第17頁 拝啓女神様。
「……なんのことです?」
無表情のまま尋ねる、彼の表情に隙はない。だが、相変わらずの読めないにこり顔のままで、
「だって彼方くんも、師匠と同じ病気だもん」
「……は?」
『どういう意味です、実』
「自分の我を通すことに怯えてる。自分で自分に罰を与えているつもりになって、でもそれは自己満足だってこと、気付いてないんだもん」
「僕のどこが、自己満足なんですか」
彼方は低い声で、怒気を隠しもせずにいる。それを「怖い怖い」と実は茶化す。
「彼方くん、師匠の話ちゃんと聞いてた?『私のせいで』って言葉が、君は腹が立ったんでしょ。自分の行動の尻拭いくらい、自分でするってさ」
またもや図星で、閉口してしまう。テレパシーでも使えるんだろうか、この女。
そんな彼方の思いなど気づきもせぬといった風で、ニタアと実は、笑った。
「それは師匠も同じだよ。『僕のせいで』って全部背負われたら、重いよ」
はっきり、きっぱりと。いう実に彼方は反論する。
「で、でも僕はねーちゃんの執事として、守るべきだったのに……」
「君が体を張ってアテネを守って、死にかけた結果アテネは暴走して、一人の男の人生を狂わせた。人殺しをした、と仮定してもいいね。でもさ、じゃあ彼方くんがあのときアテネを庇わなかったら何か変わった?死にかけたのはアテネで、しかも彼方くんじゃ『索引』も使えないからもっと悪い結末だったかもしれない」
「そんなの、分かってます!だから、僕がちゃんともっと強くて、彼女を守ってあいつらも撃退できるような、そんなやつだったら、あんなことにはなんなかったでしょう!?」
「……あのさあ、彼方くん、馬鹿なの?」
逆切れ気味に彼方が叫ぶと、正反対に冷え切った笑みで実は答えた。
「人間には限界ってものがあるの。しかもあのとき君はまだ、ほんの子供。小学生だったの。それが大の大人を二人も敵に回して、お互い生きているだけでありがたいと思えないの?……まあ、それが本当の修羅場を知らないお子様の証なんだけどさ」
「な……」
その言葉に、明らかな侮蔑を感じた彼方は、思わず掴みかかりそうになった。
が、電話からの『おやめなさい、彼方』という、まるでこちらを見ているかのような女神からの言葉に、手を止める。
『ごめんなさい、実。私も、まだまだ未熟ね。なんとなくでしか分かっていなかったみたい。今の言葉で、はっとしたわ』
ため息ひとつ、そして今度はかつての執事に。
『ねえ彼方。私たちは、多くを望み過ぎたのよ。そのせいで、長くすれ違っていたの』
「……」
『私は、あなたを守ってあの後もずっと二人で暮らせる未来を描いた。そして、それが叶わないならと、全部他の可能性を捨てたの』
覚えがあるのか、彼方は応えない。
『でも、結局人間は、欲深いのよ。自己犠牲なんて、長く持たないの。あなたに会いたくて、でも会いに行く勇気がないから、あなたの傍にいる資格がない、って決めつけて逃げてたわ』仕事が忙しかったのも本当だけれど、とアテネは苦笑する。
『最近、やっとその勇気が持てて。それでも自分で直接会う勇気はないから、実に代りに行かせたのも、卑怯だったわね。おかげで、気付けたこともたくさんあるけど。……ありがとう、実』
「だーから師匠。一人で全部、そうやって言葉にしちゃうの、師匠の悪いくせですよ?」
『へ』
フリーズしたらしい電話の向こうの敬愛する友人に、実は軟化させた笑顔をもって
「彼方くんにも、自分で考えさせなきゃダメ、ってことです」
と言い、ふたたび目の前の今やうつむいて黙り込んでしまった少年を見やる。
「彼方くん、大丈夫?」
「…………だめです」
「へ」
『は』
「………………だめなんです」
彼方の声は、震えていた。肩だけでなく、声も、握った拳も。
「ぼく、ねーちゃんがいないと、だめ」
『!…………かなた』
「我慢しようと思ったんだ。僕のせいでねーちゃんはあそこを追い出されて、もしかしたらものすごい罰を与えられているのかもしれない。酷い目に合わされてるかも、もとに戻れないかもって考えたら、怖くて」
自分で自分に、嘘をつくという、罰をあたえた。
「ねーちゃんに会えないでいるうちは、ねーちゃんがどんな目にあってるか、知らないで済む。本当は、そんな臆病な気持ちがあったのに、尊い天罰を受け続けて、許された気になって。でも水面下では会いたくて、会えないことが苦しくて……いつしか嘘に押しつぶされて、本当の気持ちが見えなくなってた」
『……そう』
「……あのね、ねーちゃん」
囁く。声は、祈るよう。
「僕、ねーちゃんに会いたい。そのときやっと、ごめんなさいを、言えるから」
『……彼方。私ね、謝らなきゃいけないはずなのにね』
スマートフォンから聞こえてくる声は、すでに涙がにじんでいた。
『ありがとう、をまず言いたいの。やっぱり、生きていてくれてうれしいし、また会えてうれしいの。苦しかったのに、つらかったのに、がんばって生きて、また会ってくれて、ありがとう』
私と出会ってくれて、ありがとう、と。言い終わらないうちに、女神の名を冠した令嬢は泣き崩れた。
執事は、声を忍ばせて泣いていた。
「……後ろ、むこうか」
そういって、彼方が頷く前に実は背を向けて、あからさまなほど耳をふさいだ。
それを確認してから、子供の様に主従は泣いた。喜びと、哀しみと、やはり慶びを分かち合って。
♢
「師匠、今仕事で海外ですよね」
『ええ、年明け前には帰ると思いますけれど』
答えるアテネの声は、もう震えていない。
それに、にやにやしながら受け答えする実を若干にらみながら彼方は
「じゃあ、クリスマスくらいには会えるといいね、ねーちゃん」
と、頬を染めて言う。
「おんやー?それはデートのおさそ」
い、と言い終わる前に鉄拳が飛ぶ。しかしそれをも片手の平で受け止めるのだから、やはり実は只者ではない。そう雨宮は痛感した。
『コホン、とにかく、私が帰国するまではなるべく、実と一緒にいなさい。そうすれば、そんじょそこらの『歪み』を持った輩には絡まれないでしょうから』
「どーんとこい」
胸を張る実を無視しして彼方は、「青川さんって、何者なんですか?」と彼方は問う。
『私のお目付け役というか、SPみたいな子ですわ。小さいころから戦闘力を鍛えられてますから、海外のプロレスチャンピオンくらいなら倒せるんじゃないかしら』
ぶい、とめげずにふたたびフレームインを試みる彼女を、なんとなく二度見してしまう。
「その細腕で……ですか」
「筋肉の付け方にも、コツがあるのだよ」
ふふふ、と今度は不敵に笑い始めた。つかみどころがないのも、そういう仕事ゆえなのだろうか。
『もしなんでしたら、彼女に護身術くらいは習っておきなさい。我流も突きつめると闇堕ちしますよ』
「師匠、アニメの観すぎー」
『……いや、今のはステラの……いえ、とにかく!お気をつけなさい』
電話を切る直前の主人の声は、厳しかった。
『『オルフェウス』は厳重に保管されてはいますが、未だあそこに在るのもまた事実。少し、不安要素も確認できましたし……』
スメラギのことか、と彼方は合点が行く。
『身の安全には、気をつけなさい。あなたの血の匂いは、『歪み』を抱えた者達にとっては恰好の餌食だから』
今回短めで申し訳ない
過去編と、まとめ終了。次回から再び4話冒頭の時間軸に戻ります。
しかし13話か……かかり過ぎだ(反省