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図書廻廊―Side Seventh sins-  作者: 雨天音
第一章 雨がやむまで編
10/29

第10頁 そして夜は終わる

どこの執事漫画だ、と脳内で突っ込みが炸裂する一方で、彼女の真剣な表情から、揶揄や冗談のたぐいでないことは汲み取った。

「それは、僕が『雨宮』だから?」

「っ、違いますわ!」

自然と行き着いた結論に、けれどアテネは激昂した。

ほの桃色だった頬は一気に紅潮し、手を握る力はさらに強まる。

「確かに、あなたが雨宮の、それも『資格』を持つ人間でなければお願いできないことですが…それは十分条件であって、必要条件ではありませんもの」

数学の命題だ。彼女の剣幕に押されて、若干腰が引け気味の彼方である。がしかし、

「わたくしは、あなただから…寂しさを知っているあなただから、お願いしたいんです!」

予想外の『必要条件』に、覚えず瞠目した。

「…『さびしい、ひとりぼっちはいやだ』と。涙するあなたは、わたくしと同じだと思ったから」

今更ながらに気付く。この城に入ってから廊下を渡り、この広間にくるまでの道でも、こうしてここでずいぶんと話し込んでる合間にも。人っ子一人、猫の一匹も見かけないのだ。これだけの邸宅には使用人がいるだろうし、なにより彼女の両親も姿を見せない。…自分の家庭が壊れているから、失念していた。ここには、人の住む気配がない。

「…君も、ひとりぼっちなんですか」

少女は、それには答えず

「生まれて、このかた。ほとんど自分以外の人間を、見たことがありませんわ」

とだけ、呟いた。

「…あの」

だしぬけに、彼方は呼びかける。少女は、先ほどからうつむいたままだ。手も離され、背も向けられていては表情すらうかがえない。なので、少々危険な手段に出た。

「ねーちゃん」

「……は?」

「『アテネ』からとったあだ名。『ねーちゃん』…って、呼んでいいですか?」

「…怒られますわよ」

何にとは言わず嘆息するが、振り向いた少女の表情は明るかった。

高鳴る胸のまま、へらりと笑うと、少女も微笑み返してくれた。

今度こそ、淡い光のように、本物で。

「わたくしと、一緒にいてくださいます?」

「はい、ぼくはねーちゃんの『執事』ですから!」





「……って言っても、未だに自分ちがそんなすごい秘密に関係してるとは、信じがたいんですけど…」

数時間後、アテネの寝室だという部屋で(キングサイズのベッドやら備え付けのバスルームやらに一通り驚いてから)風呂を借り、二人でベッドに腰掛けていた。少し前までは彼方に、救急道具をきちんと用いての治療をしていたアテネも、同じく風呂上りの寝間着姿だ。彼方は、寝間着代わりにと渡された大きめのバスローブ、その上質なコットンの質感を楽しみながら、数時間来の主人に質問する。

「ねーちゃんを疑ってるとかじゃなくてね、それなりにあの貧困さは異常だと思ってたし、さっきの話を基盤にすれば、納得のいく推論はたてられるし。でもね、ちょっと実感わきづらいっていうか」

数年前までの生活を思い出せば、無理からぬことだ。汚い家、灯りはつけっぱなしのテレビのみ。

転がった酒瓶と、振り返らない両親の背中。

「お金が足りなくて、兄が中卒で働いていたくらいですし」

「ということは、中学まではお兄様は働いていなかったのでしょう?彼の中学までの学費や生活費は、どうなっていたのかしら」

「え、と。母が、僕らの住むアパートの管理人で、その家賃収入と、母の両親…つまり、僕らの祖父母ですが、その遺産が結構あったみたいです。ここら一帯の地主だったとかで…まあ、それも両親の酒代やら、君の言うとおり僕らの学費でほとんどそこをついちゃったみたいですけど」

それに中学まで兄は、放課後から深夜まで皇探偵事務所で事務作業をしていた。

つまり、今の彼方と同じだ。その期間も皇は、雨宮家の生活費を多少融資していくれていた。

が、兄は中学の卒業式後その足で、事務所に辞表を提出したという。

その後は、ご存じのとおり。朝から晩まで多種多様のバイトに明け暮れ、生活費を工面してくれていた。

兄が事務所を辞めて以来、皇の融資はなくなった。が、兄の働きで十分食べていけたはずだ。それくらいの額はあった。

「…じゃあなんで、父さんは『お金が要る』なんて言ったんでしょう」

覚えず感情が言葉になっていた。

スーツを着て働きに出た父を思い出す。

謎の振込について、父に尋ねたことがある。

『隣君が自由な証だよ』

のらりくらりと答えた父は、相変わらずの不透明な笑顔で。

ではあれは嘘か?彼方にはそう思えなかった。

父は、煙に巻いても虚言は吐かない。信条ですらあると、彼方は推測していた。

「ならば、あれは父さんが務めていた会社の…?」

だが、彼の給料は『要り用』と言っていたことに使うとのことだから、それはないだろう。

だからこそあれは兄が、どこか自由の地で彼方を案じて、いくらか振り込んでくれていると思っていた。

「…そんなに、生活に困っていたんですのね」

それまで黙っていたアテネは、伏し目がちにこちらを見やっていた。

「…ん、まあ」

彼方にしてみれば、生まれてこの方ずっとあの生活だったので、他人と自分の家の差異は理解していても、それを悲しいだとか、つらいだとかは思わなかった。普通になれたらとは、痛いほど望んでいたが。

不意に、無言のまま頭を撫でられた。

あまりに真剣そのものといった真顔なので、口を挟めずされるがままにする。

ぽすぽすと、叩くように手を置く兄の横顔を思い出す。同い年なのに、それくらいアテネは大人びていた。

しかし手は、こわばって固い兄のそれとは違って、彼女のは柔らかかった。

しばらくするうち、自分の心が凪いでいくのを感じた。

それは、彼女の母性によるものか、兄を思い出させる行動からか。

心身共に緊張が解けてゆくのを感じ、自分がどれだけ固くなっていたかを自覚する。

それを見抜いていたかのように、くすりと一つ少女は笑った。

「…ごめんなさいね、あなたは、何も知らされずに育ったのね」

少女の赤い瞳は、揺れていた。

「なのに、知っているものと思って、受け入れて当然だとわたくしは、配慮が足りませんでしたわ」

超常現象への免疫があるわけでもないのに、次々とめまぐるしく変わる事態、明かされた突然の出生。

いくら聡くても、小学生にやすやすと受け入れられる話ではない。

「ごめんなさいね」

「い、いや、あなたがあやまることじゃ…ないですから」

急に謝られても、慣れていないので彼方は焦る。そもそも、同年代の子とコミュニケーションをとるのからして珍しいのだ。先ほどまでのように、彼女の方が多弁に語ってくれているぶんならまだしも。

その静止を聞いてか、聞いてなかったか。

「それに、わたくし達主君である三大名家も、せめて『外』でやっていく活動資金くらい持たせるべきでしたわ。彼らとて、好きで『三つ杜』になれなかったわけでもありませんのに」

それこそ、アテネが責任を感じる必要は全くない事柄だ。それを決めたのは彼女ではなく、何百年も前の人々なのだから。そう伝えると、それでもアテネの表情は硬い。

「いいえ、己のした失態でなくとも、祖先の罪をも背負うのが、名家の当主としての矜持、誇りです。…それに、当時の頭首たちの無碍な仕打ちが、現代の『資格』を持つ者達を危うく、過労死や餓死に追い込むところだったんですもの。腹も立つものですわ!」

そこまで言っただろうか。兄の、夜中に帰宅したときの疲れ切った表情を思い出す。

「……あっ」

思わず、大声を出す。びくっと震え、こちらを見上げる少女に、彼方は聞かせるともなくうめいた。

「僕がここに来たの、バイト先の雇い主の命令って話したでしょう?あれの代わりに僕、お願いしたんです」

「…なにを?」

「行方不明の兄を、探してほしいと」

簡潔に、3年前の事件の経緯を聞かせると、アテネは己の両の掌を打ち合わせた。

「ならば、わたくしが見せて差し上げますわ!」





先ほどの大広間に降り、未だ止まったままの噴水に近づく。

「先ほど外で、あなたに応急処置をしたように、わたくしも少し呪術が使えますの」

すっと水と平行に、少女は手をかざす。すると、水面がゆっくりと揺らいで、光を発し始めた。

「『水鏡みずかがみ』というの。これで、お兄様の現在の姿を映すわ」

「ほんと!?」

ええ、と上品に頷く少女に、彼方は勢いよく礼をしながら、食い入るように水面を見つめた。

だんだん光が弱まり、影のようなものが映る。風の音も聞こえるので、外だろうか。

数年ぶりの、待ち望んだ再会に高鳴っていた胸の音。それを鎮めるため深呼吸をし、しかし中途半端にとまった。

映ったのは、墓標だった。古びて薄汚れ、枯草と蔦が絡まっている。

その墓石に掘られた名は、『RIN』とだけ。没年は3年前とされていた。

心臓が、一際大きく、痛いほどに、鳴るのが聞こえた。

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