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第十一話 少女

 古いアーチをくぐりその脇にある扉を開く。

 午後五時五十分。ぎりぎりセーフ。

「とりあえず第一関門突破。おめでとうアドラ君」

 とりあえず自分自身の労をねぎらう。

 すると何処からともなくチュー吉がふらふらとやってきた。

「チュー」

「おお、チュー吉も祝福してくれるのか。うれしいぞ」

 しばらく姿を見せていなかったチュー吉は久しぶりに僕の肩で羽を休める。最初ははぐれてしまわないか心配したが、鋭い嗅覚により僕を見失うことは無いようだ。

 もっとも用事とあらば匂いを頼りにイコ爺の所まで戻るのだから、それくらい朝飯前なのかもしれない。言葉が通じないのでチュー吉に確認するよしもないのだが。

「ああ、ちょっと僕。ここにはペットや精霊獣は連れ込まないでくれる」

 二十畳ほどの広い部屋の奥にはぽつんと長い机があり一人の中年の女性が座っていた。これはふんだんに偏見を含んだ見方だが、意地悪そうな顔つきをしている。特に丸いレンズの入ったメガネに天然パーマのショートがその効果をさらに高めているような気がしてならない。

 長机の手前には人が数名いてみな机に向かって何かを書いていた。

「少しの間外でまっててくれ、チュー吉。うろうろして迷子になるんじゃないぞ。それから動物愛護団体と人権尊重委員会にはあのババアの暴言はきっちりと報告しておくから、安心しろ」

「チュー」

 理解したのかしてないのか、チュー吉は僕が開けたドアの隙間から名残おしそうに外へと飛んでいった。

「ほら、そこの僕。大会参加だったら急いでね。もう締め切りの時間だから。おばちゃんも良い加減仕事を切り上げたいのよ」

 くわっ、と睨んでやりたい衝動を抑え長机の前へと進む。

 あらためて見ると部屋には何も無かった。数名の大会関係者らしき人間と僕と同じ目的と思われる人たちがいるのみだ。もう大方の人間が手続きを済ませてしまって、店じまいしているのかもしれない。受付終了間際なのでこの方がむしろ自然なのだろう。

 おばさんが僕へと紙を手渡す。大きさはA四ほど。

 住所、氏名、電話番号。ようするに基本事項の記入をしろということだろう。三つの段落に渡り連絡事項が書かれており、その下には何やら制約事項のようなものがある。


・参加者が負傷等の事故にあっても当大会運営委員会は一切責任を負わない。

・参加者が死亡しても、以下同様。

・一度納めた参加費用の返還は認められない。

 私は以上のことに同意することをここに認めます。

                     

                                    (サイン欄)

 

 ようするに何が起きても責任はあなたにありますからねということだった。

「大会には何人位参加するの?」

 筆を走らせながら、努めて笑顔で目の前のおばさんへと質問した。

「そうねぇ。大体百人位ってことかしら。例年通りね」

 おばさんは面倒臭そうに答える。なんとサービス精神に欠けた対応だろうか。

「そんな人数をどうやってたった三日で絞り込むの?」

「その大会規約を読めばわかるでしょ。予選をするのよ。選手をグループに分けて勝ち抜き方式でね。そこで十六名に絞ってそれからトーナメント。いいから早く書きなさい」

 ああそうですか。

 少しイライラしたその時だった。室内へと流れ込む風とともに背後のドアが勢いよく開かれた。




 部屋にいた全員が。

 戦士風のおじさんも、

 言生師風の爺さんも、

 背中に大剣を刺した女の人も。

 ついでに言うなら大会運営委員のスタッフも。

 荒々しく開かれた扉の方向へと一斉に振り向く。

 視線の集まる先には少女がいる。静まりかえる中息を切らせ、肩を認識できるほどわずかに上下させている。その姿から一目で全力失踪してここまで着たのではないかという推測が成立した。

「はにゃ?」

 少女は浴びせられた視線に戸惑うように照れ笑いを浮かべた。

 肩まで届くか届かないかのストレートショート。真っ黒な髪はこの地方では珍しい。大きな両目と少し長くつやっぽい唇はデフォルメされた子猫を思わせた。肩で息を切らし、開いたドアのとってにすがるようにして上半身を折り曲げている。

 あれはどこかの制服だろうか。全身黒のセーラー服、胸元には赤いスカーフ。スカートは膝丈よりも少し短く、よく見ると黒のなかにも濃淡がありチェックが入っている。

 全員の注目を見事に集めた少女は口を開く。

「セーフ! ………だよねぇ。私」

「一分オーバーだよ」

 おばさんはどうやら美少女にはきびしいらしい。

 いかん、いかん。すでに感想にえこひいきが混ざってしまっている。確かに扉の上にある丸い時計をみると六時をほんの少しまわっていた。

 すると少女は迷うことなく僕の方へと歩いてきた。いや、僕の方ではなくおばさんの方へだが両者の位置関係を等号でくくってしまってもなんら問題はないだろう。

 少女の雰囲気に押され、机の側にいた人たちが一歩後ろにさがった。すると波が引いたように少女の前に道ができた。

 僕は動ごかない。

 右に倣えばよかったに、動けなかった。

 少女の揺れる前髪の間にちらつく両目に意識を吸い取られる。少女の顔がどんどん近づいてくる。視界の中でその姿が大きくなる。

 そして、

 そして。

 少女は僕の目の前まで来ると僅かに自らの体をよけて、すぐに後ろへと通過した。

「ちょっと待ってよ。私、はるばる遠い国からやってきたのよ。それなのにたった六十秒遅れたからって、それはあまりにもフェアじゃないんじゃないの」

 背後から机を荒々しく叩きつける音が鳴り響く。それにビクついたのは多分僕だけでは無いだろう。

「だから参加させなさい。私を大会に。私が大会を盛り上げてあげるわ。なんってたって私が優勝するんですからね」

 強気な発言は揺るぐことの無い自身に裏打ちされているようだった。少女は常人であればためらるであろう台詞を迷うことなく口にする。それがまた堂々としているために、まったく違和感が無い。

 やれやれと思いながら、他のみなさんに倣ってくるりと反転し一歩さがる。すると背後から幾人かによる小声がした。

 一体なんの話しだろうか。

 僕の体は自然と後ろにいる戦士たちの側へ寄り、耳へ高性能の集音機のごとく意識が集中する。

「おい、おい。あの制服」

「ああ、魔法学園の生徒だ。ついてねぇなぁ」

 魔法学園。

 それはつい最近聞いた単語だったので、労することなく記憶の検索に引っかかる。

 実践的な言生教育。

 言生の一貫学校。

 アザミとの会話がよみがえる。あの少女がその生徒だというのだろうか。

「まったくだ。あそこにでられちゃ、勝ち目は薄いぜ。俺辞めようかな」

「しかも、黒い制服。でもまさかな」

「おうよ、そんなはずないだろう」

「でも、噂が本当だとすると俺たちやっぱり出ないほうがいいんじゃないの」

「黒がえり抜きの特待生だっていう噂だろ。本当かよ。大体あんな小娘がそうなのか。俺には信じられねぇな。まだほんのがきじゃねぇか。オレはもっとこうごつい集団かと思ってたけど、」

「黙れ!」

 鼓膜を突き抜けそうな怒鳴り声は、さぞ後ろの剣士を震撼させたことだろう。僕も再度びくっと反応してしまったのだがどうやら相変わらず少女の対談相手は動物愛護団体の敵のようだ。

「私が出るときめたら出るの。これはもう普遍的な事実で変えることのできない決定事項よ。まったく話のわからないババアね」

「黙らっしゃい! もう過ぎたものは変えられません。大会の決定事項は絶対よ。」

 おばちゃんもやや押されながらもなんとか反論している。ババアと呼ばれたことがプライドにさわったのかもしれない。

 すると少女は急に肩を落とした。

「本当にしょうも無いクソババアだぜ」

 口からぼそっと吐き出された一言は幻聴だ。そうだ幻聴に決まってる。おばちゃんは完全に少女からそっぽを向いてるし、すでに周りの空気も白け始めてしまった。

 ふと気がづけば僕の手には大会参加申込書が握られていた。さきほどのどさくさで提出しそびれたようだ。これ以上話がこじれないうちに速やかに提出して帰るのがベストだろう。この一枚を提出するか、しないかに今後の僕の一年がかかっているのだから。

 そんなことを考えていた時だった。

 少女の制服の肩辺りが揺れる。肩付近の大きな皺がなだらかに動いたかと思うと、その右手が水平に持ち上がる。その先にはおばさんのくるくるパーマの頭があり、少女はその寸での所まで手を運ぶとピタッと止めた。

 一体何をする気だろうか。

 これは僕だけでなく部屋にいる全ての人間の感想であり、それを一番強く抱いたのは腕を眼前にさしだされたおばさん本人に違いない。

「従属せよ、」

 こちらに背を向けているため少女の口元は見えないが、流れ出す言葉は少女のものだった。その瞬間少女の中で言生力が高まるのを感じた。

「ぬしは人形。主の命に従い、その身を捧げよ。」

 すると少女の手の平が光り、拡散する光りは少女の手からおばさんの頭の中へと吸い込まれていった。

 誰もが口を開かず部屋の中がしんとする中、再び少女の声が僕の耳まで届いた。

「あなたの参加を認めます」

「あなたの参加を認めます」

「こちらの参加用紙に必要事項をご記入下さい」

「こちらの参加用紙に必要事項をご記入下さい」

 少女の言葉を復唱するおばさん。その右手には僕が手に持っているのと同じ記入用紙があり、なんとおばさんはそれを自ら少女へさしだした。

「うむ、ごくろう。最初から素直にそうしていれば、私も余計な苦労をせずにすんだのよ。まったくこれだから低能は困るのよね」

 と言った少女の言葉をもおばさんが復唱したかというのはさておき、僕は目の前で起きた事象の分析に意識を沈殿させる。

 あれは操の言生。イコ爺が骸骨剣士を操っていたのと同じ種類の言生だ。しかも現代語だった。僕はずっと古代言語での言生にばかり取り組んでいたから、現在の言語体系の言生を聞いたのは初めてだ。

 何せイコ爺が古代言語の言生しか使わないので、僕も自然と同じ言語体系を使わざるをえなかったのだ。それにしても操り系の言生は極めて扱いが難しいはずなのだが少女はまごつくことなく詠唱していた。

 それだけでも驚きに値する。

 少しだけ興味をそそられる。真っ直ぐ落ちるしなやかな黒髪から覗く横顔。目を落とし、机の上へと上半身を折り、優雅な手つきで記入用紙の上で筆を走らせている。

 




 声をかけようかどうか迷った。迷っているうちに少女はあっという間に記入を済ませ、呆けているおばさんに用紙を提出した。

 少女の顔がすっとあがり目があう。いやこれは少女へ注目を集める群衆にその端麗な視線を這わせただけなのだろう。

「何よ。私に何か文句あるわけ?」

 少女はつかつかと僕の目の前まで歩いてきた。これにも特に意味は無く、ただ僕が数歩後ずさる取り巻きの一番前にいたというだけのお話だ。

 それだけのはずなのにいやな予感がする。いやな予感というのは往々に的中してしまうものだ。

「何? 私に喧嘩でも売ろうっての?」

「い、いや。」

 しどろもどろする不幸な僕にどうやら少女はターゲットを絞ったらしい。後ろから安堵のため息がしたのを僕は聞き逃さなかった。

「だいたい。何あんたたち。今どき剣士って時代遅れもいい所ね。そんな棒きれ振り回して『えい、やー』だの、ぞっとするわ」

「なっ」

「もう、口を開かないで。どうせ優勝できないのは分かってるんでしょ。例えるならあなたたちは全員ハズレ。当選する確立皆無の宝くじよ。だったら潔く辞退してくれない? 後ろのあなたたちも」

 なんとも愛嬌のある仕草で一つ背伸びをすると少女は僕の肩越しに後ろを覗き込む。そこには数人の大会参加予定者がいるはずだが、果たして彼らはどんな表情を見せているのだろうか。

「そしたら私も無駄なことをせずにすむしね。ここにいるのが九人で全体での大会参加者が百人ほどだったら、少なくとも一桁は労力の浪費が抑えられるわ」

 少女の吐いた毒が僕の身を犯す。すると急に笑い出したい衝動にかられた。

 理由は分からない。でもここで噴出すと、その行為は目の前の少女に違う意味でとられる可能性がある。ゆえに僕は顔がニヤつくのをどうにかこらえる。

 だがこれを笑いで済ませなかった人たちがいた。部屋にいた大会参加選手と思しき人たちが僕の横を通り過ぎ少女を取り囲んだのだ。それは小学生にたかる不良を思わせ、しかしそれでも少女の顔は落ち着いている。

 僕は少女を取り囲む男たちの円形に半ば取り込まれるような位置にいたので、一歩下がる。

 さらにもう一歩。

 そしてもう一歩。これくらい離れれば安全だろう。

 頼むから巻き込まないでほしいものだ。腕に覚えのある人間はこれだから始末が悪い。少しプライドをくすぐられるとすぐかっとなる。

「おいおい。お譲ちゃん。今のは流石の俺たちでも黙って聞き過ごせねぇな」

「そうだぜ。お家に帰って編み物でもしてな!」

 などなど。失笑を漏らす人数は五人。

 僕は自分の両手で両耳を塞いだ。すると塞がれた耳の中にゴゴゴという血が血管を循環する音がした。それにより外部から脳内へと入ってくる音声刺激は大幅に減少する。

 僕はさらに一歩下がる。それと同時だったと思う。

 少女の口が小さく動くのを見た。何を口にしたかは聞こえなかったが、五秒ほどの短い時間だ。

 周囲を囲んでいた男たちがばたばたと倒れる。ついでに言うと室内にいた全員がばたばたとその場に倒れたのだ。それを確認してから僕は自分の耳にあてがった手を外した。耳の穴にこもった湿気が外の外気に触れて気持ちいい。

 少女を取り囲んでいた五人は床につっぷして全く動く気配が無い。時々痙攣するようにぴくぴくと全身をふるわせているが、まな板の上に置かれた鯉のようで笑えた。

 辞めとけばよかったのに。言生師に喧嘩をふっかけておきながら、接近して威嚇など問題外だ。

「はいマイナス五人。後はあんた一人よ。さあどうする? 辞退するの? しないの?」

 周囲を見るといつの間にか部屋にいる選手は僕一人だけになっている。どうやら残りの人達は逃げ出したらしい。

 やれやれと内心嘆息する。

 もっとも今床に倒れている人々と後ろの扉から逃げ出していった人々が、平均的な選手の実力なのだろう。だからこそイコ爺は言生を禁じたのだろうし、本来ならば僕もあれ位やこれ位のレベルの人間が相手ならば楽々優勝できると踏んでいたはずだ。

 だが例外が目の前にいる。

 少女は只一人残る僕に向かって挑発的な眼差しを向け続けていたわけだが、その挑発は同時になんともかわゆくもあるので困ってしまう。

 そこそこ実力のある普通の人間ならばこの挑発にのっかってしまうかもしれない。そして返りうちにあってしまうだろう。先ほどからのお手並みを拝見する限り謎の「美」の一文字がつく少女は中々の実力者だ。年齢も僕とさほど違わないのに大雑把な概算だが中級言生師並みの腕をしている。

 さて僕はここでどうするべきだろうか。せっかくの機会なのでどこかお茶でも、という雰囲気ではもちろんない。

 戦ってもいいのだがはっきりいって面倒臭い。それにうざい。

「辞退はしない。でも戦いもしない。勇ましく喧嘩をふっかけて負けることほど格好悪いことはないからね」

 我ながらうまい言い訳だと思った。

 だがそれを聞いて少女はつまらなそうに、

「あら、そう。じゃあもう用は無いわ。そこどいてくれる」

 途端に僕は道端に落ちてるタバコの吸殻のごとき存在へと格下げされたようだ。その興味は完全に消え去り、どうやらドアと自分のとの間にある障害物が僕のようだ。

 まったくもって素敵な性格をしている。

 黙って道を譲った。その前を少女が通り過ぎる。肩をなびく髪とともに、花のような甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 嗅覚に人が動かされることなど果たしてありえるのだろうか。

 自分の経験から言わせてもらえれば、そんなことがあるはずが無い。だけどそうでも理由付けないと次に自分が発した質問が自分のいかなる行動原理によってなされたか理解に苦しんでしまう。

「君、名前は」

 思わず口を出た言葉に後悔を重ねてみても後の祭りらしい。少女は足を止め視線がこちらを向かない程度に肩越しに振り返る。

「うるさい、豚」

 以上。

 それだけ言うと少女は平然とドアから外の世界へと出て行ったのだった。

 軽いめまいを覚えたのは生理的な作用によるものか。

 後に残された僕は、未だかつて遭遇したことのない素敵な唯我独尊女を固まったまま見送ることしかできなかったわけで、

「クソッ。質問しなければよかった」

 と後悔とも恥じらいとも取れる自分のものとは思えない一言を口にしていたのだった。

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