欲しがり過ぎた妹の末路~どうして私がダンジョンへ?~
「どうして私がこんな目に……!」
カビの臭いと血の臭いが混じり合った地下ダンジョンの中、迷路のように広がる通路の一角で、サマラは唇を噛んだ。
血と汗にまみれたダンジョンとは無縁であるはずの、男爵令嬢であるサマラがどうしてこんな場所にいるのか。話は数日前に遡る。
◇
「いいなぁ、お姉ちゃん。そんな素敵な人と知り合いで」
サマラはいつものように、姉であるエデンのものを羨ましがっていた。
サマラが羨ましがる時、それはすなわち譲ってもらうことが前提である。
今回サマラが欲しがっていたのは物ではなく、人だった。
その人物とは、エデンが最近親しくしているというルーベン子爵令息のイーサン。
イーサンは子を亡くしたルーベン子爵家に最近迎え入れられた養子だ。背が高い美青年との評判で、剣の腕前はかなりのものらしい。
サマラはちらりと見かけたことがある程度だが、彼のことを好ましく思っていた。
「お姉ちゃんは、イーサン様とどこでお知り合いになったの?」
サマラがぱっちりとした目を潤ませて上目遣いで尋ねると、エデンは深く溜息を吐いた。その顔には「また妹の欲しがりが始まった」と書いてある。
「イーサン様とは貴族の集まる読書会で知り合ったのよ。彼は平民の間で人気のある本についても詳しくて、色々と教えてもらっていたの。あなたももっと本を読んだらどう? そうすれば、もっと知り合いが増えるかもしれないわよ」
「ええ、嫌ぁよ、本なんて。だって長い文を読むと疲れるんですもの! それよりも、私聞いちゃったの。お父様が、イーサン様とお姉ちゃんに婚約の話が出てるって言ってた! それ、本当?」
「まだ本決まりじゃないわ」
エデンは首を横に振った。しかしその頬にはわずかに赤みが差し、まんざらでもなさそうだ、とサマラは思っている。
「それってイーサン様とお姉ちゃんが婚約するってことでしょう!? そんなのズルい! お姉ちゃんばっかりズルい!」
サマラは幼い子供のように頬をぷくっと膨らませ、手足をばたつかせた。
「サマラ、みっともないわよ。それに、あなたにはこれまでも色々と譲ってきたじゃない。いっつも私のものを欲しがってばっかり! 今回ばかりはいい加減にしなさいよ!」
エデンがギロリと睨みをきかせる。
サマラの欲しがりは、サマラが2歳くらいの頃から始まった。
最初はオモチャやおやつ。そのうち年ごろになると姉のドレスや髪飾りを横取りするようになった。
エデンも妹に取られまいと何度も抗議したが、「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」という親の一言で、最後にはいつもサマラに横取りされてきた。
そうやって育ってきたエデンは、妹を大そう疎ましく思っている。
「いいじゃん、服も髪飾りも、地味なお姉ちゃんより私の方がふさわしいんだもの。イーサン様だって絶対に私の方がふさわしいに決まってる! 彼だってお姉ちゃんのような本ばかり読んでる頭でっかちより、私みたいに愛嬌のあるタイプのほうが良いに決まってる! 私、早速お父様に婚約についてお話してくるわ!」
そう言ってサマラは父の執務室へと走って行った。
それから数日後、エデンではなく、サマラとイーサンの婚約がまとまりそうだという話になった。
父からそれを聞いたエデンは両手でハッと口を覆った。
さぞかしショックを受けているのだろう——と周囲は思ったが、エデンはその手の下でニヤつく口元を押さえられないでいた。
「思った通りよ」
◇
婚約の話がまとまってから数日後、正式に婚約する前に顔合わせをするということで、サマラは父と共にルーベン子爵家を訪ねた。
品の良い大きな屋敷の前には、手入れの行き届いた庭園が広がっている。
サマラ達が通された応接間には、見たこともないような異国の置物がズラリと並んでいた。ルーベン子爵は貿易会社に出資し、大成功を収めているらしい。
イーサン様と結婚すれば、この屋敷も素晴らしい庭園も、この家の資産の何もかもが私のものになるのね……!
サマラは高鳴る胸を抑えきれず、うっとりとした表情で屋敷の中を眺めた。よく手入れされて輝いている調度品と同じ空間にいるだけで、自分の格が随分上がったような気になる。
地味な姉よりも、私の方がこの家にふさわしい。姉の審美眼は確かだけれど、いつだって私の方がそれを使いこなしたり着こなしたりするのは上手だもの。姉の物を横取りすることで、私はいつだって効率よく生きてきた。この結婚も上手くいくに違いない。サマラはほくそ笑む。
サマラは口元を緩めたまま、イーサンの整った顔を見た。すうっと通った鼻筋の上には、深緑の大きな瞳が輝いている。その瞳がサマラの姿を捉えにっこり微笑むと、サマラの胸はますます高鳴った。
「それで、正式に婚約する前に、僕はもっとサマラ嬢のことを知りたいと思っているんだ。一度一緒に出かけるのはどうだろう?」
出かけるってデートってことよね!? イーサンと腕を組んで歩けば、周りの人間は皆振り返るに違いない。皆、私を羨ましがるに違いないとサマラはニヤリとした。
「ええ、もちろんオッケーですわ! どこに出かけます? カフェがいいかしら、それとも博物館がいいかしら。ああ、イーサン様は本がお好きなのでしたら、図書館でもかまいませんわ! 私これを機に読書するのもいいかと思っていまして……」
「いや、そういう場所ではなく、ダンジョンへ行こうと思っているんだが」
「は?」
サマラの口から思わず間抜けな声が漏れた。
ダンジョン? ダンジョンってモンスターとかドロップアイテムがあるところ? 何をしに行くのかしら。私が知らないだけで、結婚前のカップルに相応しいデートスポットでもあるのかしら。
サマラの頭はハテナで埋め尽くされるが、イーサンはおかまいなしに話し続ける。
「サマラ嬢はダンジョンに潜ったことはあるかい?」
そんなのある訳がない。
サマラが首を振ると、イーサンは白い歯を見せてにっこりと微笑んだ。
「それなら、なおさらダンジョンに行ってみた方がいい。一緒にダンジョンに行けば、お互いの判断力や、体力、準備力、忍耐力など結婚に必要な要素を一度に知ることができる。結婚前の男女にこんなに相応しい場所はないと思うんだよ」
得意げに語るイーサンに対し、サマラの顔はどんどん引き攣っていく。
ダンジョンって臭くて汚くて、時々死人も出ているところって言うじゃない! そんなのごめんだわ。
「イ、イーサン様、ご冗談を」
「僕は冗談など言っていないが?」
イーサンが首を傾げた。
まさかこの男、本気で言っているのか?
サマラが二の句を継げないでいると、サマラの父が口を開いた。
「イーサン様、それは名案ですね!」
「はぁ?」
サマラの口から再び間抜けな声が漏れる。
「いやあ、長女のエデンとは違い、サマラには少々忍耐力が足りないのではないかと思っていたのです。でも、いい娘なんですよ。イーサン様、これを機にサマラを鍛えてやってくださいませんか? イーサン様は剣の名手だと聞いております。あなたが一緒であればダンジョンでも危険はございますまい」
「もちろんだとも。じゃあ早速、明日にでもダンジョンに潜ろうじゃないか、サマラ嬢!」
◇
翌日になった。
父には「冒険者でもないのにダンジョンに潜るなんて!」と散々抗議したが、あっさりと無視された。なんでも父は若い頃に冒険者に憧れていたとかで、「本当は父さんが潜りたいくらいさ」など言いながらサマラを送り出した。
姉のエデンは「無事に帰ってね」と言いながら、防刃処理を施したカットソーとズボンと、みすぼらしい革の靴を貸してくれた。カットソーの胸ポケットにはキラキラと輝く石が装飾されているが、かといって全体的に可愛いデザインではなく、むしろ野暮ったい。
どうして貴族の姉がこんなものを持っているのかと問いただす前に、ルーベン子爵家の迎えの馬車が来てしまい、サマラは父によって馬車に放り込まれた。
あれよあれよという間に、ダンジョンに着いた。
入り口こそ冒険者で賑わっていたが、いざ中に入るとそこは複雑な迷路のようになっている。周囲にいた冒険者はそれぞれが違う方向へと消えていき、20分ほど歩くとついにサマラとイーサンは二人きりになってしまった。
「僕たち、二人きりだね」
イーサンが微笑む。これが美しい庭園であればサマラの心も躍ったことだろう。
しかし、周囲にはカビの臭いに混じって、血の臭いも漂っている。
数メートルおきに壁にかけられている松明に照らされた通路は終始薄暗く、おまけにじめじめとした空気が常に付きまとう。
サマラはどうしたら早く帰れるのか、とずっと考えていた。
できればモンスターなどに遭遇する前に帰りたい。嫁入り前にケガをするなんてもってのほかだし。
その時、サマラの横をしゅっと細長いものが横切った。
「ひっ!?」
そちらに目を向けると、薄暗い通路の端で小さな赤い目が光っている。
「モンスター!?」
サマラが悲鳴に近い声を上げると同時に、イーサンの剣が抜かれた。
イーサンは素早く剣を振るうと、あっという間にその細長いモンスターをまっぷたつに切り裂いてしまった。地面にボトリと落ちた蛇が、もがくように体をくねらせている。
「危なかったね、毒蛇のモンスターだ」
「あっ、あり、ありがと、う、ございます」
あまりにも突然のことで、サマラはお礼を言うのも精一杯だった。
イーサンの判断が遅ければ自分は毒蛇に噛まれていたかもしれない。
そう思うと、背中につつつと冷たい汗が流れる。
「い、イーサン様の強さと判断力の速さはよく分かりましたわ。夫として貴方以上に頼もしい方はいらっしゃらないと思います! さあ、そろそろ帰りましょう」
サマラは引き攣る顔に精一杯の笑みを張り付けて、イーサンの腕に自分の腕を巻き付けた。こうやってすり寄って上目遣いでおねだりすれば、断れる男はいないはずよ。
しかしイーサンは「剣を振るうのに邪魔だから離れてくれ」と言ってサマラの腕をべりっと剥がしてしまった。
「サマラ嬢、何を言っているんだ。まだまだダンジョンに入ったばかりじゃないか。君の忍耐力や体力のすばらしさがまだ分からない。僕に君の魅力を教えてくれ」
イーサンが微笑むのを見て、サマラは心の中で悪態をついた。
私に忍耐力や体力なんてあるわけないじゃない! 私は今まで姉の物を横取りすることで効率よく生きてきたのよ。そんな私に忍耐力や体力が備わっている訳ないじゃない。
だいたい、姉の選ぶ男だから間違いないと思ったのに、嫁入り前の令嬢をこんな危険なダンジョンに連れて行くような変人だとは思わなかった!
そんな変人なら姉とお似合いじゃない。私にはふさわしくない!!
しかし、そんな心の叫びを吐露できる場所は、このダンジョンにはない。
イーサンと別れて一人で出口を目指すのは危険すぎる。サマラは彼に着いていく以外の選択肢はなかった。
それから数時間、サマラとイーサンはダンジョンの中を歩き続けた。
モンスターは全てイーサンが駆除してくれたものの、時にその返り血や体液がサマラへと飛び散った。虫型モンスターの緑色の体液が飛び散ってサマラの頬についたあたりから、もうサマラはもう取り繕って微笑むのを辞めた。
ダンジョンを歩くうちに、モンスターから取れた魔石やドロップアイテムがいくつか手に入ったが、そんなものを得てもサマラの心は全く踊らない。
こんな男と結婚できる訳ない。冒険者でもない貴族なのに、嬉々としてダンジョンに入るなんて変人すぎる。とっとと姉にお返ししたい。
サマラが地上に戻ったらイーサンとの婚約話を白紙に戻そうと決意したとき、イーサンがふと立ち止まった。
「どうして急に止まったんですか」
「しっ、しずかに」
目をこらすと、薄暗い通路の奥から3人組の人間が歩いて来る。
モンスターまみれのダンジョンの中で久々に人間に会えたことで、サマラの心は躍った。
サマラが友好の印に手を振ろうと腕を上げかけると、表情を硬くしたイーサンに腕をがっちりと掴まれた。
「なんですの、イーサン様。久々に人間に会えたんですのよ? 手くらい振らせてくださいな」
「だめだ」
「どうしてですの!? 勝手にダンジョンに連れてきて、帰らせてもくれなくて、数時間ぶりに人間に会えた喜びも無視するんですの!?」
サマラが抗議しようとイーサンの腕を引っ張った時、ヒュンと風を切る音と同時にサマラの頬が切れた。
「え?」
「ああ、外しちまったか」
目の前の3人組のうちのひとりが残念そうに言った。
振り返ると、サマラの近くに彼女の頬をかすめた矢が突き刺さっている。
「どういうことですの?」
「お前ら、捕まったんじゃなかったのか!?」
イーサンが剣を抜きながら言うと、3人組のうち、真ん中にいた一際体の大きな男が答えた。
「つい先日牢屋を抜け出してきたばっかりさ! ダンジョンに比べれば、地上の牢屋なんて快適な子供部屋みたいなもんさ。はっはっは」
男は豪快に笑う。
サマラは状況がとっさには理解できず、3人組とイーサンの顔を交互に見比べた。
しかし、イーサンが見たことがないほど焦った表情をしていることで、今の状況がかなりマズいということだけは理解できた。
「よぉイーサン。お前貴族の養子になったんじゃなかったか? あ、もしかしてその横の女は貴族令嬢だったりして」
男の一人が歯が何本か足りない口で笑う。
「イーサン様、あの男たちはお知り合いですか?」
「僕が貴族になる前、冒険者だった頃の顔見知りさ。あいつらはダンジョン専門の強盗団で、冒険者を狙ってはその成果物を横取りし、場合によっては殺していくんだ。憲兵団に逮捕されたと聞いていたのに、脱獄していたとは!」
「こ、こ、殺すですって!?」
物騒な言葉が飛び出し、サマラの奥歯は恐怖でカチカチと鳴った。
早く逃げなければ。でも逃げれるの?
向こうは男が3人で、こちらはイーサンとか弱い自分だ。圧倒的にこちらが不利である。
「どうして私がこんな目に……!」
サマラの頭に「死」という文字が横切った時、彼女が抱いたのは姉に繰り返して来た横取り行為に対する後悔——ではなく、姉への恨みだった。
姉は私が欲しがるのを見越して、イーサンのような変人との婚約をほのめかしたに違いない。
もしかして、彼女はずっと私が姉の物を欲しがるのを疎ましく思っていたんだろうか? 嫌なら嫌ってはっきり言えば良かったじゃない! どうしてダンジョンに行かせるような陰湿な真似をしたのかしら!?
サマラの辞書には「反省」という文字は無かった。
悪いのは全て姉。
私が羨ましがるようなものを持っている姉が悪い。妹の私が欲しがるのは当然。
死にそうな目にあってなお、サマラは改心しなかった。
自分を省みることはないし、その一方で、やすやすと死ぬつもりもない。
サマラは魔石やドロップアイテムが入った袋を掲げると、震える声で強盗団に交渉した。
「ま、魔石やアイテムはアンタたちにくれてやるわ。その代わり私達を見逃してちょうだい。あなたたちの仕事を邪魔するつもりはないわ」
「お嬢さん、世間知らずが過ぎるだろう。ダンジョンの中で若い女がいれば、冒険者にいいようにされちまうなんて当然じゃないか。イーサンは殺して、お前は俺達の慰み者になってもらう。牢屋にぶち込まれたせいで女と話すのも久々なもんでなぁ!」
男たちが下品にガハハと笑うのを見て、サマラの全身に鳥肌が立った。
こんな男達にいいようにされてたまるもんですか!
「イーサン様、逃げましょう!」
サマラはイーサンの手を取り、その身を翻した。
しかし、その瞬間サマラの膝下に強い衝撃が走った。
痛い。熱い。
強盗団の一人が振るった大剣が、サマラの膝下を斬りつけていた。
「ひっ」
サマラの口から短い悲鳴が漏れる。
あんなに大きい剣で斬られたのだ。私の足はもう体から離れてしまっただろうか。それとも、おびただしい血をまき散らすのだろうか。
サマラがとっさに閉じた目を薄くあけ、様子を見ると、なんと——
足はそのままだった。
むしろ、ズボンに傷すらついていない。とっさにズボンの裾をめくってみたが、肌に傷もついていない。
一体どういうことだろう。
サマラは確かに斬られた感触を感じていた。それなりに痛みもあった。
けれど、彼女は全く怪我をしていなかった。
「あっ、もしかして!」
家を出発する前に、確かエデンが「これは防刃処理がされている服だから」といって今着ている上下の服を貸してくれたのではなかったか。
きっと、怪我をしていないのはそのおかげだろう。
しかし、サマラとイーサンが絶体絶命であることに変わりはない。
「やっぱり逃げるしかありませんわ!」
サマラは手に持った袋におもむろに手を入れると、適当な魔石を二つ取り出した。
そして、それを強盗団の方へえいっと放り投げた。
それはサマラの意図したことではなかったが、たまたま彼女の選び取った魔石は炎と風の魔石だった。
その二つは相乗効果でダンジョン通路に爆風を巻き起こした。瞬く間に狭い通路に熱風が広がる。
強盗団が火に包まれる中、サマラはイーサンの手を取り、一目散に走った。
入り口から数時間かけて歩いてきた道のりを、サマラは一心に走り続けた。
普段は馬車で移動する自分に、自身の足でどこまで走り続けられるかは分からない。けれど、生きるためには走るしかない。
走って走って、無事にダンジョンから出られた暁には、よくも変な男を紹介したわねと姉を問い詰めなければならない。
サマラは半ば使命感のような気持ちでひたすら走った。
何時間も走ったような気がしたが、実際は半刻程度だった。
サマラとイーサンは無事にダンジョンの入り口につき、周りに多くの冒険者がいることを確認してから、地面に倒れ込むようにして膝をつく。
額からはとめどなく汗が流れ、肺ははちきれそうに痛い。
苦しさに顔を歪めるサマラに、爽やかに汗をぬぐったイーサンが言う。
「サマラ嬢、君がこんなに体力のある人だとは思わなかった! それに、強盗団に会ったときに咄嗟に爆風を引き起こす魔石の組み合わせを選び取るなんて、君はなんて聡明なんだ。まさか、か弱そうな君に反撃されると思っていなかったのだろう、あの強盗団の意表をついて逃げることができた。君こそ僕の求めていた女性だ!」
イーサンは深緑の目をかがやかせ、風になびく髪をサラリとかき上げると、改まった表情でサマラの前にひざまずいた。
「サマラ嬢、君のような人を求めていた。僕と結婚してくれ」
「嫌です」
サマラは一瞬も迷うことなく、断った。
イーサンの目が点になる。
「どうして断るんだい!?」
「結婚前にこんな危ないところに連れて来る男なんて、どんだけ顔がよくてもお断りです! だいたい、あなたは元々うちの姉のエデンに興味があったんでしょう!? 姉に求婚しときなさいよ!」
「いや、お姉さんに興味はないけど」
「はあ?」
元々は姉とイーサンの婚約話がまとまりそうだ、という話だったはずだが。
「君のお姉さんが、サマラ嬢のことを僕に推薦してきたんだ。なんでも、『妹は向上心があり、効率を重視するタイプで、イーサン様の趣味のダンジョン探索のお供にぴったりです。是非一度会ってみてください』ってさ」
「な……なんですってぇ……!? お姉ちゃんったら、最初から私をダンジョン送りにするつもりだったのね! ひどい! 私が命の危険に遭えばいいと思っていたに違いないわ!」
サマラはきいいと地団太を踏んだ。
エデンが防刃服を貸してくれたことなど、すっかり忘れている。
ちなみに、靴も脚の筋肉を強化し、体力を大幅に増強するマジックアイテムであったが、サマラがそんなことに気づく訳もなかった。
サマラは自分への求婚の言葉を繰り返すイーサンを無視し、馬車を捕まえるとさっさと自分の家に帰っていった。
家に帰ると優雅に紅茶を飲んでいたエデンに出迎えられ、サマラは泥と埃にまみれた姿のまま姉に文句を言い続けた。
「お姉ちゃんのせいで! お姉ちゃんのせいで!」
「あらサマラ、随分泥だらけなのね。私いまからお風呂に入ろうと思っていたのだけど、あなたが入ってしまうとお湯が汚くなりそうだから後にしてくれる? いま人気だという入浴剤を試したいと思っていたところなのよ」
「人気の入浴剤!? そんなの私が先に入るに決まってるじゃん!」
サマラはエデンの手から入浴剤を勢いよく奪い取ると、一目散に風呂場へと駆けて行った。
「さてと」
エデンはそれを悔しがることもなく、サマラの脱ぎ捨てた防刃服を手に取った。
実は防刃服の胸のポケットについていた飾りは映像魔石で、サマラが今日どんな目にあったのか、音と画像つきで再生できるという代物なのだ。
「これでサマラがどんな目にあったのか、じっくり見て楽しめるわねぇ」
エデンは意地悪く目を細めた。
姉だって、横取りしてくる妹にただ手をこまねている訳ではないのだ。
風呂場からは、腐りかけのチーズを煮詰めたような異様な匂いの入浴剤が溶かされた湯の中で、サマラが首を傾けている。
「これ、本当に人気なのかしら……?」
それが疲労回復には役立つが、匂いがよろしくないと市井では大そう不評であることを、サマラはまだ知らない。
そして今後、今までやられっぱなしだった姉からの反撃が続いていくことも、まだサマラは知らないのであった。




