第一話 兄弟の絆
手に持っている松明揺らめくたびに、決して広くない明かりの届く範囲が操られたかのように踊る。だが今必要な光はそれで十分だった。左右を挟む壁も上下にある、湿ってぬめりのある天井と地面も、その範囲の中で自身の安全を確保するために必要な視野を十分に確保していた。
「さて、ここで後ろを歩くお前に素敵な質問の時間です。オカッパ頭で根暗なお前と、村で一番格好良い俺。この二人がどうしてこんな薄暗い洞窟の中を延々と彷徨っているのでしょうか?」
僕は口を開かなかった。
「分からんか? 分からないのか? そうか、そぶか。では選択形式にしてしんぜよう。
一、二人は病弱な母のために森に薬草を採りに行き、その途中で森の洞窟に偶然と迷い込んでしまった。
二、二人は一流の地質調査員で村の近辺に縦横無人に広がる地脈の調査に来て、やっぱり道に迷った。
三、この洞窟には伝説の海賊によって運ばれた宝が眠っていて、それを二人で探しに来て結局迷った。
さぁ、どーれだ」
「お兄ちゃん。全部違うと思うんだけど」
慎重に言葉を選びながらおそるおそる前を進む人物へと答える。すると目の前の人物は松明の中で演劇の役者のように仰々しく天を仰ぎ、僕の方へと振返った。
「素晴らしい! 正解したお前にはバッティック家の兄弟が丹精込めて育てたジスの乳液から造ったチーズ一年分を進呈しよう。どうだ、嬉しいか」
僕は思わずため息をついた。嬉しいも何も、それって自分たちのことじゃん。
「お兄ちゃんはサボってるから、大体が僕一人で育ててるんだけど」
自信なさげに呟いたこの一言は、お兄ちゃんの耳まで届いたようで、
「おい。今のは聞き捨てならん。もう、一辺言ってみろ」
僕の肩にその長い腕を巻きつけて凄みを利かせてくる。それだけで僕は思わず口ごもって俯いてしまった。
「ご、ごめん」
「ぷぷぷ。冗談、冗談。確かにお前の言うとおり。俺は剣の鍛錬があるから。そうだな、九割がたはお前に押し付けてるな。すまん、すまん。大体お前もそんなに簡単に謝るなって。お前がそれじゃあ、悪ぶる俺としては張り合いが無いだろ」
「ご、ごめん」
言葉とは裏腹に悪びれる様子も見せないお兄ちゃんの堂々としたしゃべりに、僕は再び謝ってしまう。すると、お兄ちゃんは笑顔を崩さぬままその手を軽く動かした。
後頭部に軽い衝撃が走る。
「それを辞めろっての。だから村のガキどもに苛められるんだよ」
「う、うん。ご、」
かろうじて、その一言を飲み込んだ。後頭部を叩かれ松明を落としそうになり、つい意識がお兄ちゃんの言葉から遠ざかったのだ。
僕が言葉を引っ込めたのを見るとお兄ちゃんはその端正な顔をもって満足そうに一つ頷き再び僕にその大きな背中を見せながら、鼻歌交じりに歩き始めた。
歩き始めて数時間。時計など一切もっていないので、一体どれ位の時をこの洞窟の中で彷徨っているかは分からない。
ただ僕ことアドラ・バティックとそのお兄ちゃんであるトイフェル・バティックは出口の無い迷路の中で様々なものに耐えながらひたすら足を動かしていた。
「で、さっきの答えだけど」
「う、うん。一番近いのは三かな。ただ宝じゃなくて探しているのはり、竜だけどね。大体なんでそんな分かりきったことをクイズみたいな形で確認するの?」
「馬鹿だなぁ、弟よ。お前のそのメガネは伊達メガネか」
「伊達メガネだけど」
いいながら度の入っていないガラスのメガネを少しずり上げた。
「あっ、そうか。お前生まれつき眼球が弱いんだったよな。すまん、すまん。忘れてた。それにしてもお前が頭いいのってメガネ効果だと思ってたんだけど、違ったんだな」
「努力してるからだよ」
「すまんって。だから謝っているだろう。そんなに怒るなよ」
僕の少し拗ねたような声にお兄ちゃんは慌てたのか、しきりに弁明を繰り返す。
「それより、ああ、そうだ、そうだ。こうやって目的を確認するのはだな、気持ちを明るく健全に保つためだよ。人間ってのは目標を忘れると安直な思考に陥りやすいからな。このまま出口にたどり着けずここで飢え死にしてしまうんじゃないか。ああ自分はなんて駄目な人間なんだってな。だから目的の確認。そう、そう、俺たち竜退治に来てたんだよな。はっ、はっ」
ごまかすような哄笑にお兄ちゃんが一瞬でも本当に目的を失念したんじゃないかという疑惑を抱いた。
お兄ちゃんはとにかく大雑把で丼勘定な性格をしている。実際に商売にしても数字を見れば上二桁位の単位で四捨五捨してしまうし、ジスというこの地方独特の家畜の放牧を任せても、高原を一周する間に数を確認もしないで帰ってくるのだから、たまったものではない。
僕の内面に積もり行く不満を他所にお兄ちゃんは自分の世界に没頭していた。
「弟よ喜べ。もうすぐお前にも楽をさせてやれる。甲斐性の無い兄を許しておくれ。村で一番の剣術の使い手である俺と、駆け出しの魔法使いであるお前。この最強タッグがコンビを組めば竜なんていちころだ。竜の体は全ての部分が高額な値段で取引されているからな。明日の今には俺たち億万長者だ。うふふふふふふふふふふ」
お兄ちゃんは言葉の最後にだらしない笑い声添える。
取らぬ狸のなんとやら。お兄ちゃんに諺位教えといてあげた方がいいのかしら。
竜が目撃されることは世界で見ても数例しか存在しない。そしてその数少ない例の一つが僕とお兄ちゃんが住んでいる村、ポートンにあるのだ。村は一際高い山のなだらかな中腹にあった。
その純白の姿に鮮やかな銀色の鬣は今でも村の語り草となっている。
しかしその目撃例も数十年前の話で、その頃には世に言うドラゴンハンターだとか文屋だとか一般の観光客などが村にどっと押し寄せ、一代ムーブメントになったらしい。
だがそれも今は昔の話。それ以後竜の姿が目撃されることは無く、次第に目撃情報事態にケチがついて、今となってはうやむやな話となってしまっている。どっちかというと親が寝る前に子供に聞かせてやるような御伽噺に近い。
ではどうして僕たちは洞窟を探検しているのだろうか。もちろん根も葉もない噂に突き動かされたわけでは決して無い。
「しかし、俺たちも運がいいよな。親父たちの遺品の中に竜の居所を示す地図があったんだから」
「お兄ちゃん。父さんも母さんもまだ死んでないって。だから遺品って表現は良くないとおもうんだけどな」
「知るか。子供をほっぽりだすような研究狂い。どうせどっかの研究所で垂れ死んでるにきまってら。だいたいそれももう五年も前の話だ。信じられるか。お前当時まだ五歳だったんだぜ。俺だって十歳だ。今のお前とほとんど同じ年齢で一家の長なんて笑えすぎるっての。あの馬鹿どもは俺を笑い死にさせる気か」
そんなつもりは無いと思うけど。
その一言は口にはしなかった。どうやら気分屋のお兄ちゃんの感情は今非常に高ぶっているようだ。無理も無い。両親が失踪したのちお兄ちゃんはまだまだ幼かった僕を守りながら必死に毎日を繰りぬけてきたのだ。それこそ今の僕とそう変わらないような年齢で。
僕の両親はどうやら村の中でも相当人付き合いが悪かったようで、お兄ちゃんも最初は村の誰かを頼ろうとしていたらしいけど、途中で辞めたようだ。というよりそれは諦めに近い断念だったように覚えている。
両親が失踪してから間も無くのことだ。
『お前は俺が立派に育ててやる。だからお前も全力で俺を支えろ。』と決意にみなぎる表情でお兄ちゃんが僕に向かって宣言した姿は今でも鮮やかに記憶に焼きついている。その瞬間から僕とお兄ちゃんとの二人三脚の毎日がスタートしたのだ。
もっとも僕が支えっぱなしのような気もするけど。
それでもだからこそ僕はお兄ちゃんのことが好きだし全幅の信頼を寄せている。信頼さえあればずぼらな性格も加虐的な態度も全て許せてしまう。
いや、大抵のことは許せるかなぁ。
僕は首を捻りながら右手に持っている古びた本を強く抱きしめた。すると意識がそちらの方に集まり、改めて腕にあるその大きな本の感触を確かめた。
『禁書』
本の表紙には唯一こう書かれている。しかもそれは現代の言葉ではなく、古代文字で書かれていた。
それは父さんの引き出しの奥底に眠っていた本だった。僕はそれに強い興味を覚えたのだがそれが何故だかは分からない。
父さんが残した莫大な量の本の中から古代文字の辞書のような書物を見つけると、僕はもう自分の好奇心を抑えることができず、その本を熱心に解読した。余りの熱中振りに、お兄ちゃんに注意されてしまうという不本意な顛末さえ僕を留めることはできなかった。
「地図落とすなよ。ついでに言うとその本も落とすなよ。で次はどっちだ?」
突然かけられた声に僕はこくこくと頷く。お兄ちゃんの目の前には幾度目かの分かれ道があった。二手に分かれるY字の道。
僕は松明を持っていない反対の手で起用に本を持ち直し、一番最後のページを開く。そこには綺麗に四角に折られた黄ばんだ紙切れが入っている。
竜の住処へと導く地図。
足元に散らばる水溜りに注意しながら、改めてその特別な紙を取り出した。本を脇に挟み空いた手で地図を広げる。
そこには山がえがかれており、内部を縦横無尽に張り巡る地下道が克明に示されている。
「次は、次は左かな。もう近いと思う。」
「よっしゃ! 待っていろよ竜。首を洗って待っていろよ竜。間違っても誰か他の野郎に狩られるんじゃねぇぞ」
お兄ちゃんは俄然やる気を出したらしい。その緊張感のなさは竜を退治する人間にまったくふさわしくないような気がした。お兄ちゃんの態度はまるでピクニックでもいくかのように気楽そうで、ジスの小屋に乳搾りをしに行く時のように普段どおりだった。
実際お兄ちゃんは村で一番強い。
格闘も剣術も誰に習うでもないが、村の誰よりも強かった。そして村には今でも竜の噂を聞きつけ、稀に剣士が訪れる。その度にお兄ちゃんは訪問者に試合を持ちかけていた。
見るからに筋肉質な剣士にも。顔中傷だらけの甲冑を纏った騎士にも。小さくすばしっこそうな盗賊にも。凡そ竜の噂を聞きつけたあらゆる腕に自信のある歴戦の勇士たちに兄は喧嘩をふっかけた。そしてお兄ちゃんはその全てに勝利を収めてきたのだ。
こんな片田舎に生意気な小僧がいるもんだとお兄ちゃんを舐めてかかった剣士が全て還付なきままにねじ伏せられるのは内心とても気持ちよかった。そういう時は相手の肩を叩いて今あなたが負けたのは僕のお兄ちゃんだよと教えてあげたくなる。
お兄ちゃんは一度も負けたことが無い。少なくとも僕の知る限りにおいては。
だからお兄ちゃんは今から遭遇する相手が例え竜であっても悪魔であっても、軽くねじ伏せてやろう位にしか考えていないのかもしれない。
何を隠そう僕も今からのことに関してそれほど大きな心配はしていなかった。それは多分お兄ちゃんが一緒にいるからでお兄ちゃんが負ける姿を想像するのは中々難しい。むしろあっさりと敵を撃破して明日からは大富豪だっと想像の世界に夢を飛翔させた夜も少なくない。
何せ兄弟二人で日々の糧を稼がなくていけないのだ。それは並大抵の苦労ではなかった。朝日が昇るとともに働き始め、小屋の掃除、ジスの餌やり、放牧。全ての仕事が終わるのは日が沈むぎりぎりだった。勉学に励みたいと思っても、明かりとなるタールもお金がかかるので僅かな時間しか明かりをともすこともできない。
兄も寝る前の僕が勉強するのと同じ位僅かな時間を剣術の稽古に割いていた。もちろん真っ暗だと何もできないので、僕が机に向かう時に漏れる明かりを行動の手助けとして。
そんな二人に学校に行く時間などあろうはずが無い。
だからお兄ちゃんが昼間仕事をさぼって稽古をしていることも咎める気は無かった。色々な物を兄は我慢して僕を守ってくれているのだ。自分も我慢しなくては。
竜を倒して楽な暮らしをする。
だから最初はこの提案に控えめに反対していた僕もお兄ちゃんの喜々とした説得に最終的には頷くしことしかできなくなった。それだけお兄ちゃんは嬉しそうで、僕が「禁書」の中から見つけた地図を見て、雨の続く日々に晴れ間を見たかのような心境だったに違いない。
「よしっ。テンション上がってきたぁ! やるぞ、アドラ」
「う、うん」
僕の顔には控えめの笑顔があったはずだ。僕は固く決心していた。もし。もし世界が崩壊してしまうような低い確率が的中して、兄が竜の前に膝をつけることがあれば、自分が全力でこの親愛なる兄弟を助けようと。
例えそれが自分の命と引き換えになろうとも。
突然視界が開けたかと思うと包まれるような優しい明かりが遥か頭上から降り注ぐ。
円柱上の巨大な空間が天高く伸び、その先には空があった。豆粒ほどに切り取られた空は赤く染まっていて、どうやらすでに日が傾き始めたようだ。
ツララのような鍾乳洞が歪な外壁から幾つも延びていた。あるものは地面から空へと伸び、またあるものは天井から失墜するかのように真っ直ぐ地面へと伸びている。そしてそれらはさらに年月が積み重なると一本の柱のように繋がるのだろう。
繋がったツララは姿を隠す絶好の隠れ蓑だった。ツララとのこぎりのように出っ張った岩肌。この二つが僕たちの唯一の頼れる友人だろう。
それは竜を倒すための協力者。
岩柵を六つばかり越えた、なだらかな斜面の上に竜がいた。
天高く上った太陽のような純白。全身が硬化した鱗に覆われ、空から降り注ぐ光を乱反射すると一個の宝石のように全身を輝かせていた。
注目するべきはその翼だろう。起用に折りたたまれた翼は体の大半を覆いつくすほど大きく、発達した筋肉が、時折しずかにピクリと動く。
頚椎の辺りから尾の先端まで銀色の鬣が優雅な線を描き、尻尾の先で筆のようにまとまっている。それは世に言う「竜の尾の毛」で王族の魔除けや息災には欠かせないレアアイテムだ。
竜の目は硬く閉じられている。
一目見て考えていたより大きくないと思った。せいぜい自分たちの住んでいる小屋が三つばかり繋がって襲い掛かってくるような感覚だろう。
「それって、結構大きいよね」
言葉にすると急に大きさに対する実感が湧いてきて、改めてその巨大さを思い知らせされた。竜が小さく見えたのは、多分余りにも自分の中で竜という存在を大きくしていたのと、この空間が圧倒的に広いため竜がかえって小さく見えたのだろう。
小屋三つと相対するなど想像しただけで寒気がする。今から戦うというのにこの調子じゃあ僕は戦力になりそうにない。
「みろよ、アドラ。宝のやまだぜ。牙は・・・そうだな一億ゼルはくだらないだろう。それにあれだけの鱗を全て売っぱらったら人生を十回は楽しめるだろうし。意外と見逃せないのが翼の先端の『翔骨』だ。こいつは空師にとっちゃよだれの出るような一品だからな。全部で幾らになるか楽しみだぜ」
「お、お兄ちゃん。それよりどうやって、あんな化け物殺すのさ」
「そうだなぁ」
夢につっぱしるお兄ちゃんに一言釘を刺すと、お兄ちゃんは腕を組んで考える素振りを見せた。重ね重ねお兄ちゃんは大雑把な性格をしているので、一体どん作戦がその口から飛び出すか興味津々だ。
「お前、確か『速力』を上げる魔法と『目くらまし』が使えたよな」
「う、うん。お兄ちゃん、さっきも気になったんだけど僕としてはその魔法って言い方あんまり使って欲しくないな。何か邪道っぽいしね。『言生』って言って欲しいな」
「また、それかよ。しかもこんな時に。お前は阿呆か。ああん。どうでもいいだろう。言を生み出すとか、そんな語源どうでもいいんだよ。いいじゃん。不思議な力、イコール魔法。確定、決定」
「でも言生学って言うくらいだし、それに、」
直未練がましく抵抗する僕はお兄ちゃんの固い拳で頭部を殴られた。
「分かったか?」
「う、うん」
「よろしい。作戦は単純だ。お前の魔法でまず俺の速力を上げる。それから俺はあのにっくき親の敵目掛けて切りかかる。それこそ猛然とな。津波のように。嵐のように」
「親の敵じゃないと思うけど」
「あん、なんか文句あっか。この根暗、メガネ、ちび。ばーか、ばーか」
「え、う、ごめん。」
「だからお前、馬鹿だろう。口を挟むなら謝るなって。もう情けなねぇな。それでも俺の弟かよって……おい、泣くな。これ位で泣くな」
ひっきりなしに飛んでくる罵詈雑言に思わず胸が締め付けられた。それが喉を通過して目の辺りまで競りあがってくると、両目がフライパンで熱したように熱くなる。
「な、泣いてなんか。だいたい、どうしてそんな。ひどいことがぁ、」
「ああ、分かった。分かった、悪かったよ。ごめん。ごめんよ」
僕をそっと抱き寄せるお兄ちゃん。やっぱり五つも年が離れているとどうしても兄は兄で、弟は弟であってしまう。と考えつつも胸のもやもやは一向に収まる気配が無かった。
しばらくして。
「でな、ええと。そう、そう、お前の魔法で俺の速力、つまり素早さを上げる。それから俺があの竜に向かって切りかかるだろ。でも俺の掴んだ情報によると竜ってのは嗅覚が鋭いらしい。だから俺が近づいたら、向こうはすぐに目を覚まして……おい、聞いてるか」
問いかけてくる兄の声には若干のいたわりを感じることができた。僕はしょぼしょぼする目をこすりながら頷く。
お兄ちゃんは背後に向かって親指を突き立てた。
「そこでまたお前の出番だ。あの竜が目を開けた瞬間にお前は目くらましの魔法を唱える。するとどうなると思う。ふふふ。ここからが俺の作戦が完璧たるゆえんなんだが。俺はお前に背を向けているだろう。竜の元へ向かっているわけだから。だけど竜は俺の方を見ている。それはすなわち魔法を唱えるお前の方向を見ているのと同義なわけだ。分かるか?」
お兄ちゃんの背後に視線を飛ばしながら素直にうんうんと頷く。
「竜はお前に視力を一瞬奪われるだろう。それは僅かな時間だろうが、そこは俺様の腕の見せ所だ。竜が次に目を開けた時にはその頭は胴体から離れてるだろうさ。」
そういうとお兄ちゃんは村に来た戦士の一人から奪い上げた諸刃の刀を高く突き上げた。仮にも竜の首を取ろうとしているお兄ちゃんは、この日のためにそれを丹念に研いできたようだ。
「ふふふっ。我ながら完璧。シロは思うはずだ。あっ、シロってのは白い竜の略な。なんか犬みたいで可愛いじゃん。でシロは最後の瞬間に思うわけだよ。ああ、私の体はこんなにも大きかったのか。私を倒した勇敢なる剣士。ぜひその姿をこの目に焼き付けてあの世へと旅立ちたいものだってな」
「ほーう。勇敢な剣士? お主のことか?」
地響きのしそうな低い声。
「ああ、そうだ俺だ。て弟よ。兄に向かってお主は無いだろう。次言ったら殺すからな」
「いや、お兄ちゃん。僕何も言ってないよ。頷いていただけだけど」
「そんなわけないだろう。だってここにはお前と俺しかいないし。ごまかそうったてそうはいかないぞ、アド」
僕の視点は何気なく一回りも上にある兄の顔からその背後へと合わされた。ぼやけていた荒い岸壁へとピントが定まる。すると僕の口は酸欠の金魚のようにぱくぱくと開閉し、そこからは空気がひゅうひゅうと漏れ出すばかりだった。
「なんだよ。そんな。まるで後ろに何かいるみたいじゃねぇか。まったくよせやい。そんな古典落語のような手口にひっかかる俺じゃねぇっての。まったくどこでそんなくっだらない浅知恵を仕入れたんだか。辞めろって。冗談だろ」
僕は一体どういう顔をしていたのだろうか。ただ僕の注意は目に映る深く大きな瞳に吸い取られ、行動はさながら十字架に磔になったかのように縛り付けられた。
僕の表情を見てお兄ちゃんは何かを悟ったらしい。勢いよく振り向いたその手にはすでに抜き身の刀が握られていた。
「アド! 魔法頼む!」
僕はお兄ちゃんの叱咤で我に帰った。すぐさま、
「汝、その身を羽となす!」
一段高い所にある二つの瞳が僕を映し出す。そこにはすでにお兄ちゃんの姿は無かった。
読んで下さってありがとうございます。誤字、脱字、おかしな表現等ありましたら、お手数ですがご指摘ください。