第27頁 リコリスの似合う君へ
地獄の花を摘んで、君の髪に挿す。
金色に鮮血の朱は好みが分かれるだろうけど、僕は似合うと思ったよ。
♢
時は飛んで、1月10日。
「学校も始まって、そろそろ生徒は脱・正月呆けしましたかしら」
「しっかりした子とそうでない子、顕著ですからね~」
「……あの」
窓辺で紅茶をすすりながらパソコンに向かう主と、ニコニコとポットを持って控える先輩メイドを胡乱な目で見て彼方は言う。
「アテネお嬢様は、学生ではいらっしゃらないんですね」
「アテネ様は10歳から15歳の5年間で、大学卒業まで資格をお持ちになりましたよ~」
「そして、代々我が家が務めるこの、蔦紡学園の理事を今はしております」
「………………」
もはや、スケールに突っ込む気にもなれない。
東京湾の一部を有する巨大な学園の存在を、都市部から離れた田舎町に彼方は住んでいたため知らなかった。が、噂には聞いていた。アニメや漫画でしか見られないような、超のつく金持ちと激を越える天才が集う学園があると。ちなみに、火鷹家別宅から車で10分もない場所にある。噂では一部の土地は火鷹家と融合しているとか、いや亜空間で分断されているんだ、などとまことしやかな噂も多数。
そんな学園の中央に位置する、数棟の高い塔。少し、『オルフェウス』を彷彿とさせる。その一つが今、彼らがいる『理事長室』のある時計塔。この塔の配置は学園のどこかにある巨大な『穴』(オルフェウスほどではないが)を封じている意味があるらしい。
創立100年を今年迎える蔦紡学園は、幼稚舎から大学院までエスカレータ式、編入は偏差値70以上でなければ認められない『天才のための学校』といえる。そのため癖の強い生徒も多いが、いじめなどの問題はそんじょそこらのお嬢様学校のようにお金や権威で解決させないことでも有名だ。天下の海王夜家が代々理事を務めているのも、保護者達の大きな信頼の理由である。
「いきなり、『今日は始業式ですわ』とおっしゃって車を走らせるから、てっきりお嬢様の学生姿が見られるものと……」
大晦日からこっち、結局ずっと火鷹家に滞在したアテネたち。何も遊びほうけるためでなく、廻廊に関することで調査やらがあったらしいが……自分の父のことだろう、とあたりがついているので彼方は口も手も出しづらく、しばらくアテネと話せていなかった。ので、『始業式』という言葉に久々にアテネと過ごせるのではないかと淡い期待を抱いていたのだが。
「そして制服姿とかも期待したんですね、分かります~」
「ほっといてください……」
どうせ僕は……といじけはじめた彼方を呆れ見ながら、一つ嘆息してアテネはノートパソコンを閉じた。
「わたくしは、理事ですから基本的にこれから学校で過ごすことになります。仕事はほとんど紙の上のことですから、あなたは暇でしょう。ですから、彼方はこの学園に入学しなさい」
「……え?」
がばり、と跳ね上げた顔が輝いているのを見て、アテネは微笑んだ。
始業式のあいさつを壇上でする自分を見上げていた彼方が、あんぐり口を開けていたのも面白かったけれど、その目線が体育館に敷き詰めるように並んでいる生徒たちを見て、遠いものを見るような目になったのも見逃さなかった。
「で、でも僕学費とか……払えませんよ」
「仕事でいつもかまってあげられない、せめてもの詫びです。それくらいわたくしが出します」
「し、しかしお嬢様!」
「彼方、言ったでしょ?わたくしはあなたを執事にしたい以上に、あなたの家族になりたいの」
そういう彼女の目は、とても優しくて。
唯花もくすり、と笑って
「私達の都合で、彼方くんの学生生活を奪ってしまいましたし。受け取ってくださいな」
「お嬢様……唯花さん」
「甘えて、いいのよ」
「……うん、ありがとう、ねーちゃん」
「さーって、許可が下りたところで学園内を案内しようか!」
「ずわっ!?」
バン、と大きな音と共に窓が開き、少女が一人呼び込んできた。
「っで、青川さん!?」
「ふっふっふー、ちょっとロシアに用事があって遅れたけど、まずはこれ!」
びしり、と床に正座して礼をとり、「あけましておめでとうございます」と言われてしまった。
「はい、おめでとう」
「おめでとうございます~」
「……クリスマスからこっち、姿が見えなかったのは旅行してたからですか」
若干、呆れの目で見ていると素早く立ち上がり、実は「ノンノン!」と人差し指を振った。
「仕事だよ、詳細は乙女の秘密だけれどねー。それで、さっき邸に着いたら彼方くんが蔦紡の始業式に同行したって聞いて、飛んできたわけよ!こうなることは予想してたしねー」
「はあ……」
ある意味、いつも以上にテンションの高い実に彼方はついていけない。が、書類を丸めた筒でアテネが彼女の後頭部を叩いて、
「彼方のこと心配して飛んできてくれたのはうれしいけど、落ち着きなさい、実」
「ちょ、師匠なにいうかっ」
うっすらと、頬を染めて腕を振る様をぽかんと見つめていると、唯花が耳打ちをしてきた。
「私達のより実さんは、『普通』の、彼方くん寄りの視点も持ち合わせていますから。学校をやめさせられた彼方くんがへこんでいるんじゃないかって心配して、今回の編入を提案してきたのも実は、彼女なんですよ」
「えっ」
驚きに彼方が目を見張ると、いたずらっぽく唯花は片目をつぶる。
「本当は、アテネ様は片時も彼方くんを手放したくないんです。でも、正月以来のお仕事三昧で、彼方くんを手持無沙汰にさせてしまっていることに申し訳ないと思えるようにも、なれましたし。廻廊関連のお仕事はまだ彼方くんにとっては、おつらいことを思い出させてしまうかもしれない、と遠慮がありますし」
「……いや、それは」
伯父と実母の死、父の凶行。なにより、兄の消滅と彼方の周りにはすべて、廻廊の影がある。
「覚悟できてます。僕が『雨宮』でなければ、お嬢様にもお会いできなかったんですから」
胸の古傷のあたりを握り、強く訴える彼方をそれでも、童女の笑みのまま諌める唯花の瞳には
「決して、彼方くんを過保護にしようとか、あなたの覚悟を軽んじているわけではないんです。それでも、100年の十字架を一気に背負わせるのは、あまりにもつらい。それにね、さっきアテネ様自身がおっしゃっていたでしょう?」
アテネを見つめるときと遜色のない、手のかかるいとしい子供を見るような、母性の光があった。
「主従以前に、家族になりたい。あなたとの絆を、大切にしたいんだって。それは、実さんも私も、一緒だから」
♢
さんざアテネと言い合ってから、彼方を連れて実は時計塔を辞した。もっとも、言い合いは子犬がじゃれあうようなもので、挨拶なのだと彼女は笑う。
「あなたお嬢様のSPでしょう……そばを離れて海外に行ったり、言い合ったり、自由過ぎやしませんか」
「私の役目は彼方くんの代理でもあったからねー、7年の間だけの。もともとは海王夜専属の諜報員ぽい仕事を任されてて、だから彼方くんのお迎えも私に任されたってわけ。王子様が来た今、カボチャの馬車はお役御免ってわけよう」
「え……」
「って言ったら、彼方くん余計な心配するだろうから、言わなかったのよん」
「……」
にやついて、言う彼女の本心はやはりうかがえない。
「公の場とかには、出るけどね。しばらく師匠は学園の方で忙しいだろうし、本業は私がかわりに請け負っておくってわけ。そのために、半年君を鍛えたんだぞ?」
言われ、そういうものかと思うにとどめることにする。それが、実なりの優しさなのだろうから。
「ああ、そうだ。もしものときのために、これ預けておくね」
言いつつ、着ていたジャケットの胸ポケットから取り出したのは、一枚の栞だった。
赤い花びらを数枚、透明な薄板ではさんでいる洒落た品だ。
「どうも……これは?」
「それ、オルフェウスに咲いている花の花弁だから、万が一のときはそれ使って」
「え?」
「きっと、助けになるわ」
微笑んだ顔は相変わらずの飄々としたそれで、首を傾げながらもありがたく頂戴することにする。
「それじゃ、次行こうか。校舎の方見る?もうほとんど誰もいないと思うけれど」
「はい!」
栞はフラグです
次回、転入生編。彼方くんの波乱の学園生活、開幕です