第21頁 海王夜邸(日本)
パーティを抜け出して来たのだと、悪びれもせずアテネは言った。
「せっかくのクリスマスに帰ってこれたのに、彼方に会う間もなく社交会、なんてスケジュールを組む実に問題があるんですわ」
「人に文句を言う前に、放浪癖をどうにかしたらどうなんです?師匠は」
「私はきちんと仕事をして海外を回っておりました!」
「あの……お嬢様方、御屋敷に着きました」
美少女二人に挟まれて上空の揺れに耐えていた彼方には、ヘリの操縦士の一声がまさに天の救いだったという。
ヘリから縄梯子で着地し、降り立ったのは先ほどの山から数時間飛ばした日本海のとある位置にある孤島。海王夜家の所有地で日本における本宅のような場所らしい。アテネは今日の午前中此処に乗り付け、そのまま他家の者達との挨拶やらなんやらで、ようやくお開きとなりかけたパーティが屋敷の主であるアテネの断りもなく『夜会』に突入したことに憤慨、彼方のもとへ向かおうとする実をとっつかまえて連れてもらったとか。
「5年も社交の場から身を引いていたからって、うちのメイドが勝手に気をきかせて……」
「まま、唯花さんも良かれと思ってしたんだからさ」
「……唯花さん?」
そう、と頷くアテネが、学生服のままの彼方を訝しむ目つきの使用人たちを、片手で追い払う。
3人はヘリを降り、屋上から屋敷の中へ入って、エレベーターに乗り込むところだった。
そこに、「待ってえええええええええええええ!!!!!」
と、甲高い女の叫び声で、呼び止められる。そのままの勢いでエレベーター内にすべり込んできた女性は、メイドさんだった。
「お嬢様、ハッケン!」
びしっ、と決めポーズするあたり精神年齢が低そうだが、見た目は立派な大人だ。すらりと高い身長、大和撫子の美しい顔立ち(現在は汗だくかつ子供っぽいにやり顔)、クラシカルなメイド服がよく似合うはずのスレンダーな体躯。それらが全部台無しになる勢いで「ミッケ!」と無邪気に喜ぶ様を、彼方はいささか以上に呆気にとられて見ていた。実はニコニコと無言で、アテネはすでに頭を抱えている。
「……唯花、御客様の前です。はしたない」
「御客様?」
こてん、とやはり童女のように首を傾げて、その高身長ゆえに彼方を見下ろしつつ、メイドの女性は驚いた。
「ああ!あなたが『彼方』くん!?!?」
やはりオーバーなくらいの声量とボディーランゲージで問われ、こくこくと首を動かすしかできない彼方の手をがっしと握り、目を大きく開いてきらめかせ、女性は名乗った。
「わっわ、初めまして!主からあなたのことは聞いてます、ほんとにかわいい~。えっと、私はアテネ様の専属メイドの、朽木 唯花と申します!」
「あ、雨宮、彼方です。よろしく……」
「きゃうん、同僚になるんですから堅苦しくなくていいんですよ~、5つくらい私の方が年上ですから、お姉さまだと思ってなんでも聞いてくださいね!!」
彼方は確信した。この人は、『ア○の子』というやつだ。
「うーん、○ホっていうより天然なんだよ、おゆいさんは」
へろり、と笑いながら未だ一人興奮中の唯花をスルーして、実が解説する。
「すっごい有能で師匠に13歳の時からお付きをしていて、師匠が国外遊山中のこのお屋敷の管理とか、他家との交渉とかも全部唯花さんがしていたんですよ」
「ですよ!」
「じゃあ、今日のパーティとかも」
なぜかステレオ風味に語尾をかぶせる彼女を、やはりスルーしつつ彼方は驚く。名家のパーティなどテレビドラマくらいが情報源の彼方だが、それを切り盛りするのにどれほどの予算や労働力が必要なのかは、その頭脳で理解できる。
「でも、この通りあけすけすぎるから、メイド長とかには向いてないんですよ。だから、半分私の秘書みたいな扱いなんです」
「唯花は、アテネ御嬢様のお役にたてるなら何でも幸せです!」
「おゆいさんは、無欲なんだか分からないね~」
ゴウン、という音と共に、エレベーターが停止する。会話するうちに、一階に着いたらしい。
降りればそこはまるで、テレビに出てくるお金持ちの御屋敷と比べるのもおこがましい豪奢さで。
人生のほとんどをおんぼろアパートで過ごした彼方が、若干以上の眩暈を覚えていたとき、隣りのエレベーターが開いて、夜会に出ていたらしい老若男女がロビーにあふれ出てきた。
「うわ、さすがに私、この格好でお客様にご挨拶は……!」
そう、今アテネはライダースーツという、三大名家の頭首らしからぬ恰好なのだ。ついでに彼方という学生服の不審者に、玄関扉を開けるため現れた使用人たちが、再び疑惑の眼を向ける。
「え、この状況どうしろと」
すでにエレベーターから出て、階段脇にいる彼らの傍に大勢の足音が迫りくる。隠れる場所もなく、絶体絶命……
「御三方、其処に隠れて下さい」
ふいに、ぐいっと力ずくで押されて、驚いたことに忍者屋敷の要領でくるりと回ったロビーの壁裏に、三人は転がり込んでしまった。うぎゃ、と彼方、アテネ、実の順番で団子三兄弟が完成する。
「え、こんな仕掛けあったの?」
「わたくしも、知りませんでした……」
「それよりねーちゃん、どいて……」
「あ、見て」
抗議を遮って実が示したのは、壁にわずか開くのぞき穴。垣間見える、玄関から外に向かうドレスや燕尾服の男女たち。執事服やメイド服も混じっている。その中に混じらず、数歩引いたところで九十度の礼を取って客人たちを見送っているのは、唯花だった。先刻までの子供っぽさは鳴りをひそめ、大和撫子の美貌に見合った風格と笑顔で送迎をしている。
「ほら、やればできる子なんだよ、おゆいさん」
「ここに押し込んだのも、あの子でしょう。まったく、いつの間にこんなもの用意したのかしら」
「………」
つぶれ饅頭から脱した彼方も、涼しい笑みで見送りをする彼女の横顔に、憧れた。
「みなさん、もう大丈夫ですよ」
コンコン、というノックと共に壁がまわって、唯花に促されるまま三人は外に出た。すでに客人は出、他の使用人もいない。『此処の片づけは自分がやるから』と、唯花が他に向かわせたのだ。
「ありがとう唯花、助かりましたわ」
ぺこり、と頭を下げるアテネに「きゃうん、アテネ様がお礼をされる必要なんてございませんわ!唯花は好きでお仕えしているんですもの!!」
と童女の笑みで答えた。
「それに、今日からは彼方くんもご一緒なんでしょう?よろしくお願いしますね」
振り返って、微笑んだのは二人とも。自然、手を握る。
「ええ、よろしくご指導ください、朽木さん」
「唯花でいいですよ~」
ほのぼの、と言ったやりとりで流されそうになったが、ふと気になって彼方は尋ねる。
「あの、ねーちゃん。勢いでここに来たけど、明日からって……」
「もちろん、ここで私と暮らします」
「いやそれは嬉しいんだけど。学校とか……」
「たしか、明日から冬休みだよね。私はおとといの時点で退学届だしてあるけど」
実はその件について学友たちは騒いでいたのだが、父からの手紙の一件で考え込んでいた彼方は気づかなかったのだ。
「今日の一件で、皇十という保護者は『いなかった』ことに処理されます。その保護者がいない以上、あなたの入学届の時点から、書類は提出されていないことになります。一番不自然のない改ざんを、『世界』は行いますから」
「つまり、あの学校に彼方くんは在籍してなかったことになるんだよ、自動的に」
「……そう、ですか」
なんでもないように言うアテネと実。多分、それが彼女らの『普通』だからだろう。
それを責める気などない。彼方はそういう世界に、身を置きにきたのだから。
「分かりました、ありがとうございます」
深々と頭を下げ、心の中で半年間の学友たちに、別れを告げる。
案外、平凡な日常も悪くなかった。それに気付けただけでも、よかった。
「……それで、今日はパーティ会場の片づけとかは、他の子たちがやってくれるみたいなんで」
それまで黙っていた唯花が、空気を換えるように手を打って、言う。
「彼方くん、お嬢様と一緒に今日は寝てしまってください!」
「は?」
♢
夜八時。小学生でもまだ寝ない時間に、アテネは天蓋付きベッドで爆睡している。執事の少年に、しがみついて。
『時差呆けですごいねむいはずなんですよ、アテネ様。でも、朝からすごい数の御客様のお相手をしていたら、仮眠をとる間もなくて……私が、メイド長がどうしても夜会をすべきだって言うのを止められなかったばっかりに、夕方からも大分拘束させてしまって。それで、彼方くんを迎えに行くのに大分体力を使われて、もう限界だと思うんですよ』
そう語る言葉通り、ぼうっとしているアテネ。立ったまま寝られる勢いだ。
『なんか、口数少ないし彼方君とせっかく会えたのにテンション低いなと、思ったんですよね』
よっこいしょ、と肩で背負いながら、メイドさんはウインクした。
『だから、添い寝したげてください。朝起きたら、びっくりしますよ』
シャワーを借りて、指定された客室(豪華さにやはり若干の吐き気)で待っていると、すでに船をこいでいるアテネをかついだ実がやってきた。やや無造作にベッドに放り出された途端、寝息を立てるアテネを見てよっぽど疲れているんだな、と思い知らされる。
「じゃ、あとよろしく~。変なことしたら、カメラで見てるんだから。飛んでくるからね」
「しませんよ!」
あいあい、と言い手を振りながら部屋を出る実に、彼方は
「青川さん、これまでと同じように、御友達で、いいでしょうか」
これからも。呟く彼方に、瞠目してから返す実は、変わらず不透明なにやり顔。
「もう少し、信用してくれたら嬉しいかな、かなっ」
閉じた扉に背をむけて、彼方も布団にもぐる。と、すりより袖をつかむ主人の少女を見て、愛おしいと思う。ああ、解る。崇拝でも敬愛でもない。ましてや思い出の美化でもない。実物を見て確信した。
「愛してます、ねーちゃん。だから、守るよ」
額に口付けて、彼方も眠りにつく。