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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
15/29

第15頁 聖痕を負った日

今回長めです。

「カナタ、執事たるもの主を守れるように、強くならねばなりませんわ」

木刀を差し出しながら、アテネは言った。

「分かった、がんばるよ。ねーちゃん」

それを受け取り、上段に構えて彼方はにこっ、と笑う。

「やっぱり、好きな女の子の前で位はヒーローでありたいもん」

「……天然ジゴロ」

言い捨てて、アテネは己の木刀を握り直した。





「ようこそ、かつての従僕とその御供達」

吐き捨てるように、あるいは慈しむように。海王夜は雨宮遥に呼びかけた。

「まさか貴方が妻子持ちだとは、露と存じませんでしたわ、『トワ』」

「申し上げていませんから。アテネ御嬢様こそ、あれから随分たつのにまだまだ小さいままですねっ」

どちらも笑顔を浮かべているものの、その種はまったく異なっている。

アテネは静怒、遥は相も変わらず暖簾のれんに腕押しぬかに釘。

「…トワ、いえ。雨宮遥さん。『三つ杜』に戻られないのですか?」

「そちらが僕等を捨てたのに?」

問いに問いで返す声は、別段鋭くもない。明日の天気を聞く調子で、けれど核心を突く父は恐ろしい。

「ねえ、アテネ御嬢様。僕は自分の目的のために貴方に取り入ったんです。そして彼方を送り込み、こうして再びあなたとまみえた。僕等の目的はほぼ達成されたわけですが、あなたほどの知能があれば推察できたことでしょう?なのになぜ、のこのこ現れたのです」

「…そうですわね。分かってましたわ、あなたが『オルフェウス』を利用して、復讐しようとしているんだろうな、ということも」

にたにたと哂う遥、否定も肯定もしない。

「でも。逢いたかったんですの」

それは父性への憧れか、淡い恋慕か。

狂おしいほどに他者を欲する目が、やっぱり父に似ていると彼方は傍観しながら、思った。

「…そう」

言いながら、彼方を抱えるのとは逆の手を、ゆるりと上げる。

それまでずっと黙っていた皇が、前に進み出た。

「僕は、彼を連れてきただけですけどね」

「……かいのう 巴良へら、あなたのお母様に僕の父は仕えておりました」

とつとつと語りだした皇、その表情は俯きがちで図りづらい。

「雨宮の縁戚で、それなりに高い地位にいたんですよ、従僕フットマンのなかでも。それで、比較的お近くでお顔を拝することも多かったんです。当時まだ赤子だったヘラ様をあの『惨劇』の現場から連れ出し、ここ『オルフェウス』で御世話をしたそうです」

ぼんやり、どこかで聞いた話だと思った。

「その間、母はひとり、貧しい生活を強いられました。すみこみで海王夜のお屋敷で働いていた父から当然音信が途絶え、挙げ句あちらの都合で一斉に親類たちが解雇されたと聞き、呆けるしかなかったそうです。そりゃそうですよね、末端の我々には『廻廊』のことなんて微塵みじんも聞かされちゃいないんですから」

誰も口をはさめない。淡々と話す皇は、けれど今にも爆発しそうな危うさがあった。

「5年間。収入も枯渇し旦那という後ろ楯のない中で、親類縁者が互いに金品を取り合う浅ましいゼロサムゲームに、母はひとり立ち続けました。5年後の秋、ようやく父が帰ってきたとき母は実兄に犯されていたそうです。『血が薄いのが悪いなら、分家同士で掛け合えば本家と同等の子が生まれるだろう?』それが母の兄の言い分。そんな境地に至るほど飢えからか発狂していた彼を、父は殺して埋めたそうです。そんなことも平然と許された、なぜならみんな自分が生き残るのに 必死だったから。裁く暇があるなら死骸から金品を盗れ、喰えそうな肉をはがせってんです。生まれた頃からお姫様が、突然路上に迷ったのとたいして変わりませんよ、なにせ三大名家お抱えの執事メイドを(はい)する一族だったんですから。他の生き方なんて、考える余地すらなかったんですから」

栄華とも言えたそれは、50年前に三大名家を襲ったという惨劇を境に、崩れ落ちたという。

「父は死ぬほど後悔したと言ってました。時間の流れが曖昧だった『オルフェウス』の中で、ヘラ様が無事淑女におなりになるまで待とうと思ったのだと。その頃には『惨劇』の爪痕も消えているだろうと。まさか、爪痕どころか今もなお自分達の身を焼き切り刻んでいるとは、思わなかったらしいです」

ヘラの養育係となることは当時の海王夜当主に託されたらしいが、そのくせ帰ってみれば無職にされていたのだ。相手が天下の三大名家でなければ、訴えられるレベルの詐欺。

「実兄との件で、母は懐妊しました。廃人同然だった彼女は、その子を産み落としてすぐに亡くなりました。産褥さんじょくといわれておりますが、どうでしょうね。ともかく、そうして僕らは生まれました」

「え」

空気が、凍り付く。

凄惨な、しかし過去の夢物語の域を出なかった話が、急に現実味を帯びたのだ。

正統な『雨宮(ちすじ)』を求めた結果の不義の子が、幼い頃から慣れ親しんでいたこの男だという驚き、忌避感、同情。それらに埋もれて聞き逃しそうになった言葉、

「僕、ら?」

そう、と上品なインコのように皇は頷いて、親友を降りあおいだ。

「な、キョウダイ」

「そうだね~」

唖然とする彼方とアテネに構わず、遥は答えた。

「僕と皇は、本来双子だったんだよ。それも、忌み子として生まれた」

「…奇形?」

御名答。そう言っておもむろに、着ていた黒い上着と、タートルネックを脱ぐ。止める間もなく露わになった、その背中には…未だ言えぬ、大きな手術痕。縦に長く伸びたそれは、いつの間にかスーツを脱いでいた父の背にもあった。

「手術と、雨宮の呪術師にムチャクチャされてね。肉体強化されて、僕らは二つに裂かれてもなんとか生きていけている。その代わりに、いろいろなくしたけど」

「良心とか?」

くすくすくす、少女のように笑う成人男性二人。彼らの時は、あるいは生まれた時から動いていないのかもしれない。そんなことを、彼方は思う。

皇は、いつもかけている黒縁の眼鏡と外し、地面に捨てた。赤茶に染めた上オールバックの髪型ゆえ、肩まである黒の長髪をうなじで結った遥と彼を、双子だと気づくのは難しいだろう。

「…それで、復讐ですか」

地面に放り出され、かといってアテネにうかつに駆け寄ることもできず、父を見上げて彼方は問う。

いそいそと服をふたたび着ながら、「僕はどうでもいいんだけど、皇がね」と見やる。

同じく、黒衣に再び身を包んでから皇はアテネを再認した。

アテネはといえば、茫然自失というやつか。よほど、自分の祖先がしたことがショックだったんだろう。

彼方が育児放棄されていたことすら自分のせいだと背負い込んでしまう彼女だ、まして自分の母の育成が原因で、近親相姦やら奇形児の出産やらが起きたと知った今、彼女の心は耐えきれるのだろうか。

どこか客観的に憂う彼方と、彼女の目が合う。

その眼が言っていた。

『助けて』

「…イエス、マスター」

小さく、呟いて。

「父さん、ごめん」

「ん?なにが?」

「僕、わりと父さんとスメラギの悲惨な過去とか、どうでもいいんですよ。僕にとって大事なのは、ねーちゃんだけなので」

言い終えて、走り向かったのは―――アテネの立つ丘の上。しかし、彼方よりも彼女の近くにいたスメラギが、間に阻むように立つ。

「邪魔!」

「どっちが!僕がこの子を欲しがってるの、知ってるくせに!」

「この、ロリコン…」

相変わらず、本気ともつかぬ戯言を真顔で吐く上司に苛立ちまぎれに、

「…散れ!!」

回し蹴りをかます。通常なら不利な身長差が、足を狙ったことで有利に働く。傾斜のせいで受け止め損ねた攻撃をまともに喰らい、呻きながら彼は片足を抑えてしゃがみ込んだ。その脇を通り抜けて、主人の目の前に辿り着いた。

「……ッハア、お待たせ。ねーちゃん!」

「…遅い!けど、許しますわ」

目じりの涙を拭いてやると、その朱の瞳をさらにうるませて彼女は笑った。

「おかえりなさい、カナタ」

「ん。ただいま、マイ・マスター」

「…もういい?」

ゆるくアテネの頭を撫でてやると、その隙をついたように遥が、突きを繰りだしてきた。

アテネを背中にかばい、避ける。一拍おいて得物が打ち落としていたボウガンの矢だと気づく。

「皇はね、どうしても『父さん』の敵が取りたいんだって」

言いながら、何度も繰り出されるとつ。避けながら、未だうずくまる皇の動向も確認。

背後のアテネはいつもの気丈さは翳をひそめ、彼方と共に攻撃を避けるのに徹している。

「僕はご存じのとおり、『資格』がある程度に力が強かったから、執事になるためにさっさと外国に留学目的で追いやられたんだけど、皇はそこまででもなかったから、父が死ぬまで傍で暮らしていたんだって。さっき言ってた昔話も、そんときに聞いたみたい」

何を考えているのか分からない、不透明の笑顔で遥は語る。

「父さんの遺言は、『雨宮の再興』だったらしいけど。正直、その名にもそれを壊したやつらにふたたびへりくだるのも、僕らにとっちゃ不愉快以前に関心が湧かない」

何事にも無関心だから、父はいつも笑っている。卑屈でも不遜でもない、水鏡のように写すだけの。

「皇も、母や父を苦しんで死なせた家に再び仕えることに、反対したしね。忌み子として蔑まれ続けた彼の苦労も、推して図るべきだし。向こうの執事育成機関を卒業して、帰国した…18歳くらいだったかな、二人で決めたんだ」

「三大名家への、復讐を?」

うん、と一際大きな突き併せた首肯。

「そんな大層なもんじゃないけど。要は、全部『図書廻廊』なんてもんがあるからいけないんだろ?そのために50年前惨劇は起きて、もっというなら三大名家や三つ杜ができたのだって、『廻廊』を護るためだったんだし。だったら、『図書廻廊そこ』を制圧して、全部なかったことにしちゃおうかなって」

「っそんなの、そこらのぞくと、なんらかわりない目標じゃないですか!」

背後で黙っていた少女主人の叫びに、表情一つ変えず父は答えた。

「だからそう言ってるじゃないですか」

「話はそれだけですか?」

ガッッッッッッッッッ。耳に突き刺さる固い音。

彼方が遥の得物を蹴り上げ、手放させた音だった。くるくるとまわりながらそれは、遠い地面に突き刺さる。

「じゃ、もう夜も遅いんで、ささっと片づけて寝ましょうか、お嬢様」

まるで掃除でもするかのように、軽く言う彼方。

手にしていたのは、いつの間に拾ったのか。アテネの差していた傘だった。折りたたんで尖った先を、父の目の前に突き付ける。

「スメラギは、アテネお嬢様をどうしたいんです?」

問われ、傍観していた男はクッと笑った。

「閉じ込める、のはもうしたから。犯して、晒して、殺したい。母さん、みたいに」

「…マザコン」

「ブラコンの君に言われたかないね」

「ていうかロリコンですよね。八歳の子を犯したいとか」

「彼女、君より二つ上だから10歳だよ?」

「同じようなもんですよ」

「もうしばらくは、育てるよ。『廻廊』を制するのに、しばらくかかるだろうし」

「…愚かですわ」

吐き捨てるように、彼方と皇の応酬を遮って少女は言う。

護られていた執事の背から出、一歩前に踏み出して、きちんとてきと目を合わせて。

「例え『廻廊』に辿り着けても、遥さんはともかくあなたはすぐ『狂い』ます。耐えられるわけがない」

それに、と。

「あそこには、『世界』の管理者が、『図書廻廊の守護獣』がおりますもの。貴方達のような賊に、『彼女』が負け劣るはずがございません」

我がごとのように誇らしげに、震えながらも、彼女は宣戦布告した。

「…さあ、どうだろう」

言ったのは父か、皇か。

アテネの言葉に気をとられていたからか、少しずれた傘の剣線を掻い潜って、父は。

「甘いね」

先程の御返しとばかりに、手ごと得物を蹴り飛ばす。思わずそれを目で追った、その時だった。

駆け寄る足音、まっすぐに振りかぶるのは大振りのナイフ。狙いは当然、彼方の背から前に出てきた少女。

「大丈夫、殺さないよ。動けなくするだけだ」

どこかスローモーションで見えるそれは、兄が父を殴っていたときのよう。

緋の目を見開く彼女の、目の前に彼方はがむしゃらに身を乗り出す。

時間にしてみれば2秒あるかないか、常識的に考えれば間に合わないだろうその時間タイムを、破った。

結果は、皇の哄笑によって知らされる。刃を深々と胸に刺し、袈裟掛けに切られ血を吹き出して倒れたのは…

「……いやああああああああああああああああああああああああああああああああ」

雨宮彼方。

「あっちゃー、だめじゃん皇」

「あはははっ、だって遥。バイト君ジャマモノだよ?どのみち排除しなきゃいけないんだし」

「でもここでの殺しはまずいって。『オルフェウス』を隠ぺいするための結界が、歪んじまう」

「今から壊そうってシステムに気を使ってどうすんのさ」

「…じゅうじ

低く、遥が下の名を呼ぶ。それだけで、まるで操り人形のように背筋を正した相棒を、冷めきった笑顔で見る。

「お前、ただ彼方君を殺したかっただけだろう?彼が…ひいては僕も、君もだけど。『生物学上の父』に似ているから…」

「……そいつの名前は出すんじゃないよ、兄さん。存在の欠片すらもだ」

穏やかとは言い難い笑みで、皇も応じる。瞳孔は針のように鋭い。

「否定はしないよ。だから僕は、バイト君が大嫌いだったんだ。君も、僕自身も」

「だから、消すんだろう?僕達の存在ごと、三大名家も三つ杜も」

「なら、わたくしが消してさしあげますわ」

謳うような、少女の声がした。

特段冷たくもない、むしろ感情がこもってないゆえに、怖気立つ。

無色透明なのに炎を孕んでいる箱のような、薄皮一枚で崩壊しそうな、ソレ。

風が強くなったのは、彼女が呼び込んでいるからか。

血だまりに倒れる彼方、そのすぐそばに座り込んでいた筈の少女が、立っている。

彼をかばうでもなくその躰を前に、しどと濡れたドレスから血が垂れるのも構わずに、海王夜アテネは屹立している。

けれど、違うと遥は気づく。

奇しくも三つ杜の絆、そして仮にも世話係をしていたゆえかの、理解のはやさ。

それが、決定的な差になるとは、思いもしなかった。

「…へえ、消してくれるの」

最初の怖気から立ち直った皇は、無防備に嗤いながら、彼女に近づく。

「馬鹿、やめとけ」

「何怖がってるのさ。執事という盾を失った今、この子はただの小娘でしょ」

言いながら、止める遥の手を振り払い、歩を進める。

俯いて、前髪で表情が見えないことが余計に遥には恐ろしい。

「戻れ、皇!」

「安心してよ、もうこいつを刺すような真似はしない」

片手でナイフを振って示しながら、少年を挟んで目の前に立った。

「じゃあ、やってごらんよ。オジョウサマ」

それが、彼の最期の言葉だった。

スイッチを自ら押したことも気づかず、あるいは痛みもなく、皇十はあらゆる『世界』から削除された。

「!『ジウュジ』」

何かを、口にした。誰かを、引き留めようとした。

しかし、まるで巻き戻るように吸い込まれてゆく。見えない穴に、呼んだ名前が『存在』ごと、刈り取られる。

「…『魔女は火刑台で恋人の名を叫ばない』」

第三者からしてみれば聞き取れない、言葉の羅列。

『図書廻廊』に殉ずる者しか理解しえない単語と文章。その中でも、特に『禁じ手』とされる詠唱だった。

「…『索引』を引ける『監視者』の血の特権使って、暴走しないでほしいんですが」

一人ごちながら、素早く後退して、草むらに隠れる。

今、彼に残されているのは『隠れる』ことだけ。彼女に『見』つかった時点で彼は、彼の相棒のように『世界』から欠落させられるだろう。誰にも気づかれずに。

「…そういうわけには、いかないんですよね」

言いながら、木陰から様子をうかがう。

吹き荒れる風の中、少女の背後にまるで後光が差すようにして、巨大な本が真っ白なページを晒していることを。それはパラパラと勝手にめくれる。文字のあるところには、ところどころ欠損があって、それが消え果てた『彼』の名なのだと、理解する。

もともと赤い彼女の瞳は、今や爛々と光っている。その様はまるで、

「悪魔か、堕天使だな」

「……………………」

常に余裕がモットーの自分としては、今日は立て続けに調子を狂わされる日だ。

そう思いつつ、自分と同意見らしい声の主を目で探す。

いや、探す必要もなかった。目の前に、舞い降りたのだから。

空から、風を切らんばかりの速度でそのくせ、優雅な靴音と共に。

焦げ茶のローファー、黒のハイソックスと赤いプリーツスカートにまず目が行く。

視線をあげると、白いシャツに、紺色のネクタイをしていることから、まるで一学生のようだ。

けれど遥は知っている。その尋常ならざる存在感、腰まであるしなやかな金髪、そして、アテネのそれよりもさらに色濃い、べにの瞳。

不敵に笑い、『図書廻廊の守護獣』が立っていた。

真打登場。

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