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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第二章 海と鷹と揺籠編
22/29

第22頁 Good morning/月影の君を知る

小鳥のさえずりと朝日で目覚める、なんて優雅な生活、自分とは縁遠いと思っていた。

彼方は寝ぼけ眼で、キングサイズのベッドから身を起こす。隣りには、愛しい女神。

あまりにもいろいろなことがありすぎた昨日。彼方は寝間着代わりに支給されたバスローブのまま、眠ってしまったらしい。その袖を掴んで寝こける女神を、愛おしく思う。ゆるり、撫でたところで彼女も目を覚ました。

「おはよう、ねーちゃん」

「……かなた?」

そうだよ、と頷けば数度瞬いてから、みるみる赤面する。少し感動しながら見ていると、

「な、んで一緒のベッドで寝ているんですかーーーーーー!!!!!!」

と顔面に枕を投げつけられた。

それをあえて受けて、わぷっと呼吸に詰まる。途端、あわてて謝罪を口にするアテネを手で諌めて

「その前に、何か言うことない?お互い」

「え……」

数度、目を泳がせて思い立つ。吸って、吐いて

「おはよう、彼方。今日からよろしくお願いしますね」

「はい、おはようございます」

よくできました、と頭を撫でて、その手を取って立ち上がらせた。






「え、ミーシャと喋れましたの、彼方」

シンプルな、チャコールグレイのドレスへの着替えを終えたアテネは別室に彼方を連れてゆく。執事服を支給し直すために、体のサイズを取り直す準備を唯花がしてくれているそうだ。その道すがら、だだひろい廊下を無言で歩くのも飽いた彼方は彼女に昨晩の話題を振ったのだ。「あの守護獣さんて、いつのまにかいなくなっていらしゃいましたけど昨日は、どうされたんでしょう」と。

「ええ、まあ」

面と向かって『嫌い』と言ってしまった手前、答えに詰まる彼方を訝しみつつ、アテネは答える。

「まああの子は神出鬼没ですから、さっさと住処に帰ったんでしょうけど。めずらしいですわね、人間と喋るなんて」

「そうなんですか?」

「ええ、あの子にとって私ら人間は、そこらの小石と同じですから。財産も名誉とも無縁な世界にいますからね……あ、世界ですらありませんけど」

思い出すのは、無機質な赤の眼。

「苦手ですか?」

「というか、き」

きらい、と言いかけて口をつぐむ。が、察しのいい主人にはばれてしまったようだ。

「まあ」と驚かれ、あわてて弁明しようとしたところを制される。特段不快に思った風はなく、むしろ面白そうだ。

「それが、普通の反応でしょうね。大方、『目の前で知っている人間が死んでもなんとも思わない』とでも言ったんでしょう、あの子は」

おおよそあっているので、答えに窮しているとアテネは一転して、アンニュイな表情をとる。

「無理に好きになってもらおうとは思いませんけれど。でも、彼方。それだけあの子が背負うものは、大きいことだけは、知っていてくださいね」

そのアテネの真意を彼方が理解するのは、ずっと先のこと。





仕立て直した執事服を着て、渡された案内図をもとに彼方は海王夜邸の母屋を探索する。昨日と違って使用人の恰好をしているせいか、それとも唯花やアテネが話しておいてくれたのか。すれ違う他の使用人たちには会釈されたり微笑まれたりするだけで済んだ。若干以上の緊張をしつつ、それでもようやく好いた主人に仕えられた彼方は、幸せいっぱいだった。

「ええと、この扉は……」

屋敷の最上階、昨日乗ったエレベーターの真正面の廊下の先にある、木製の扉。

「昨日、唯花さんが走ってきたのも、ここからだよな……」

案内図には、『扉』としか書いていない。

「なんだろ」

立ち尽くしていると、中からそれは、開かれた。重々しい音と共に開いた、中から現れたのは……

「あ、昨日の坊や」

「……『ミーシャ』さん」

「その名前……まあ、いっか。許可しよう」

呼ぶのを、と言いつつ『守護獣』の少女は後ろ手に扉を閉める。

「そこ、何処に繋がっているんですか」

「あたしの住処。『図書廻廊』」

「……は」

伝説は、以外にも身近にあった。というか目の前にあった。

「といっても、そっちからは入れないよ。あたしが外に干渉するときに、使ってるだけで」

言いながら再度扉を開けて見せると、たしかに中はただの物置だった。

「じゃあ、帰るときどうするんですか」

「自分で、扉つくるの」

「人間業じゃありませんね……」

人間じゃないからね、と言ってにへら、と笑った。

「あ、」

「なに?」

「はじめて、見ました。笑うの」

彼方がそういうと、数度瞬いてから無言で自分の頬を両手で張った。バシン、と大きく音がする。

「ど、どうしたんです!?」

「精神統一だ」

真っ赤に腫れた頬を撫でながら、真顔で『守護獣』は言いはる。

「で、アテネは。あたし、用があるんだけど」

「あ、お嬢様は『お仕事がある』とかで今お屋敷には……」

それで、御留守番中に屋敷の見取り図を頭にいれとけと、彼方は命じられたわけだ。

「そう、じゃあ君でいいや」

「はい?」

「伝言、お願い。『オルフェウスの『ムシクイ』は修繕しておいた。火鷹ひだかによろしく伝えて』って」

「はあ……」

半分以上理解できないものの、脳内に刻み込む。ついでに、聞いてみる。

「あの、ミーシャさん」

「あ?」

「なんで、『ミーシャ』なんですか?」

主人がそう呼ぶのでなんとなくつられていたが、よく考えれば由来が分かりかねる。

「……『アルテミシア』ってのは、ニガヨモギのことだよ。ミーシャは通称」

「それは分かります。ヨモギ属の学名がアルテミシアで、潔癖の処女神アルテミスから来てるんですよね」

「だから、それだよ」

どれだ。自分にある知識では植物の学名と由来のギリシア神話の女神の名前が限界だ。

「ニガヨモギなんだよ、あたしは。エデンの園から追放された蛇が、最後っ屁に咲かすようなちんけな草だ。死の象徴、なんだよ」

そういって、少女は霧散するように、消えた。






日が暮れて、遅くに主人たちは帰ってきた。東京の方に行っていたらしい。

「ニガヨモギは確かに、英名ですと『worm wood』。失楽園の際に蛇が這った後に咲いたことが由来とされています。バイキングにとっては、死の象徴ですし」

帰宅したアテネに、守護獣の少女の伝言を伝えた後、彼方は去り際の彼女の言葉について尋ねてみた。

なんだか、そう語る少女の背中が、泣いているように見えたのだ。

「にしても、本当に彼方はミーシャに気に入られてますのね」

「……どこがです?」

瞠目して尋ねれば、にやつきながら主人と先輩メイドはかわるがわる答える。

「だって、ミーシャはふつう事後報告にわざわざこちらに来ませんもん。勝手に治して、よくて手紙ですわね」

「だから多分、彼方くんが『扉』の前に行ったときにあの方が現れたのも、偶然ではありませんよ」

「そういう、ものですか」

たしかに、タイミングの良すぎる登場だとは思った。でも、

「でも、会話らしい会話もありませんでしたけど」

「それが許される立場と性格じゃ、ないですから。あの子は」

どこか悲しげに、一転して主人は言う。今朝、同じ話題をしていたときのようだ。

「『守護獣』様はね、彼方くん。本来、一つの世界に自分のいる証拠を残してはいけないんですよ」

不意に、唯花が語り始める。

「『アルテミシア』、通称『ミーシャ』という名前は、彼女の創造主である『神』がお付けになったもの。つまり、彼女の核です。すべての世界を束ね監視する立場にある彼女は、どの世界においても平等でなければいけません。ゆえに、本来姿すら見せてはならないのです。あらゆる記録文献端末に残ってはいけないのですから、当然、廻廊などのことを知らない一般人にも、見られてはいけません」

ヘリの救助隊がこちらに来たときには、姿が見えなくなっていた昨晩の彼女を、思い出す。彼女は余計な人間の前には姿を現さなかった。先刻の廊下も、彼女がいなくなってすぐに使用人が通りがかった。まるで、察知したようだった。

「だから、彼女が姿を自在に現せて、人間と会話できるのは我々の『世界』くらいだそうです。『オルフェウス』という大きな『穴』によってこの世界と『図書廻廊』の繋がりが、他の世界より深いゆえに、それが許されているとか」

『オルフェウス』がただの『図書廻廊』への『扉』でなく、本来あってはいけない封印すべきものだということは、実から半年の間になんとなく聞かされていた。

「だから、より『廻廊』なる特別な存在に人々も気づきやすく、賊も出やすいゆえに私達のような、『監視者』がこの世界には必要なのです。必然、特定の人間とミーシャがかかわる必要性も生まれます」

アテネも、窓の外をむいたまま捕捉する。

「馬鹿な人間が来るたびとっちめて、追い返して。あの威圧感の、もっとひどい密度の空間にひとりきり、何百年、何千年。世界が生まれてから、ずっと。そんな生活を送れば、人ひとりに愛着を見出すなんて、とても難しいことになると思いますわ」

『オルフェウス』の塔を覆っていた蔦の、異様な威圧感と息苦しさ、ここにいてはいけないと自分の人生を顧みさせられるような強迫観念を、思い出す。一か月も暮らせば慣れられる程度のものだったあれの、『図書廻廊』に在るのはさらにひどいものだという。想像するだけで、怖気がよぎる。

「それでも、両親もあなたも失った私を、あの子は随分と支えてくれました」

遠き日を見るように、赤茶の瞳は上弦の月を眺める。長い金髪を切らないのは、彼女に憧れてのことだ。

「『ミーシャ』と呼んでもいいのは、『外』では私だけでした。今は、あなたもですけどね?」

くすり、と笑う。悪戯っぽく。

「有り難いことですわ、正しく。それでも、あなたは彼女を非人道的と言うのかしら」

心を寄せれば寄せるだけ、その世界は壊れてゆく。地盤沈下するように、狂ってゆく。それを止めるには、彼女は独りでいるしかない。無関心で、あるしかない。

「……僕、昨日あの方に言ったんです。『鏡みたいな人ですね』って。それだけは、撤回しません」

前の言葉は、と問うような野暮を三大名家の頭首とそのメイドはしない。

「鏡花水月、かしらね。さしずめ」

「儚くは、ないと思いますけど」

憎まれ口を叩く、執事の少年は、「次にお会いしたときは、ちゃんと目を見てお話ししたいな」と思った。










狂っていく『ガリヴァ・デ・アール』の歯車。零れたそれを見て、ミーシャは嘆息する。

円筒状の建物、壁を象るように置かれた書物の形の世界たち、何処に何があるか彼女は知っている。

今、天井から落ちてきた燃えカスのような紙の欠片を、自分が立つフロアにある文机、そこに設置されたトレイに置く。今置いた他にも紙片はたくさんあって、作業がはかどっていないのを如実に物語っている。

『虫喰い』というこの現象は、どの本にも起こり得る。たいていは『歪み』を抱える人間が一定量を超えるか、『廻廊』の存在に気付いてこちらに無理矢理『入口』を作られてしまった跡が、穴のように世界に傷を残し、そこから腐り墜ちるように世界にヒビがはいって、欠片が頁のカスとして本から離れることを言う。それを、もとの本を見つけて修復するのが、今日アテネに報告した『後始末』。彼女たちの世界に、昨日の件で生じた『虫喰い』はすでになおした。人形二つの消失には、案外世界は強かった。修復もすぐに済んだ。

「でも」

そのあと、自分が選んだ行動は失策だ。ただでさえあの世界には大きな穴が多く、『三大名家』という橋渡しを通しての干渉でぎりぎりなのに。

長めの黒髪、黒曜の瞳、子犬みたいな挙措、純粋な言葉と心。触れえない魂に、いささか以上に憧れた。

「……」

無言で、姿を変える。変化などお手の物だ。

すぐ近くに鏡台を出し、確認する。

黒髪に青の瞳、日系だが彫の深い方の顔立ちは少女のものだ。黒縁のごつごつとした眼鏡をかけている。

白純の肌と細い手足に、色濃い紺の、ブカブカと着たセーラー服のデザインは旧態依然としている。

その少女の姿は、『図書廻廊の守護獣』の身分を隠して世界に干渉するときに、彼女が使うもの。

そして、かつて彼女が愛し、殺した少女のもの。

もう二度と、『世界そと』に深入りしてはいけないと、思い知らされたときの……。

守護獣ちゃんと執事君の話。過去編にはいると見せかけて、入らない罠。

次回予告:三大名家の鷹の方が出ます。金髪三人目と四人目登場、あと彼方くんがお友達作ります。

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