第十二話 大会開始
大会の朝。
僕は安宿の一室から外を眺めていた。
今日から始まる三連休に合わせるように開催されるこの大会には多くの人が集まるようだ。それだけこの大会はこの町にとって目玉であり、それなのに大会参加者に対して昨日おばさんのように選手をぞんざいに扱うのはどうかと思ってしまう。
見下ろす正面の道は人だらけだった。それこそ蟻一匹通ることができないと思うほどの密集具合。
人、人、人。そしてまた人。
刀を自分の腰にさしながらあきらめたように大きな息を吐き出す。どうやら僕はこの人ごみの中を大会会場まで歩かなければならないようだ。
僕の宿泊した宿はいたって質素ものだった。部屋はあまり広くないが一人者にはそれで十分だった。扉には誰でもこじ開けられそうな簡単な鍵がついており、家具はベッド、小さな物置、服をしまうタンスの三点しかない。床にはぼろぼろで擦り切れそうな絨毯が一枚。
茶色と黄色に変色した白いベッドは見た目より案外寝心地が良かく、そのおかげか夢のたぐいを一切見ることなく宿屋の店主に起こされるまで、僕は熟睡していたことになる。
料金は二千ゼル。
我ながら安いと思う。人が殺到するこの時期によくこれだけ格安の部屋がとれたものだと最初は自分でも疑問に思ったが、何のことはない。大会に参加する選手には優遇措置をとる宿が多いのだとか。例えば選手の部屋を確保するためにこの忙しい時期にあえてなん部屋か空室を残しておくとか。例えば選手に対して宿泊料金を割安に設定するとか。例えば朝夕の食事を無料にしてくれるとか。
何故町の宿屋は大会参加選手にそこまで良くしてくれるのか。
そのカラクリはシンプルで自らの宿に宿泊している大会参加選手がまかりまちがって優勝した場合、選手の宿泊した宿も定食のおみおつけのようにセットで有名になるからなのらしい。
故にこの時期は多くの宿屋がより優秀な選手を自分の宿に招待しようと躍起になるようで、僕もその役得にあやかることができたのだ。ようするに僕は宝くじの券のようなものなのだろう。どんなに味噌っかすに見えても券は多ければ多いほどいい。
宿泊した宿屋の店主はこの上なく親切なサービスを提供してくれた。併設された食堂でも格安で食事ができたし、なによりすれ違うたびに「明日はがんばってくれよ」と下町の商売人よろしく威勢良く応援してくれる。
部屋はあまり広くないが一人者にはそれで十分だった。鍵つきの部屋はとてもシンプルで、ベッド、小さな物置、服をしまうタンスの三点しかない。床にはぼろぼろで擦り切れそうな絨毯が一枚。
軋むドアを開け、階下へと緩やかな螺旋状の階段をおりるとロビーで声をかけられた。
「おっ、もう行くのかい」
「ええ。朝食もとったし。それに十時には集合しろって話しだから」
今が九時ちょうどだから今出れば余裕で間にあうはずだ。そして昨日と違って町の大まかな地図は頭の中にすでにインプットされている。
「そうかい。がんばりなよ。そりゃ、優勝は無理かもしれない。でもせめて今日の予選で勝ち抜いてベスト十六に入れれば、それだけでうちの宿もちったぁ客の入りがよくなるだろうよ。プレッシャーをかけるわけじゃないが、がんばれよ坊主」
でっぷりとした腹を揺らしながら迫ってくる店主には言葉とは裏腹に並々ならぬ期待を感じ取ることができる。その良くも悪くも裏表の少ない性格に僕は好感を抱いていた。
「期待に応えられるようにがんばるよ。それにここの飯はうまいから、明日も明後日も食いたいしね」
「がはははっ!そうだ、そのいきだ。気をつけていきな」
押されるような豪快な笑い声を後に僕は宿屋の両扉を押して通りへと出たのだった。
予想通りになることがいつも幸運だとは限らない。例えばカラス鳴き声に不吉なものを感じて、帰ると身内が事故にあっていたとか。予想することは必要だが、僕なんかはそれが当たってしまうとかえって拍子抜けしてしまうタイプだ。
そして今もがっくりとする。
宿から見えた人ごみは、闘技場に近づくにつれ加速的に収束する。
最初は秒速一歩だった移動速度も今では赤ん坊のハイハイよりも遅いものとなっていた。行く手を阻む人の山。小さな子供から背中の曲がった老人までその年齢は様々だ。どちらかと言うと男性の方が多いような気がしたが、僕が見ているのは大きな池の一滴のような人数なので一概には決め付けることはできない。
闘技場の周辺では今日は出店がまったく出ていなかった。おそらく通行の妨げになるので撤退しているのだろう。それでも道は混雑しており、方々から迷子と思しき子供の泣く声がする。
昨日出会った高飛車な少女は「こんな田舎の大会」といったニュアンスの言葉を口にしていたが、これが田舎だったら都会とはどんなところなのだろうか。これ以上人がいる場所など経験不足の貧弱な頭では想像もできない。
ようやく闘技場の外郭が見えてきたころにはすでに集合時刻十分前だった。当初予定していた余裕などとっくに何処かに消し飛んでしまっている。するとぐいっと腕を掴まれる。
「えええっ」
こんな所でからまれてしまうのだろうか。
最悪の事態が脳裏に浮かんだが、視線の先には見慣れたてかりがある。芸術のように丸いスキンヘッド。
昨日、僕にからんで返り討ち。その上道案内をさせた男だった。今日はサングラスをしてそのいかつさはさらに増しているが、僕はこの男が決してそこまで極悪非道な性格をしている訳ではないことを知っている。
「兄貴、遅いっすよ。」
まだまだ年上からその敬称で呼ばれるのには違和感もあるし、抵抗もある。だがスキンヘッドはその大きな体で人を押しのけへしのけることにより、移動速度を飛躍的に向上させる。
ようやく引っ張られなくなったと思ったら、いつの間にか人の密度が二桁は違う空間へと辿り着いていた。そこは建物のへっついのような場所で、横にある看板には「大会参加選手集合場所」と大きな文字で書いてある。
「ここです、兄貴」
「だからその呼び方辞めてくんない。めっちゃ違和感があるんだけど」
「いえ、いえ。兄貴は兄貴です。それより急いで下さい。どうやら他の参加者が奥へと移動し始めたようですぜ」
みると確かに人垣が通路の奥へと移動している。形としては楕円形をした闘技場の中心へと向かう格好だ。くすんだ遺跡のようなアーチ状の通路は時の経過を感じることができた。
「俺はてっきりもっと小さな大会かとおもったけど、中々の規模だよな」
「そりゃあ、他に道楽がないからですよ。この近辺の村々からも大勢の観覧者がきているみたいですけどね。それより急いで下さい。後武運を祈っています」
確かにすでに他の参加者と思しき集団と僕は大分距離が開いていた。急いだほうがよさそうだ。
僕は短くスキンヘッドに礼を言うと、あとを追うように駆け出した。
「え、てす、てす。それでは今から競技について説明します。まずは予選ということで、皆さんにお配りしたナンバーを見てください。それがあなたの登録番号です」
自分の胸を見た。
百二十三。
微妙な数字だ。
「選手の控え室に予選組み合わせ表を張っています。多いブロックで最大八人。厳密な抽選をもって各ブロックに皆さんを振り分けました。なお当委員会では、この振り分けについての一切の抗議を認めませんので予めご了承ください」
頷きながら前方にある大きな扉へと視線をやる。背丈はおよそ自分の三倍。その奥からは観衆が大きくざわつく声が聞こえてくる。
「つまり皆さんはAからPまでのブロックに振り分けられる訳です。皆さんはもうご存知かもしれませんが、闘技場の中には三つのリングがあります。呼び出しがありますので、呼ばれたブロックの選手の皆さんは指定された一から三のいずれか呼ばれた闘技場へとお進み下さい」
そして合図とともにバトるということか。
中々の強行スケジュールだが、これだけの人数を三日間で篩いにかけるとなるとそれ位強引に選定を行なわなければ難しいだろう。
八人のブロックと当たれば一対七の勝負になる。それは単純に強ければ勝てるというものではなく、戦略や駆け引き、あるいはそれすらも凌駕する圧倒的な実力が要求される。
驚くほど平等だし予選を通過する可能性は誰にでもあるということだ。
「では、今から開会式を行いますので選手の皆さんは指示のあった通りに整列して中へとお進み下さい。村長から訓示を賜ったのち、控え室へとご案内します」
自分の体に緊張が走り、体が少し硬くなるのが分かった。
「それでは、皆さん。今日は一日精一杯殺しあってください」
小太りした司会者の声と共に扉の真ん中に光の筋が入る。溢れこむ光に僕は思わず目を細めた。
AからPに分けられたブロックに選手の名前。
僕はどうやらPブロックに振り分けられたようで、同じブロックにいる選手は八人。一桁の番号が一人、二桁が五人、三桁が二人。
つい今しがたPブロックの選手が呼ばれ、僕は今こうしてリングの上に上がっていた。
三百六十度に渡って周囲に広がる景色は人だらけだった。幾層にも並ぶ人の列は空高くまで続き、顔が数千という単位で数珠のようにつながってみえる。よくもまぁここまで暇な人間が集まったものだ。
こうして衆目にさらされる僕はさしずめ客寄せパンダと同じで観客は僕を一個の人間とは見ていないに違いない。これはいわゆるショーなのだ。ショーにリアルに感情を移入する者などいるはずもない。
腰丈までせり上がった丸いリングは全部で三つ。僕はその一番端のリングにいた。残る二つのリングではすでに試合が行われている。
僕を除く六人はその姿格好から戦士やら格闘家らしい。腰に長い物を下げる騎士や青光りする青銅の鎧を着た騎士。それに上半身むきむきの見るからに格闘家タイプの選手など様々だった。
その中で一人だけ言生師がいる。
何故それが分かるか。これはもう一目で分かったのだが、その姿が昨日遭遇した、はっちゃけ少女と同じ制服だったからだ。少しぼっちゃりとしたメガネをかけた少年。リングの上をうろうろしながら終始咳き込んでいる姿は不健康そうだ。
制服という観点において唯一違うのはその色だろう。昨日の少女が絶望的な黒を着ていたのに対して、少年は深色の緑の上着にグレーのズボンを履いている。
「それにしてもいい加減初めて欲しい。」
恥ずかしくて死にそうだ。
周囲から伝わってくる何千という人間の熱気が僕から少しずち冷静さを奪ってゆく。僕はこれだけの人間に出会ったことも無ければ、その前に立ったこともないので自分でも無理も無いと思う。
だけどこれ位の感情の揺らぎなら想定の範囲内だ。むしろちょうどいい。
ふと隣、中央のリングへと視線が向いた。
そのリングではすでに試合は始まっていたはずだ。
しかしリング上にいる五人は全く動いていない。時を止められたかのように固まり、不自然な格好のまま身動き一つしていない。
剣を振り上げた姿勢で
腰を落とし目の前の人物を切ろうする姿勢で。
突っ立ったままの状態で。
一体何が起きたのだろうか。
よく見ると一人だけ動いている人物がいる。その人物は少し鼻歌交じりに後ろで手を組みながら固まる戦士たちの間を縫うように進んでいた。
「あいつ」
高飛車少女だった。とうことは疑いようも無くリング上のそのほかの選手は言生をかけられたのだろう。相手を麻痺させる拘束の言生といったところか。
少女は汗一つかくことなくその空間を支配していた。固まる戦士を乱暴に掴みリングの端まで引っ張るとゴミのように無造作に場外へと投げ落とす。
その行為に僕は眉を潜める。人をまるで物のように無造作に扱う少女に対してだ。
少女がこちらを向いた。その動作には何の脈絡も無く、まさか僕の心の声を聞き分けた訳もあるまい。
少女がニヤっと口元を緩めた。「どう私強いでしょ」と自慢するような実にいやらしい仕草だ。明らかに僕を見下しているのが分かるり、それは少女の意図するところだろう。
ちょうど開始の合図がなる。
少女の呪縛に僕もかかってしまったのだろうか。僕の体は踊るように熱く、熱く、何よりも戦いを欲していた。
リングの中央付近にいた僕はすばやく考えをまとめ、行動を起こした。
開始の合図とともにすぐさま円の淵へと走りこむ。中央にいると前後左右から遠慮の欠けらもなく攻撃されてしまう。余裕だとは思うけど、念には念を押して戦略的にはまず端に行くのがベストだろう。それもただ闇雲な方向につっ走ったわけではない。
まず最初に片付ける相手。それは誰がどう考えても言生師だ。走る間に一発攻撃が降ってきたがこれを難なく交わし、小太りした少年の前で立ち止まった。
「え、え、あっ。縛れ、汝・・・、」
後半の件を聞いてみたかったがそれはかなわない。少年の腹に渾身の一撃を加えると、少年は口から大量の唾と共に嗚咽を漏らし場外へと吹き飛ぶ。
後六人。
顔や服にとびちった唾液はこの際無視だ。体を転換するのと刀を鞘ごと抜く動作を同時に行う。
目の前に青銅の鎧を纏った戦士がいて、まさにその剣を振り下ろそうとしていた。少年の所に行く途中僕に一撃を加えようとしたのはこの男だ。
「ぷぷっ。遅い!」
その鈍い動作は蝿が止まるようなスピードに見えた。鎧の戦士が刀を振り下ろす前に鞘から抜かれてもいない刀でその胴を凪ぐ。それだけで鎧の胴部分は砕け、衝撃で後方へと吹き飛んだ男の体が、ちょうどその先で戦っていた二人の邪魔をした。
もちろんこの機会を見逃すはずがない。
足に少し力を入れ、呼吸をする間も無く二人との距離を詰める。足元に転がる男の割れた鎧を踏みつけ、右にいた男の眉間を一突き。突いた反動を利用して回転すると、その先を見ることもせず刀を乱暴に回転させる。その描いた弧の途中には男の首があり「けぽっ」という奇妙な音を出しながら男は床へと叩きつけられた。
この間僅かに五秒・
素晴らしい。
我ながら素晴らしい。
「俺は解放された。」
自由だ。この両手には留めることのできない自由の翼がある。
残るは三人……のはずだったがリングの上に立っていたのは二人だった。どうやら僕が暴れている間に誰かが誰かを倒したようだ。
知ったこっちゃないが。
こうなったら隣のリングで他の選手たちを片付けている少女よりも早く勝負を決めてやる。
不断の決意を固めると、僕は少し戸惑っている風にも見える二人に向かって虎のように自由に襲い掛かった。