第14頁 雨宮遥の採点。
月光を背景に、雇い主が立っていた。表情は分からない。
けれど彼方は、彼が泣いているのだと、直感で分かった。
次の瞬間、衣服が皺になるくらいに抱きしめられた。震える手、唸り声。どれも過去に見たことのない、皇十の姿だった。
それを背後からにやついて見つめる、父。
「皇は彼方君が行方不明になってから、ずっとあの山を中心に探していてくれたんだよ」
「だって…僕の責任で、君になにかあったらって」
華をぐずつかせながら、離れて、笑む。
「よかった、無事で」
まるで、どんな場所に行ったのか分かっている口調だ。
「……父さんも、スメラギも。僕じゃなくて、図書廻廊が…海王夜アテネの管理する扉が欲しいんでしょう?だから、僕を懐柔しようと、するんでしょう」
「だからなんのことさ」
流暢に答えるは、父。それを睨み付けて
「あなたが『三つ杜』の資格を得ていることは、手紙を見れば一目瞭然なんですよ」
垣間見た手紙、記されていた文字は全て、あの壁画のそれと同じ。資格がなければ文字だった。
「普通に僕がロシア語読めるって線は、ないわけ?」
「僕が解読できている時点で、却下ですね。ついでに、主人は父さんが先日、幾度か山に登っているのに気付いてましたよ。その記録映像と合わせて考えれば、証拠は歴然です」
肩をすくめる父親に、冷徹に返す息子。それを脇から茫然と見つめる、第三者。
「稚拙な論理だねえ。君の言うところの、映像?で僕が山に登れることが証明されるなら、必然的に彼方君を懐柔しなくても、何の問題もないことも証明されると思うのだけれど」
「…山に登れて、あの蔦に触れられても、『オルフェウス』には入れないんでしょう?一人では」
ぴくり、と遥の眉が跳ねる。
「どうしてか資格を有した『雨宮』であることを公にしたくないんでしょう?父さんは。だから、彼女が物心つくまで限定で面倒を見て、『トワ』なんて偽名を名乗って、姿を眩ました。遥と永久ちょっと考えりゃアテネさまでなくても解りますよ」
その間、実の息子達の養育は放棄して。
「僕を派遣したのは、偵察の意味もあったんでしょう。けれどそれ以上に」
息子を通して自分を彼女が思い出した時に、きっと彼女は自分を迎えに寄越すことを分かっていたから。今更ながら彼方は、自分が父親とうり二つであることを自覚した。
「自分から『雨宮』を名乗れない限り、中に閉じこもった彼女とのツールを作るしか、方法はない」
そのための、自分。
最初から最後まで徹底徹尾、彼方は遥にとって道具でしかない。
―――パン、パン、パン。
響いた拍手は、スメラギのもの。
「御名答、やっぱりバイト君は賢いねえ」
薄ら笑いを作り笑いを浮かべたまま、視線は息子から父へ。
「隠し通せないよ、遥。2回戦は僕らの負けだよ」
「…みたいだね」
仕方ない、とばかりに肩を落とし息を吐き、うつむく父は相変わらず嘘くさい笑顔。
だが、父は決して嘘をつかない。逃げ場を封じれば、雨宮遥は真実を吐かざるを得ないのだ。
「認めよう、君はこの5日…いや、『あそこ』では一か月くらいか。それだけの期間で君は立派になった。間違いなく、君は執事に成れた。この僕が保証しよう!」
どこか誇らしげに、そして自慢げに、父親は謳うように、敗北宣言する。
「だから、最終決戦だ」
と同時に、開幕宣言も、したのだ。
背後に回られたのは一瞬。黒づくめの服を好む上司が、闇から腕を伸ばす。瞬時に拘束され、父親と目線を合わさせられる。
虚ろだ。そんな感想を抱いた。
どこまでも透明で無色で無感動で無味乾燥とした、冬の池に張った氷のような瞳。
触れれば割れそうな、そのくせしっかり此方を映す。
「僕は『雨宮』には成れない。資格が有っても、幾ら金を積まれても。動機は、そう」
どこかで見たように、ふわりと哂った。
「『三大名家をぶっ壊す』ために」
♢
体術と剣術の基礎程度は、『オルフェウス』の生活で習ったものの所詮付け焼刃。
常に肉体を使う『探偵』という職業にある皇と、ボウガンを片手で打ち落とす程度に腕の立つ父。
「勝てる気がしない…」
「だろうね」
聞こえないように呟いたつもりが、聞こえてしまったようだ。
くすくすと、相変わらず少女のように笑いながら、横から放たれる矢の雨を彼方を抱えたのとは逆の手で払う父に、やっぱり彼方は勝つどころか抜け出す自信もわかなかった。
「しょうがないよ。潜り抜けてきた修羅場の数が、違うってね」
言いながら木の枝で矢を防ぐ皇は、若干の擦り傷が目立つもののやっぱり元気そうだ。血だらけになって登っていた自分とは大違い。
「ていうか、なんでスメラギ普通に登れてるんですか」
「ん?あれだよ、もう一つのここに来る方法」
「は」
「不思議に思わないかい?皇ほどの『願い』があれば、とっくに歪みは生み出せそうだけど」
「あ…」
そうだ。彼の言うところの『可愛い女の子(=アテネ?)がほしい』という願い、そしてあの山を必死に上り下りしていたときの表情。
「これでもセーブしてたんだよ。それに、ここ最近はバイト君の捜索を念頭に、登ってたし」
「『思う念力岩をも通』されちゃ困ったんだよ、来るときが来るまでは」
口をそろえて言うあたり、やはりこの二人は仲がいいんだな、と思考が逸れる。
まあ、仲がよくなきゃいくら仕事場の炊事をしてもらっても、友人の家の金銭援助なんて、そうそうしないだろうけど。
「ようこそ、かつての従僕とその御供達」
ふふ、と凄烈に笑う、声が響いた。
うつむいていた目線を上げれば、いつのまにか頂上に着いていて。
相変わらずの月光を背景に、己の主人が傘をさして立っているのを、見た。
あけましておめでとうございます。
本年度もよろしくお願いします。
物語と登場人物たちの行く末を見守ってくだされば、幸いです。