その2
「新宮さんは逃げてください」
「おい! そんなことできねぇよ。だいたい俺を守るってなんだよ?」
「いずれ分かります。今は説明している時間がないのです……」
そんなこと言われても納得できるわけねぇだろ!
「相談は終わったのか? あぁ?」
男はこちらに歩を進めながら、意地の悪い声で問いかけてくる。
「ご心配なく……」
因幡は言い終わると、弾けるように飛び出した。男との間合いを一瞬で詰めると体を沈め、目にも止まらぬ速さで蹴りを繰り出す。
男は正面から蹴りを受けると、後ろに10mほど吹っ飛んだ。
「すげぇ」
「感心している場合ではありません。早くなさい!!」
それまでの穏やかな雰囲気と打って変わって、有無も言わせぬ物言いに体が反応する。俺は肉食獣に追われた、草食動物のように無様に逃げ出した。
「そう、それでいいの」
因幡はポツリと呟いた。
夕闇に包まれた都市は不気味なほど静かだった。
歩道には人影もなく、大通りには車1台走っていない。
店の明かりも偽物のように感じる。
俺はビルとビルの隙間に入り込んで、後ろを確認する。誰も追ってきてはいない。
「こうするしかないんだよな……」
自分に言い聞かせた。因幡のために逃げたそう思い込むしかない。
「……」
んなことできねぇ。女に守られて、男1人逃げ出すなんてありえないよな。かっこ悪すぎだろ……最低の男のすることじぇねえか。
「逆だ、俺があいつを守る!」
隠れていた隙間を飛び出し、全速力で走りだした。恐怖を暗闇に置き去りにして……
横たわる少女は雪の様に白い肌を鮮血に染めていた。それでも少女はよろよろと立ちあがる。
「まだ生きてんのかよ?あはははは」
男は少女に近づき、片手で首を掴むと楽々と持ち上げた。徐々に力を込め締め上げる。
もはや少女に抵抗する力はなかった。薄れていく意識の中で彼――新宮陽斗の無事を祈ることしかできない。
「おい、その汚い手を離しやがれ」
体が震えるのを懸命に抑えた。
「ああ?」
こっちを見た男はもう用済みだと言わんばかりに因幡を放り投げた。
「てめぇ因幡をよくも……お前の目的は俺だろ!」
怒りがこみ上げてくる。
「そうなんだよ。良かったわぁ、これで手間が省ける」
不気味なまでに声に感情がこもっていない。
こんなんでビビるな俺……拳を握りしめ、突進する。先手必勝という言葉を信じるのみ。
あと数mというところで、男は手を前にかざした。掌から人がすっぽり覆われるほどのシャボン玉のようなものを飛ばした。
もう避けられない、なら突っ込むしかない!!
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」
瞬間、衝撃を受け身体が浮いたかと思うと激しく地面に叩きつけられた。
「っく!」
顔をあげると、誰かが立っていた。赤いチェックのスカート、白いブラウス、黄のネクタイ。見覚えのある神立学園の4種類あるうちの1つの制服だった。
「愚か者! 貴様は死ぬつもりか」
突然浴びせられた罵声。
肩にかかるセミロングの茶色の髪、そして深紅の瞳……知らない女の子。誰だよ!
「はっ! えっ? どちら様?」
「ヒルコ!! さっさと消えなさい」
肩越しに謎の男に向けて喋っている。って俺の質問は無視かよ。
「これはこれはヒノカグツチ様か。兄にはもっと敬意をはらってもいいんじゃないか?」
「2度は言わないわ」
「はいはい。無理しちゃって。おいお前救われたな」
俺は指を差された。
やがてヒルコは闇の中に溶けるように消えていった。
「あのーヒノカグツチさん?」
「ヒノカと呼びなさい。ところで貴様! 黙って見ていれば女1人置き去りするとは何事だ。そのまま逃げていたら私が殺していたところだ」
殺すって、冗談……いや目が本気だ。
「ヒノカさん、私がそうするように申し上げました」
傷だらけの因幡が立っていた。
「因幡! 今救急車呼ぶからな」
慌てて携帯電話を出そうとすると、ヒノカに制された。
「問題ない」
あれだけ傷だらけで問題ないわけがない。
「私は身体を休めなければなりません。ヒノカさんあとはよろしくお願いします」
そう言い残すと、因幡は脚を引きずりながら去った。
よく考えてみればこのヒノカとかいう女、ずっと見ていたような口ぶりだったよな。
「全部見ていたのか?」
「だったらなんだというのだ?」
「因幡と知り合いなんだろ? なんで助けないんだよ」
「彼女の役割は貴様の保護と私への仲介だからだ」
さっきのヒルコとは違う冷たさがある。
「保護? 仲介? お前いったい何言ってるんだ」
「私たちは高天原からこの葦原中国を救うためにに遣わされた神だ」
ああ、神か。
って、納得できるわけねぇだろー
「ところで私と契りを結ぶ覚悟はあるのだろうな?」
「は? 契り」
「とぼけるな、夫婦のだ」
神様。もし、神様が本当にいるのなら、この自称神様を何とかしてください。