第24頁 翼と縁/裏切りの一片
「あら?京佑くん」
キッチンで談笑していると、入口から女性の声がかかる。振り向けば、メイド服の女性だった。
「おお、セラさん、おつかれーっす」
砕けた調子でゆるく手を振る京佑から、隣りにいる少年に視線を移す。
「あら、そちらが例の……」
「そ、アテネの王子サマ」
「ちょ、京佑さん、王子って!」
慌てる彼方に吹き出し、くすくすとメイドは笑う。彼方の赤面が加速したところで、「ごめんなさいね」と目じりに浮かんだ涙を拭いた。
「御噂を、海王夜様や我が主人から聞いていましたから。初めまして、私は星の専属メイドのセラフと申します。セラ、とお呼びください」
「あ、ご丁寧に……僕は、雨宮 彼方です」
丁寧な辞儀にあわててぺこり、と返す彼方を、柔らかい瞳でセラフは見つめた。
「彼方くん、とお呼びしても?」
「は、はい!」
途端、犬が尻尾をちぎれんばかりに振る幻覚が見えるほど、あからさまに彼方は喜んだ。思わず、また笑いが零れる。
「本当、海王夜様がおっしゃっていた通りの方。純粋なんですね」
言われ、わずか瞠目し、赤面する。アテネにそう称されていたことも照れるが、オトナな雰囲気の女性に見守るような目でそう言われると、むず痒いものがある。まるで、聖母のような人だと、思った。
「セラさん、用事があってここ来たんじゃないの?」
ふと京佑が問えば、そうそうとセラフは自らの手を拳で打つ。
「昼食、ご用意しようと思って。京佑くん手伝ってくれます?よければ、彼方くんも」
「おうよ、彼方も一緒に料理しようぜ!」
「え……でも」
いくらその辺の男子高校生よりは家事スキルがあるとはいえ、あくまで平均値。名家の令嬢たちの舌に合う料理が作れる自身が、彼方にはいまいちなかった。が、そんな気持ちを見透かしたかのように京佑は
「足ひっぱるとか気にすんなよ。これから覚えればいいだろ?教えるし」
「あら、わたくしだってお教えしますわ、伊達に10年近くメイドはやってませんもの」
「そうそう!それに、親睦を深めるならやっぱ共同作業だろ。林間学校のカレー作りとかな!」
「あら、懐かしいたとえ方ですわね~」
セラフと京佑が、見ている。およそ彼方が同年代に向けられたことのほとんどない、笑顔。
「だから、一緒にしよう!」
親愛の、笑顔。
「……精一杯、お手伝いさせていただきます」
そう答えて、彼方は二人の手を取った。
♢
「そういえば、お二人も『三つ杜』なのですか?」
冷蔵庫の中身から、メニューは自然と魚介類のパエリアと野菜スープに決まった。セラフ主導のもと、男二人は並んで貝やエビの解体に取り掛かっている。
「いんや、違うぜ。てか、彼方の『雨宮』が久しぶりなんじゃないか、『三つ杜』が表れるのって」
「え、三大名家って必ず『三つ杜』が仕えるんじゃないんですか?」
「100年前まではなー」
「……100年前の襲撃で、一時期は三大名家も『三つ杜』も、壊滅しかけましたから」
どこか苦しげなセラフの言い方に、彼方は質問を躊躇してしまう。
しかし、京佑は平然と、
「てか、滅んだんだよ。当時の頭首やその妻子、仕えていた『三つ杜』やそうでない使用人も巻き込む『惨劇』のせいで、な」
「京佑くん!!」
それをさえぎったセラフの声を、さらに鋭い声と目線で京佑は制す。
「セラさん、彼方は直系の『三つ杜』だ。いずれは筆頭を継ぐ男が、何も知らないのは不公平だろ」
「でも、それは海王夜様が時間を掛けて…………」
「アテネの意見はそうかもしれねえ。けど、それによって守られるのはこいつじゃねえ、あいつ自身の子心だ」
「でも……」
「俺は、アテネも彼方も好きなんだよ。だから知るべきことは、残酷でも教える」
きっぱり言ってのける彼の横顔には衒いもふざけもなく、誠実さだけがあった。
その迷いない視線はセラフを俯かせたのちに、彼方に向けられる。
「彼方。お前の先祖は敵にやられたんじゃない。他の『三つ杜』や三大名家を守るための生け贄として、壊滅させられたんだ」
「……え?」
きゅ、と蛇口を開いて、セラフが米をとぐ。ざばざばと、流れる水と米をかき回す音。
その横で、彼方は茫然と京佑を見た。
「『三つ杜』と三大名家は、それぞれ『火鷹』には『花宮』、『鳶揺』には『月宮』、『海王夜』には『雨宮』が仕えているが、縦のつながりより横のつながりの方が強いんだ」
「……主従関係よりは、名家同士と従家同士のつながりがそれぞれ強い、ってことですか」
そうだ、と首肯しながら京佑は手早く解体を再開する。彼方にも目で続行を支持するので、耳に神経を集中させつつ手を動かす。
「形式上、どこの従家がどこの名家に仕えるか決めてはあるが、必ずしも『火鷹』は『花宮』を選ばないし、『海王夜』を『月宮』が選ぶことだってある」
初代名家の頭首たちがその順番にしただけで、うまく選ばれなかったときはそれに従っていた、というだけのことらしい。
「選ぶって、どうやるんです?」
「別に儀式的なことはしねえよ。主従がある程度ものごころついたら、勝手に会うんだ」
「……7年前、彼方くんと海王夜様が最初に出会われたときの、ように」
それまで沈黙していたセラフの言に、少し安堵したように柔らかいまなざしを京佑は送った。
二人に挟まれ、彼方は思い返す。あの奇跡のような出会い方が、偶然でないというのも頷ける。まさに、
「惹かれあうんです、本質が。人里に溶け込んで、一族として固まって住むわけではない『三つ杜』に、まるで篝火を焚いているように眩く見えるそうですよ、自分の主人は」
激しい雨の中、失血で歪んだ視界にも彼女の差し出した手が、その微笑が光を帯びているように見えた。
「大きすぎる穴を抱えたこの『世界』に選ばれた、人間の持つ『異質』と世界の穴に敏感な感性を持つ人々『三つ杜』と、穴から漏れ出る『図書廻廊』の常人を狂わせる空気に耐性があり、それを操ることすらできる力を得た人間達……後の三大名家ができたのは、第二次世界大戦直後のことだった」
「穴を『扉』として封印し、見張る協力者が必要だった『守護獣』には、彼らの存在は好都合でした。ゆえに、協定を結びました。『オルフェウス』の監視及び各地のほころびを早急に探査、修復の補助を依頼する代わりに、名家と従家としての『看板』を用意する、と」
「戦後混乱期、名家にしろ『三つ杜』にしろ、その異能に反発を喰らって迫害されていた。普通の人間からすれば見えもしない世界の穴に騒ぐ狂人だからな。名家の連中なんて、妙な空気を操って他人を狂わせられるんだし。悪魔憑きとか、妖怪の類だって騒がれて」
そこで、『名家』とその家に仕える者として地位と財産を与えて身を守る術を与えたのが、守護獣ということか。納得しつつ、彼方は最期の貝の殻を壊す。
「でも、立場を与えられたことで図に乗るやつらも現れた」
「それが、『惨劇』の引き金だ」
公には工業紡績業その他で商売で成功を重ね、それぞれの名家は成金ではなく名だたるとしていつの間にか人々の記憶に刷込されていた―――おそらくは成金だと反感を買いやすいゆえに守護獣が配慮してくれたもの―――ために、社交界に参戦する必要が出てきた。自分たちは特に努力もしていないのに、奴婢から名家に10年足らずで成った事実。雲上人だったブラウン管ごしだった著名人や政府の人間が、へこへこ頭を下げてくる毎日に、『自分達は選ばれた存在だ』、『図書廻廊は守護獣ではなく我々こそが守っているのだ』とおかしなことを提唱する者がでてきた。
「人間の罪深さが表れてるよなー。強欲まじコワイ」
「はあ」
「で、挙げ句の果てに闇組織の人間を使って、『オルフェウス』及び『図書廻廊』を制そうとした家が出てきたんだ。それが、残る三大名家の一柱……『鳶揺家』。俺ら三大名家に連なるやつらにゃ、『惰性の生が罰』の『裏切り者』ってのが通り名だけどな」
「そして100年前の『惨劇』で、鳶揺が放った刺客に当時の三大名家頭主やその妻子、側仕えしていた『三つ杜』や関係ない使用人たちも辺り構わず殺して回られました。正直、群れずに人里に馴染んでいる『三つ杜』の方がこの場合は助かっていたんです。名家として固まっていたせいで一気に頭主たちは討たれた。首謀の鳶揺も相打ち同然に壊滅寸前で。何より、無理矢理こじ開けられた『オルフェウス』の穴が『守護獣』や生き残った者達では封じ切れないほどに、広がった」
戦後の相次ぐ地震、天災はその余波だと。
失われようとする協力者、生き残っている『資格』ある者達と扉を生かすために三大名家は決断をした。
生き残りの多かった『三つ杜』の雨宮を生け贄に、穴を封じることを。
作った体勢を守るため、これ以上の争いを防ぐため、争いの火種である穴を制した火鷹。
生け贄を差し出して傍観者を選んだ海王夜。
生かさず殺さず、ただの『歪み』を抱いた侵入者になられては面倒だからと利用され続けることとなった鳶揺。
「『資格』ある雨宮の生き残り十数人が火刑に処されて、能無しとしてスケープゴートになり他家と残る従家の結束を強めるための、まさに生け贄だったんだ」
語られた真実は凄惨で。
立ち尽くす彼方の手から貝の実を受け取り、ザルに入れて洗うセラフ。黙々と磨いだ米を炊飯器にセットして振り返った京佑が、言う。
「『資格』がない雨宮の人間たちは、白い眼で見られることが耐えきれず、微々たる金とともに追放されたらしい。その後、固まって暮らすこともなくこの100年、各地に散らばったものだと聞いていたが……」
きゅ、と蛇口が閉まる音。セラフが食材をまな板の傍に並べ、調理の準備を始めた。
彼方は、動けない。
「お前は、どう思う?」
「……何がでしょう」
「『世界』のため、って謳って皆殺しにしたり、生け贄にしたりすることを平気でできる俺達を、どう思う?異常だろ?お前は、そんな人間ばかりのトコロに来たんだ」
京佑が目で問う、「覚悟はあるか?」と。
生け贄とされた一族の生き残りとして、彼方は生きなければいけない。
「京佑さん。僕はね、ねーちゃんと生きられるなら他はどうだっていいんです。7年前からそれだけはずっと、変わっていないんですよ」
父にも言ったんですけどね、といいながらにじませた笑みは、多分きっと歪んでいる。それでも、京佑はそれでいいと、思う。
そんな彼だからこそ、『鍵』と成り得るのだから。
「ねえ、ご飯まだー?」
ひょっこりと、ステラがキッチンに顔を出した。隣りにはアテネもいる。
おお、すまんと京佑がこたえようとすると、二人が話している間にセラフが一人、調理を完了させていた。
「お米が炊けたので、もうすばらくお待ちくださいね~」
「はやっ」
「おー、パエリアじゃん、好きだわ」
「あら、セラさんのお料理久しぶりですわね~」
「すまねえ、セラさん!片づけは任せてくれ!」
「その前にお皿出してくださいな。彼方くんも、ぼさっとしない!」
「あ、はい!!」
バタバタとあわただしく京佑と並んで食器棚に駆け寄る。必要な皿を出して、食前に紅茶を淹れなおす。
あっという間に仕上げを施したセラフに代わって料理を盛り付け、フォークを並べた。
キッチンの食事スペースに用意された料理に、少女二人は目を輝かせて、手を打つ。
「「いただきます」」
穏やかなその光景に、自然と彼方の頬が緩んだ。