第20頁 二つの骸と二つのビンタ
自分から数歩目の前に、金髪の少女が銃を構えている。狙うのは父だ。
父もまた、右手でリボルバーを向けている、照準は少女か、息子か。
彼の足もとには二つの骸。妻と、弟。彼が殺した。
それが、この十分で起きたことの全て。
「用は済んだか。さっさと去れ」
「あれ?これ、人間だけど殺して、いいの?」
きょとん、と問う遥に守護獣は言う。
「今日のあたしの最優先事項は『雨宮彼方の保護』。それに、皇十は7年前の事件以来、『本』からは記録の抜かれた体だけの生き人形だったのは、知っているだろう」
「過程を失って『歪み』の残照だけ残った弟を、可哀想に思ってね」
「それで使い捨てか」
ひでえな、と言い捨てる少女。それにも涼しい笑みで返して、
「じゃあ、帰るね」
ざくり、ざくりと草を踏んで、山を下る。死体を振り返りもせず、歩く。
守護獣の少女は、横をすり抜ける彼を止めず、銃を向けてねめつける。
さらに進んで、息子の横を通る際に、父は呟いた。
「それじゃあ、次の『お茶会』で」
は、と返して見た時、父は猫のように、邪悪な笑い方をしていた。
豪、と風が吹き、長い髪をなびかせて父は掻き消えた。あとには、屍二つと男女が一組。
「……なんだ、あいつ」
言って、銃を腰のホルスターにしまった『図書廻廊の守護獣』は、彼方に向き直る。
「雨宮彼方、でいいんだよな」
「え、ええ」
赤い眼に、品定めされて思わず萎縮する。それを、鼻で笑って
「7年。そこで死んでる男の『歪み』を監視してくれたことに、感謝するよ。おかげで、この程度で済んだ」
「この、程度?」
ああ、と少女は頷く。
「そこの男はアテネが『本』の記録から存在ごと消しちまったせいで、本来は居なかったことになるはずだった。だが、そいつか仮にも此の世界の本質を知る人間だったからか、完全に消されることはなく、アテネが覆したかった『お前の致命傷』を負わせるに至るまでの記録を消された。だから、あれは皇 十って名前だけの、過去の無い人形だったんだよ。それでも、世界の本質を知る血肉と、大きすぎた『歪み』は残っていて、行き先未指定の核弾頭みたいなもんだった」
実もそんなことを言っていたな、と彼方は思い出す。
「不発弾が暴発もせず、7年も持ったのは一重にお前っていう血族が近くにいてくれたおかげなんだろう。感謝する。……片割れの方は、どうしようもねえが」
「……父は、何をしようと、しているんですか」
分からん、と守護獣は吐き捨てた。
「あたしは7年前、お前の父親とそこの男が『オルフェウス』っていう記録の埒外で人殺するっつー違反を犯したから、その延長で追っかけているだけだし。いうて、『図書廻廊』に手を出さなければ基本、放置だしな」
「それで、いいんですか。あの人、二人も殺したのに。それだけじゃない、もっとひどいことも、沢山」
父の口ぶりから分かった、その手は血にまみれていることが。
だが、番人の少女はそんなことに興味などない様子で、言う。
「あたしは世界の理から外れないなら、何人人間が殺し合おうが関係ない」
無表情に。無感情に。
けれどそれを割りきって受け入れられないのが、彼方が実に託され育む、『普通』の感情だ。
「そんなの……おかしいです、あなたはたとえば、ねーちゃん……アテネ御嬢様を気に入っているけれど、彼女が先ほどの男に殺されても、それが『図書廻廊』に関係ないところであれば何もしないんですか?恨まないんですか!?」
「ああ」
即答だった。
「あたしの個人的な感傷でできることなんて、どこの『世界』にも無い。せいぜい、今みたいに坊やの御守程度だよ」
議論は終わりか?と腕を組む少女は本当に、何も思っていない顔で。
「……僕、あなたが嫌いです」
言ってしまった私情にすら、そうかと返すだけの。
「鏡みたいなひとですね」
守ってくれたと、思ったのに。昔のあの子みたいに。
少女は、もう何も答えてくれなかった。
♢
頭上に、プロペラの音。風を切り裂くそれは、月光を背景にするすると伸びてくるロープも相まって、どこぞの漫画の怪盗じみている。違うのは、そのロープを伝って降りてくるのが、少女二人だということ。
「かなたくーん!」
一人は、同級生の聞き慣れた声。なぜかライダースーツに身を包んでいたが。
そして、もう一人は
「ッカナターーーーーーーーーーー!」
7年前よりも、落ち着きのあった電話越しのそれとは違って、子供みたいに金切り声で叫んでいる、少女。
長い金髪は相変わらず一つに結わえて、少女と同じくライダースーツを纏っている。ただし、扁平な前者の体躯と違ってグラマスな彼女は、ジッパーを上げきれていなくて今にも胸がこぼれそうってなんでそれが分かるほどに近づいてきているんですあの二人。
いつの間にかロープのはしごから飛び降りて、こちらに駆け寄ってきた二人は髪も息も乱れに乱れている。若干呆れ気味に見守っていると、まずは実からビンタを頂戴した。
「なんで、手紙が来た時点で相談しないのっ!!!」
「……準備でお忙しいと、思って」
「こんなときに頼らないで、友達損よ!!馬鹿じゃないの、ほんとに『やり直し』たかったわけ!!?」
「……本当に、詳細に知っているんですね」
手紙は部屋に戻ってすぐ捨てたが、どうにかしてそれを手に入れたのか。
「4月に君と接触してから、皇十に当てられた手紙、DM、PCメールの類はすべて、我が家のものが精査していますから」
アテネの捕捉も構わず、実はさらに詰め寄る。
「それでも放置したのはね、試したのよ。どの段階で彼方くんが、私か師匠に頼ってくれるか。せめて、動揺くらいするんじゃないかって。でも」
淡々と、行きたいとせがむ皇を案内した。これは、重大な三大名家に対する裏切りなんだろうか。
「そうじゃないっ。君が、未だに『全部自分のせい』って自分を罰する病を患ってるかのテストだったのよ。なのに、なんにも分かってない!!!」
怒声。多分はじめて見る、青川実のそれは、常の笑顔が嘘のように情熱的だ。
「あんだけ4月に学んだくせに、まだ背負ってるの、男だからってかっこつけてるの、だったらあんたは大馬鹿よ」
「いや、そうじゃなくて」
聞いて、と手でひとまずマシンガン・トークを制す。
「僕なりに、父さんを捕まえて何か吐かせれば、『三つ杜』として戻るときに手土産になるかと思ったんです」
「そんな、名誉を気にするタイプ?彼方くんって」
「そうじゃ、なくて。ねーちゃんの執事に戻るとき、他の名家や『三つ杜』の方々だって、僕の父や叔父のやらかしたことは知っているでしょう?そんなとき、ふさわしくないっていわれたら迷惑かけるのは、ねーちゃんだから」
身内のことは身内で片づけて、きれいにしてから、会いたかったんだけど。
「……そう」
言って、実は身を引く。
代わりに、アテネが前に出た。
そして、ビンタ。反対側の頬も、腫れる。
「ねーちゃ?」
呆ける彼方は、少女に力強く抱きしめられていた。
7年前と違って柔らかさを得た体に、動揺する彼方を押しとどめてアテネは
「迷惑くらい、どんどん掛けなさい。今までできなかったぶん。執事に成る前に、家族にわたくしは、あなたとなりたいのだから」
言って、さらに抱きしめる力を強めた。
彼方がおろおろしている様を見届けてから、実は背後に控えていた『世界の番人』に言う。
「お久しぶりです、『守護獣』殿」
「……『BLUE:1142』か」
「今は、『青川 実』と名乗っています」
にこり、で返すと守護獣の少女は鼻で笑って、山頂の遺体を指し示す。それらは、先刻のヘリから遅れて降りた男達が、寝袋のようなものにすでに詰めている。
「お前の『お仲間』だ。挨拶するか?」
「型番大分前なんで、先輩ですねー。ま、興味ないです」
揺らがぬ笑顔を再度鼻で笑い、『守護獣』の少女は問う。
「人造人間を泣かすとは、あの坊やは大物になりそうだねえ」
「私もそう思いますよ」
それに、当然だというように実は頷く。真っ赤な顔で自分を抱きしめる主人に慌てふためく、まだ幼い執事の少年に、大きな渦を感じながら。
「彼は、この『本』の核に成り得るでしょう」