第十五話 第二試合
「さーって、本日の第十戦。いよいよベスト四をかけた順々決勝だぁぁぁぁぁぁ。向かって左は今大会初出場。神秘的な笑顔で相手を沈める、破壊の女神。美帆ぉぉぉぉぉ、中山ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
司会者兼審判が会場を盛大に煽るとそれに呼応するように人々が一段と高い声援を送る。会場には「中山美帆命」といった類の横断幕がホテルのバルコニーのように無数にあり、僕は少女と同条件のはずなのにアウェイの空気に包まれていた。
そんな観衆に対し美帆は両腕を天高く上げながらそつなく笑顔を振りまく。つくづく女優だと思う。今大会の主演女優賞は間違いなく彼女だろう。もしまかり間違ってそんな事態になれば、僕は必ずあの雌ヒョウの裏を洗いざらい告白した暴露本を出版してやる。
ミリオンセールは必死だ。
「対する対戦者はぁぁ、こちらも今大会初出場にして若干十四歳ぃぃぃぃぃ。純白の刀はついにその刃を見せることとなるのかぁぁぁぁ。アドラ・バティックぅぅぅぅぅぅ」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
やる気お欠けらも無く適当に手を振っていると方々から「美帆ちゃーん、ぶっ殺しちまえぇぇぇぇぇぇ」だとか「田舎に帰れれれれれぇぇぇぇぇ」だとか、ついには「お前の親父はでべそぉぉぉぉぉぉぉ」なんて全く適当な野次まで飛んでくる始末だ。
まったくもって笑える。つまりこの試合に限って僕は完全にヒールという訳だ。
「よっしゃぁ、」
悪役上等。
腕を前で力強く突き合わせながら小声で気合を入れる。小声の時点で駄目駄目なのだが。
リングの中央へと歩み寄る。そこに少女がいた。相変わらず黒い制服に身をつつみ、その表情からは緊張は感じ取ることはできない。むしろわずかばかりぼぅとしている感がある。
「私昼ごはん食べると眠くなるのよね」
僕と美帆の間に審判が入り、細かいルールの確認を行っている。二人はこれをまったく無視していた。
「その刀、今日は抜くの?」
「はい?」
「だって刀は人を切るためにあるものでしょう。なのに刃を収めたまま戦いに望むなんて間違ってる。ましてそれが、」
大きなお世話だった。腕を組みながらなるべく相手の話を聞かないようにする。
「ましてそれが竜刀ならば、なおさらもったいないわ」
「えっ?」
「だからそれ竜刀でしょ。竜の牙から鍛えられし刀。」
「どこ、」
言葉を飲み込む。その先を言ったら完全にアウトだ。言生が使えない今、なるべく人々にその存在を知られたくない。多勢に無勢ともなると何が起こるかわからないからだ。コウギさんの言うとおりリスクはできるだけ排除したい。
だが美帆は僕の反応を見ただけで満足したようだ。
「中山美帆14歳。趣味は骨董品の鑑賞と収集。ってそっか、あんまり人に知られたくないのね。その気持ち分からないでもないわ。竜刀って結構便利なのよね。鞘は魔法を弾くから縦になるし。それに刃に魔法をこめると不思議な力を発揮するとも言われている」
「言生だ」
「何?」
僕は憮然として黙り込んだ。
「何よ。言いたいことがあるならはっきりと言いなさいよ。私は言うわ。だって、じゃないと人生もったいないから。人間の寿命なんてあっと言う間よ。それなら私は後悔しない、悔いの残らない一生を過ごしてやるわ。だからあなたに言っておきたいことがあるの」
なんだ。好きですぅとかあなたがいなきゃ死んじゃうとかだったら、悩んだ振りをしながらも快く了承してやろう。ふふっ、仕方あるまい。
「もし私が勝負に勝ったらその刀頂戴」
「はっ?」
待て、待て。どうしてそうなる。
「どうして。だってこれは刀だろ。げ…魔法使いには不要の長物だろ」
「そうでもないよ。さっきも言ったでしょう。刀の鞘には魔防力があるって。だから欲しいの。それに魔法の方向指定にも便利だしね」
「ってことは君は飛ばせるんだ」
この一言に少女は目を少しだけ見開き驚きの表情を浮かべた。初めて見るその表情には飛びつきたくなるような愛嬌が遺憾なく含まれている。
一方僕は自分の失言に後悔した。
「驚いた。あなた魔法にも精通しているの?」
「え、いや、その。まぁ」
魔法、もとい言生を唱えるためにはいくつか手順がある。ざっくりと説明するとそれは詠唱と指定の二つの段階が必要のだ。
まずは詠唱で自分の言生力を練り目的の種類へといわばその色を変えていくのだ。誘惑系や操り系。直接攻撃などその種類は様々。
次にその練り上げた言生力を対象に伝える手段を選択する。一番楽なのが相手に触ること。相手に直接力が流れ込むので一番ポピュラーで簡単な方法だ。後は手や杖など何らかの方法で言生の方向と規模を指定し文字通り飛ばす。
言生を飛ばすためには高度な技術を必要とし、より速く、正確に飛ばすには長い修練を必要とする。一般的に考えても美帆位の年齢でそれができるのは優秀といっていい。
ここで問題となるのは飛ばす言生のスピードだ。
飛ばす速さが、加筆する必要も無いかもしれないが老人が歩くスピードとチータが全力で走るスピードでは全く状況が変わってくる。
「へぇ、伊達にいい刀をもっている訳じゃないのね。少し見直した。私は今千年樹の一番古い枝の杖を使っているんだけどどうもしっくりあわなくて」
美帆は胸元からタクトのような細い杖を取り出した。周囲から一際大きな歓声が上がったのはこの際無視するとして、僕はまともに視線を合わせることが出来ず、反射的に目を明後日の方向へと向ける。
「これ、これ。どうにも習慣化がしっくりとこないのよね。だからそれ頂戴。私が勝ったら」
あどけない表情で無茶な要求を突きつけてくる。こんな試合開始直前に物品の交換交渉だなんてまったくいい度胸をした少女だ。
「もちろんあなたがそれを賭けるのなら、それ相応のものを私も賭けるわ」
「知るか」
危ない、危ない。もうすでに小悪魔の作り出す流れの渦中に飲み込まれようとしている。気を引き締めなければ、
「賭けるものは私」
「はっ?」
ワタシ?
「そう。私を好きにしていいのよ。もちろんアドラが勝てたらの場合だけどね」
美帆は両手を腰に乗せ、少しだけ前かがみになりながら、誘惑するように僕を射すくめる。
そんな、
でも。
それは。
…
……
………
でへっ、いいかも。
「じゃあ、交渉成立ね」
脳内が桃色で一色になる中、はっと目覚めるとすでに勝手に賭け事は成立していた。
ちょうど審判の長い説明が終わったようで、僕はリングの隅へと下がるように指示され、神様の気まぐれなのか抗議の意思を示すことすらできなかった。
「よし、完璧」
美帆は相手が自分の罠にかかったことを十分に確認すると後ろを振り返り小さくガッツポーズをした。アドラと呼ばれた少年が腰にさしているのは間違いなく竜刀だった。
それは以前書庫の古本の一つで見たことがあるので間違いない。美帆は骨董品の類には目が無いのだ。
審判の指示に従い、リングの端へと戻る。
ちょろいお子様だが好きにはなれそうにない。田舎っぺ丸出し。ださいし、見た目は悪くは無いが何より弱いことが致命的だ。おまけに純情と来た。美帆は今時はやらないよと言ってやりたくなったくらいだ。
美帆は歩きながらも魔法の詠唱を開始する。
もうこれはただの勝負ではない。何せ古書にしかのっていない珍品中の珍品である竜刀がかかっているのだ。念を押して勝利を百パーセントにしときたい。
「黒き野獣よ。契約に従いその力を持ち、敵を打破し真に強い相手を打ち負かさん」
ピタッと足を止めると目の前が光り始める。観客の歓声が遠のき、美帆以外の他の誰もが気がつかない程度の微風が巻き起こった。
六亡星の魔方陣が地面に浮かび上がる。その中央からは見慣れたシルエット。二つの耳が浮き出し、ついで黄色く細い瞳が現れた。全身は美帆が着ている制服と同様に漆黒の闇色で、尻には尻尾がついている。
それはどこから見ても猫だった。まだ成人しきってない黒い子猫だ。その姿が完全に地上に現れると美帆はその生物に向かってだきつく。
「クロスケェ。会いたかったよぅ」
美帆に軽く抱き上げられると、クロスケと呼ばれた猫は両足をだらりと下がるのも気にせず、やや呆れ気味に、
「もう。僕としては突然のお呼び出しは辞めて欲しいな。せっかくおばあさまが御本を読んでくれるところだったのに」
クロスケは主と共鳴するように眠たそうに返事をする。
「はにゃ? もしかしてクロちゃん怒ってるの?」
「別に僕は怒ったりなんかしないさ。ただ早く戻っておばあさまの読む御本を聞きたいだけだにゃ」
最後の言葉には欠伸のようものが交じる。
「はい、隊長。ささっと片付けて御本読んでもらいましょうねぇ」
クロスケの言うおばあさんとは猫の眷属の頂点に君臨する二十又のお銀のことだ。弱い三百にして強大な力をもつおばあさんに美帆は一度だけ会ったことがある。その眼光はとても年老いた獣のものとは思えず、背中につめたい汗を浴びせられたのを覚えている。
そんなお銀も末の曾曾曾孫であるクロスケだけにはべたべたに甘いとか。まったく猫の感情は理解できない。クロスケが可愛いことは否定できないが。
「相手ってあの人?」
「そう、そう。クロちゃん、二人でぱぱっとやっつけちゃおう。漆黒のダブルキャットの二つ名にかけてね」
勢いを演出するため力強く片腕をあげ、憎っき敵を子猫へと認識させる。だがその演出とは裏腹にクロスケは乗り気じゃない返事をした。
「僕は辞めといた方がいいと思う」
「どうして? 眠いから?」
いつもとは勝手の違うクロスケの様子に美帆は少し戸惑った。
「そうじゃないの。相手が悪いよ。あの人相当強力な言生師なのにゃ」
「はい?」
ゲンショウシという単語に美帆は首を傾げる。
「ああ、美帆りんには魔法使いって言ったほうが分かりやすいかもしれないね」
「ええ。クロちゃん何言ってるの。あいつは剣士だよ。予選も一回戦も剣術しか使ってないし、そんなことありえないよ」
ゲンショウ。そういえばアドラは試合開始前にそんな単語を口にしていた。
「にゃん、にゃん。背景は僕にもわからないけど……でもこうやってじっと目を細めると溢れる言、魔力を見ることができるの」
クロスケを見るとその細い目をさらに薄らと細めている。美帆もそれにならったが、子猫の見ているものを美帆が感じることはできなかった。
「でもクロちゃん。あいつが魔法を使ってないのは事実なんだけど、」
「まさか美帆りん、例のごとく賭け事とかしてないよね」
「うっ」
美帆の表情が曇ると、クロスケは発達してない前の手の肉球を見せながら頭を抑えた。
「何を賭けたの?」
「それが、ごにょごにょ」
「?」
「自分を賭けました。すいません」
クロスケがにゃーと大きくため息をつく。
まさか相手がそこまでの実力者だとはつゆほども思わなかった。完全に戦士だと思い、腰に宝をぶら下げた羊のように考えていた。それにしてもクロスケがここまで評価する人物とは一体どれほどの人間なのか。
「どうしよう、クロちゃん。わ、私のバァージンが。いやでも二人がかりなら余裕でぶちのめせるわよ。だって、だってそうでしょ、あんな田舎者なんかに私たちが負けるわけないじゃない」
「もう、知らない。」
そう言うとクロスケは美帆の胸から石の地面へと降り立った。クロスケはそれを少しなごり惜しいと思ったが、主に自覚を促すためには仕方ないと幼い頭で考える。
審判が何事かを忙しく話し合っている。どうやら試合は少し遅れているらしい。
空には雲が広がり、今日もいい天気だった。ドーム型の会場は天井など何も無く、若干傾く日が観客のほとんどを照らしている。
人間とは愚かな生き物だとクロスケは思った。
「でも美帆りんは別だからね」
その主は今やクロスケの後ろで頭を捻り何事かを考え込んでいる。落ち込んでいるかと思ったがそれは大きな取り越し苦労だったようだ。だけどこのままでは確実に負けてしまうだろう。それを可憐なご主人はまったく理解していないのだ。
「しょうがない。美穂りん、ちょっとこっちに来て」
クロスケの命に従い美帆は子猫へと近寄った。
「まず美帆りんの話を前提として話を進めるよ。相手が魔法を使わないってう仮定の上にね」
それは不確かな情報だが、クロスケにはある確信があった。先日の話だ。おばあさまの元に古いお友達がきていたのだが、おばあさまは珍しく陽気に笑い、そして同じくらいお友達も会話を弾ませていた。
その会話の中の一説がこうだ。
(うちの不肖の弟子をこの度、隣町の大会に出すことにしましてのう)
(あら、あら。それは素敵ですね)
(最近天狗になっとるんで、言生を禁止してやりましたわ。もっともそれでも十分強いところが頭の痛いところですがのう。ふぁふぁふぁ)
そうだ、あの少年に違いない。
それはかなりの確立の高さだ。何せ竜の牙でできた刀をもっているのだ。それがなによりの証拠であり、動かぬ事実。
ご主人にはまだ今のままでいてほしいとクロスケは思っていた。そして美帆の潔白を保つために、ここは自分が一肌脱ぐしかない、というのが忠信な子猫が抱いた感想だったのだ。
十分遅れで、戦いの合図が鳴り響く。
いつの間にか美帆の脇には子猫がいた。真っ黒な全身に少し長い尻尾がバランス悪く見える。その姿を見て僕の中に警戒心がつのる。
猫類の精霊獣は幻惑系を得意とする。いわゆる幻といった類の言生だ。
こういう場合こちらが取るべき王道は相手が使ってきそうな補助系の言生に対して反唱をあらかじめ唱えておくことなのだがそれも今は無理だった。
何を隠そう僕は言生と名のつく一切の行為は悪の権化によって禁止されている。
ということで僕が今絶対に取らなければならない行動が二つ。一つが相手に絶対直接触れないこと。言生師との戦闘において相手の言生師に触れられるなんて論外だ。
もう一つが相手の言生のタメと飛ばしを読み、言生をかわすこと。特に子猫のほうは絶対に目を見ては行けないとイコ爺がくれた教書にさえ記述がある。
だが二対一という状況が厄介だ。
そう考えながら相手へと走りこむ。とにかく距離を詰めなければ話にならない。すると子猫が天高く跳躍した。
ここで重要になってくるのが相手の言葉に耳を済ませることだ。詠唱の内容によって言生の種類が推測できる。このように戦いの場面において言生師が必ずしも有利とは限らない。その戦闘スタイルにはむしろ多くの弱点を内包している。
耳に全神経を集める。子猫の呼吸音すら見逃さないほどに。
「に、」
に?
「にゃん、ににゃににゃにゃんにゃんにゃんにゃん!」
意味が分かりません。
咄嗟に大きく右へと飛びのいた。
この判断は正解だったようで、前方の地面が大きく盛り上がった。まるで短い時間に山が出来上がったかのように地形が隆起し、子猫の主人との間に荒々しい壁が割り込む。
すぐに体勢を立て直したが、その岩肌を前に僕は唖然としていた。高さは凡そ六メートルほどか。むき出しの岩は概ねとがっており、前方へと飛び出していたら串刺しとなって死んでいた。
「誰だよ。猫が幻惑系を得意とするって書いた奴は。訴えてやる。猫の地位を不当に貶めやがって」
呪詛を呟きながらも全力疾走する。
目の前には突然小屋のような障害物があらわれ、リングの環境は大きく変容している。
壁際を伝いながら反対側を目指した。何せこちらには直接攻撃しかないのだ。相手が見えなければ戦いようが無い。
「くそっ」
幾度目かのぼやきを口にしたとき再び子猫の高い音程が聞こえてきた。
目の前の地面が競りあがり、とっさにバックステップでかわす。地面が盛り上がるのをみたのは本日二度目だが、僕の行動範囲は確実に狭くなった。
Lの字をした岸壁と場外によって袋小路に追い詰められたことになる。急いで回れ右をして反対側へと走る。そこに美帆がいた。試合の開始時に見せていた小振りの杖をこちらへと向けながら凛とした様子で立っている。
悪いことに少女の体の中ですでに言生力が高まっており、後は発射するだけの状態で僕と向き合っている。
攻撃系か補助系か。
リングの外に逃げようかとも思った。だが寸での所で自らリングの外に逃げたら失格とみなされてしまうことを思い出し場外への避難を思い留まる。
ここで僕は猫の姿を見失っていることを思い出し、あまりにも考慮すべきことがおおすぎたためについ周囲へとその姿を探してしまった。
「…を捧げよ」
あちこちへと気を散らしている間に美帆はすでに言生を唱え終わる。目には見えないが相手は言生を飛ばすことができるので、確実にエネルギーの塊はこちらに向かってきているはずだ。
右には壁、後ろにも壁。前からは言生。有効範囲不明。速度不明。
なら
「俺は前に出る」
とっさに鞘ごと刀を抜いた。駄目もとというやつだ。どうせ負けるなら玉砕もまた善しと考えたのだ。
だが前へと突き出した刀は美帆に触れる遥か手前で突然光り出した。何かを感知し、吸い取るかのように光を鞘の中にとどめている。
竜の鞘には言生に対する防力がある、というのはどこで聞いた話だったか。
思い出せなかったが、遮二無二そのまま前へと突っ走った。美帆の驚きの表情が見る見る近くなる。後は何と言うことは無かった。
刀の柄を美帆の鳩尾へと軽くぶつける。
それだけで美帆は子猫のようなうめき声を上げ、やわらかい感触が僕へと寄りかかってくる。
「勝者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。アドラぁぁぁぁぁぁぁぁ、バティックぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
ジャッジが声を張り上げると一斉に歓声が巻き起こる。
どうでもいいが、審判か司会かはっきりしてほしいものだ。