第九十一話 盃が進みすぎる夜
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
雪の気配を含んだ夜
囲炉裏の火はいつもより赤かった。
伊東祐兵は徳利を温め
島津豊久は盃を並べる。
「今日は、少しだけにしましょう」
「そう言いながら、いつも少しでは済まぬな」
二人は笑い、まず一献。
温酒が喉を下り、身体の奥でほどけていく。
「……もう一献」
「同感ですな」
話は取り留めもなく
町の出来事、冬の川、馬の癖。
盃は空いては満ち
いつの間にか数を忘れた。
足元では小春が丸くなり
ときおり尾で床を叩く。
黒猫は徳利を警戒するように距離を取る。
「祐兵殿!」
豊久の声が少し大きい。
「若い頃の話を——」
「それは長くなる」
そう言いながら、祐兵もまた盃を傾けた。
やがて、言葉が緩み
笑いの間が長くなる。
徳利は空になり
もう一本がいつの間にか現れていた。
「……進みましたな」
「進みすぎたな」
二人は顔を見合わせ
同時に深く息をつく。
立ち上がろうとして
豊久は一歩よろけた。
祐兵は手を貸し
自分もまた壁に手をつく。
「今日は、ここまでだ」
「賛成です……次からは、少しだけ」
布団に潜り込むと
火の音が遠くなる。
小春が胸元に来て
小さく喉を鳴らした。
「……温いな」
「それは、酒のせいです」
外は静かな冬の夜。
盃が進みすぎた反省と
それでも悪くない余韻が
ゆっくりと眠りに溶けていった。




