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「話題がない」

話題がない

赤木君の場合


 誰かが、学生時代に言っていた。

「恋愛は、データじゃねぇんだ!パッションだ!インスピレーションだ!」

 

 そんな昔のセリフを思い出して、僕はこっそりため息をつく。まぁ、若かったのだと言い訳をしても、そのときはそれがすごいセリフに思えた。しかし、30代手前になった自分が考える現実は「データがないと話しかけることすらできない」が正解である。


「おはようございまーーーす。」

「おはようございます。」

「おはよう。」

「おはようございます。」

 大量の人がいるコールセンターの中で、彼女は遅くもなく早くもない時間にすさまじく、けだるい顔でやってくるのが、日課だ。朝からさわやかな笑顔なんてものは、見たことがない。

「おはようございます」と彼女はちょっと頭を下げた。

「おはようございます」と、僕も頭を下げた。僕のほうが立場的に上でも彼女のほうが年上だ。最初は会話のすべてが敬語だったが、やっと僕に慣れたのか、挨拶以外はたまにしか敬語が出ない。

「暑いし、寒いね。」

「そうですね。」

 僕は言った。外は、蒸し暑いが室内はクーラーの効きすぎか寒い。しかし、今はさむことも、これから100台以上のパソコンやプリンター、電話が動き始める。そうすると、寒くてちょうどいいくらいにまで温度が上昇するのだ。

 僕は、朝から彼女と会話できたことに内心ニヤニヤしながら、平静を装って書類を配布して回った。

朝の上司のあいさつが始まった。ここから、今日もまた始まる-----。


 一目惚れという単語がある。しかし、僕は彼女に一目ぼれをしたわけではない。なぜなら、彼女の第一印象は最悪であったからだ。とにかく、目つきが悪い。最初、なぜ彼女がこんなにも僕を睨むのか、そんなに不機嫌そうなのかと思うほどの顔をずっとしていた。

 後から、これは機嫌の問題でも、寝起きの問題でもなく、これが通常の顔だということを知るのだが、それまではひたすら睨まれていたという印象しかない。

 それが、しばらくしてから同僚と楽しそうに話している彼女の姿を見かけるうちに、僕にも、たまに笑って話す機会が出てきたのだ。なんだ、僕のことを嫌っているわけじゃなくて、こういう顔なんだ、とようやく理解するまでに半年もかかった。それが、三か月前、彼女が笑った。微笑みではなく、本当に声をだして笑ったのだ。その笑顔に僕の心は奪われたのだ。


 いいな、彼女の笑顔。


 と、思ったのもつかの間。彼女の笑顔は、続かない。仕事中は通常の顔のままだし、(ニコニコしながらパソコンに向かっていたら、怖い)休憩中も話しかけることがない。なにか話そうと思うのだが、なにも、なにも話題がないのだ。ひたすら、話題がないのだ。


 なにをはなせばいいのか。仕事仲間なのだから、仕事の話しか共通の話題はない。しかし、仕事の話さえもない。ミスの指摘をしてもいいのだが、これでは会話ではなく、注意になってしまう。共通の知人は、同然同僚たちになるのだが、同僚たちがいる前で話はできない。

 休憩時間もこのコールセンターでは、たくさんの人が働いているせいか、女性が大量に移動して、戻ってくる。その移動だけで時間は過ぎて行ってしまうのだ。食事の時間はそれぞれがお互いの仲間と食べるせいか、席は離れてやっぱり話題がないのだ。


「それでは、10分の休憩―――。」

 上司のアナウンスが入る。こっそり、彼女のほうを見ると、やっぱりけだるそうな顔のまま、トイレのある方へと向かっていった。僕も向かう。しかし、彼女の後ろ姿を見つめながらなにも話さずに、彼女は右へ。僕は左へと向かうのである。

 僕は、そっとため息をついた。


 仕事中でも、全く話さないこともあれば、仕事の話をすることもある。しかし、彼女の質問は的確で、理解度も高い。本当に、一言、二言で会話は終わってしまうのだ。

 別に、女性と話すのが苦手だとか、そんなことはない。このコールセンター全体の8割は女性で、僕の直属の上司も女性だ。同僚の女性が多いし、僕は食事も女性としている。それでも、彼女との会話の種には、ひたすら悩むのである。


 つい、視線が無意識にそっちに行っていると、観察状態になり、見ていてわかることもある。姿勢だったり、手の動きだったり、同じお茶を持っていたり、と。だが、それがどうなる、というわけでもない。今は席が近いからか、よくわかるが遠くなったら一度も話すことなく、一日が終わるのはないかという恐怖さえも抱いている。

 それに比べて、彼女に毎日話しかけている男もいる。彼女はとくになにも気にすることなく、話しているが、たまに彼女が本気で笑っていることに腹が立つ。いや、彼女にではなく、彼に。また、そんなふうに、彼女に笑いかけてもらえない自分にも腹が立つのだ。

 そして、こっそりため息をつく。


 おそらく、自分の中でまだ、気持ちがはっきりしていないのではないか、と自己分析をしている。彼女の笑顔はすてきだ、彼女に笑っていてほしい、できれば自分に微笑みかけてほしい。が、彼女をデートに誘いたいとか、一緒に食事に行きたいとか、はたしてそういうことがしたいのかと自分に問いかけると、悩むのだ。彼女が好きなのかもわからない。

 

 まず、デートに誘おうにも、好きな音楽も映画も役者も場所も知らない。携帯の番号もメールアドレスも知らない。聞く機会がないのだ。もちろん、教えてくれなかったらどうしようという恐れもあるのだが。

 一緒に食事、といっても好きなものも嫌いなものも知らないし、やっぱり断られる恐れがあるのも誘えない要因の一つだ。彼女のことが、確実に好きならば、きっと周りの人を仲間にして、(というよりも、エサにして)みんなで食事に行くだろうが、そこまでの決意もないのだ。


「すみません。」

「はい。」

 顔を上げると、彼女がいる。

「この書類はこっちに分類されますか?」

「えと、いえ、こっちになります。」

「ありがとうございます。」

 彼女は、ちょっと微笑んだがすぐに通常の顔に戻って仕事を始めた。最初のころは、仕事の話も、休憩時間に話すちょっとしたことも、すべて敬語だった。やっと最近になって、仕事の時だけ敬語になっている。

 これは彼女を観察して気が付いたことだが、同僚の中でも、敬語で話す相手とそうでない相手がいて、それは相手の年齢であったり仲の良さのよって変化しているようだ。だが、僕の場合、彼女が仲良しと認定して、敬語がなくなったのではなく彼女より年下だ、という理由で敬語じゃなくなったのだろうと認識している。

 仲良くなりたいのか?という疑問がふと頭をよぎるのだが、悪いよりかはいいほうがいいに決まっている。しかし、これが恋愛感情からくるものなのか、という疑問は疑問のままである。


 放送が入った。

「お昼時間です-----。」

 僕は、食事に行くことにした。食事はいつも食堂で、一緒に食べる女性がいるときだけ彼女の顔が見える位置に座る。一緒に食べる女性が休みのときは、彼女のことが後ろから見えるところに座るのだ。

 僕は、一緒に食事をしている女性の話を退屈に思ったことがない。だから毎日、この女性と食べていられるのだと考えている。にこにことした女性で、さっぱりしていて、嫌いな相手も同じで、辛辣な言葉の表現が気に入っている。どちらかといえば、彼女よりもこの女性のことのほうをよく知っている。好きなドラマ、きらいな俳優、聞く音楽、最寄駅にさらに携帯のメールアドレス。情報量では、確実にこの女性のほうが多い。

 だが、ときどき、この女性と話しながら、目が遠くを見つめて仲間と楽しそうに笑っている彼女を目が追いかけているのだ。

 自分でも、この想いはなんだろう?と考えるのだ。

 

「恋愛は、データじゃねぇんだ!パッションだ!インスピレーションだ!」

 そんな昔の言葉を思い出しつつ、もし、彼女のデータがもっとあったならば、もっとたくさん話をしていただろうとは思う。だが、それがうまくいくとは限らない。彼女に他に好きな人がいるかもしれないし、僕なんか好みじゃないかもしれない。年下はいやだと言われたら、僕にはどうすることもできない。

 それでも、話してみなければわからない。年齢だって、話が合えば気にしないでくれるかもしれない。身長だって、小柄が好きと言われても、大柄な僕だって猫背になれば気に入ってくれるかもしれない。


 よし!なにか、もっと話しかけてみよう!


 そう思った、仕事の終わり時間。彼女は言った。

「明日からしばらくいませんが、よろしくお願いします。」

 え?いない?


「ああ、そうだったわね、来週から本社よね。」

 上司がにこやかに言った。僕は、聞いてないぞ?

「そ、そうなの?」

「はい、でも10日くらいですから。」

 彼女は微笑んだ。ほっとする反面、がっかりである。明日から、二度と来ませんからと言われるよりはましだが、やっともっと話しかけようと決意をした今日だったというのに。


 僕はため息をついた。

 やっぱり、データがないとなにも始まらない。とりあえず、彼女に関する情報を彼女が戻ってくるまでにできる限り、集めよう!

 僕は、そっと彼女の後姿を見つめた。


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