第23頁 鷹飼いし娘/My dear friend
「これから火鷹家に行きます」
「……はい?」
主人の鶴の一声で、現在彼方たちはヘリに乗って、東京都某区に向かう。
火鷹家次期頭首の少女が、そこで暮らしているらしい。通学時間の関係で本宅ではない、別邸に少ない使用人と住んでいるとのこと。
「どんな方なんですか?」
と彼方が聞けば、少し考え込んでからアテネは
「……小さいですわ」
と端的に答える。どういうことだ、身長の話か。
「中学生なんですよ、まだ。精神的にはアテネ様よりずっと大人で、お姉さん役をしてくださっているのですけどね」
「お黙りなさい、唯花!」
横から口を挟む唯花に、赤面しながら静止をするのを尻目に彼方は、窓の外を見やる。
およそ一時間ほどで火鷹邸に到着したのだが、「あきらかに某区の大きさ越えてません?」と呟く。それほどに、広大な屋敷と庭園だったのだ。屋敷の上空をモノレールの線路が通過しているのすら見えて、彼方は突っ込んだら負け、という台詞を内心で念仏のように繰り返した。
その広大な敷地内の、ヘリを止められるらしい場所に停まった途端、足早にこちらに駆け寄ってくる少女が見えた。日光に煌めく金髪をなびかせて、真っ赤なタートルネックと緑のミニスカートをはいた少女は、ヒールの高いブーツで器用に駆けてきて……そして器用に、転んで前屈一回転をした。
「ぎゃびるん」
奇声プラス大回転に茫然としていると、コンクリの地面は痛かったろうに平然と立ち上がり、花が咲くようにその少女は笑った。
「おかえりなさい!アテネ!」
♢
「火鷹星、14歳。火鷹家次期頭首で、私の幼馴染ですわ」
「はじめまして!さっきは変なとこ見せてごめんね~」
場所は変わって、屋敷内の応接間らしき一室に、アテネ一行は通された。すっころんだときに負ったらしい膝の怪我を執事に治療させながら、照れくさそうに少女は笑う。それをあきれ顔で見ながらアテネは、
「まったくもう、ステラは落ち着きがないんですから」
と溜め息をつく。先刻、唯花が言っていたような大人っぽさは、悪いが目の前の少女には微塵も感じられない。どちらかというと天真爛漫という表現が似合う少女だ。
「で、彼がアテネの王子様?」
ふと目があうと、目を輝かせてステラは彼方を指差す。え、と驚く彼方をよそにみるみる赤面したアテネが、「お黙りなさいっ」と口をふさぐ。それを華麗に避けて、
「てことは君が、『カナタ』くんか。話は聞いてるよ~」
にやにやと、猫みたいに笑うので何となく目を反らすと、向かい合って座っていたアテネの背後に周り、傍に控えている彼方に、ぐいっと近づいた。その碧の眼を煌めかせて、「アテネを出してくれて、ありがとうね」と、おそらく彼にしか聞こえなかった程度の声量で囁いた。
「は……」
「ちょ、ステラ近いですわよ!」
アテネのブーイングに笑いながら一歩身を引いて、楽しそうに向いの席に戻った少女を再度見つめる。
「何を彼方にひそひそ言ってましたの?」
「アテネのスリーサイズ」
「バッ……!?」
「嘘だけど」
「………!?!?!?」
声にならない絶叫を上げる主人に、その豊かな表情に彼方は、思う。
『友人、信頼できる仲間、忠実な臣下』
敵も多いだろう財界を生きる中で、彼女が今のように感情を出せる相手がいたから、今もアテネはアテネでいられるのだろう。
「それで、今日は大晦日だけどアテネは此処で年越しする?」
「よろしければ、そうさせていただきたいですわね。彼方の紹介も、したいですし」
「言うて、7年間ずーっとノロケ話聞かされているから、あんまり他人の気しないけどね」
「!!!!!」
また声にならない叫びをあげるアテネを放置して、自分の膝を手当てしてくれていた執事にステラは、何事か言う。と、その執事の少年(およそ彼方と同い年程度)は応接間を辞した。
「さて、と。彼方くん」
再度、膝が万全になったからか先ほどより滑らかに彼方に歩み寄るステラは、やはり瞳をきらつかせて企み顔だ。整った顔立ちを愉快そうに歪め、その手を伸ばし、
「えい」
ふに、と彼方の頬を掴んだ。そのままぷにぷにと、引っ張ったりつついたりしている。
「……あの」
「嗚呼、確かにこれはハマる」
まるで中年サラリーマンが、仕事終わりにビールを一杯飲んだかのように「クーッ、たまらん!」と呟きながら、頬をいじる手は止めない。仕方なく、主人に助けを乞おうと視線を走らせれば……
「ステラばっかりずるいですわ、えい」
反対側の頬も、アテネにいじくられはじめる始末。
「アテネが言うとおり、彼方くんのほっぺは触り心地いいわねー」
「でしょう?夜、寝つけない時はよくつまみながら眠ったものですわ」
のほほんとしたオーラでつつきタイムはおよそ5分は続いた。その間彼方は真顔で微塵も動かず、控えていた唯花と、紅茶を用意してもどってきた執事の少年が背後で笑いをこらえていた。
「はふう、気が済みましたわ」
「ごめんね、彼方くん。痛かった?」
「いえ、お楽しみいただけたなら」
よかったです、との語尾はしりすぼみになる。腫れ気味の頬を撫でながら、彼方はこっそりため息をついた。男として、今の扱いには若干以上の不満はあれど、ここはポーカーフェイスが大人のマナーだ。そして、一流の執事としてのたしなみだ、多分。
そんな彼方の内心の葛藤を知っているかのように、ますます笑いをこらえきれない執事服の少年に、ステラが呼びかけた。
「京佑、これから少しアテネと仕事の話があるから、彼方くんにこの屋敷を案内してあげて?」
「ぷくく……了解、御嬢様」
未だ笑いの沸点冷めやらぬといった体で、それでも敬礼した少年は、彼方を見てニカッと笑う。表裏のない笑い方だった。
「俺、華坂 京佑ってんだ。よろしくな!」
「……雨宮、彼方です」
おずおずと差し出した手を、ガシリと掴んで京佑は
「そんじゃ、ちょっくらツアーしてくらあ!」
と豪快に扉をあけ放ち、廊下の外へ彼方を連れて飛び出していった。
♢
5分後。
地下二階地上五階の七階建て、ロの字型の巨大な屋敷を疾風怒濤のごとく駆け巡りながらのツアーに、彼方がギブアップを唱えた。
「だいじょうぶかー?ごめんな、俺の説明ザツすぎたか」
「いえ……華坂様のせいでは、ないです、から」
青白い顔で肩で息をする少年に、短い己の頭髪を掻きながら「とりあえず『様』呼びと敬語はヤメロ」とだけ答えた。
「キョウスケでいいよ。それより、水でも飲め」
と冷蔵庫に備蓄された飲料水をコップにいれ、差し出す。
現在二人がいるのは、一階左棟にあるキッチン。
本来、ステラほどの身分になれば大きな厨房でお抱えコックをたくさん雇うのがふつうなのだろうが、この別邸にはステラと京佑と、ごく少ない使用人しか雇っていないので地下の広い厨房はほとんど使われていない。そのかわり、一般家庭よりやや豪華めのダイニングキッチンが、日常の食事用にあるのだ。
「ほら」
差し出された水を、小さな会釈ののちぐびぐびと飲んで、嘆息する。同い年だが背は京佑の方がやや高く、体つきも自分の方がごつごつしている。というか、彼方の線が細すぎるのだ。女装が似合うというほど女顔ではないが、かわいい系の顔つきだとは思うし。先ほど、自分の主人とアテネに頬を突かれ続けた時も真顔のくせどこか間の抜けた表情で、笑いをこらえるのに必死だった。よく言えば癒し系、悪く言えばボーっとしているように見える。
そんな京佑の観察もよそに、彼方はまたため息を吐く。
「いや、ホント華坂……京佑さんのせいじゃなくてですね」
言葉の途中で恨みがましい目を向けられ、呼び方を改める。
彼方はアテネと過ごした『オルフェウス』での一か月以外、平凡あるいはそれ以下の貧乏生活を送っていたので、金持ちオーラ放つ豪華な空間に慣れていないのだ。しかも、『オルフェウス』のように現実味が薄いところではない、現実にある土地に存在するのだから、彼方としては胃もたれを起こしかねない。
といったような話をすると、同情じみた目を向けるでもなく小さく、「そうか」とだけ言って京佑は二杯目の水を差し出す。そのさばさばとした対応が彼方としてもありがたく、心地よくすらあるのだが。
「しっかし、それなら海王夜の屋敷なんてもっと派手だろうから、大変だろ」
「いえ、ね……アテネお嬢様が僕に気を使ってくださって、それにお嬢様は比較的シンプルな趣の別館に居を構えていらっしゃいますし」
それを聞いた途端、わずか眉根をひそめた京佑だったが、一転して明るい笑みで
「愛されてんな、お前」
とさらりと言うものだから水を「ぶほ」っと吹き出しむせてしまった。
「げほ……何を言ってるんですか」
「だってそうだろ?お前の居住スペースを世話させてるってことは、一介の使用人じゃなくて自分の専属執事として寵愛してるってことだぜ?」
そう言ってハンカチを差し出してくれた京佑の笑みは猫じみていて、主人そっくりだ。
「そういう、京佑さんはどうなんです?ステラ様に名指して呼ばれるあたり、親しそうですけど」
仕返しのつもりで、やや絡むような口調で問うが、悪びれもせず京佑はうなずいた。
「ああ、俺はあいつが5歳のときから面倒見てるからな。半分妹みたいなもんだ」
「幼馴染、ですか」
そうともいうな、と笑う曇りない表情に、憧憬が浮かぶ。
「……そうは言っても、お前もそうだろ。アテネと」
言われ、そうなのだろうか、と彼方は考える。確かに出会った時期から7年、普通に付き合えば幼馴染なのだろうが……
「ブランク、ありますからね」
どうしても苦みが笑顔に混じるのは、仕方のないことだ。だが、やや厳しい目線で京佑はそれを制す。
「なら、埋めろよ。羨んでないで、行動しろ」
その勢いに、何より言葉に、息を呑む。
「俺の主人をジト眼で見る暇があるんならな」
言葉ほど棘のない明るい口調に、彼方は救われる。途端、ぐりぐりと頭を撫でられた。頭一つ分低い自分の身長が悪いのだが、楽しそうに撫でまわしてくる京佑を若干ジト眼でそれこそ見てしまう。
「鋭いんですね、京佑さん」
「お前が分かりやすいんだよ」
今度はケタケタと笑いだすので、ついつられて彼方も吹き出す。それを、京佑が急に目を見開いて見つめるので彼方は自分の顔になにかついているのかと、心配になった。
「いや、なんも付いてないぜ。ただ、笑えるんじゃん、と思って」
「はい?」
「アテネが、ここに来る前電話でおこじょに愚痴ってたからな。彼方が笑わないー笑わない―って」
そういえば、アテネと再会してこっち、素で笑うのは久しぶりな気がする。覚えることも多かったし、笑われる側(主に唯花にいじられて)なことが多かったのもあるが。
「……おこじょって、なんです」
「あ、ステラのこと。小さい御嬢様=御・小・嬢=おこじょ」
しかし、それを素直に肯定するのも癪なので、別のところに突っ込む彼方である。
京佑も特段追及はせず、笑顔で答える。あけすけな笑顔は、実のどこか不透明なそれとは違って、とてもすがすがしい。それは、主人の少女の影響なのだろうか。あの、純粋に見えて実は大人びている、少女の。
「あの、京佑さん」
「『さん』も本当はいらんのだが、まあいい。なんだ?」
彼が数分前に言っていたことを思いだす。『憧れて妬んでないで、行動に移せ』
震える手を、差し出す。
「僕と、友達になってください!」
それを、しばしポカンといった顔で見つめてから、ゆるく笑って京佑は答えた。
「一足飛びになるもんじゃねえよ、積み重ねだ、友情なんてもんは。だから、どうせならテッペン目指そうぜ」
「テッペン、ですか」
その笑顔は、彼方にとっては今は目をそらしたくなるほど眩しいけれど。
少しでも近づきたいと、思ったから。
「ああ。親友、だ!」
京佑は体力馬鹿に見えますがすごく鋭いです。そしてそれをはっきり言うメンタルの強さも持っています。うじうじする彼方とは正反対のタイプです。
彼らがお互いにどういう関係を築けるのか、テッペン=親友になれるのかも今後の見どころです、多分(