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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
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第7頁 禁忌と雨と少女

彼方は手の中の起爆装置を弄びながら、山道を登る。

もう20分ほどになるが、噂に聞くように別の参道に出るということもない。

―――やっぱり、父さんの言うとおりなのか。

昔から父は、嘘を吐いたことはない。戯言で翻弄したり、黙秘することはあっても。

「その点、スメラギとは違うなー」

すめらぎじゅうじは自他共に認める嘘吐きだ。

仕事に関わる指示以外は、彼の吐く言葉はほとんど作り話に妄想妄言。何度頭痛がしたことか。

『僕は正義を盾に、探偵稼業をしているわけじゃないからねー』

昔、彼が言った数少ない本音だ。その時の彼の表情には、常の余裕がなかったので、よく覚えている。

余談だが彼は、探偵事務所とは別に詐欺まがいの、『御祓い』のようなものもしている。姓から分かる通り、親類にそれなりに有名な霊能関係者がいるらしく、それを売名の種としているようだ。

彼方は基本的に、事務所の書類整理やら掃除、皇の小間使いのようなこともしていたので、実際に『調査』をするのは今日がはじめてだ。『御祓い』の方は、遠目に見たことはあるが。

かさ、と脇の茂みが音を立てた。反射的に目を走らせると、反対側の茂みから何かが飛んできた。

「!?」

あわてて体を傾け、それを避ける。地面に深々と刺さった、それは矢のようだった。

「ちっ」

小さい舌打ちが聞こえ、がさりと茂みから、人影が飛び出した。

「だ、誰だ!?」

声を掛けても、返事はない。木が幾本も伸びているばかり。

と、空気を切るようなかん高い音がした、ような気がした。

条件反射で地面を転がると、やはり矢が一本突き立っている。

「…っ」

上空を見上げると、そこには常軌を逸した光景があった。

背の高い、全身真っ黒な人影が、いわゆるボウガンを構えている。

黒づくめというわけではない。むしろ、全身黒に塗りたくったかのようだ。顔すらも。

その体は宙に浮いているように見えたが、すぐにそうではないと知る。

長いのだ、異様に。

自分が樹木だと思っていた、黒く細い影、そのひとつが伸び、生い茂る葉ではなく漆黒の上半身を月夜にさらしていた。細くゆらゆらとした手は器用に武器を構えている。

それを茫然と見上げていると、ずるり、という不快な効果音。さきほど先に音をたてた方の茂みからも、黒い影が伸びてきた。やはり手には、ボウガンのようなもの。

「っなんなんだよ、この山は…!」

苛立ち交じりに小さく叫んで、彼方は唯一自分に残された手を選んだ。つまり、逃走だ。

背後から飛んでくる矢を避けながら、かつ、起爆装置を傷つけないよう抱え込んで。

「面倒なもの、押しつけやがって…!」

とはいえ、それが仕事なのだから仕方がない。思わず口が荒くなるのはご愛嬌。

傾斜がゆるくて助かった、と彼方は思考する。そうでなければ、いかに同年代に比べれば身体能力に長けた彼でも、音をあげていただろう。

「でも、だいぶ距離を放したのにまだ、攻撃が止まらないなんて…射程は、どうなって……!?」

絶句、した。

振り返って見たのは、自分の駆け上った山道、その左右からゆらゆらと立ち上る、影、影、影。

間隔をあけながらもひしめき合うように並ぶ、西洋弓矢を構えたヒトガタの列だった。

ぐりん、と真っ黒な顔から白いだけの、丸い目のようなモノ(本当に象っただけのような)をのぞかせる。

ぞくり、と背を這うのは、殺気。

にたり、と哂う、気配がした。

「……っ」

息が詰まるようなそれを体感しながらも、少年は再び山を駆け上る。

背後から飛んでくる矢をものともせず、あるいは転がるようによけながら。

―――兄ちゃんに会う前に、死んでたまるか!






「今宵の月は、また奇麗だこと」

一人の少女が、その土地に立っていた。彼女は此処にいることが役目であり、宿命なのだ。

足元には、血色の花が咲き乱れている。時折白い花もまぎれているが、ほとんどは赤だ。

少女の瞳もまた、朱を宿している。その眼を月に向け、陶然と少女は佇んでいた。

しかし、急にその目線は外され、中空をとらえる。

「侵入者…それも、それなりの手練れのようですわね」

眉根を寄せるも、その美貌に衰えはない。見た目7、8歳にも関わらず、すでに大人の風格を少女はまとっていた。

「最近『門』をいじっている男がいたけれど、実害はないからと放っておいたのが間違いかしらねえ」

めんどくさげにため息を吐き、月光に照らされて銀の光を纏う見事な髪を、指で絡めて梳く。

「仕方ありません、わたくし自ら引導を渡しにいきましょうか」

杖のようにしていた傘を無造作に広げ、肩にかける。

そして艶然と、少女、海王夜アテネは微笑んだ。

「久方ぶりの、『シャバ』ですわね」





「だああああああああああ!くっそおおおおおおおおおお!!!!!!!」

走る、走る。

彼方は脇目も振らず木々と矢の雨を掻い潜り、ついに山頂近くまで来ていた。

しかし爆走を初めて30分近く、また途中から傾斜もはげしくなったことを含め、少年の体力も限界に近づいていた。

「っくそ、見えて、んのに」

幸いなのは、行く手には刺客の影はないこと。前後をふさがれていたら、万事休すだった。

「もう、すこし―――」

ガッ

固い、音がした。

激痛、焼けるような、痛い、痛い、痛い――――――。

「…っく」

頭を振る。

痛みは制御できる。長年育児放棄され、いじめを受けることも多かった彼方の習得しえた技術だ。

無造作に痛みの根源、左肩に刺さった矢を抜く。

―――でもこれで、左手は使えないな…

焦りはない。血が抜けて思考がクリアになった気もする。

「とにかく、これさえあそこにしかければ…」

木々を左右が覆う獣道、その終着点に一歩、踏み出した。

『彼方』

「………え」

『彼方、そこへいっちゃだめだ!』

声だ。

声がする。聞き覚えのある、それは。

『俺、言っただろ?その山に近づいちゃいけないって』

「!!!にいちゃ………」

『ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーか。ハズレダヨ』

黒い影が、矢の雨が、少年を襲った。

―――幻聴!?

右手、左手、各関節、わき腹。頬にかすり傷をつけられ、思わず悲鳴をあげ、身を縮ませた時だった。

唐突に。

それまで沈黙を守っていた空が、滝のような涙を流した。

『アメ!?』

『ツキガカクレル!』

魔法のように、気づいた時には雲がひしめき合い、雨を降らせていた。

―――影だから、光源がないと弱るのか

事態に慌てる影たちを見、彼方は逃げ出す。

叩きつけるような雨は己の傷も痛ませるが、失血で気を失うよりはましだと考える。

でなければ、くじけそうだった。

超常現象は、皇の似非『御祓い』で見慣れているつもりだった。

だからこそ、最初に影に襲われたときにも混乱せず、事態に対処できたのだと自負している。

けれど、先ほどの幻聴は卑怯だ。

一番今、会いたい人の声を聴かせるなんて

「っ卑怯担当はスメラギだけで十分だっての!」

叫びながら、身を引きずるようにして少年は、頂上にたどり着く。

そして、視た。

「…は」

先ほどまでの影なんて、鼻で笑ってしまう。

風の音が、雨音を掻い潜って聞こえる。耳に痛い、威圧的なそれは、網のようだった。

網、あるいは植物のつたのように地面から伸びた白い、光を帯びた糸のようなものが、天高く伸びる塔を覆っている。外から垣間見えた部分からも、父が撮影したという写真にも、そんなものはなかった。

―――これが、怪奇現象の根源、なのか?

『あの塔が結界となっている、燃やしてしまえばきっと、君がほしいものもとりに行けるんじゃないかな?』

「……」

無言で彼方は、動く方の右手で持っていた起爆装置のスイッチを入れ、無造作に、塔に投げつけた。

耳を裂くような、ドゴン、という爆破音。発火装置でもあるそれが放つ炎、爆発の衝撃。

そのどちらにも微塵みじんも動じず、塔と蔦の網が屹立していた。

それを見て彼方が感じたのは、決定的な差だ。光る網を見てから、あるいは幻聴を聞かせる影と相対したときにすでに、解っていたのかもしれない。

これは、人が手を出していい領域ではない。

同年代より聡い彼だからこそか、あるいは子供ゆえの純真な心だからか。彼方には見えるのだ。

網に抑え込まれた塔、その中身の禍々しい気配が。

どす黒い、コルタールのような色の渦があり、そこから漏れ聞こえる、男女が絡み合って焼け死んでいるような悲鳴。脳に直接刻み込まれるそれを抑え込むように、否、そのためにこそこの網はあるのだと。

彼方が放った装置の火は、あっさり消えたのは雨ゆえか、網の効果か。

「…無力だな、ぼくは」

雨が、激しい。

せめて木陰に潜りたいが矢傷も相まって、風邪でもひいたのか全身が熱を持ったようにだるい。

「……つよくなれた、と。思ったのに」

兄の庇護から離れ、皇にしごかれ、自分なりに体術もみがき。

けれど満足に仕事ひとつこなせず、きっと皇はこの結果では彼方の依頼を受けてくれない。

『彼方』

最後に見た、父と自分の血で染まった手を見る、泣き顔。

後にも先にも、兄の泣き顔はあれしか見たことがない。

彼方など、兄がいたときはしょっちゅう、彼の胸の中に泣きついたのに。

「…兄ちゃん」

会いたかった。父よりも母よりも、彼方にとっての家族は兄だったのだ。

心根の深くに、兄のそばにいないと自分には価値がない、という強迫観念があるくらいに。

「……じごくで、待ってていいかな」

「人様の庭で、物騒なこと言わないでくださいますこと?」

答えなど望むべくもない雨の中、響き渡る少女の声に、少年は驚く。

動かない身体を無理やり起こし、そしてまた、あんぐりと口をあけた。

彼方が不気味と感じていた穴、そこからこじ開けるように、するりと一人の少女が現れた。

金色の髪は後頭部で高く結われ、赤い瞳は理知的な光を宿し、纏う華衣かいはシンプルながらも品がある。

挿した傘をくるりと回し、少女は彼方のそばまで、歩み寄った。

「ずいぶんと若い侵入者ですわね。その割には爆弾なんて、物騒なもの持っていましたけど」

「……君は、だれ?」

「あら、先にこちらの領地に踏み入ったのはそちら。ならばそちらから名乗るのが礼儀ではなくて?」

くすり、と上品に笑う、笑みは妙に色気があった。こちらの背筋を、凍らせるような。

理解した。少女も、この塔と同じなのだ。

やすやすと人間が触れてはならない、この世の禁忌。それに携わる、常任ならざる存在感―――。

「スメラギが欲したのは、もしかしたらあなたなのかもしれませんね…」

「は?すめらぎ?」

少女の懐疑の声も意に介さない。否、今の彼方にとって、世のすべてが取るに足らないものに感じられた。

おのが存在ですらも。

雨が、さらに激しさを増した。

少女は、半メートルほど彼方から離れている。傘を弄びこちらを見る少女に、彼方は笑んだ。

「器物破損と不法侵入罪でしょうか、どうぞ訴えてください」

「は?」

少女の無表情が、当惑に歪む。美少女はどんな表情でもきれいだな、などと考えながら、理路整然と少年は自分の罪状を告げる。

「あなたの『庭』をぼくは傷つけようとました。さきほどあなたがおっしゃったようにぼくが仕掛けたこと、受けたこの攻撃も正当防衛とされるでしょう」

「あなた、何を…」

「ぼくの身柄を警察に引き渡すなり、今この場で落とし前をつけるなり、あなたに任せます」

仰向けだった体を上に向け、目を、閉じた。

「どうか、終わらせてください」

「…いやです」

少女の声は、小さかった。

「え」

「あなたは、死にたいだけでしょう。わたくしに自分の命を、安易に押し付けないでくださいますこと?」

ばさり、と結った髪を揺らして毅然と、少女は言い放つ。

「すべてをあきらめたような顔をして、あなたは何かにすがって逃げたいだけですわ!」

『なにかにすがって』

『にげたいだけ』

思い出す。

『彼方、ぼくに依存してちゃ、だめだよ』

「…でも」

口をついて出たのは、心からの。

「ひとりぼっちは、さびしいんだ…!」

ぼろぼろと、泣きじゃくる。それは、兄がいなくなってから彼方が、はじめて流す涙だった。

「にいちゃん、会いたいよ、にいちゃん、にいちゃ…!!」

両手と関節が痛むため、拭って隠すこともできず、涙を流した。雨と混じって、音すらも。

そして、それを少女は見つめる。先刻の当惑の表情ではない、顔で。

「…さびしい?」

半メートルの距離が、縮まる。

少女は、どこか呆けたような表情で、少年に問うた。

「あなたも、さびしいのですか?」

彼方は泣きやむこともできず、ただ小さく、それでもはっきりとこくり、と頷いた。

それをどこか満足げに、少女は笑みをたたえて近づいた。

傘を、傾ける。すでにずぶ濡れの彼には無用の長物だが、彼方にその傘の影は、日向ひなたのように感じられたという。

「なら、今度から雨が降ったら、わたくしが傘をさしてあげますわ!」

あなたの心に雨がふるなら

わたしがそばにいって、傘をさしてあげる

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