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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
13/29

第13頁 そして夢は終わる

どうして僕は生まれたの?

二人暮らしをはじめて1か月、考えないわけではなかった。

両親はどうしているだろう、スメラギは何を考えているだろう。

そもそも、自分をここに派遣したのは上司の皇だ。

市がここを取り潰すために、調査とできれば塔の破壊を依頼された。

その代り、兄を探してくれると。

けれど、どちらもかなわなかった。自分は瀕死の重傷を負い、アテネが助けてくれなければあのまま失血死していただろう。

「いや、ここで死んじゃいけないんだっけ」

だからこそアテネは、外にじきじきに趣き、「去れ」と言いに来たのだ。

兄のときと、同じように。

彼方は雨宮の血筋であるために(と彼方は未だに思っている)アテネに救われ、執事となり。

兄のりんは、願いを叶えるために自分の余命を使い切った。

兄の余命分、父は生きるだろう。それに恨み言を吐く気はない。兄が選んだことだ。

もちろん、生きてほしかったけれど。会いたかったけれど。

その代わりに。命を賭して守りたい女の子に会えたのだから。

『あなたがそこまでしてほしいのは、報酬ですか?』

『報酬より何千倍も金になるものだよ』

『…なんなんですか、それ』

『……かわいい女の子』

皇が望んだのは、アテネのことなのかもしれない。

もちろん渡す気はない。けれど、父が『彼方君に頼めばいい』と自分をここに来るよう導いた気が、どうしてもしてならない。三大名家に仕える『三つ杜』の一柱、雨の宮。自分たちがそうであることを、おそらく父は知っていた。

『僕は、魔法使いなんだ』

その血を継ぐ彼方をここに寄越した理由は、

「やはり、『図書廻廊』なのでしょうね」

「うわっ」

一階広間の噴水に腰掛けていた彼方は、不意に話しかけられて水に頭から突っ込みそうになる。

「気を付けてくださいませね」

それをさっと受け止め、立たせるアテネの目は、どこか冷たい。

最近は蔵書庫にこもり放しだったためか、頬がやせこけているようにも思えて、心配した。

「大方、そのスメラギとやらはどこからか『廻廊』の情報を得て、どうにか干渉できないかもくろんでいたのでしょう」

淡々とアテネは言いながら、水面に掌をなぞらせる。

と、波紋が起こり、映像が浮かび上がってきた。

「…父さん」

映っていたのは、父だった。いつも家を出るときのようなスーツ姿で、鼻歌交じりに山を登っている。

と、木々の陰から立ち上がってきた無数の『影』が、ボウガンの昇順を父に向けた。

放たれる矢、思わず己の顔を両手で覆う。

「父さん!!」

しかし、その薄ら笑いを浮かべたまま、何も持っていない―――すなわち武器もない―――片手で、雨のように降り注ぐ鉄製の矢を、難なく振り払った。

ばちん、と鞭がしなるような音。がちゃがちゃとにぎやかに、矢は地面に散らばった。

「なんだ、ここの『扉』の護りはこの程度?」

少女のようにくすりと笑って、そのまま歩みを進める。

矢は振り払い、反撃はしない。

その歩みは迷いなく、それをアテネは厳しい目線で見つめていた。

「ねーちゃん…?」

思わず小声で呟いた、そのときだ。

『着いた』

いつも通りの、のらりくらりと言った口調で彼方の父は、難なく塔の前にたどり着いた。

ごう、と音を立てて塔を守る蔦、その尋常でない威圧感にも全く動じず、笑顔で彼は呟いた。

『うん、万全』

そして、懐から取り出したデジタルカメラで写真を撮る。

「…あれは」

事務所で、父が撮ったのだと皇に見せられたものだろうか。

それからしばらく塔の周りをぐるりと見回し、時折嬉しそうに蔦に触れた。

何かつぶやいていた気もするが、聞き取れない。

10分ほど経った後に、「それじゃあ、またね」と塔にむけて呟き、彼は山を下って行った。

「……」

水面が、静まる。

「…ねーちゃん」

掠れる声のまま、彼方はおそるおそる呟く。

「……雨宮の頭首は、そのスメラギとやらにここの情報を流したのですね」

冷たい、声だ。はじめてあったときよりも。

思わず身構える彼方を見向きもせず、アテネは呟く。

「度し難い、おろかさ。これは三大名家への復讐ですの…?」

「…どういうこと?」

「ここ数日、侵入を試みるネズミが湧いて出てますの」

吐き捨てるように言いながら、再び水面を揺らす。

山を登り、一分もしないうちに別の道から出る。それを繰り返し、時折悪態をつくその男は

「…スメラギ?」

「今現在の映像です。もう、ここ数日毎晩続いてますわ」

無駄とわかっていてもやめられないというように、草をかき分けて枝枝を手折って。

砂漠で水を求めるように、渇望する何かを欲して。

「痛々しい、わ」

言う少女の声は空洞で。

やっと顧みられた彼方は、その虚ろの瞳にただただ、おびえた。

この一か月、彼の半生の中で幸福で、平穏な日々だった。外に出られない以外はやっと、望む『普通』に自分は成れたのだと、錯覚するほどに。

アテネも、主人も幸せそうだったのに。『寂しくない、カナタがいてくれてうれしい』と笑っていてくれたのに。

今はとても、寒い目をしている。

「…ねえ、カナタ」

どこかわざとらしい甘やかさをもって、アテネは問う。

「あなたの父も、その友人であるあの男も。廻廊の存在を…此処が異常であることを心得ているのは明白ですわ」

水面には未だ、皇が山を上り下りしている。クマの見える目から、だいぶ憔悴していることが見て取れた。

「ねえ、カナタ。わたくし、ここに閉じ込められてますの」

「…は」

笑顔が、怖かった。

「わたくしの御役目は、ここへの侵入者を生かしたまま追い出すこと。もう物心ついたころからそうしてまいりました」

猫なで声が、気持ち悪かった。

「でもねえ、カナタ。わたくしとて、乳飲み子の時代がありました。その期間わたくしを育てたものが、いるはずなんです」

優しく頬を撫でてくる手が、不快だった。

「記憶に残っているのは、若い男性だったこと。執事服を纏い、いつも微笑んでいてくださいました」

なにより必死な目が、自分の知らない誰かを渇望する目が、大嫌いな父を思い出させるから止めてほしかった。

「その男は、『トワ』と名乗っておりました。ねえ、あなたのお父様は、あなたが5歳になるまでおうちに籠っていたのですわよね。それは、確かにお父様でしたの?…もしかして、幻術かなにかで、お父様はわたくしの世話役だったあの男なのでは、ありませんの?」

「……どうして、そんなこと急に、思うのさ」

絞り出すように問えば、主人はうつむいて。

「あなたと過ごしたこの一か月。ずっと、懐かしいような気がしておりましたの」

「……」

「あなたが『三つ杜』である事からのシンパシーかと思いましたわ。けれど、だんだん思い出してきたのです。記憶の残滓しかなかった、あなたが思い起こさせる『彼』のことを」

彼方は、答えない。

「だから、カナタお願い」

聞きたくない、と思った。

「あなたのお父様に、聞いてきてほしいの」





一か月ぶりの、外。何も変わっていない。

枯葉を踏みしめて下った森、山の獣道。

降り立ったコンクリの地面に、郷愁を呼ぶような思い出はない。

「…さっさと用を済ませて、帰ろう」

アテネが編んでくれたマフラーを揺らして、彼方は実家への帰路をたどった。

山から15分程の位置に、雨宮家の住むマンションはある。

習慣でポストを確認すると、一通の手紙が入ってた。

差出人はなく、あて先は―――父のようだ。

左右を見回す。マンションの玄関フロアには、彼しかいない。

丁寧に糊付のりづけの封をはがして、中身を確認した。

一枚の便箋、記されているのは、此処に在ってはならない文字。

「―――なに、見てるの?」

ぞくり、と背筋を震わせる。

振り返ると、閉じるエレベーターを背に、父がいた。

いつものスーツ姿に、うちにあるべくもない高級カシミアのコートを羽織っている。

「…とお、さん」

「おかえり、彼方君。5日もどこに行っていたんだい?」

「…は?」

震える手から、やんわりと便箋と封筒を奪う。

「僕の知らないうちに、覗き趣味を覚えちゃうなんて。悪い息子だなあ」

くすくすと微笑んで、それを胸ポケットにしまう。

「で、彼方君。あれほど『普通』を順守していた彼方君が、学校もバイトも、全部放り捨てさせたのはいったいなんだったの?」

真綿で首を絞められている気分だ。

けれど、屈するわけにはいかない。おそらく、生まれてはじめて彼方は父の目を睨み付けた。

「父さん。『雨宮』を復興する気はないんですか?」

微笑みを、父は崩さない。その感情のない鉄壁の笑顔を破壊するために、彼方は必死で言葉を放る。

「海王夜アテネ御嬢様の執事として、僕は問うています。今日も彼女の使いとして、ここに来ました。雨宮あめみやはるかさん。あなたは彼女が5歳になるまでの日々を、共に過ごし彼女を育てた『トワ』なのではないですか?」

「…何を言ってるのか、よくわからないけれど」

一気に一息に、反復したくなかった言葉を暗誦し終えた息子に、父親は変わらぬ笑顔で、毒を振りまいた。

「5日も顔を見せないと思ったら、なに、どこ行ってたの?」

「…5日?」

うん、と上品に頷き、仕事をするようになってから持ったスマートホンで日付を見せてくる。

それは、たしかに彼方が失踪した日から5日後の日付を示していた。

「…うそ。たしかにぼくはあそこで、いっかげつ、ねーちゃんと」

こちら』と『オルフェウス(あちら)』の時間の流れが違うことは、予想できていたけれど、まさかここまでとは、驚きに覚えず思考停止する、彼方。

「ねーちゃんって誰?」

「金髪の、赤い目の、ぼくと同い年の女のこ…ぼくの、主人です」

「…なにがあったか知らないけどね、彼方君」

雨のように。雪のように。

「僕らの家庭を支えているのはぼくと君のお給料だってこと、自覚してもらわないと困るなああ」

真っ白な雪を無邪気に踏みつけて、泥でぐちゃぐちゃに汚す子供のような、純真さで。遥は息子の心を切り裂いた。何度も、何度も。

「…それで、賄えてるんですか、ほんとに」

「もう、かすかさんのうちの遺産、ほとんどないしねえ」

「兄さん、は」

震える声で問うたそれが、正直一番聞きたいことだったのを、決して彼方は認めないだろう。

「父さんを生かすために、もう二度と帰れないのに、犠牲になったのに。父さんは、変わらないんですね」

「だって、頼んでないもの」

少女のように笑ったその顔が、声が、存在が、憎くて憎くて憎くて。

一か月前飛び出した時よりも、ずっと。

思わず獣じみた怒声を上げかけた、そのとき。背後から耳になじんだ声がした。

「バイト君!やっとみつけた」

君を探すためだと、思い込んでいたかった。

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