第八十三話 雪下野菜の湯気
夕暮れ前、館の台所に淡い光が差し込む。
伊東祐兵は桶から雪を払った蕪を取り出し
島津豊久は薪を整えて火を起こした。
外は冷え込み、屋根の端から雫が落ちる音がする。
「今日は、雪下の野菜でいきましょう」
豊久の言葉に、祐兵は頷いた。
寒さに耐えた蕪や葱は甘みを増す。
包丁がまな板に当たる音が規則正しく響き
小春と黒猫は火鉢の前で丸くなる。
冬の台所は、静かに温度を上げていった。
鍋に昆布を沈め、弱火でじっくり温める。
蕪は厚めに切り、面取りをして下茹で。
葱は斜めに刻み、香りを立たせた。
「急がぬのが肝要ですな」
豊久が言うと
「味は待つほど深まる」
祐兵が応じる。
やがて湯気が立ち
台所に甘い匂いが満ちる。
味噌を溶く手は静かで
音は火の爆ぜる小さな音だけ。
猫たちは湯気に鼻を向け
期待に満ちた目で二人を見上げた。
仕上げに、薄切りの干し椎茸を戻し汁ごと加える。
ひと煮立ちで火を落とし
味を整えると、鍋は柔らかな色を帯びた。
「……これは、良い」
豊久が一口含み、思わず息を吐く。
蕪はとろりとほどけ
葱の甘みが後から追いかける。
祐兵は器に盛り
香りを確かめてから箸を置いた。
「冬は、足し算より引き算だ」
多くを加えず
素材の力に委ねる。
猫たちには椎茸の端を少しだけ。
尻尾が揺れ、満足の合図が返った。
囲炉裏端に膳が並び
外の寒さは遠のいた。
二人は言葉少なに箸を進め
湯気の向こうで目を細める。
「明日も冷えるでしょうな」
「ならば、また温めればよい」
小春と黒猫は膝に寄り
静かな寝息を立てる。
料理は腹を満たすだけではない。
一日の輪郭を柔らかくし
夜へ渡す橋になる。
火を落とし、器を下げる頃
雪の音が戻ってきた。
冬の台所は役目を終え
温もりだけが
静かに残っていた。




