第八十九話 冬魚の湯気
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
夕刻、囲炉裏に火が起こされる。
薪の匂いが広がり、鍋が静かに温まり始めた。
伊東祐兵は
先ほどの釣果を丁寧に下ろしている。
刃は迷いなく動き
冬魚の身は透き通るように締まっていた。
「良い魚ですな」
島津豊久が頷く。
「水が冷たいほど、味は深くなる」
骨を除き
ぶつ切りにした身を
昆布を敷いた鍋へと並べる。
酒を少し、塩をひとつまみ。
それだけで十分だった。
「余計なことはせぬのですな」
「素材が冬を越えてきた。
こちらは邪魔をしない」
やがて湯気が立ち
鍋の中で身がふわりと花開く。
足元では小春が座り
鼻をひくひくと動かしている。
ときおり、黒猫が横から覗き込み
小春に小さく叱られていた。
「待て」
祐兵の一言で
二匹はぴたりと動きを止める。
器によそい
刻み葱を散らす。
湯気の向こうで
豊久が箸を取った。
「……沁みますな」
一口で、冷えた身体がほどけていく。
淡い旨みが舌に広がり
後から静かな甘みが残る。
「釣って、食う。
それだけのことだが」
祐兵が言う。
「それだけで
一日がきちんと終わりますな」
二匹の猫にも
骨を除いた身を少し分ける。
小春は満足そうに喉を鳴らした。
外では風が鳴り
冬はまだ深い。
だが、囲炉裏の前では
湯気とともに
穏やかな夜が満ちていた。




