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ああ、サイコキネシス

作者: おだアール

   ああ、サイコキネシス

              おだアール


「きょう、一日中、雨だってさ」

 新聞を見ながら、ぼくはリカに言った。

「そうなの……。残念ね、せっかくの外出なのに」とキッチンからリカの声。

 テレビのリモコンは、ええと――、テーブルの隅か。「こっちに来い」とぼくは念じる。リモコンはふわっと浮かんで、ぼくの手のひらに飛んできた。

 サイコキネシス――、俗にいう「念力」のこと。ぼくに、この能力が備わっていると気づいたのは、去年、リカに出会ったころのことだった。


 一年前のあのとき、満員の通勤電車のなかで、ぼくはつり革につかまることもできず、身動きできない状況で立っていた。空調は効いているのだろうが、車内は人いきれでむんむんしていた。ひたいから汗がにじみ出る。両手とも動かせず、汗をぬぐうこともできない。駅までまだ五分もある。ぼくはじっと耐えていた。

 ぼくの目の前に、ふくよかな体型の若い女性がいた。ふくよかな――、というより力士のようだと表現したほうが適当か、その女の人の発する熱気が、車内の不快を高めているように思えた。「ごめんなさい」と女性が言う。ぼくはどきっとした。ぼくの表情から、ぼくが思っていたことを感じ取ったのかも……。「いえ……」とぼくは答えた。

 汗がどんどん吹き出てくる。ほおをたれる。メガネがずり落ちる。ぼくは上を向き、顔を振ってメガネを戻そうとした。ところがメガネは、もとに戻るどころか片方のつるが耳からはずれてしまったのだ。いまメガネは、顔の上にちょんと乗っているだけ。このまま首を戻すと落ちてしまう。顔を前に向けることもできない。くっ……、くそ、くそ……。顔をしかめたり、息を吹きかけたり……。しかし、やればやるほど状況はひどくなっていく。元に戻そうと必死だった。「戻れ、戻れ、戻れ」。ぼくは心の中でそう念じていた。

 そのときだ。メガネはなんと、なにかに操られたかのようにふわっと浮いて、ぼくの目の上に、元どおりすっとおさまったのだ。

 顔を前に向けた。女性は安心したような顔つきでぼくを見ていた。あれは、いったいなんだったんだろう……。そう、あれこそ、サイコキネシス。いままで考えたこともなかったが、ぼくは自分が超能力者だということを、そのとき知ったのだ。


 自慢しているように思われるかもしれないが、ぼくは、顔もそこそこ、スタイルもいい方だ。イケメンと呼ばれることにも慣れている。職場では、同期の三上さんや、後輩の上田さんや長島さんが、ぼくをめぐって火花を散らしていることも知っていた。七つ年上の楠部さんまでいろいろかまってくるのには、さすがにちょっと閉口していたのだが……。ともかく、この中のだれと交際すべきか、ぼくにはぜいたくな悩みがあった。そう、リカと出会うまでは……。

 リカ――、その名からは、足の長いすらっとした体型を想像してしまうだろうが、ぼくの言うリカはちがう。あの満員電車のなかで前に立っていた女の人のことだ。メガネを戻すのに苦労していたぼくのしぐさがおもしろかったのか、あのときのできごとがきっかけで、お茶を飲みに行ったり、食事に誘ったりするようになった。

 リカからアプローチされたのかって? そうじゃない。誘ったのはぼくで、リカのほうがぼくの求めに応じてくれたのだ。そりゃ、正直なところを言うと、はじめてリカを見たときは、「こんな女性はちょっと遠慮したいね」と思ったさ。でもね、メガネのできごと以来、ぼくの心のなかのなにかが変わったのだ。リカこそ、ぼくが求める人だったと気づいたのだ。


 リカと一緒にカフェにいたときのこと、メガネのときのできごと、ぼくがどれだけあせっていたか、どれだけ必死に「もとに戻れ」と念じていたか、という話をしたとき、口を大きく開けて、下品ぎみにゲラゲラと笑うリカが、とてもかわいらしく思えた。

 リカだけには、ぼくの超能力のこともばらしている。超能力はリカと一緒にいるときだけ使える。理由はわからないが、おそらくリカに対するぼくの想いが、微妙にからんでいるのだろう。ぼくは、リカの目の前で、手を使わないで、ナイフでステーキを切ったり、コーヒーにミルクを入れたりするのを見せてやった。「すっごーい。マジシャンみたい」。太いまゆ毛をつり上げて驚くリカは、チャーミングだった。


 半年後、ぼくとリカは結婚した。友人たちは「驚いたよ。いやーっ、まさかねえ……」と一様に言う。まさかねえ、のあとは、あんな人とねえ、という言葉が隠されていた。たしかに人から見ると、リカの容姿は美しいとは言えないだろう。だが、だれがなんと言おうと、いまのぼくは、リカほど美しい女性はいないと信じている。


 リカが朝食をテーブルに持ってくる。いつものとおり、リカの場所には大皿が二枚。リカは、たっぷりバターを塗ったトースト三枚と目玉焼き二つ、それにウインナーソーセージ一袋分をぺろっと平らげたあと「ちょっと物足りないわね」と言って、ドスンドスンと音を立てながら、またキッチンに戻っていった。あの魅力的なぜい肉はこうして作られるのだ。


 結婚後、リカの日記をこっそり見たことがある。そこに書かれていたことだが、リカ自身はむかし、超能力研究に関わっていたことがあるらしい。「エスパー研究所」なる組織に見込まれて、超能力の才能をみがいていたのだとか。リカは、「念力」、「テレパシー」それに「心理操作」という部門で能力があると書かれていた。

 この手の研究所というのはたいてい怪しいものだ。「あなたには超能力があります」とか言って持ち上げ、高額な訓練費をせしめる。おそらく、そういった詐欺まがいの組織だったんだろうと思いつつ、ぼくは日記を読み進めた。

 あとのほうになって、「Mちゃん」という単語をよく見かけるようになった。

「電車のなかでメガネ戻すのに苦労していた人がいた。念力で戻してやった。Mちゃん、かっこいい人」

「Mちゃんの心、コントロールしてやった。Mちゃん、好みの女はわたしになったはず。そうよ、デブ専」

「わたしの念力でミルクをコーヒーに入れてやった。Mちゃん、自分がやった気になっている。むふっ、かわいい」

 などなど……。思い当たるところがあるが、Mというのはぼくのことではない。ぼくの名前がケンジというのが理由のひとつだが、なによりも、ぼくはだれの助けも借りずに、ぼく自身の力でサイコキネシスを身につけたからだ。リカを好きになったことだって、ぼくの意思だ。だれかに説得されたとか、ましてや、心をコントロールされた、などということはあるわけがない。

 たぶんリカは、ぼくをモデルにMという想像上の人物を作り上げていたのだろう。そういえば小説を書いているとか言ってたっけ。これをネタに書くつもりなのだ。ひょっとしてこれ、リカの願望かもしれない。リカのやつ、ぼくのように超能力者になりたいと思っているのかも。純粋といえば純粋――、まあ、そこがかわいいんだが……。ぼくは日記を見ながら、ほくそ笑んだ。


 リカが、ラーメンを持ってテーブルに戻ってきた。

「帰りに、レストラン行くんだろ。ほどほどにしておけよ」

「ええ、わかってるわ。メガネちゃんもね」

「その、メガネちゃんっての、やめてくれって言っただろ」

「いいじゃない。ケンジのメガネ、とっても似合ってるんだから……」

 リカは、こしょうをラーメンにふりかけたあと、テーブルの端に置いた。こしょうのビンがテーブルから落ちる。「あっ!」と思ったつぎの瞬間、ビンはなんと、ふわりと浮かんでテーブルに戻ったのだ。

 すごい! ぼくの超能力は、いつのまにか、ぼく自身が無意識のうちにも、はたらかせることができるようになっている。ぼくのサイコキネシスは、こうまで進歩したのだ。

 リカは、なにも気づかない風にラーメンをすすっていた。


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