第5頁 電話越しの、7年振りの。
「…そこまで知ってるんだ。それも、海王夜のお嬢様の入れ知恵かな?」
こちらの拳を止めているのと逆手で髪を掻き上げながら、推定『敵』のクラスメイトは小首を傾げた。
その目線は鋭くもなく、かといって5分ほど前までの親しさも失われたドライなものだ。それからそらすこともなく、彼方は「質問に答えてください」と返す。
「んー。答えてもいいけど、タダってのはちょっとねえ。対価がなにごとにも、必要でしょう?」
「…望みは」
「やあねえ、望みなんてたいそうなもんじゃないわよ。あなたの女神サマを襲ったような、世界を欲するコソ泥じゃあるまいし」
それは、彼女が彼方の想定するカテゴリにはいないという解答で、ひそかに眉をひそめる。しかし実に、それは見とがめられた。
「あら、コソ泥だと思った?」
言いつつ少女は、こちらの手を急に放した。それを未だ訝しむ彼方。それを「疑り深いなあ」とため息を吐く。
ついで実が懐から出して見せたのは、携帯電話だった。
「ちょっと待っててね」
校内は携帯電話の使用を禁じているのだが…などと日常に埋没しそうな忠言を口の中で転がす。彼方はとりあえず窓をしめ、相手の出方を待った。彼女が『敵』であろうとなかろうと、力量で劣ることが分かった今、少しでも情報を得るのが先決だと判断する。少年にとって己が生きることが第一条件、女神の敵を討つためには生きなければ意味がないのだから。
「あ、もしもし師匠?実ですけどー」
つながったのか、実は親しげな口調で通話する。
二、三言交わしてから、「それじゃあ代りますね」と告げ、こちらに携帯を渡してきた。
「…誰ですか、コレ」
「んー。私が敵でない証拠、かな」
はあ、と気のない返事と共にスマートフォン―――ガラケーすら持たない彼方には縁遠い品物だ―――を受け取り、耳に当てる。
「もしもし?」
『もしもし?私、実の師で海王夜アテネと申します』
―――傷跡が、焼け付くように痛んだ。
『…もし?廻廊のことを御存知だとか。どこからそのことをお聞きになりましたの?』
「………『雨が』」
はい?と訝しむ相手に、伝える。
彼女が女神ならば知っているであろう、過ぎた黄金の日々の一頁を。
「『雨がやまないなら、私が傘をさしにいってあげる』。貴女はそう言って、僕を生かしてくれましたね」
長い金髪、真っ赤な瞳、白い傘をさした少女。
リコリスの赤い花が足元に咲き乱れていた。
電話口は沈黙を守っている。
覚えていないのだろうか。真実か定めかねているのか。
---あるいは、決別を意味しているのか。
「…ごめん、ねーちゃん」
小さく、呟いて彼は電話を切った。
「おりょりょ?もういいの?」
どこかとぼけた調子でこちらの顔を覗きこむ少女に、挑むつもりはもうない。
「ええ。お手間お掛けしました、青川さん」
その口調に先刻までの敵意はなく、一線をひいた仮面を被る少年がいた。
と、実の携帯が身を震わせる。タッチパネルで電話を受けると
『勝手に電話を切るなーーーーー!!!!!』
スピーカー機能要らずの叫びが響いた。
「師匠、拡声器要らずだねえ」
どこか他人事のように忍び笑う実、しかしそれに答える猶予も与えず、スマートフォンは品性を失わず叫ぶ、という芸当を続ける。
『こちらが言葉につまっている間に早合点して通話終了しないでくださいますこと?なーにが『ごめん』ですか、それは何に対する謝罪ですの?電話を切ること?7年前のこと?どちらかによって許す如何は変わりますわよ!』
「え…えと……」
『まああなたのことですから?沈黙を勝手にネガティブ解釈して決別だとでも思って、罪悪感も相まって謝ってしまったというところかしら』
図星である。鋭いところは変わっていない。
『…まったく。ばかなんですから』
溜め息、一つ。
『私が、あなたと袂を分かつわけがありませんわ』
---気持ちも?
『久しぶり、カナタ。会いたかったわ』
まるで、夏休みを終えて再会した級友のごとき気安さで。しかし万感の思いを込めて。女神が笑う、気配がした。