも僕の側にいてくれて僕の安否を気遣ってくれる。それを少し押し付けがましいと思うこともあったが、今では胸に穴が空いたような虚しさがある。

「イコ爺さん。それで。お兄ちゃんは今何処ですか?」

 やはりこの質問が一番に口をついて出る。僕の中ではここが何処であるかとか、竜はどうなったかとかいった話題は二の次の問題だった。

 老人はゆっくりとベッドの横へと歩き、腰掛椅子に腰を降ろした。その表情は先ほどとは全く違い、少し沈んだような真面目なものだった。

「いいかい、坊や。よく聞くんじゃ。」

「ちょっと待ってください。一体なんですか。その顔。良くないことでもあったんですか。」

 まさか。

「君のお兄さんは・・・・」


「死んだ」


 死んだ。

 死んだ?

 誰が? 何時? 何処で?

 出鱈目に決まっている。

「嘘です」

 嘘に決まっている。きっとお兄ちゃんにでも頼まれて僕を二人してからかおうとしているに違いない。その手にはのらないぞ。

「嘘ですよ。どんなに真面目な顔をしたって僕には分かります。だってお兄ちゃんは無敵なんですから。殺しても死なないような人間ですから。お兄ちゃんは不死身なんですよ。破天荒で型破り。自分の利益を一番に優先するし、何よりも僕のためなら、」

 はたと言葉を失う。

 お兄ちゃんが唯一自分の益よりも優先するもの。

 それは僕。

 僕のためなら。

 途端に胸が締め付けられた。息が苦しくなり、それにともない呼吸が浅く短くなる。は、は、は、とその小刻みに繰り返される呼吸は唯一僕の耳に届く音で、老人が目の前で何事か口を開いているが理解できない。

 全身から汗が噴出し、全ての毛穴が弛緩していく。

 脈が速まるのが自分でも分かった。脳みそを揺らされるような感覚に上下感覚を失う。世界が壊れていく。


 僕を取り巻く世界が跡形もなく壊れていく。


 老人により僕の口には何かを当てられていた。すると次第に呼吸が楽になり、気の遠くなるような時間が経過するにつれ僕の意識は自分の物へと戻っていく。

「過呼吸じゃな。無理も無い。」

 老人は僕の口に袋のようなものをあてがっていたようで、老人の手から袋を受け取り、落ち着くまで袋の中で呼吸を繰り返す。

「お主が持っていた本。あれは禁書じゃな。」

 確認するような問いかけてくる老人に対して虚ろな目を向けた。

「『禁書』の詠唱も後半にはいると補助系の言生が全く通じなくなる。故にわしは荒っぽい手段をとることしかできなかった。大地を揺るがす言生。それをもって強制的にお主の詠唱を辞めさせるしか方法が残されとらんかった。でないと近隣にある生態系に取り返しのつかないほどの多大なる損害を与えてしまう。何せ半径二百メートルなどという桁外れの有効範囲を持つ言生じゃ。それにまだ若いお主を死なせとうは無かった」

「あなたは一体」

「分からんか。ほれ、ほれ」

 自らを指す老人の顔をじっと見つめた。すぐに注目を集めたのはその目だった。

 深い銀色の瞳。

「あなたは」

「ああ、そうじゃ。この山に住む竜じゃよ」

 言うと同時だったと思う。僕の行動は反射の領域に達していて自制することなど不可能だった。気がついたら老人の胸倉を力いっぱい掴んでいた。

「あなたが。あなたが殺した! 僕の大切な家族を!」

「ふむ、果たして本当にそうかな」

 胸倉を摑まれ強く引っ張られているにも関わらず老人の態度は冷静そのものだった。

「どういうことだ。殺したのはあなただ」

「ふぁふぁふぁ。またおかしなことを。わしがお主を止めていなかったらどうなっていた。お主は自分の兄を地上最悪にして最強の言生で手にかける所じゃったんじゃぞ。」

「そ、それは」

「わしが炎を吐いたとき、お主のお兄さんは確かに生きていた。わしは瞬時にお主のお兄さんの実力を見抜いていたよ。さっきも言ったじゃろう。勇気と行動力のある立派な青年だと。炎を難なくかわしたお主のお兄さんは隠れて反撃の隙をうかがっていたようじゃ」

 そんな。それじゃあ僕は。

「お主はお兄さんがわしの炎に巻き込まれ死んだと勘違いした。もっともそのことであまり自分を責めるのも酷かもしれんな。何せお主のお兄さんは速力の言生を受けていたようじゃからのう。そのスピードは常人の域を超えておった。お主がお兄さんの姿を見失うのも無理はない」

 勝手に暴走して。

「でも。お爺さんは僕たちのことを食べるって」

 蚊のような小さな声で口ごもる僕に老人は大きな笑い声をもって返答した。

「ふぁふぁふぁ。それこそ傑作というやつじゃ。お主は竜が人を喰らうなどという話をきいたことがあるのかい」

 僕は力なく首を横に振る。

「そうじゃろう。ちょっとからかってやったんじゃよ。それにわしからしてみれば酷いのはお主等のほうじゃ。わしを殺してこの身を切り刻み、高く売りつけようと算段しておったじゃろうに」

 何故そのことをとばかりに老人の顔を見ると、老人は耳をとんとんと指で軽く叩いていた。

「竜という生物はのう、嗅覚だけでなく聴覚もすぐれておる。さてここでお主に問おう。一体悪いのは誰じゃ。お主を止めようとして地の言生を唱えたわしか? はたまた兄が死んだと勘違いし全てを消滅させてしまおうと禁忌の言生をとなえようとしたお主か? それともわしの身を切り刻みにきた強欲な兄弟か?」

 老人の言葉に僕は胸をえぐられる思いだった。気力も胆力も全て老人の言葉へと吸い取られてしまう。

 老人はゆっくりと僕の耳へとその年老いた顔を寄せた。

「あるいは自らの危険を顧みず最愛の家族を救おうとしたあの青年か? お主は誰に最大の罪があると思う」

「分かりません。でもお兄ちゃんは悪くない」

 そうか、と老人は静かに頷いた。

「一人にしてもらえますか」

 一人になりたい気分だった。老人は何も口にすることなく立ち上がり僕に背を向けた。

 お兄ちゃんが死んだ。

 その事実は僕の胸を相変わらず締め付けている。細い釘を幾本にも渡りつきたてられたかのように痛み、荒塩を塗りこまれたかのように尖った事実が染み渡る。

「お、お爺さん」

 僕はドアの取っ手に手をかけようとしていた、ぐにゃぐにゃしている老人を呼び止めた。目の奥がツーンとして痛かったが、かまわずまっすぐその老人がいるであろう方向へと顔を向ける。

「お兄ちゃんは最後に言ってました。情けない顔するんじゃないって。さっきのお前は良かったぞって。最高に格好よかったって」


 だから、これからはお前一人でやってみろ。


 俺はもう知らん。


 最後の言葉は音を成さず、ぐずる鼻水と涙声で別の国の言葉のように曖昧だった。それでも老人は再び「そうか」とだけ優しく頷いてくれた。

 それ以上の言葉も無く、それ以下の言葉も無い。ただただ僕の気持ちを黙って受け止めてくれた老人に僕は心の底から感謝した。

「あっ、」

 扉が閉まる音がして、

 繋がっていた感情の線が再び切れる。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」

 後に響き渡った絶叫と嗚咽と涙声は一体誰のものだったのだろうか。

 僕には分からない。

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