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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
18/29

第18頁 聖夜が来る前の日

最終下校時間ギリギリだと、教師に追い立てられて二人は帰路に着く。女神との夢にまで見た再会のチャンス。まさに夢見心地といった体の彼方を送ると言って、実は聞かなかった。

「ゆるみっぱなしのままでしばらく、いてほしいよ」

皮肉かと思ったが、違う違うと彼女は苦笑した。

「アテネと再会したら、君は嫌でも『三つ杜』に復帰せざるをえなくなる。お金持ちの権力持ちたちは、いろいろと陰謀を張り巡らせるのが好きだから……そういう世界にも君は慣れなきゃいけない。ならせめて、師匠が帰国するまでの半年くらいは、『普通』を大事にしていてよ」

君の安全は、私がまもるからさっ、と。相変わらず不透明な笑顔だったが、先刻のアテネによる彼女の説明から、なんとなく察した。三大名家の頭首の側近となれば、気苦労も絶えないのだろう。

同時に、地位も名誉も奪われて、近親相姦という忌み事の末生まれた二人の男を、彼方は思い出す。片方、自分の雇い主、というか義父は今日は『仕事』と言って、彼方が早く帰って来る必要はないと言っていた。……廃人同然となった彼の仕事は、『顔も覚えていない両親とその親族』から定期的に入る預金を、できるだけ使うこと。口座があふれかえるほどに支払われる金額は、『親族』たちの謝罪の気持ちと、第一級犯罪者を満足させておくために彼らが打った手配。あとで、アテネの指示だと知らされた。

「僕ごときが見張らなくても、スメラギの監視はいたんですね」

「まあね。それでも、この町の利権は根こそぎアテネの後見人に持ってかれてたから、せいぜい隣り町から遠視するくらいしか、できなくて」

今回、アテネの側近である実がこの町の高校に入ることも、かなり手こずったという。

「だから、正直彼方くんが傍で張ってくれてたのは、ありがたかったよ。無自覚な『歪み』で暴走されたら、手の打ち様がなかった。君がいるだけで、君の血の、同族の力を感じているだけで大分彼の『歪み』は抑えられていたはずだから」

「……そう、ですか」

少しは、アテネの役に立てていただろうか。

そう、どこか安堵の表情を浮かべる彼方に、「君のマンション、そこでしょ?」と実が足を止めて、指差す。たしかにそこには、見慣れたマンションのゲート。ここに、彼方と皇は同居している。

「じゃあ、また明日ね。彼方くん」

「……はい、青川さん。また、明日」

ゆるゆると手を振りながら去る少女の背中を見ながら、「また明日、なんて。はじめてクラスメイトに言われたな」と彼方は、思った。





ドアを開ける。

玄関に積まれた空き箱は、ケーキやらチョコレートやら菓子類と、プラモデルのそれが半々。

「……はあ」

思わずこぼれた溜め息一つ、そこで己の頬を叩き、気持ちを切り替える。

「彼方です、スメラギ。只今帰りました」

主人は、答えない。フローリングの廊下の先、光の漏れるリビングへの扉は少し、開いていた。

自分のスリッパを空き箱の山から掘り出して、履いてから彼方は歩き出す。一度スリッパを探すのをあきらめて素足で廊下を歩いたところ、酒瓶の欠片を踏んで痛い目を見た。以来、スリッパは必需品だ、彼にとっては。

「只今、帰りました」

再度、断りを入れてから彼方はリビングに入る。途端、酒臭く油臭い部屋の臭いに巻かれる。

7年間、彼方が朝晩換気してもこの臭いは治らない。家主が15の時からこういう生活で、すっかりしみついてしまっているからだ。という、設定らしい。

それでも彼方は、今日も今日とてカーテンと窓を開け、空気を入れ替える。そして、ぶつぶつと独り言を言いながらテレビ画面をぼうっと見つめるすめらぎ じゅうじを、「飲み過ぎないでくださいね」とだけ、窘めた。

酒に溺れて、寝るか食べるか酒を飲むかの生活を、彼はずっと繰り返している。風呂は、ときたま気が向いたときだけ。十日に一遍あるかないかだ。部屋の悪臭の一因は彼自身でないかと、彼方は常々思っている。

今の皇 十を見て、復讐心が湧く人間がいたら、弟子入りしたいものだ。

彼方は、割と本気でそう思っている。

彼の身勝手な理論と行動で、女神と彼の楽園は崩壊し、二人は別たれたわけだけれど。それでも、ここまで廃人極めりとされると、哀れにすら思えてしまうのが彼方の欠点にして美徳だ。その素直さこそが、実の言う『大切にしてほしい普通』なのだと彼が気づくのは、もう少し先の話。

とにかく、彼は腑抜けた彼をどうこうする気はなかった。それに、似ていたのだ。酒を舐めながら逃げるように液晶画面に食い入る背中が、働く前の父に。

「当たり前か。双子なんだし」

ひとりごち、今日も叔父にして義父のため、彼方は料理の腕を振るう。食べてもらえた試しは、ないのだけれど。





それから半年。彼方がクラス内で学級委員に選ばれ、友人グループというものに初めて所属できたのは、ほぼ実のおかげだろう。持ち前の社交性と笑顔で、するりと他人の懐に入る様は、彼女の正体を知っても尚、少々不気味ではあったが。それは彼女の苦労ゆえだろうと、思い知らされる。

学校からの帰り道、あるいは休日の買い物途中で。彼方を時にあからさまにつけまわし、時に緊急時にさっそうと現れる形で尾行し。『歪み』を抱える『異質』な者達から、その身を挺して、というのもおこがましい武力で警護してくれた。同い年の、それも女性に守られてばかりなのはやはりしゃくだと、皇が仕事のときに稽古もつけてもらった。

15年の人生で、おそらくはもっとも充実した日々だったと、彼方はそう思えた。


「明日、師匠が帰国する」

日曜の夕方。朝から、使われていない児童公園で彼方は実と武術の組手を重ねていた。『実さんが青川流初段を進呈しよう』と評価なのかされる程度には、彼方は強くなっていた。

「んで、明日は学校休んで師匠を空港に迎えに行こうと思うんだよね。そうなると、委員の仕事を全部彼方くんに押し付けることになっちゃうわけで……ごめん!」

「いえ、それは一向に構わないんですけど……やっぱり、僕も一緒にってのは、ダメですよね」

ダメもとで聞いたが、頭を下げていた実が一層、申し訳なさそうに首をふるのに気落ちするのは、隠せなかった。

「ごめん、一応明日は他の名家の頭首たちも空港に来るし、そのあともパーティやらなんやらで忙しいから多分、会えるのはあさって以降かな」

「そう、ですか……いえ、気にしないでください。7年も待てたんです、もう数日伸びたところで」

そう?と安堵したように微笑む実に、彼方は大きくうなずいて胸を張る。

この少女も、常に笑顔を浮かべた裏で傷ついたり悩んだりしているのだ。半年の付き合いだが、分かった。

ならば、彼女の真の姿を知る数少ない……友人として、彼方は少しでも、実の気持ちを軽くしたかった。

面倒見がいいうえ、責任感も大きいのだ、彼女は。

「そういえば、空港ってどこなんですか?羽田とか、成田ですか」

話題をさりげなく転換すると、実は一転、いたずらっぽい笑みで答えた。

「ちーがうよ。海王夜家の本宅は、日本海の或る島を買い取っていてね。そこに、自家用ジェット機で降りるの」

やはり、彼女は並大抵の金持ちではないんだな。と彼方は痛感する。

そして、『夕焼け小焼け』のチャイムを合図に、実と公園の入り口で分かれた。

公園はマンションのすぐ裏手なので、すぐ着く。ゲートをくぐり、ポストを確認する。

ほとんどがダイレクトメールだったが、一枚だけ、ハガキがあった。

それを何気なく彼方は見、息を、飲んだ。

見慣れた、文字だ。

いや、実際に見たのは一、二度で、しかもそのうち一回は垣間見た程度だったが……間違いなく、知っている文字だった。いや、識っている、言語だった。

「『お茶会に招待するよ、愛しい弟と息子を。魔女のかいなに抱かれて、上弦の月を見上げたあの日をやり直したいならば、明日、愛した女を取り返しそこねた男の傍で、待つ』」

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