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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
12/29

第12頁 黄金の砂糖菓子は、大人たちによって瓦解する。

遅い昼食は、ビーフシチューだった。

「大したものじゃありませんけど…」

目を丸くして皿を見つめる彼方に、申し訳なさそうにアテネは言う。

「い、いやいやそんなことないよ!ねーちゃんお料理上手なんだね!」

彼方は声を弾ませて、彼女の手を握った。握られたアテネは目を丸くする。

「ぼく、スメラギ…上司のところで最低限の家事は叩き込まれたけど、料理はあまり知らないからさ、こんなおいしそうなの、初めて見たよ!」

「…そう、でしたね。あなたは、そういう家の子ですもの」

興奮気味に食卓を見つめる彼方に、彼女の呟きは聞こえていない。

と、うつむいていた顔を上げてアテネは笑顔で言った。

「よし!これからわたくしが、彼方に美味しいものをたくさん教えますわ!こう見えて和食も中華もできますのよ」

「本当!?」

すごいや、と笑う彼方に、翳りはない。それをアテネは喜ばしく、けれど奥底で憐みもする。

機能不全の家庭で育ち、幼いころから貧困と労働の苦のみを知り、心の支えだった兄すらも失った。

しかもそのほとんどの原因は自分…ひいては三大名家の問題である。

最初に彼を見たとき思ったのだ。『雨に愛されている子だ』と。

影を消す唯一の方法、月光を覆った雨雲。あれは彼が『雨宮』だからこそ起きたこと。

けれど、その加護は彼自身の心までは守れない。

寂しいと、会いたいと泣く姿に、在りし日の自分を重ねた。

護りたいと思った。

例え彼が孤独に苛まれた一因が、自分にあったとしても。

『ねーちゃんが好きだよ』

と、敵である自分の傍にいることを選んでくれた彼に、精一杯報いたい。

「おいしい…おいしいよ、ねーちゃん!」

無垢に無邪気に笑う少年に、微笑んで水を差しだしながら、そうアテネは思った。





古い意匠の執事服。そのほつれたところやくすんだボタンを、取り換える手つきは鮮やかだ。

きらきらとした瞳でそれを見つめる彼方、その目元は先ほどまで濡れタオルで冷やしていた。

昨晩、散々泣きはらしたためである。泣き疲れて寝入った彼方を、抱きしめてアテネも眠った。

いつも寝つきが悪かったが、はじめて人のぬくもりを抱いていたからか、あるいはそれが彼だったからか。寝起きは晴れやかな気持ちだった。罪悪感を抱えたまま、彼と共に生きようと思えるほどに。

「…できましたわ」

最後のボタン、それをつける糸を断ち少女は執事服を広げて見せた。

おお、と拍手する彼方を立たせ、鏡の前で合わせてみる。

「うん、問題なし。ささ、着てみてくださいな」

「う、うん」

言われるがままに、その場で衣服を脱ごうとする彼方に思わず怒鳴る。

「ちょ…!ここで脱がないでくださいませ!」

「えー、いいじゃんいいじゃん」

軽い調子で彼方は、あっという間に下着一枚になってしまった。

葉っぱ一枚でなくてよかった、絵面的に。

「もー、デリカシーという言葉を彼方は知りませんの!?」

執事になることを頼んできたときよりも頬を朱に染めて、アテネは背を向けている。

「いやー、できればねーちゃんの傍にいたいし」

さらり、と吐く言葉にアテネが弱いことを、知ってか知らずか。

「…確信犯だったら、承知いたしませんわ」

呟く声は聞こえているのか、いないのか。鼻歌交じりに着替えながら

「それに、人目にさらされて着替えることに僕は抵抗ありませんし。小学校の体育とか、『女男』って言われて男子用の着替え教室にいつもいれてもらえなくて、廊下で着替えてましたからねー」

女子にまぎれるわけにもいきませんし、と苦笑する彼の声に、なんの感慨もないのが逆に悲しかった。

「…よし。ねーちゃん、これでいいですか?…って、どうしました」

着替え終えた彼に少女は抱きついた。

「…言葉は、難しいですから」

「はい?」

首をかしげる少年の背を、愛おしげに撫でてアテネは思う。

「…なんでもありませんわ!」

軽く頬に口づけて、笑んだ。





「のろけ?」

『…ち、ちがいますわよ』

時は現代。みのりは主君が語る過去に、思わず突っ込みを入れた。

「だって、あまやかなお話がこのままだらだら続けられても困りますもん」

こっちは学生なんですよっ、と無意味に胸を張る。

たしかに時計を見れば6時前、最終下校時間も迫っている。

今日、バイトがなくてよかったな、とぼんやり彼方は思った。

「…甘い夢はすぐについえます」

彼方の呟きに、電話口ともども少女たちは黙る。

虚ろな目で、未だ止まぬ雨を見つめながら、彼は語った。

「僕はそれから1か月ほど、ねーちゃんの執事をさせていただきました。けれど、僕は忘れていたんです…いえ、逃げていました」

外に残した彼らの思惑を、失踪した自分がその一端を担っていたということを。

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