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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第二章 海と鷹と揺籠編
26/29

第26頁 慈雨であれ

「あけましておめでとうございます」

「はい、おめでとさん」

雪がやみ、まぶしい朝日を浴びながら朝食の準備をする。

セラフと京佑が下準備しておいたおせちを、朝早くに彼方も加わって仕上げる。今回は見学が多かった彼方だが、京佑が懇切丁寧に説明するのをまた彼も、懸命に頭に叩き込んでいた。それを微笑ましげに見つめるセラフを、また少し後ろから見る唯花は、思う。

雨宮―――忌み子の彼方を迎え入れることに唯花は最初、素直に頷けなかった。唯花の実家は、『花宮』の系列……京佑と同じ、『資格』のない『三つ杜』だ。セラフに至っては火鷹の現頭首……ステラの祖父が気まぐれに拾った捨て子に過ぎない。アテネがどれだけその子を愛しているかは7年、さんざ聞かされ知っていれど、幼いころから『同胞に在らず』として教え込まれた存在と肩を並べて仕事することに、忌避感を覚えない方が無理がある。それに自分たちのような紛い物がアテネたちに仕えることができるのは、彼のような本物がいないからでもある。彼方が現れたら、と自分達の処遇を危ぶむ感情がないわけでもなかった。

けれどそんな気持ち、彼方本人を見た瞬間吹っ飛んでしまった。

細い体躯と高めの声、きっとこの子は女装が似合う!と『3度の飯より人いじりが好き』と公言する唯花の本能が告げていた。

―――それに、そんな少年と話す主人の笑顔を見てしまえば、反対なんてできなくなる。

7年前。音信不通だった海王夜の一人娘が帰還したので年も近いからとえることとなった唯花は、一目見たときからその姿に、哀愁漂う瞳に惚れ込んだ。

『悲しそうなのにこんなに美しいのなら、笑顔にしてあげられればきっとどんなにかわいらしいのかしら』

動機は不純だが、一心に唯花は7年、アテネに仕えた。世話を焼き、仕事の補佐もし、海外を回らねばならなくなった間は一人屋敷を守り……それでも、ずっと見たいと思っていた笑顔は、得られなかった。それが今は、一人の少年が目の前に現れるだけで、あんなにも無邪気に、警戒心なんてまるでなくした笑みをうかべられるのだ。

それに、他の使用人たちともあっという間に打ち解けた。特に京佑は、三大名家の執事という立場上、心を許せる友は少なかった。特に、同年代の男性はいなかったからか、とてもよく彼方の面倒を見ているし、本来めんどくさがりのくせにとても楽しそうに自分から絡んでいる。彼方の消極的な性格を理解してのことだと、唯花は長い付き合いゆえの感で気が付いた。

自分の熱愛する主と、大切な同僚たちを盗られたようで妬いてしまう気持ちも少しは、あるけれど。

「唯花さん!京佑さんに教わって伊達巻を作ってみたんですけど、いかがでしょうか?」

「おう。味見してやってくれよ」

急に振り向いて二人に声を掛けられたので、一瞬固まってしまう。

「あの、唯花さん?」

「……ああ、すみません。頂きますねえ」

あわてて常のキャラに戻り、差し出された料理を摘まむ。

「!うん、おいしーです!ぐっじょぶです彼方くん」

「あ、ありがとうございます!京佑さんのおかげです」

「なーにいってんだ、実力だ実力」

ぐりぐりと肩をくんで彼方の頭をなでまわす京佑を見て、「彼が来てくれてよかった」と、改めて唯花は思うのだった。






食後のお茶を、談話室でする午前九時。窓の外を見れば、数人の使用人が除雪作業にいそしんでいる。

「そうだ、おこじょ。鳶揺から新年のあいさつ、きたぞ」

なんでもないように、京佑が言う。それにステラは飲んでいた紅茶のカップを置いて、目だけで答えた。

胸ポケットから例の封筒を取り出して、渡すのを見ていたアテネが

「彼方、私にも来ているでしょう」

と言われ、彼方も慌ててポケットの封を渡す。すでに開封したステラからペーパーナイフを借り受け、鳥の蝋を切り裂いて中身を取り出した。かさり、と音を立てて二枚組の便箋を各々読みだす。

手持無沙汰な彼方は唯花に「あの、毎年こんな感じなんですか」と尋ねる。

「こんな、とは?」

「いや、緊張感ある、と言いますか」

ああ、とそれに呟いて、いつもの童女めいた笑みをひそめて唯花は答える。

「この手紙は新年の御挨拶であるとともに、昨年の定例報告も兼ねていますから。三大名家はそれぞれ、火鷹が『深淵へと至るセイレーン』、鳶揺が『最古にして最凶の武器マガタマクイ』、そして海王夜が『核とつながるオルフェウス』の管理を任されています。その報告を、毎年の末にするんですよ、昨日京佑さんと彼方くんが外を回っている間にしていたのが、それです」

「それで、鳶揺はその会合に参加しない代わりに、年末年始の挨拶とまとめて書面で報告してもらうってわけだ。まあ、あいつらに任せてる『凶魂喰イ』は実在自体が曖昧な代物だから、毎年大した報告は見られねえけど……」

「終わりましたわ」

京佑も交えたレクチャーがひと段落ついたのを見計らったかのように、アテネが便箋をたたんだ。

「わたしも。セラ、お願い」

「はい」

二人の少女に渡された便箋と封筒を、ためらいなくセラフは傍の暖炉に放った。

「ちょ……え!?」

一瞬呆けて、それから騒ぎ出す彼方を制するように京佑は苦い顔でその背を叩く。

「あれは重要書類なんてもんじゃないからな、『資格』あるやつしか読めない例の文字で書いてあるし」

「けど、本来あってはならないものですから。鳶揺が、出したものですし」

やはり、言いづらそうに唯花が言って、ようやく彼方は理解する。本当に、鳶揺と他二家は関わってはいけないのだと。便箋一つ、文一枚証を残してはいけないのだと……

「さあ、辛気臭い話はおわりよ!セラ、京佑、お茶を淹れなおして頂戴」

切り替えるように、手を打ってステラが命じる。京佑に手をひかれてそれに参加しようとした彼方を、つ、と袖の先を握って呼び止めたのはアテネだ。

「彼方、少しお話ししましょうか」

「……はい?」

いいから、とやや強引に談話室を辞させられた。廊下も暖房はきいているが、やはり室内よりはやや寒い。

「お嬢様、風邪をひいてしまわれます。やはり中に……」

「先程の手紙は、あなたが受けとったそうですわね」

「え?あ、はい」

硝子の窓を背に向けて、アテネは無表情になめるように、彼方を見る。午前の日差しが後光のようにさし、天使の輪をつくっていた。

「……うん、変なものは付けられてないみたいですわね」

ややあって、満足げにため息をつく、アテネ。途端、場の空気も弛緩する。

「えっと……」

「毎年あるんですよ、手紙を渡すのにかこつけて、使用人にちょっかい出すような呪符を忍ばせてくる、なんてことが。悪意も害意もないような、ちょっと酔わせたり幻覚を数時間見せる程度のですけど」

「……」

それでいいのか、鳶揺。そう内心で呟いたのを読み取ったように彼女は腕組んだまま、「いいんですよ」と苦笑した。その笑みは、本当に苦い思いをかみしめる、というような。

「そんな悪戯すら、あの子の意志でやってはいないんです。『常に鳶揺は害成す者』という、いわばポーズですわね。彼らは悪で、私達は善。そういう方程式で常にいないと、均衡が崩れてしまうとあの子は未だに思い込んでいます。……実際そうですから、何もできませんけれど」

「あの子、って?」

笑みが、深まる。目が、合った。

咲愛さくら……鳶揺の、現頭首。あなたと同い年ですわよ、彼方」

黒い髪、黒い瞳。日本人としては当たり前のそれを、他二家の眩い金髪が正義の証だと教えられているから、罪で塗りたくられているモノとしか思えないのだと。

「立場上、直接顔を合わせられるのは年に数回ですけれど、個人としてはあの子、嫌いじゃありませんの。仕掛ける『悪戯』がちょっとお馬鹿さんなところも、かわいいですし」

「はあ」

「だから、決して咲愛自身を嫌悪しているわけじゃないのよ、彼方」

笑みをひそめてそう言うアテネは、どこまで見抜いているんだろう。







燃え落ちる手紙を見て、彼方が思い出したのは、中学生のころ。

『こいつ親に捨てられて、二丁目のマンションの、ニートのおっさんちに押し付けられたんだぜー』

『うわーこいつに触ったらニートになる!ゴミの臭い移るぞ~』

『しかも変なモン見えるって言うんだぜ!』

『何もないのにビクってなったり、知らない大人によく声かけられてるしさー』

『イカガワシイ仕事とかしてるんじゃね?』

地域の中学に進学した彼方は、小学校以上のいじめを受けた。アテネとの別離以来、世界の穴に敏感になったせいで『歪み』を抱えた人間に絡まれることも多く、何も知らない同級生たちには不気味なやつとしか見られなかった。

引きこもりの伯父の評判も決して良いわけがなく、それすらも引き合いに出されて物理的精神的攻撃を受ける日々。それでも彼方は一心に耐え、毎日学校に通っていた。そのおかげで、皆勤賞がとれたほど。

卒業式の日、彼方のクラスでは隣りの席の相手と手紙を書き交換するという、中学生にしては幼稚なイベントが組まれた。学生内では通称告白イベントともされ、盛り上がるため廃止には至らなかったのだけれど。

いじめられっこの彼方はその頃には適度な社交術で敵をいなすことも覚えていて、目立った迫害は減っていたもののクラスメイトの大半は彼を侮蔑の眼で見ていた。彼方自身もこのイベントは自分とは縁遠いものだと思っていたので、手紙の用意すらしていなかった。けれど、卒業式当日、一年間隣席だった少女が

『あの、雨宮君。よかったら交換、しない?』

『……え』

その少女は学級委員長で、真面目かつ公平なことから多くの同級生に慕われていた。彼女はそれまで幾度か級での行事でハブられる彼方を、同情的な目で見てきたことはあれど声はかけてこなかった。けれど、今日になって白い便箋を渡してきた。

『最後だし、参加しようよ。紙がないなら、これ使って』

卒業式という節目だからか、曇りない笑顔で言う少女の好意を、めずらしく彼方は跳ねのけられず。

柄にもなく、心躍らせ真剣に便箋を埋めた。一年間おつかれさまとか、いつも心配してくれてありがとうとか、他愛ないことだったが。教師の号令で交換したそれを読む少女の横顔を、ついつい横目で確認してしまって。ややあって、花が咲くように彼女が

『雨宮君って、素直なんだね』

というから、もう二度と高鳴らないはずの心音が跳ね上がった気すらもして。


けれど、放課後の教室で級長が友人と話しているのを、彼方は聞いてしまった。

『あ、××。雨宮からもらった手紙、どうしたの?』

『えー。キモいから捨てたよ?焼却炉に』

『うっわ、ひっどー。天下の学級委員長様がすることじゃなくない~?』

『いいのよ、先生に最後位雨宮も参加させろって言われて、仕方なくやっただけだもん。今更内申に響くこともないけど、逆らって利点もないしね』

『腹黒委員長キター!』

『だってあのひと、いっつもハブられてるとき情けない顔してて、不快だったから睨んでたの「心配してくれてる」って思ってたんだってさ、ばっかじゃない?』

『うわ、ニートと暮らしているから頭の中しけっちゃったんじゃね?』

それ以降は、下品な笑い方が嫌で嫌でその場から逃げ出した。

別に、よかったんだ。最後まで一人だって。この先僕は、誰にも頼らないって決めてるから。女神を守れなかった僕は、失楽園して罰せられている最中なんだから。

でも、彼女の行為が好意だと思ったことすら、感謝の意を述べたことすら、許されないのでしょうか。浄化の炎に無に帰されねばならない、ことなんでしょうか。

『みんなと違う』僕は、一生スケープゴートなんでしょうか。

その夜は、皇にどんなにせがまれても家事をほっぽり部屋で泣いた。彼方の仮面がより冷徹になったのは、その次の日からだった。







多分、他人から見たら滑稽な決まり事って、世の中にはありふれてる。

悪しき因習、と言いながら変化を恐れ、均衡を守るため続けている。

他者を傷つけ貶める、業の深い人間の性。

「七つの大罪って、御存知?」

「……キリスト教、特にカトリックで扱われる用語ですよね。人間を罪に至らしめる欲望の、総称で」

「そう。私達のような財と権力を持つ者達は特に、こういうことに囚われやすい。100年前の『惨劇』だって、当時の誰もが降ってわいた幸せに酔っていた。誰もが自分たちは選ばれた存在なのだと思いあがり、それ以上の幸運を得ようと、あるいは独占しようと欲望に対する蟒蛇うわばみと化した」

それまで蔑まれていたことが、より大きな増長を呼び、結果として彼らは強欲に身を滅ぼした。

「喉元過ぎれば熱さを忘れ、同じことが繰り返されるのを何より恐れている。『もっと寄越せ』と叫ぶ前に、目の前の幸せを失くすことに怯えている。誰よりも、きっと私達は臆病なんです」

「……でも、なんで鳶揺かれらを貶めなきゃ、いけないの」

「『惨劇』を、忘れないために。そう、それだけのために何も知らない末裔すらも、私達は蔑むの」

醜いでしょう?と首をかしげる瞳はうつろで、昨日の京佑を思い出させる。自分達が異常だろ?と問いかけたときの。

「だから、忘れないでくださいね」

「え……」

「彼方には、それを『おかしい』と思う感覚を、忘れてほしくないから」

寂しそうに、少女は微笑む。

『君はその普通の感性を、忘れないでほしいな』

世界のためには罪のない人間を幾人も殺し、貶め、100年ずっと見える形での善悪に固執する、名家。

「……うん、分かった」

首肯した彼方に、アテネはやはり少しさびしげに笑う。

それは、愛する男が自分の側に来てしまうことができないからか、あるいは自分がそちらに行けぬためか。

筆者は三大名家のやり方を肯定しません。いじめ、ダメ絶対。

けれど、儀式的に貶めていなければ彼らは何も知らない人たちに受け入れられなかった。『名家』という看板が盾にならなくなった今、『世界の崩壊を救った英雄』という新たな看板、盾が必要だった。


この悪しき因習を、アテネやステラたちも決して肯定はしていません。ただ、容易には断ち切れない理由があります、何事にも。

彼方は、長い歴史の外で育てられた関係者として、腐った関係に楔を打ってくれることをアテネたちは期待しているのかもしれません。

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