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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
16/29

第16頁 嘘吐き陽炎

「久しいな、海王夜の」

吹き荒れる風の中でも、『守護獣』の声はよく通る。

あるいは、超常現象だからこそかもしれないが。

此方こちらの許可なく『索引』を使うのは、禁止になっているはずだが。勉強が足りないんじゃないか?」

どこか挑発的に問う、それにアテネは答えない。爛々と光る眼で胡乱に見つめるのは、足元の少年。

その視線に気づき、少女と自分の間に横たわる血まみれの彼に、しゃがんで触れようとした。が、

「【さわるな】」

豪、と。いっそう強まった風の障壁が、それを拒んだ。

眉根を寄せて、伸ばした手を手持無沙汰に『守護獣』は振ってみる。

「解ってると思うけど、そのままだとその子、死ぬぞ」

「……」

彼女は答えず、少年を震える手で、抱きしめた。

「……先刻、『索引』を用いて此処にいた人間を消したのは、そいつを救うためか?」

「【……そうですわ】」

答える声は、二重がかって聞こえる。重く、響いている。

それを見、いかにもめんどくさそうに後頭部を掻きながら要件を伝える姿は、人間臭い。

「とりあえず、『索引』を止めてくれないか?これ以上『虫食い』を広げられても困るんだ。この山の結界が解けたら、ここら一帯、瘴気しょうきに巻かれるぞ」

「【……ミーシャ】」

先刻肯定した時とは違う、急に弱気になった声に、『守護獣』の少女は眉根をひそめる。

なにより、彼女をその呼び名で呼ぶのは、よほどの時だからだ。

「【たすけて】」

身を震わせながら彼女は言った。

『図書廻廊』に蔵された数多ある書物から、自分のいる世界や特定の人や動物を探し出し、干渉することのできる機能『索引』。本来は『歪み』を生み出して『廻廊』への侵入を試みる者の現在位置を特定し、『守護獣』が討伐に赴くために在るのだが……。

「『観測者』のお前の家に託された、『廻廊』と此方こちらを繋ぐ扉、『オルフェウス』。その管理のために、お前の祖にも『索引』の真似ごとを教えたわけだが……相当体力を削ってるはずだぞ。声を出すのも、つらかろう」

嘆息する、守護獣……ミーシャの声は茫洋ぼうようとしている。が、その立ち姿に隙はない。

「この塔を包む瘴気しょうきにも、『歪み』が強い者ほど耐えられちまう。つまり、逆を言えば普通の人間には害を及ぼすわけだ。耐えがたい恐怖にさらしたり、あげく狂わせたりな。この扉の存在はもちろん、この気を外に出さないためにも、ここで死者を出すわけにはいかない。『世界』から外れた場所で死んでしまえば、そこには穴ができる。存在の欠落はごまかされることもなく、世界にむき出しに『異質』のくさびを打ち込んで、不可侵だったこの山にやがて、注目が集まる」

人避けの結界を張ったところで、意識の波が、抑えられる以上に打ち寄せあふれてしまえば、防波堤も意味を成さない。

「『入ってはいけない』という、人間への本能に語りかけてここの結界は成り立っている。神社とか、いわゆるパワースポットと一緒」

「【……けど、それを上回る意志が生まれてしまえば、侵入は容易となる。そうなれば常人なら発狂する、『図書廻廊』を守護する瘴気がこの街に、あるいはその外にも流れ出す。大勢の人間が、狂う】」

分かっていると言いたげに、アテネは返す。それに首肯し、「だから、その子を助けるのは構わない」と守護獣は答えた。

「【……本当?】」

「疑ってどうする」

遺憾いかんだ、とばかりに僅か眉根を寄せる少女。自分より一回り年下の少年の、血でしどと濡れた執事服を見、

「お前の執事なんだろう?なら、尚のことだ」

「【……それは、彼が雨宮だから、ということかしら】」

「まさか。そもそも、この世界におけるお前らみたいな『管理者』志願が珍しいんだ。あたしはそこまで、お前らに固執してない」

吹き出し、苦笑する守護獣の少女。彼女が笑うなど、他の名家も三つ杜も、想像もしなかったろうと驚きながら、思う。

「っはあ。でもさ、一応お前のことは、気に入ってるんだ。そいつの『お気に入り』ってんならなおさらだ、って言いたいんだよ」

言わせんな、恥ずかしい。

そういって素早く、ミーシャはしゃがみこんだ。

片手で、垂れてきた長い髪を耳にかけて、もう片方の手で少年の傷口に、触れる。背後の巨大な本も、風の壁ももう、消えていた。

熱を帯び、どこか赤白い光を纏ったその手は、彼の執事服とシャツを器用に脱がし、胸元をはだけさせた。

袈裟がけに、斜め左下にギザギザと大きく切り裂かれた胸の傷。右から刺されたため心臓は避けているものの、傷の大きさや出血の量からみて、事切れていてもおかしくなかった、のだが。

「……あ」

未だ生々しく傷自体はあるものの、その血は止まり、傷口も閉じている。まるで、最初に出会ったときアテネが彼に施してあげた『治療』のようだ。だが今回、もちろんアテネはそれをしていない。

「つまり、お前が怪我を負わせた奴を消したことで、この子の命はすんでのとこで留まれたわけだ」

欠落した、彼方に傷を負わせた男。仮にも三つ杜の一柱の血族ゆえに、大きすぎる『歪み』を孕んで持て余して、最後は主人の『名家』の娘に『世界』から消された。しかしそれはあくまで、『世界』と『図書廻廊』を脅かした敵として、『索引』から除名されたに過ぎない。

「分かりやすく言えば、『すめらぎ じゅうじ』という人間の中の、『図書廻廊』に関する記憶や執着だけ、消されたんだよ。それに付随して、この空間で男が成した行動……この怪我も癒えたわけだ……。人間一人の『死』にも敏感なこの世界が、理由不明の消失なんて許してくれるわけ、ないだろ?」

「……でも、じゃあ、あの男は」

「生きてるけど、三代名家や三つ杜っていう復讐相手に関する記憶をそもそもなくしちまったんだ。生きる理由が復讐みたいなその男がそれを失って、いや……在ったことすら忘れちまって外に放り出されたら、どうなるか」

哀れだねえ、とミーシャは呟いた。アテネは答えられず、うつむく。

「……あいつのことは、赦せませんわ。でも、わたくしは、一人の人生を、狂わせたんですね……」

声も表情も、どんどん温度を失う。少年を抱きしめる手に、迷いが生まれる。

「……海王夜家頭首、失格ですわ」

それを見てか知らずか、空いた手で、無造作に少女の頭を撫でる。

「なっ……なにしますのっ」

「頭でっかちに考えんなよ、クソガキ」

「く……!?」

「感情に任せて突っ走れるのは子供の特権だろ。……その特権が使えるうちは使っとけ。メンドクサイ後処理は、大人の仕事だ」

「……ミーシャ」

その口調は乱暴で、しかし温かかった。頭を撫でまわしてくる、手のように。

「責任感じて落ち込む暇があるなら、この後ゆっくり手当してやれ」

そういって目線で示す少年の傷を、その光を帯びた手で『守護獣』の少女が柔らかく撫でると

「……う」

巻き戻すように、執事服ににじんだ血が少年の身体に戻ってゆく。地面に広がって土に馴染んだそれは、そうはいかないようだったが。

「カナタ!」

みるみる、紙のように白かった少年の頬に紅色がさしてゆくのを見て、緊張の糸が切れたのかアテネは、また涙を零してしまう。

それを

「まーた、よく泣くお姫様だこと」

と言いながら、ミーシャがまなじりを拭ってやる。

「襲撃者の『廻廊』への意思の流れを無くした今、そいつがこの場所に来た証もなくなる……はずだけど。そいつの血がこの『世界』に干渉しえる家のせいか、傷までは消えなかった」

すまない、と頭を下げる彼女に、強くアテネはかぶりを振って見せた。

「そんなことないですわ!むしろ、ミーシャが助けてくれなければ、カナタは……本当に、なんとお礼を申していいやら」

言いながら愛おしげに、安定した寝息をたてはじめた少年の頭を撫でる。

「……ミーシャ」

ややあって、おもてをあげた少女の眼は、真剣そのものだった。

「もう一つ、お願い聞いていただけるかしら」

「……なんだ?」

一呼吸。

「この子を外に、返してあげて」








『……それから、彼方カナタを『守護獣』に自宅に送り届けてもらって、私は実家に引き取られました』

感情を抑えた声で、アテネは事の顛末を述べる。受話器の向こうの彼女は、どんな表情をしているだろう。そう彼方は、思った。

「……彼方君は、怪我を負わされて倒れてからずっと、気を失っていたの?」

「……いいえ」

みのりの問いに彼方は、目を合わせず答える。

『通話中』と表示された、無機質なスマートフォンのディスプレイが、その白い光が曖昧な意識の中で見た景色を彷彿とさせた。

「途切れ途切れでしたが、アテネ御嬢様がスメラギを消したところまでは」

めくられるページから、黒い文字がところどころ、風に煽られるように零れてゆく様を。

不気味な薄ら笑いのまま、瞬き一つの間に消え飛んだ瞬間も。

『……だからこそ、わたくしはあなたを、手放すと決めました。人ひとり狂わせて、なのに大きい消えない傷を負わせて、主人失格ですから』

『オルフェウス』に戻って手当をしてから、幾らかの治療道具を持たせて『守護獣』に力を借り、彼方を自宅に転送した。それから彼女自身も『守護獣』に連れられ、海王夜の本家に一時帰宅したという。

『『オルフェウス』の管理は別の家が代理でしてくれることになり、わたくしは他の仕事に追われておりました。……そのなかでね、多くのものを得たし、学んだわ』

愛おしげに言う、彼女が得たものの中には隣りでにやついている、この少女も含まれるのだろう。彼方は直感的に、そう思った。

『友人、信頼できる仲間、忠実な臣下……その彼らに、あなたのことを話すと口をそろえて皆言うの。『お前は間違ってる』って』

どこかすねた調子で言う女主人に、実が声を潜めて吹き出した。

『わたくしは、あなたを守るつもりで守れなくて、逃げ出しただけだった。そう、何度も諭されたしなめられて、気付いたのは本当に最近……いえ、違うわね。認めたくなかっただけなのよ、多分』

「頑固ですもんね、師匠」

横槍を無視して、アテネは続けた。

『いっそ出会わなければ、なんて思っていた時期もありましたけれど。あなたがいなければわたくしは、孤独に押しつぶされていた。だから、こうしてやっと会えた今、言いたいの』

声が、震えている。泣いて、いるのだろうか。

『生きていてくれて、ありがとう、カナタ』

その謝辞には、どれだけの想いが込められているだろうか。

でも。

「……捨てられたと思ってた」

自分の声が思った以上に冷えていることに、驚く。が、同時に、胸の奥で抑え込んでいたあれこれが煮えたぎっているのを感じた。

「7年前、朝日で目を開けたら、自宅に一人で寝ていました」

傷口には包帯がきっちり巻かれ、換えの包帯や塗り薬も置かれていた。

けれど、それだけ。別れの言葉も何もなしに、彼女はいなくなった。

「すぐに山を訪ねて、けれど『オルフェウス』に通じるあの塔は、ただの廃墟になっていて。あの蔦もなくて。だから、夢だったのかと」

胸の傷だけが、そうでないことの証明だった。

「……そういや、話の途中から気配消してたけど、彼方君のお父さん、どうしたの?」

ふと思い出したように問われ、思わず彼方は笑った。苦笑というよりは、諦観に近い。

「『扉』が消えていることに茫然として、帰ったら。居間の卓袱台に、置手紙があるのに気付きました。通帳とともに置かれたそれには、『父さん達は、お茶会に行ってくるよ』とだけ書いてありました」

「……なにそれ」

「さあ、僕が知りたいです」

率直な実の質問に、いっそすがすがしく思いながら彼方は答えた。

「達、ってことはお母さんも?」

「恐らくは」

「……無関心だねえ」

「もともと、母親とは口もきいたことありませんし、普段は自室にこもってなにかしてましたから」

「うわ、もろ育児放棄……」

電話は、沈黙を守っている。

「それからは、父の通帳に振り込まれるお金と、自分のバイト代で生きてきました」

「バイトって、スメラギって人は消えた……っていうか『廻廊』のこと忘れちゃったんでしょ?そしたら必然的に君のことも忘れるはずだけど」

「ええ……あの日以来スメラギは廃人状態です、ずっと」

『……会ったの?』

「だって、父がいないなら、頼れる大人は彼しかいませんから」

不意な電話からの詰問にも、眉根ひとつ寄せず彼方は応じた。表情は、相変わらずの仮面的微笑。

『図書廻廊』にも『海王夜』の名にも反応せず、そんなの知らないの一点張りで酒を欲する無精髭の男は、かつての父を彷彿とさせた。その父との大学時代の友人、という設定だけ生きていたから面倒は見てもらえた。探偵でなくなり、育ての親の遺産で生きているダメ人間になった彼の、身の回りの世話をする。代わりに彼は養父となり、書類上の面倒を見てくれた。奨学金で入れる私立中学に入学しようかとも思ったが、町から離れたくないがために無理を押して地元の公立中学にはいり、高校も同様の選び方をした。

「記憶を失っているとはいえ、スメラギから下手に目を放したくなかったですから」

通話相手は答えない。いや、答えられないのだろう。

「と、いうわけで。僕のためを思って、あなたは家に帰してくださったんでしょうけれど。僕は、あなたに見捨てられてから7年間、何度も殺されかけました。さっき言ったように、僕の『三つ杜』の血を嗅ぎ付けたやつらにね。実際、そのまま死んでもいいと思った。死にたかった。死ねなかったのは、結果論だ。感謝されることじゃない」

自分でも、何を言ってるのか分からない。

本当はこんなことを言いたかったんじゃないとも思うし、どこか胸がすっとするような気持ちもあって、彼方は自分の醜さを知る。この7年で、いやと思い知らされ続けてきたのに、今日のそれは一層ひどいと、思った。

黄金の日々と女神への思慕は、失楽園したその日から唾棄すべき夢幻となった。

「希望も夢も捨てなければ、生き残れなかった。大人になれなかった。ネバーランドなんて知りたくなかった」

自分の掌を、胸に押し当てる。

「この傷さえなければ、きっともっとはやく、あなたのことを忘れられていたのにね」

それが口惜しいと言わんばかりに、少年は電話に向かって、言の葉を突き立てた。

受話器の向こうは痛いほどの沈黙で、そのまま彼方は液晶の「通話終了」をタップしようとした。

が、

「……本当に、それだけかな」

軽い調子で、スマートフォンを取り上げて実は反論する。

「……何がですか」

「君がこの町を離れたがらなかった理由。スメラギさんの監視ってのも、嘘じゃないだろうけど。実際、あの山を守るためでしょう?」

相変わらずの読めない笑顔で、青川 実は言い放つ。

「は?」

「あの山の、『オルフェウス』へ通じる扉は消えたけれど、また何かの拍子で現れるかもしれない。そう思ったんでしょう?っていうか、いずれ師匠……アテネ御嬢様が帰ってくる日を虎視眈々と待っていたわけだ」

「違いますよ」

「違わないよ」

即断する彼方の言葉にも、このクラスメイトは全く同情しない。

「察しのいい君は、アテネ御嬢様が自分のせいで暴走して、スメラギを消したことを理解した。そして、そのせいで彼女に何らかのペナルティーがあって……『オルフェウス』から追い出された、と推測したんだろうね。おおむねそれは合ってるんだから、大したもんだ」

「茶化さないでください」

「なんだい、褒めてるのに。……まあ、それで君は思ったんだろう。『自分のせいで彼女に罪を負わせてしまった』と」

分かったのだ、あの怖気の立つほど彼女が眼を文字通り光らせていたことと、スメラギが腑抜けになったのは、彼が消し飛んだあの現象を示しているのだと。少ない事実から見つけた荒削りの真実を、8歳の少年は持て余した。その上、謎の言葉と共に親は失踪。

「説明なく放り出されて、憶測のとはいえ罪悪感に7年も追い詰められちゃ、しかも一番情緒豊かな時期にそれじゃあ、忘れたくなるのも無理はないよねえ」

今度は彼方が口をつぐむ番だ。図星だった。

「それで、やっと会えたと思ったら、彼女は『生きていてくれてありがとう』の綺麗事ひとつで済ませようってんだから、腹立つのも分かるけどね」

「って、キレイゴト、とまでは言いませんけど……」

「似たような感想抱いたくせに」

上目遣いで鼻で笑われ、身長的には見下ろしているはずのこの少女を、実は見上げているような気持ちになる。

「まあ、いいけど。裸同然で放置プレイ7年は、ひどいもんねえ」

くすくすくす、と少女のように(いや実際、少女なのだが)笑い、「うちの御嬢様のプライドは一回叩き潰さなきゃと思ってたから、撤回しろとは言わないよ」と何気に酷いことを言う。

呆気にとられていると、笑いが収まったのか一つ深呼吸し、「でも」と、少女は続けた。

「それは自分自身にも言えることだって、彼方君。気づいてる?」

ようやく過去編がひと段落つきました。

実が一番動かしやすいです。同じ笑顔デフォ属でも、遥はめんどくさいです。

タイトルの「陽炎」は蜃気楼のことです。見たくて見てるわけじゃないのに、目をそらせない。それはとても、思い出したくない過去に似ていると、私は思うのです。

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