第6頁 共に償う
7年前の秋、彼方は『罪には罰が要る』ことを知った。
自分を案じ、守るために実父を傷付けた兄。彼を止めもせず、沈黙を守っただけの母と、血が出るまで殴られ尚笑っていた父。
兄の行方(監獄)をつきとめるため、少年はこの世の禁忌にふれることとなる。
◇
夜半過ぎに彼方が激しく叩く、古びたビルの一室。扉に下がったプレートには毛筆体で、『皇探偵事務所』の文字があった。
「スメラギ!依頼です、起きてください!」
アルミの戸がひしゃげんばかりに拳をぶつけていること数分、内側に開いたと思うと男の手が闇から伸び、彼方の首根っこをひっつかむ。と同時、室内に引きずり込まれた。
「…安眠妨害と騒音で訴えられるよ?」
あくび混じりに罪状を告げる男に、臆せず彼方は応えた。
「スメラギ、事件です」
パチリ、と電気が灯される。
つけた男---スメラギは無表情だった。探偵である彼は彼方の雇い主でもあり、彼方の父の友人でもある。その縁で小学生でありながら彼方は、名目上『子供の手伝い』としてアルバイトを許されているのだ。
「バイトくんが依頼?君、報酬払えるの?」
「…給料から差し引いてください」
「君が僕の仕事を手伝う、代わりに君んちの生活費を多少融資する。そういう契約なのは知ってるでしょ?」
淡々と事実を述べる姿は冷徹な探偵そのものであり、幼い彼方にも憧憬を抱かせる。目元のクマと無精髭がなければ、もっと格好いいのに、とも思うが。
「…兄が捕まってる刑務所が知りたいんです」
「…お兄さん、家出してるんじゃないの?」
「…父を、殴って。病院に母と送った日以来、帰ってません。けど、父に聞いたら」
『彼方君。うちで働きづめにされるより、ムショであった かい布団と飯にありつける方がいい、という発想はないのかい?』
「はは、あいつが言いそうなブラックジョークだな」
かわいた笑いはとってつけたものに近く、彼方にとっては事態の深刻さを無言で肯定されたようなものだった。
「兄さんは、僕を働かせたくなくて、守ろうとしてくれたんです」
今なら分かる、あの日の自分の言葉が、どれ程兄を傷付けたか。
『 にーちゃんばっかりつらいのはやだから、ぼくもはたら くんだ!ぼくもはたらけば、にーちゃんがじゆうになれる って、とーさんが!』
『彼方くんががんばればそれだけ、兄さんは楽ができる、僕らもがんばって普通の暮らしにするよ。どう、父さんと一緒にがんばって、働いてみないかい?』
彼方は、ただ幸せになりたかった。兄が笑って、父母が周りの家みたいに普通に働いて、愛してくれて。
仕事のはなしを持ちかけられたとき、とても久しく、あるいは物心ついてから初めて、父に話しかけられた気がした。母と目を合わせた気がした。やっと『普通』になれると思ったのに。
「…遥とは正反対のものを、お前は求めているんだな」
後頭部を掻きながら、男は呟く。
なぜここで父の名が出るのか分からず、首を傾げる少年に軽く、雇い主はうなずいてみせた。
「いいよ、君の兄さんを探してやる」
♢
スメラギが『調査料』として要求してきたのは、ある場所の調査。
彼方の家や皇探偵事務所のある田舎町には、小高い山がある。
鬱蒼と茂る森の中に、幾棟か垣間見える古い塔。
麓に数本伸びる獣道の入口にはすべて、有刺鉄線と「立ち入り禁止」の看板が掛けられていた。
昔、兄と数度通りがかったときに聞いたのだが、どこかの金持ちの別荘があるとかないとか。
けれどその建設は頓挫し、しかし土地の所有権は手放さなかったので建てかけの塔はおろか、生い茂る山の木々にすら手を出せないらしい。普通なら近所の子供たちが、いたずら半分で潜り込む、ということもありそうだが、なぜか森林を掻きわけるうちに、てっぺんにつく前に別の道に出てしまうらしい。それをお化けの仕業だの、幽霊がいるだのと騒いでみせるのがその山の、子供たちにとっての唯一の『遊び方』なんだそうだ。クラスでも浮いていて、友達も少ない彼方は知らなかったが。
「あの山、正確にはあそこに生えてる木だな、あれを資源として売りさばきたいって、何度か市の方でも話は出てるんだよ。ついでに山を均して住宅街にでもして、住人が増えれば一石二鳥だしね」
町興し、とまではいわずとも、東京の外れの田舎町だ。人が増えるに越したことはないだろう。
「そんなわけであそこの調査は、何度か俺も俺の同業者たちも依頼されてるんだけどね。噂通りに山の奥深くまでは入れないんだ。苛立った市長なんか、あそこに入れるようにした奴には何千万とある自分の財産を全部やるなんてわめいててね、祈祷師だの陰陽師だのが何人も一時期来たけど、だれも原因すら掴めなかったみたいだ」
参っちゃうよ、とどこかおどけた調子で言うスメラギに、彼方は首を傾げた。
「でもスメラギ、ならば僕とて同じでしょう?」
「うーん、そうでもない、かもしれないんだよね~」
「はい?」
「遥…君の親父さんが、昔見せてくれたんだ」
文机の引き出しから出した写真は、たしかに山間から見える塔の全貌だった。
煽る構図で撮られたことから、すぐそばまで近よってとったものと思われる。
「たしかにこれは、登った証拠ですね……」
「どうやって登ったのか聞いたら、彼は言ったよ。『僕は実はチェシャ猫なんだ。だから魔法が使えるんだよ』って」
「はあ?」
思わず呆れる彼方に、皇は肩をすくめてみせる。
「それがどういう意味かどうかはさておき、あの山に登らせない現象がすでに奇術めいてるのは事実」
そこで、といわんばかりに指をたてる、自称名探偵。
「彼はこうも言っていた。『魔法は自分の家系によるもので、きっと彼方君でもできるだろうね』と」
「…は」
遥の、つまり雨宮の家系になんらかの超常現象を引き起こす、あるいは耐性のある因子があったとして。
「なんで僕だけ?兄さんは?」
「さあ…遥は、『隣君は、別の才を色濃く受け継いだから』って言っていたけれど」
たしかに兄、隣は父より母親に面立ちが似ている。彼方は父親似だと、複雑ではあるが自覚していた。
もっとも、父の言うところの『家系』の力と容姿に関係があるかは、知るところではないが。
「まあ入ってみてよ。それでできれば、これを仕掛けてきてほしい」
渡されたのは、配線と基盤が透けて見える六面体が幾つか。
おだやかではない、瞠目する少年に、皇は薄く笑って見せた。
「『あの塔が結界となっている、燃やしてしまえばきっと、君がほしいものもとりに行けるんじゃないかな?』君の父親のアドバイスだよ」
♢
それから数十分の後、彼方は山の麓にいる。
あのとき皇に尋ねた、「あなたがそこまでしてほしいのは、報酬ですか?」と。
それに上司は笑って答えた。
「報酬より何千倍も金になるものだよ」
「…なんなんですか、それ」
「……かわいい女の子」
やはり彼は父の友人だ、人を化かしたような態度が苛立ちを誘う。
そもそも、父が入れるなら彼に頼めばいいじゃないかとも思うが、どうせ断られたのだろうとも気づく。
けれどなぜ、この怪現象を解くヒントのようなものを、渡したのだろうか。
それに、あの言葉。
『魔法は自分の家系によるもので、きっと彼方君でもできるだろうね』
まるで彼方にはいらせようとしているようにもとれる、言葉。
手の上の六面体―――簡潔に言ってしまえば発火装置を見つめながら、少年は物思う。
この山の近くは、不気味な現象と雰囲気も相まって民家はほとんどない、あるのは住人のいない廃屋が数件ばかり。これなら延焼の危険もないし、なにより爆音で住人の眠りを妨げる数も少ないだろう。
父親や上司と違い、モラルを守る少年である。
「さて…と」
2、3度屈伸してから目線を上げる。その先には闇夜に浮かび上がる、白いとがった屋根。
「待っていて、兄ちゃん。絶対会いに行くから」
たとえ、兄のように罪を背負ってでも。
あなたと同じ罪を負い、あなたと共に償いたい。
そうすればきっと、傍にいられる。
強がりなあなたは今、さびしい?ふるえてる?
だいじょうぶだよ、探しに行くから。