第十話 町
八月二日、夕方。
森が突如として開けると景観はがらりと変化した。
無秩序な景色に人間の意図が介入する。砂利と土の道は均等に並ぶ石畳へと変化し、周囲の高い木々は存在を拒否されたように無くなった。変わりに現れたのはススキのような背の高い雑草だ。四方に広がり先に進む道はさながら雑草の海を割っているようだった。
地面には緩やかな凹凸がある。登ったかと思ったら、今度は下る。二つ目のアップダウンの頂上でその町が見えた。
ニュークオウ・タウン。
町クラスと都会クラスの規模の間をふらふらと彷徨っているその町は、僕が見たこともないような規模だった。村で見るような二階建ての屋敷は当たり前。その数はポートンの数十倍以上もあるようで、町全体が意思を持っているかのように整然と区画整理されている。
町からは外へと八方へ道が伸びる。僕が通ってきたポートンへの道とは比べ物にならないほどの大きな道だ。それらの道にはきちんとした門があり、そこから蟻のように人が往来していた。
「うわぁぁぁ」
思わず丘の上で立ち止まり、眼下へと視線を這わせた。田舎っぺ丸出しなのは、あえて気にすまい。
「坊ちゃん、ここでお別れです」
「えっ?」
ロジャーの突然の申し入れに戸惑う。
「どうして? 町に入らないの?」
「入りたいのは山々なのですけどね。何せ追われる身ですから、人目にはできるだけ触れたくないってのが正直な感想でして」
忘れていたがロジャーは追われているのだ。それもどうやら「リサイクリング・ファクトリ」という厄介な集団に。そのため一年ほど前から山賊へと身を落とし、その姿を世間から隠していた。
僕はロジャーへと向き直る。
「そっか、ありがとう。ここまで案内してくれて」
「へい。旅は道連れと言いますけど、坊ちゃんとは不思議な縁でした。まさかこんな年端も行かない子供にのされるなんて夢にも思いませんでしたし、良い経験でしたよ」
「まだ山賊続けるの?」
少し気まずかった。ロッチは確かに悪党なのだが、今ではすっかり感情を移してしまっている。
するとロッチも僕と同じような表情を浮かべて、
「はは、坊ちゃんそれを言われると耳が痛いです。確かに山賊なんかしなくてもあっしは銀行に九桁にものぼる金を預けてあります。でも当然それはマークされてるでしょうから、使えばあっという間に足がついてしまうでしょう。ですから山賊というのは日々の生活を送るには止むを得ない選択なんです。まぁ自業自得といっちまえばそれまでなんですけど。それに今では部下を持つ身ですから、」
日々自分を生かしていくのは中々難しい。僕だって一人になった時点でイコ爺の保護がなければあらゆる手段をこうじて生にしがみついていたことだろう。
どうしようも無いことをどうにかしようと思ったら、手段を選んでいる暇はない。
それが例えば泥棒であったり、山賊であったりするというだけの話だ。
「そっか」
「ええ」
そこで何となく二人は黙り込んだ。別れを惜しむかのように時間が流れる。
「ほら、ほら、坊ちゃん。大会の受付締め切りは今日の六時でしょ。あっしとこんな所で油を売っている暇はないです。早く行ってください」
今は午後三時といった所か。確かに多少なりとも迷うことを考慮に入れればあまり時間は無い。
「分かった。じゃあ。達者でな。あ、それから、山賊する時、無いとは思うけど白いローブを纏ったよぼよぼの爺さんを見つけたら、そいつは襲わない方がいいよ。多分襲ったら生まれてきたことを後悔することになると思う」
心の底からの忠告だ。
「へい、よく分からないですけど心に刻んどきます」
ロジャーは神妙な顔をして頷く。
それだけ言うと僕はロッチと握手をして、互いに別方向へと歩き出した。
夕方だというのに町は人でごった返していた。
いや「夕方たというのに」というのは少しおかしいのかもしれない。町では、夕方に一番人が多くなると本で読んだことがあるが、ということはこの時間帯のこの密集具合がピークということになる。
並ぶ家屋は見事に道を仕切る。その建物の少し手前には出店がテントを張り、商人が大声をあげながら商売をしていた。果物に肉に野菜。本に雑貨に武器。あらゆる商売が所狭しとひしめき合い、本来なら広い石畳の道をこれでもかという程狭くしていた。
熱気と人の往来がその通行をさらに妨げる。この上ロバや馬を引いた行商人などが通った日には流れは完全に止まってしまっていた。
人々の怒鳴り声、笑い声。
その圧倒的な喧騒に少し酔った気分であっちへふらふら、こっちへふらふらしていたので僕は田舎者まるだしだったのだろう。それでも腰に下げている純白の刀から注意を怠ることは無かった。
なんせロジャーの話しだと腰に下げている太刀は信じられないほどの値段がするらしい。泥棒にでもあったら一大事だ。
厄介な荷物に気をとられていると急にぐいっと体を引っ張られた。柄の悪そうな男二人組みにそのまま建物と建物の間の裏路地へと連れて行かれる。
路地裏の光のさえぎられた空間。ゴミが隅に散乱していていかにも掃き溜めといった場所だ。体が軽くなったかと思うと一人の男によって通路を構成する建物の壁に強引に体を押し付けられる。
男たちの体には銀色をしたアクセサリーの小物がデコレーションのようにたくさんあり、大きな動きをするたびにじゃらじゃらと音がした。
助けを求めて周囲を観察すると窓がいくつか見えたがどれも固く閉じられていて、なんら助けにはなりそうにない。
「おい、おい。兄ちゃん。俺たちにちょっとめぐんでくれない」
「そうそう、後で必ず返すからさ。ちょっとだけだよ」
品のなさそうな顔立ちをした二人組み。僕を押さえつけているスキンヘッド。もう一人の男の長い髪は片方の目を完全に覆っている。
「まぁ、授業料だと思ってさ。なぁ、頼むよ。」といいながらスキンヘッドに胸倉を掴まれる。
「はぁ」
期せずしてため息が漏れる。
柄の悪い連中にからまれたのはこれで何度目だろうか。そんなに僕は弱っちそうに見えるのだろうか。それとも御のぼりさんオーラがどこかから漏れているのだろうか。
いい加減に疲れてきた僕の脳裏にふとした閃めきが沸く。
「そうか、あんたらに案内してもらえばいいのか」
ロッチ方式。
何を隠そう、隠す必要もないのだが、僕は迷子になっていた。この迷路のような町は僕にとってあまりにも広すぎる。いやもしかすると十四年間気がつかなかっただけで、実は方向音痴なのかもしれない。
兎にも角にもそろそろ時間がやばそうだ。
判断を下すと、体の力を抜き腰が砕けたかのように、体を沈めた。普通の人間が六十キロもの体重を片手で支えられるはずがないので、男は僕の沈む体をとどめることができず、慌てて手を離す。
すぐさま腰の刀を鞘ごと抜く。竜の牙より鍛えられた刀は通常の刀よりもずっと軽い。それをスキンヘッドの米神へ力一杯打ちつける。
スキンヘッドの男が吹き飛ぶ。
するとその背後にいた長髪の男と目があった。眼は僅かに通常より大きく見開かれ、なにがあったか理解できてない様子だった。おそらく太刀筋を目で追いきれなかったのだろう。とすると男には目の前の相棒が何の脈絡も無く突然米神から血を滲ませながら吹っ飛んだことになる。
「な、な、ななんなんだてめぇ。もしかして、魔法使いか」
「うーん、肯定したいけどできない所が痛し痒しだね。それにそれを言うなら言生師だろう。まったく最近の若者の言葉が乱れているというのは本当らし、」
気がつくと長髪の男は背を向けて逃げ出していた。後に残されたのはぶつぶつと独り言を虚しく呟く僕と、地面に気を失い這い蹲るスキンヘッドのみだ。
「おい、おい。仲間じゃねぇのかよ。その程度の繋がりなのかお前たちは」
虚しくなり、再度ため息をつきたくなった。所詮日常における人間同士のつながりなどこんなものなのだろう。家族という名の他人。親友という名の他人。恋人という名の他人。
人が意思を内包している以上、結局人はどこまでいっても一人なのだ。
相手に感じる強い感情も連帯感も幻想。
幻想でしかない。
分かりきったことなのだが、暗い気分に駆られ、僕はささっと男を起こしに掛った。
「ここです、ここです。兄貴、登録は間も無く締め切られるみたいっすよ」
その呼称に軽い殺意を覚えながらも何とか自制する。体の隅々に意思を張り巡らせ、無意識を意識の領域へと浸食させないように勤めた。
目の前のいかついスキンヘッドは今や完全に威厳の欠けらも無く、前にある建物を嬉しそうに指差している。年下のガキに一撃でやられたのに、男は悔しくないのだろうか。
「いえ、いえ。大会に出場するような相手に一撃もらえただけで光栄っす」
その言葉の通りスキンヘッドは単純に嬉しそうだった。
コロシアムのような外壁。樽の様な柱は駐印に向かってなだらかに太くなり、それが何本も外壁を囲っている。柱に挟まれるようにアーチ状の入り口があり、どこから入っていいものか見当もつかない。
あれから少し日が傾いて、人通りは若干少なくなったように思える。代わりに飲食店と思わしき全ての店の中からは陽気な騒ぎ声と笑いがあふれ出していた。つまり少し前見ることのできた人通り「引く」今見ることのできる人たち「イコール」の人数が居酒屋で仕事終わりの一杯でも楽しんでいるのだろう。
夕方になると猛暑のカーテンも引かれたようで、清涼を感じることができる。
「この闘技場を外壁にそって回っていけば本部への入り口があります。なぁに、すぐに分かりますよ」
僕はスキンヘッドの指差す方向を見た。どうやら闘技場を右周りに進めと言っている様だ。
「なんならついていきましょうか。ついでにいい宿も紹介しますけど。もちろんこれ突きです」
と小指を立てながら脇腹を肘で小突かれた。
「え、う、いや。いいよ。後は一人でいけるから。宿も自分で探す。ありがとう、ここまででいいよ」
この一言を聞いて、スキンヘッドは露骨に残念そうな顔をした。
「そうですか。じゃあ御武運を祈っています、兄貴。俺も明日は見に行きますから。白い剣と田舎者雰囲気。これだけの特徴があれば勝てば絶対人気者ですよ。がんばってください」
「来るな! それからあんまり悪いことするなよ」
期待せずに言うと、スキンヘッドは素直に表情をあらためて「へい」と返事をして去っていった。名も知らぬハゲは根はそんなに悪くないようだ。
その後ろ姿を見ながら、どうして自分はこうも悪人と縁があるのだうかと考えられずにはいられなかった。